国内外の日本語教員、元/現小学校・中高校・大学教員、実業関係者、日本の若手映像作家・写真家・デザイナー
私たち構成員は、日本人・韓国人・中国人(台湾を含め)で、それぞれ第1言語(母語)は、日本語であり、韓国語であり、中国語(普通話[北京語]・広東語・台湾語等)です。
にもかかわらず、交流の共通言語は、日本語です。
理由は、韓国・中国の交流主体である大人・生徒学生が、日本語を学ぶ・教える人たちだからです。
ここに私たちの活動の特性があり、同時に「相互性」への疑問につながります。
しかし、1993年からの20年の時間は、離合集散、紆余曲折を私たちに与えましたが、それが淘汰することになったのでしょうか、
確かな絆を醸成し、現メンバーによる今日があります。
それは、外国語としての日本語話者の人々の誠心誠意であり、聞き手の日本語母語話者の誠心誠意の賜物、
と言ってはあまりにも外国語としての日本語話者への一方性、非礼でしょうか。
今、20年間の時間は、私たちに以下のテーマへのこだわりを強くしています。
日本語・日本文化・日本社会を糸口に
- 日本は日本の過去と現在を、韓国は韓国の過去と現在を、中国は中国の過去と現在を、それぞれ自照し、国際(化)と自国・地域について、意思疎通を図る。その時、キーワードは「東アジア」の2000有余年の歴史と文化、そこからの国際社会について考えてみる。と同時に
- 日本は、「日本語教育」が持つ「外国語としての日本語教育」と「国語教育」の二つをより自覚する。
これらも、日本側の独善との批判は免れ得ないでしょうか。
第1段階[~1993年]
日本語教育と国語(科)教育の統合、融合を考える任意の研究会『関西日本語国語教育研究会』の活動と1993年ソウルでの、
『ソウル日本語教育研究会』(ソウル市の高校、大学の韓国人日本語教師を中心とした研究会)との出会い。
※両研究会に係る話題(トピック)を、下記第3段階の後に記しました。参照ください。
第2段階[1994年~2013年]
1994年からの日韓交流、1998年からの日韓中交流、また幾つかの企画を行う。
《それぞれの詳細は、本サイト活動報告の項を参照ください》
2004年、内閣府にNPO申請を行い、同年9月に認証される。
そして離合集散、紆余曲折を経て、絆の深化の現在へ。
第3段階[2013年~]
新たな挑戦に向けて。
参考:「関西日本国語教育研究会」と「ソウル日本語教育研究会」に係る話題(トピック)
「関西日本語国語教育研究会」研究大会の開催(1999年 大阪)
- 【基調講演】
- 「日本語教育と国語教育の相互交流・相互啓発」 上野 田鶴子
- 【各部主題】
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〈第1部〉発話と討論 「日本語教育と国語教育の相互交流・相互啓発を巡って」
〈第2部〉国立国語研究所(当時)でのプロジェクト『高校日本語教育研究会』からの第1次報告
〈第3部〉在日外国人保護者から見た日本語教育・国語科教育
〈第4部〉国際バカロレア[IB]から考える日本語教育・国語教育
「ソウル日本語教育研究会」創立20周年記念式典(2011年12月 ソウル)への出席
「ソウル日本語教育研究会」創立20周年記念式典に招かれ出席しました。
理由は、ソウル日本語教育研究会が創設20周年を迎え、今日、韓国と日本の両方の教育行政機関からも信頼の評価を得るに到った礎は、私たちとの交流にある、とのことからです。恐るべき名誉です。
会場には、韓国行政機関の要職者や独立行政法人韓国駐在責任者、日本の公共国際交流機関の責任者等、公的高位な方々が来賓としておられ、日本の一介の元中高校教員が同列に、否、時には上位に遇される畏怖と、感謝と、韓国人の情の濃やかさの実感が交錯する、それは摩訶不思議の時でした。
以下、初めに祝辞と感謝を述べた後の、井嶋の挨拶の一部です。「絆」感じていただければ、と恥ずかしげもなく転載します。
1993年、梁 承甲先生、朴 且煥先生、金 容安先生との出会いに始まり、今日までを振り返りますと多くの方々のお顔やエピソードが、止(とど)ことなく思い出されます。
私の場合、そのほとんどが酒席でのことばかりで、さすがの私も気が引けますのでここではすべて省略して、最近、“典型的日本人”をつくづく自覚し始めています私が、皆様と出会い学びました、韓国と日本が共有する文化についての私の思いを少しだけお話しし、皆様への祝辞とさせていただきます。
と同時に、それが新たな私たちの、また日韓の交流の何か参考になれば望外の喜びです。
日本は今大きな転機を迎えています。
あの「東北大震災」と「原発事故」があって、9ヶ月と1週間が経ちました。
私は、1995年1月17日の「阪神淡路大震災」に続き、いずれも間近で体験し、あの衝撃、揺れは今も体に残っています。
そして、例えば「脱・原発」「非・原発」といった言葉で象徴されますように「日本再考」の機運が、その時以来広がっています。
しかし、9ヶ月が経ち「復興するにはお金が要る、だから増税する」といった発想で、根本的、本質的な問題を避ける方向にあり、もちろんそこには一人一人の、また国の生き方そのものが関係して来ますので非常に難しいことではあるのですが、いらだちを隠せない人々も増えています。
私もその一人です。
その時、元中高校国語科教師で、今『日韓・アジア教育文化センター』の私は、東アジアの社会や制度、技術また日々の暮らしの根底にある、長い歴史の中に育まれた心、精神文化について顧み、再考する意義を思っています。
その東アジアの精神文化とは、具体的には儒教・仏教・道教また自然信仰、精霊信仰ではないか、そこに共通してある「静と和」への憧憬ではないかと、私は考えています。(この後、「儒教」での「自律」の視点と、韓国の「はん恨」が持つ内省と葛藤からの愛や「女性と母と家」での「女性」の偉大な存在について、そして茨木のり子のこと、「仏教」での「和顔愛語」のこと、道教(老荘思想)での「無」の積極性のことに触れます。)
お話しました東アジアの精神文化の源泉・源流は中国です。
その中国についての日本の報道は、ここ数年悪い内容が大半で、私の身辺でも“嫌”中国派が増えています。
古代文化だけでなく、孫文や魯迅といった近代中国の土台を作った人々からの影響も深く受けた日本人の一人としては非常に残念に思っています。
それは、私たちセンターの仲間に、香港人(彼女を含め、香港の多くの人々はごく自然に自身のことをこう言います)の日本語教師で『方丈記』に関心を持つと共に、日本文学と女性に関しても研鑽を積まれているマギー 梁(りゃん) 安玉(あんぎょく)さんという素晴らしい女性がおられ、また小学校時代からの私の親しい友人(上海生まれの台湾系中国人実業家)がおり、なおさらです。
この度、「ソウル日本語教育研究会」として韓国教育部の公文書に、「東アジア」への眼差しの大切さを入れる文言を要望したところ、受け入れられたと聞きました。
日韓中間には、まだまだ難しい課題が未解決のまま残されています。
改めて交流の大きな意義である「相互啓発」の大切さを思います。
皆様が私に、韓国のことはもちろんですが、日本について様々な角度から考えさせ、かえりみる時間を与えてくださったように。(後略)