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2019年7月20日

天才・その“相対”を超えた存在 ~サルバドール・ダリ鑑賞~

井嶋 悠

福島県磐梯会津高原の中程にある、サルバード・ダリ(1904~1989)の作品所蔵で世界的に著名な『諸橋近代美術館』に、妻と行った。
ダリの絵画、彫刻作品の鑑賞2回目である。 ダリの、私が前回行った時と違ったテーマでの、新たな展示である。
[美術館の表示は、『開館20周年記念展 次元を探しに ダリから現代へ』である。
大学で陶芸を学んだ妻は何度か観ていて、本人曰く「ダリは好きだ。この美術館も好きだ」
静寂の漂う林間地にある瀟洒で風格のある近代建物で、その建物の前には広い池があり、横を幅3mほどのせせらぎが流れ、その周りは芝生で美しく整えられている。そこには近代の人為性があるが、取り囲む磐梯連峰、森林が、人為性をも包み込んだ久遠の自然の安らぎを与える。

亡き娘は(享年23歳)ダリを愛で、諸事情から母と私より一足先に関西から今の地に転居したことで、その美術館に母娘で何度か足を運んでいる。親ばかと言われようと、彼女の可能性を傍で実感していただけに、早逝は甚だ口惜しい。その一因が、教育に係る事ゆえ尚更であるが、前にその経緯背景は投稿しているので、ここでことさら立ち入らない。

初めて観たときから引きずっていたことがあった。どこか気構えて観ようとする私への疑問。なぜか。
例えば作品に付けられた表題に寄り掛かっての「理解」と言う観方。そのことに加わっての難解な作品との勝手な或いは先入的思い込み。鑑賞ではなく学習といった感覚。
しかし、画集すなわち写真ではなく、作品本体に向かい合うこと2回目にして、やはり私の鑑賞が大きな誤りであることに決定的に気づかされ、大海を前にした大らかさと自身の小ささに気づいて行った。
その自己を止揚するような中で、一枚の絵が私をとらえた。ダリの“永遠の人”であったガラの顔を描いた、B5判ほどの大きさのペンのデッサンに接した時である。そこには、ピカソのデッサンを観た時と同様の感動があった。
いつしかあの気構えは消え、虚心にダリの作品群を観る私がいた。どれほどの時間が経っただろうか。
美術館を出て、駐車場に向かう時、芝生で座って作業をする三人の女性が視野に入った。楽しげに会話しながら、雑草処理でもしているのだろうか、中年の女性たちであった。 その時、ダリならこの風景をどう見るのだろうか、否、最初からそのような志向を一切持たないのだろうか等々との思いの中で、先程まで見入っていたダリの作品群と彼女たちが重なった。不思議な感覚であった。それが何であるか、私にも分からなかった。それは今も分からない。

この文章は、そんな経験からあらためてダリを、シュールレアリズムを想い、そこから天才について思い巡らせた一端を書いたものである。己が人生の自照の契機としても……。
もっとも、『シュールレアリズム宣言』を著した、アンドレ・プルドン(1896~1966)は、老いと言う年齢になってのこのような行為の虚しさ、愚かさといったようなことを書いてはいるが。

人間は等しく孤独に苛まれ、狂気をかろうじて抑制している。だから夢は人間にとって悦楽となるのだろうが、時に夢は人間を呪縛することもあって、一転恐怖ともなる。
天才は、現実を超えている。と同時に、孤独と狂気を一瞬であっても極限まで、しかも無意識下に自覚する。そこに年齢は関係ない。天才が早熟、早逝のイメージを与えるのはそのせいかもしれない。
凡人と天才が決定的に違うのはそこではないか、と凡人の私は思う。
「十歳(とお)で神童、十五歳(じゅうご)で才子、二十歳(はたち)過ぎればただの人」は、短いようで長く、長いようで短い人生での凡人の言い訳に過ぎない。 天才も10歳から凡人と同じに齢を加えるが、感性は10歳を基底に理智いや増し、ますます研ぎ澄まされて行く。その時、その天才を代表するような作品が創り出される。

と考え始めると、どうしても老子の「天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ」が浮かぶ。
美醜、善不善、有無、難易、長短、高下、音声、前後すべては相対的で、それゆえ「聖人は無為の事に処り、不言の教えを行う。」と言う。
この「  」の部分、研究者金谷 治氏の現代語では次のように記されている。

――それゆえ「道」と一体になった聖人は、そうした世俗の価値観にとらわれて、あくせくとことさらな仕業をするようなことのない「無為」の立場に身をおき、ことばや概念をふりまわして真実から遠ざかるようなことのない「不言」の教訓を実行するのである。――

老子は無為を、不言を言うために文字(言葉)を使う。その自己矛盾に何度呵責の時間を経験したことだろう。同様に、天才画家は絵具で無為不言を表わす。 0(ゼロ)。無であることが永遠であること。

ダリは、己が作品への様々な批評、評価とは全く関係ないところで、言葉を紡ぐ人を視ている。私自身、それがすべてと思うが、自照のために拙い言葉を紡ぐ。当然、その言葉はダリ作品の批評であろうはずがない。

夏目漱石は『夢十夜』を著した。その第六夜は、運慶が仁王を彫刻する話[夢]である。
運慶が、鑿(のみ)と槌(つち)を自在に使って彫るのを、漱石は他の明治の人たちと見ている。その自在さに感心しているときに、或る若い男が言う。「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。」と。 漱石は家に戻り薪を使って試みるが、「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。」と書く。

ダリは運慶なのだ。 ダリは現実に生き、抑え難い欲求から想像力をかきたてられ、狂気溢るる集中力と愛(アガペー)で精緻なデッサンを重ね、絵筆を、鑿を動かす。霊感と創造の至福の結合。
運慶は鎌倉時代であり、ダリは20世紀のスペインである。鎌倉時代が仁王を彫らせたように、20世紀の西ヨーロッパが、シュールレアリズム[超現実主義]の作品を創らせた。
そこに共通して在ることは、現実の究極としての、或いは現実を超えたところでの、宗教[仏教とキリスト教]である。 運慶は人々の守護たる仁王像を創ったが、ダリはスペインの、西洋の血・文化・歴史からの霊感で、彼の具象を描き、時に彫刻した。
漱石は運慶に天才を見た。その慧眼(けいがん)。

先の『シュールレアリズム宣言』の中で、アンドレ・プルドンはシュールレアリズムを次のように定義している。

――男性名詞。思考の実際の働きを、口頭ないしは筆記ないしは他のあらゆる手段によって表現しようとするもくろみのための方法としての純粋の心的自動運動。理性によって実施されるあらゆる統制の存在しないところ、すなわち、美的ないしは道徳的なあらゆる配慮の埒外での思考の書取り。――

「美的ないしは道徳的なあらゆる配慮の埒外での心的自動運動」。
解放された自由の中での想像力の飛翔。
私は、更に男性名詞とすることに関心が向く。 「理性によって実施されるあらゆる統制の存在しないところ」、全き解放と安息の場所としての母胎内。現実(主義)を超えることでの安息の志向。母性への憧憬。

ダリはフロイドを敬愛していた。フロイドは精神分析で「性」を考え、人間の根底を考えた。私はフロイドの夢に係る論考の一部を読んだが、ただ眼で追っただけでフロイドについては何も言えない。

ダリは、20歳前後から印象主義、点描法、未来派、立体派、ネオ・キュビズムを吸収しながら、シュールレアリズムの世界に向かった、と解説するフランスの研究者(ロベール・デシャノレヌ)は、ダリの代表作の一つとして1951年作(47歳時)『十字架の聖ヨハネのキリスト』挙げている。
彼のシュールレアリズムの画家としての活動は、20代後半から50代と考えられる。そしてこの時期が、ダリの天才が華開いた時ではないかと思う。
この時間と精緻極まる仕事ぶりからも、彼が強靭な天才であることが見て取れる。ひたすらガラへの愛を支えにして。
因みに、『欲望の謎、わが母、わが母、わが母』を描いたのは、1929年、25歳の時である。

デッサンは絵画の、彫刻の核であって、××主義とかそういったことでぶれることはない。そこには画家の、彫刻家の“樸(あらき)”がある。だから運慶は眉や鼻を掘り出し得た。ダリは緻密なデッサンで彼の夢・霊感を徹底して描いた。

夢は「個人的なドキュメンタリー映画のようなもの」との言説に触れたことがある。映画の人為性(例えば画面を切り取ると言う人為)を思えばなるほどと思う。 静かな激しさに溢れた夢・超現実の具象。ダリの個人的ドキュメンタリー映画。
私が以前に強い感銘を受けたシュールレアリズムの画家、ジョルジョ・デ・キリコ(1886~1978)の、ギリシャ・ローマ時代を思い起こす建造物と真昼が醸し出す静謐との違いと共有性。

相対評価の人間社会にあって唯一絶対と直覚させる人、それが天才だと思う。そこでの鑑賞の「難易」はない。難易は理屈の世界である。
ダリをあらためて観、心のわだかまりが消えたのは、そこに今更ながら気づいたからだと思う。これも加齢の為せる業なのだろう。
明治の画家で28歳にして失意と孤独の中、早逝した青木 繁の『海の幸』を観て、彼を天才と直覚したことが甦る。 同じ“具象画”でもダリと青木では全く違う。しかし、それはダリが主義の前に「超現実」」が付され、青木には「ロマン」が前に付されるという美術史上の分類に過ぎず、本質は全く同じ美である。 二人の天才、ダリの真善美と青木の真善美の同一性。あまりにも当たり前のことだが。

天才であることの苦しみ、哀しみは、その天才でしか分からない。しかし、天才は私たちに安息を与える。天才は天に指名された、私たち凡人の救い主である、と信じたい。

【付記】 今回の展示で、新たに私の心をとらえたのは、『哲学者の錬金術』と『ダンテの新曲煉獄編、地獄篇』の、幾つかのリトグラフ作品であった。