ブログ

2014年6月13日

娘の死が導き気づかせた「母性」のこと ―日本社会の根幹は母性である……― その1 私の「母性に思い到る」また「父性」の重圧

井嶋 悠

 

まえがき

娘の死は、私を、その心の在りようで、言葉と表現術で、大きく変えた。
その是非は、他人が決めることで、それではどうも芳しくないようだが……。、
しかし、私は娘に感謝している。

一つは、1年前に改訂できたホームページとその[ブログ]への投稿である。
娘の死がなければ、私本来の怠惰らしく書こうかなくらいで終始していると思う。
書くことで私を、私にとって生(せい、であり、なま)の言葉を考えている。

一つは、学校教育への疑問、不信と己が自省と悔恨である。
娘の死の一因は、学校(中学校・高等学校)、教師である。
そして私は59歳までの33年間、中高校教師であった。

一つは、生きる力である。
娘の死が、生きることで死があることに、最近やっと気づかせている。
それが書くことであり、本センターの継続への期待であり、娘の供養であると思っている。

拙劣な文章を公にすることは無恥厚顔である。
しかし娘は理解してくれていると確信している。
その時、私の生(体験)と教師生活から言葉を紡ぐことを大切にしている。
おこがましい言い方をすれば、「知識の言葉」ではなく、「(私の)智恵の言葉」である。

今回の「母性」もその一端である。

私の「母性に思い到る」また「父性」のしんどさ

 

母性(原理)は女性(原理)、父性(原理)は男性(原理)、との用語は、生物的また歴史的なことからの表意文字漢字の表現であって、正しくは人間性における母的要素(女性(おんなせい))と父的要素(男性(おとこせい))であると思う。

だから母性とか父性は、いずれの性からも解放されなくてはならない
とは言え、母性は女性の“自然”が源で、父性は男性の“自然”が源、を承知してのことである。

もっともこの“自然”が、生理的事実以外で何を意味するのか、或いはその事実が、広く「文化」の源なのか、よく分からない私ではあるが。
母系制・母権制・父系性・父権制といった歴史を聞けばなおさらである。
それでも、母性・父性から、私に、日本に、現代に、はたまた近代化に、文明と文化等々に心を向けると視界が広がる私を視る。
始源、原点に戻っての母性と父性の幸せな調和、の構築を指向して。

この母性観は、私の幼少時体験や学校教師という他社会にはない?平等社会の、実質は善きにつけ悪しきにつけやはり男性上位(優位)社会ではあるのだが、一員であったことも影響しているかもしれない。

因みに、女子校勤務経験で、社会人になった卒業生が異口同音に言っていた言葉が思い出される。
「在校中、何でも女手でしなければならなかったので、大学或いは社会人になって男女協働の際に感ずる、男性の庇護心、女性(共学校出身)の依頼心に違和感があった。」
そして、優れた能力、人格力を持つ多くの女性たちは、機構、組織から早々に去って行くのである。

しかし、古代ギリシャ以来、最善最良文化との自負をもった西洋文化圏では、男が中心となって歴史と文化を創り、無意識下の男尊女卑で、浪漫的に或いは感傷的に、母性を謳い上げて来た。
これを、哲学上では、ロゴス(論理)中心主義、男根中心主義と言うそうだ。

「男なのに・男のくせに」と軽侮された経験を持つ男は、私の他にも多いのではないか。
それがために、どれほど“しんどく”生き過ごして来たことだろう。
この拙稿の趣旨は、そんな「情けない」(!)「男の風上にも置けない」(!)男の、娘の死を通して、遅れ馳せながら強く意識された「母性」についてである。

尚、これは、最近、陽の当たる?「サブカルチャー」の存在感さえ持ち始めつつある「おねえ」性とは別であるが、ただ、テレビや若い時に出会った「おねえ」たちを思い起こすに、彼ら(彼女ら?)からより強い説得性をもった言葉が得られるのでは、とも思ったりはする。

なんでしんどいのか。そもそも「父性」って何だろう?

こんな本がある。『父性の復権』(1996年刊)
著者は、1937年生まれ、東大の法学部卒業後、大学院で経済学の博士号を取り、刊行当時深層心理学の男性研究者で大学教員である。
氏は、博学博識を駆使し、父性を説き、現代への懸念を強く高い信念をもって揺るぎなく表する。曰く。

父性とは
構成力をもって家族をまとめあげる力

己が中に中心となるべき理念を持つ力

日本文化、とりわけ日本人特有の繊細な感覚、年中行事、技術、等を持つ力

そして

全体的視点、客観的視点を持った公正な態度

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・等々

私は、33年間の教師生活、68年間の私自身を顧み、ほとんど絶望する。
と同時に、この著者は学識豊かな知識人、天に選ばれた人との自覚を持ち、それに相応しい伴侶を得た、特別な人なのだと居直る。だから経歴を書いた。そして、その家庭で育った子ども(たち)も恐らく東大(等)入学者であろうと想像し、知的階層者再生産説を思い起こしたりする。
著者の顔も声も知らないが、このような私への著者の憐れみの笑みが浮かんで来る。
努力と言う人為を厭う(いとう)者の妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)…。かもしれない。(因みに、ねたみもそねみもなぜか女偏だ)

そんな私は、2年前(2012年)、娘が、7年間の心身辛苦の末23歳で昇天する、という途方もない試練を受け、今に到っている。
(その経緯は以前、彼女の辛苦の一因である教師の尊大について、自照自省に立って、教師自戒すべしとの趣旨で記したので省略する。)

次回以降、2回か3回に分けて、私以上の試練を受けた妻[母]の「しなやかさ」を入口に、私にとっての「母性」また「母性と日本」などを整理してみたい。