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2018年10月20日

『民藝運動』の心を、今、再び・・・ ―柳 宗悦への私感― Ⅱ

内容[その二]

怒りと不信の今、日本らしさを柳 宗悦から学ぶ

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怒りと不信の中身・「民藝論」

井嶋 悠

 

日に日に、日本に関して心地良い話題が少なくなっている……と思うのは、老いの愚痴(ボヤキ)、憂愁(オセンチ)だろうか。 少子・高齢化となることはだいぶ前から見通されていたにもかかわらず(とりわけ政治家、官僚、また(御用?)学者)危機感を煽り、次代のためと同情を誘い、己が議員整理等足元改革は言葉だけの政治家と行政の公(おおやけ)主導の税金等値上げ、新設発想。
消費税値上げに伴っての、その方法(一律なのかどうか等)と増収使途内容の今もっての曖昧さ。 諸物価の高騰。一部の人だけの所得増加。
福祉の貧弱、貧相。都鄙の格差の広がり(例えば、パートタイマーの時給等待遇の差)。教育の繰り返される目先の改革と飴玉施策。
世界の大都市を誇示し、2020年オリンピック開催都市東京の貧困家庭・子どもの貧困の実態。にもかかわらず[お・も・て・な・し]の狂騒。
国民健康保険の外国人利用への配慮を踏みにじる悪用と利用総額の累積、それらの財源に係る問題。
世界に冠たると思っていた自動車産業の低落と展望のなさの顕在化。そうかと思えば“観光立国”の雄叫び。

そして、今や“病気”とまで冷笑される首相と“愚妻”(一般的には夫が謙譲表現として使うが、ここではそのまんま!の使い方)やお伴を引き連れての外遊(当事者等たち表現は外交)。一体どれほどの費用が費やされ、どれほどの具体的効用が還元されたのか。[これについては既に投稿した]

「和」の精神とはほど遠い、アメリカ追従を盾にした阿諛(おべっか)外交の国内外での笑いもの。それもその経費のほとんどが血税からの出費である。
そして日本国の負債額(借金)は、1,085兆7,537億円。国民一人当たり約870万円。これは国内総生産[GDPGross Domestic Product] の2,36年分にあたり、世界一とのこと。ただ、ギリシャ等とは違って、国債の在りよう、債権国としての立場、円の価値等から心配する必要ないと言われてはいるが、少子化と高齢化を主因とする生活事情、福祉問題から決して安心はできないと諭す専門家もいる。

挙句の果てには、国民的議論もないままでの「国民の意思である」と公然と言ってのける憲法改正指向。 日本の防衛費は世界第8位[約5兆2000億]だが、GDPとの比では約1%以内で、その視点からすれば世界にあって決して多いわけではないとのこと。ただ政府与党は1%→2%にしたい意向との由。
これを私たちはどう受け止めるかも大きな問題である。(この数字願望からも、日本を主導する政治家たちの意識、方向性が透けて見える。)
そして、今もって世界の低位置から脱し得ず、言葉先行、有名無実化的な「男女共同参画社会」(英語では「gender equality」)と英語を出したのは、男性がもっとジェンダーについて学ばなければならないと、或ることを通して痛感しているから。と同時に、女にとってのジェンダー。

これでもやはり、老いのおセンチなぼやきなのだろうか。

批判のない世界、社会は異常だから、柳 宗悦への、更には彼も一員であった白樺派の批判は、あって然るべきだが、私が氏の幾つかの著書を読み、その精神に共感したのは、この現代日本が、(意図的に?!)遠い彼方に棄て去った心が,流れていると思ったからである。
その共感は、岡倉天心(1863~1913)や鈴木大拙(1890~1966)へのそれとも相通じている。いわんや国際化が進めば進むほど肝要な心構え。
もちろんここで、安易に武士道や大和魂を持ち出す気持ちはさらさらない。
そもそも、武士道とは哀しみを知る優しさだと思うし、江戸時代の偉大な思想家・古代文学研究者である本居 宣長が歌う「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」の歌の、何と澄明で女性的なことだろうか。
(私が言う女性的とは、女性らしさとかそういたことではなく「女性原理」としてのそれである。これについては以前の投稿で、女性の父性、男性の母性という視点で触れて来たが、未だ勉強途上。)

と言う私は60歳で、時の校長等一派への不信を脱し得なかったふがいない者で、妻の理解(一応というか妻の私の性を知っての諦め?)を得て職を退き、縁あって、首都圏の多くの人が羨ましがる北関東の“リゾート地”と言われ、日々刻々自然と人を体感できる地で年金生活を送って10年が経つ。
ということは、民藝運動を共有し、後に離れて行った何人かの中で、例えば美術評論家であり骨董鑑定蒐集で天才的鑑識眼を持っていたと言われる青山 二郎(1901~1979)が言った「柳宗悦個人の意識を民藝の美と称するものから取去って見給へ、美術館は消えてなくなるだろう。だからその他大勢は概念の虜である」の一人と言われておかしくない、有閑人の観念的言葉の弄び手なのかもしれない。
白樺派が、戦前の皇族・公卿のための国立学校学習院の同期やその前後の青年たちで構成され、時として“お坊ちゃま”集団と批判される、その一人の平民版なのだろう。
しかし、私は柳宗悦の、あるいは彼が主導した「民藝運動」の心に、また岡倉天心や鈴木大拙の言葉に魅かれる。

柳が、民藝と言う言葉を編み出し、そこに美を直覚したことについて、『雑器の美』(1927年38歳時の刊)及び『民藝とは何か』(1941年52歳時)の中で次のように言っている。

――たずさわるものは貧しき人の荒れたる手。拙き器具や粗き素材。売らるる場所とても狭き店舗、また路上の筵。用いらるる個所も散り荒らさるる室々。だが摂理は不思議である。これらのことが美しさを器のために保障する。それは信仰と同じである。宗教は貧の徳を求め、智に驕る者を戒めるではないか。素朴な器にこそ驚くべき美が宿る。――『雑器の美』

――単純を離れて正しき美はない。物は雑器と呼ばれてはいるが、純一なその姿にこそかえって美の本質が宿る。人は藝術の法則を学ぶために、むしろ普通な誰も知るこれらの世界に来ねばならぬ。――『雑器の美』

――老子は道の極致を「玄」と呼びました。「玄」いわゆる「聖暗」なのです。その「玄」の美を私達は「渋さ」と言い習わしてきました。実に様々な相があろうとも、その帰趣は「渋さ」なのです。だがかかる最高な美、「渋さ」の」美を工藝に求めようとする時、私達はついに民藝品に帰って来ることを悟るでしょう。あの茶人達がそれらのものに茶器を見出したのは偶然ではないのです。いわゆる「上手(じょうて)物(もの)」にかかる「玄」の美を求めることは至難の至難なのです。――『民藝とは何か』

――なぜ特別な品物よりかえって普通の品物にかくも豊かな美が現われてくるか。それは一つに作る折の心の状態の差違によると云わねばなりません。前者の有想よりも後者の無想が、より清い境地にあるからです。意識より無心が、さらに深いものを含むからです。主我の念よりも忘我の方が、より深い基礎となるからです。在銘よりも無銘の方が、より安らかな境地にあるからです。作為よりも必然が、一層厚く美を保証するからです。個性よりも伝統が、より大きな根底と云えるからです。人知は賢くとも、より賢い叡智が自然に潜むからです。人知に守られる富貴な品より、自然に守られる民藝品の方に、より確かさがあることに何の不思議もないわけです。華美より質素が、さらに慕わしい徳なのです。身を飾るものよりも、働くものの方が常に健康なのです。錯雑さよりも単純なものの方が、より誠実な姿なのです。華やかさよりも渋さの方が、さらに深い美となってきます。――『民藝とは何か』

《私注:ここで筆者が使う「個性」「伝統」及び「知」と「(叡)智」の意味また使い分けは、心して受け止めなくてはならないと思う。》

上記引用からキーワードと思われる語を採り出してみる。
【貧の徳と智に驕る者・素朴・質素・無想、無心、無銘・渋さ】

これらから「現代(世相)」を思い浮かべてみると或ることに思い到る。 徳有ることを美とし、驕る者を厭(いと)い、素朴で質素な生活を求め、我欲に溺れることなく謙虚で、在銘の権威性に眉をひそめる、そんな人こそ健康な人ではないのか。そこに見る渋い生き方、渋い人。
現実はどうか。疲弊し、忙(せわ)しく時を消化し、静寂は夢のまた夢、将来の夢は?と四六時中問われ、自問自答のゆとりもなく、AIを呆然と眺め、やたらと「癒し」なる言葉を見聞きする大人と子ども……。
と言えば、これこそ老いの愚痴(ボヤキ)、憂愁(オセンチ)だろうか。それとも非現代人にして劣等生、劣等人の勝手な言い訳、弁解だろうか。

柳は『民藝とは何か』の序の中で次のように言っている。
「思えば思うほどそれは単に工藝の一問題ではなく、その本質問題であることを解するに至ったのです。しかもそれは美の問題に終わるのではなく、直ちに生活や経済や社会や、ひいては道徳や宗教の諸問題に連関してきます。私は一個の民器に文化の諸問題の明確な縮図を見たのです。」

多くの現代人が求めている静謐な“気”について、柳は焼き物を通して茶道に眼を向ける。曰く、

――過去の時代においてかかる雑器の美を認めたのは、初代の茶人たちであった。(中略)今日万金を投ずるあの茶器は、「大名物(おおめいぶつ)」は、その多くが全くの雑器に過ぎない。かくも自然な、かくも奔放な彼らの雅致は、雑器なるが故だと言い得よう。(中略)人々はあの深く渋き茶器が、無造作な雑器であったことをゆめ忘れてはならない。――『雑器の美』

――「茶」の美は「下手(げて)」の美であると。因襲に捕われた今日の茶人達には、この平易な真理すら不思議義な言葉に聞こえるでしょう。(中略)茶器も茶室も民器や民家の美を語っているのです。だがこの清貧は忘れられて、茶道は今や富貴の人々の玩びに移ったのです。――『民藝とは何か』

《私注:柳は「下手」と「上手(じょうて)」に関して、『民藝とは何か』の中で、民衆的工藝と貴族的工藝に分けて述べている。先の引用と重なるが、民藝を考える上で非常に重要な点であるので、この民衆的工藝の部分を引用する。

「民藝品は民間から生れ、主に民間で使われるもの。したがって作者は無名の職人であり、作物にも別に銘はありません。作られる数もはなはだ多く、価格もまた低く、用いられる場所も多くは家族の住む居間やまた台所。いわゆる「手廻り物」とか「勝手道具」とか呼ばれるものが多く、自然姿も質素であり頑丈であり、形も模様もしたがって単純になります。作る折の心の状態も極めて無心なのです。とりわけ美意識等から工夫されるものではありません。材料も天然物であり、それも多くはその土地の物資なのです。目的も皆実用品で、直接日々の生活に必要なものばかりなのです。製作の組織は多くは組合。これが民藝の世界なのです。 これに対し貴族的なものは、上等品であり貴重品です。(中略)俗語でこれ等のものを「上手物と云いますが、これはもとより「下手物」に対する言葉なのです。(中略)一方が「民」なら、一方は「官」です。」
ただ、柳自身「下手物」との用語の一般的意味遣いから、後にあまり使わないようにしている旨言っている。

社会への眼、雑器としての茶器を通して、柳が描く茶道への心については、次回に、[茶器、茶室或いは茶道と時代の変容]との表題で、岡倉 天心の『茶の本』も参考にしながら、まとめたく思っている。