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2019年9月23日

自殺は哀しい・・・・・

+井嶋 悠

自殺は哀しい。しかしヒトが社会を構成している限り、自殺が無くなることはない。 自殺は人間だけの、生きると言う苦行[憂き世]での課題の一つである。

こんな言葉に出会った。19世紀から20世紀にかけての、フランスの社会学者デュルケームの『自殺論』に係る啓蒙書にあった一節である。(筆者は宮島 喬氏)

「自殺は、それ自体で病的なものともいえない。むしろ、日常のわれわれの行動とある場合には、類似したものであり、ある場合には内通したものである。」

そしてこの考え方を、社会的、道徳的な視点でとらえ、そのことから社会的、道徳的動物である人間の自殺という行為を視ている。
個人的には、自殺という何者も侵すべからざる領域について「論ずる」ことの疑問を持っている一人だが、この言説に説得力を感じた。
ただ、犯罪者の自殺については、そこに悔悟の情があったにせよ、上記の視点に同様に含めることには、私の中で未だ明確にできない。

自殺は自身を「殺める」こと。なぜ殺めるのか、理由は様々だが、精神的自己放棄は共通している。ということは、放棄せざるを得なくしたのは誰か。自分自身か。或いは先の言を敷衍すれば、社会であり、道徳か。と牽強付会を承知で言えば自殺は「社会的・道徳的殺人」とも言い得るのではないか。
とすれば自殺者は、加害者であり被害者である。そこを明確にしなくては、ただ哀しい一事で終始してしまう。それでは自殺者の供養にならないことに今更ながら気づく。
私は自殺を誉め讃えようと言うのではない。やはり哀しい。しかしただ哀しいのではない。もう一つの 「愛し(い)」があっての「哀・悲し(い)」に思い及ばさなくてはならないと思うのだ。

自殺で宗教を持ち出す人は多い。ユダヤ教では、キリスト教では、イスラム教では、ヒンズー教では、そして仏教では、……と。 信仰とは、己が信ずる神(仏)に心身を委ねることだから、その委ねているにもかかわらず自身で命を絶つことは明らかに神(仏)に背くことになる。 その意味では唯一神信仰は、自殺を厳しく戒めることが想像できる。

それをキリスト教でみてみる。 『項目聖書』(聖文舎)[現代に生きる私たちが出会うさまざまな問題を項目別にあげ、それに関する聖書の箇所を、本文そのままに並べたもの《まえがき、より引用》]で「自殺」の項目がある。
その中で、【新約聖書】の[マタイによる福音書]から、2か所採り出す。

◎青年の、永遠の命を得るには、どんな善いことをすれよいのでしょうか、との問いに対して、 イエスが答えた言葉「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。」

◎イエスを裏切ったユダの描写で、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言って、首をつって死んだ。

前者は、自身を殺すな、まで含まれていると考えられるのだろうか。これは、解釈上、次の姦淫するなとの言葉の意味をどう取るかとも重なるように思う。また、後者は、社会的道徳的に許せない自身の懺悔の証しとして縊首自殺は自然とは思え、先にも記したが、私が採り上げる自殺からは外に出ている。

慈悲の仏教では、その主旨から、積極的に肯定も否定もせず静かに見守る、との姿勢のように思える。
イスラム教の場合、キリスト教以上に唯一絶対神性が強いように思え、その中にあって「殉教」という自殺[他者を巻き込むのでテロの一つの形としてとらえられているが]は、どのような見方が正当なのであろうか。
私の中では、明治天皇崩御での乃木希典夫妻の殉死、また三島由紀夫の切腹とも通ずることで、自殺の範疇とは違うのではないか、とも思ったりする。私の言う自殺は、もっと個人性の強いこととしてある。

19世紀のドイツの哲学者ショーペンハウエルに『自殺について』との著書がある。 そこには、30代の時と60歳前後の、かれの自殺観が書かれている。
両者に調子の強弱はあるものの、基本的に自殺を排斥していないし、キリスト教の牧師たちを痛罵している。
例えばこんな具合だ。 「死はわたしたちに必要な最後の隠れ場所であり、この隠れ場所に入るのに、わたしたちは、なんで坊主どもの命令や許可などを、受けなければならないのであろうか。」
また、ギリシャ時代の哲学者たちの一派であるストア学者の「自殺を一種の高貴な英雄的行為として讃美している」ことに触れ、引用している。

このギリシャ文化(ヘレニズム)とキリスト教文化(ヘブライズム)は、欧米(主にヨーロッパ)の思想家たちの間で、自殺擁護と排斥で常に意見が分かれている。ショーペンハウエルは前者である。
私は先にも記したが、自殺を讃美するほどの器量はない。しかし、否定し批判することはあり得ない。自殺者は死をもって、真実の最後の叫びを発しているのだから。だからなおのこと、かなしい。

日本は自殺が多い。数年前まで、世界の上位10カ国に登場していたが、ここ何年か減少傾向にあり、今は10位以内から外れてはいる。それでも毎年2万人余り(男女比はほぼ2:1)が自ら命を絶っている。 そして最近の傾向として、2000年前後から若者[15歳~24歳]の自殺が鋭いカーブで増えている。
因みに、現在、韓国は第2位となっていて、また日本同様、若者のそれが急激に増えている。 韓国の自殺理由は、日本と程度の差があるとは言え、重なることがあるが(例えば超学歴社会、超受験社会。高齢化者社会等)、ここでは日本について考える。

日本は四季折々の自然の恩恵を受けた山紫水明の国である。それらは人々の心に清澄さと繊細さを増幅させる。このことは『歳時記』の存在をかえりみれば一目瞭然である。しかし、一方で近代化を邁進し、常にその狭間で葛藤を持っている。その時、体感する疲労感は非常に大きいのではないだろうか。 今日(こんにち)にあっても、私は、謙虚であること、繊細であることのそこに“日本人性”を見たい。「私が、私が」「私は、私は」と前に出ての自己主張が自然態でできない、苦手である……。

そもそも、英語から入った3人称は別にして、1人称、2人称は表立って使わないし、1人称2人称両方で使われる「自分」などと言う表現もある日本語。 現代若者日本語はどうなのだろうか。
自己と他者の意識が強いとも思えなくもないが、どうなのだろう。 最後の勤務校で、こんな帰国子女(女子生徒)に出会ったことがあって考えさせられた。 彼女はアメリカの現地校に高校1年次まで在学し、帰国しクラスに入り、ホッとしたというのだ。教室でおとなしく、静かに座っていると評価されるから。アメリカでは己が存在を示す(アピールする)に大変で、ほとほと疲れた自身がいたから、と。
これは、典型的(と周囲から言われていた)インターナショナル・スクールのアメリカ人男性教師の日本愛(彼の場合、それは日本人女性愛へつながるのだが)ともつながるのだが、これは以前書いたことでもあり省略する。
ただ、彼はよく言っていた。「疲れた」と。

子どもたちを取り巻く学習環境は「塾あっての学校・学力」の観さえある。国際語英語でJUKUとして登録されているとか。加えて塾学習以外の、稽古事、習い事。あれもこれもで、忙し過ぎる。 大人も子ども疲労困憊の世界。
深謀遠慮なく、官僚的そのままの「働き方改革」「授業料無償」に視る微視的施策。情報過剰。溺死危険性さえある世界。都市部での(地方には都市部のような交通機関がない)電車、バス乗客のスマホ集中の異様な風景。そしてどんな言葉より頻度高く使われる国民的共有語「ストレス」。
これらと先の日本人性或いは風土は、どこでどう補完し合っているのだろうか。
若者と、新卒優先社会、それも何でもいいから大卒との歪んだ構造と大学の大衆化の負の側面、女性の社会進出の言葉(理念)と現実の乖離、やり直しを許さないかのような硬直化した社会……。
良いか悪いかは措き、日本人のもう一つの特性、「諦めの良さ」とは、この場合どういう意味合いで使われるのだろうか。
若者の自殺の増加は、大人(要は社会を動かし、形作っている大人)にあるのではないか。社会的殺人、道徳的殺人と謂われる所以である。

日本は無宗教の国と言われて久しい。結婚式はキリスト教で(最近は神道も増えつつある)、葬儀は仏教で、と信仰篤い国内外の人々から苦笑、揶揄される。 しかし、日本人は、本来(本質に持っているものとして)信心深い。すべての宗教を受け容れる、との意味で「無」宗教だと考えれば得心できる。ただ、眼に視える形で日常出さないだけのこととも言える。
信仰心は篤いのだが、確かな信仰者までには到らない。だから、独り懊悩し、心身動きがとれず、困憊した時、神(仏)に委ねず、自身で解決しようともがく。 現代社会に精神科、心療内科受診者が増えているのもそういうところにあるかもしれない。と同時に、そういう医療機関に行くことに、どこか抵抗感、恥じらい感がある若者も多い。
電話等で相談できる場が多く設けられつつあるが、例えば心から尊崇する、敬愛する恩師といった立場の人ならいざ知らず、優れた相談員と聞いていても、自身が他人に相談することに躊躇する若者もいる。
そして一切を自身で解決しようとする。

自殺と遺書。行動と言葉。 私は遺書に激しく心打たれる。極限の彼/彼女がそこにいる。極限を超えた“自然”の透明さがある。
近代史に一つの存在感を持ち、しかし自殺した二人を引き出す。
一人は1964年の東京オリンピックマラソンで銅メダルを獲得した円谷 幸吉。1968年1月に自殺。28歳だった。
その遺書で、ひたすらに親族に感謝の言葉を記した後、続けてこう書いている。

「父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。 何卒、お許しください。 気が安まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。 幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」

(この後に、自衛隊関係者への言葉が続き、最後「メキシコオリンピックの御成功を祈り上げます」で終わる。)

もう一人は、童謡詩人・金子 みすゞ。 破廉恥極まりない放蕩無頼の夫と1930年離婚したが、娘を連れ戻しに来るとの手紙が来て、
「その前日、彼女は自分の写真を写真館でとり、桜もちを買って帰り、娘と風呂に入った。童謡を歌ってすごした。その晩、睡眠薬自殺。26歳。」 (勢古 浩爾氏著『日本人の遺書』より引用)
三通(夫・母・弟)の遺書の内、母へのものから一部を同書から引く。
「主人は、私と一緒になっても、ほかで浮気をしていました。浮気をしてもとがめたりはしません。そいうことをするのは、私にそれだけの価値がなかったからでしょう。また、私は妻に値する女ではなかったのでしょう。ただ、一緒にいることは不可能でした。」
「くれぐれもふうちゃん(娘の名)のことをよろしく頼みます。」
「今夜の月のように私の心も静かです。」
勢古氏は、この後にこんなことを書いている。書くというよりか叫びに近い。 「金子みすゞは弱かったのだろうか。(中略)死ぬ気になればなんでもできるのに、というのもウソである。」私は勢古氏に共振する。

今私は、疲れたと一言残し、自ら死出の旅に立った或る人物のことを思い浮べている。 きっと労苦からすっかり解放されたことだろう。