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2014年6月16日

娘の死が導き気づかせた「母性」のこと ―日本社会の根幹は母性である……― その2 「母性を私に知らしめたひと・こと」

井嶋 悠

時間の経過は、断続的とはいえ、哀傷、自・他への悲憤、痛罵、そして喪失の虚しさを、私に以前にも増して強く襲い掛からせる。
それは母親も同じである。いや、それ以上の悲嘆にあることは、確認などという理知作業など全く不要なことである。

しかし、なのだ。

私の2歳下、今春67歳になった母親、とりわけ晩年の4年間、1日は娘があってのことで、共に入浴し、浴槽で娘が苦しみをさめざめと話すのを受け止め、毎週1度必ず、車で往復2時間余りの病院を送迎し、(時には、同じ週に診療の関係から別の病院に行くこともある)、共に寝、時に深夜も含めドライブに連れ出し、(この通院やドライブは私も代わったが、娘は私がすると感謝はするのだが、頭と気を使い体が疲れるようで)、食事を創意工夫し、滅私無私に徹する日々刻々を送っていたその母親は、今、実に活き活きと、その時どきを愛で(めで)、慈しみ、残る人生時間はその積み重ねと十全に承知し謳歌しているのだ。
子ども時代からの不整脈など眼中になし、かのように。

私と娘の間にも信頼関係、親子の絆は、私の独り善がりではなく確実にあった。しかし、娘は私の前で涙を見せることはなかった。
それは母娘の関係とは違う、言わばロゴスの関係であったのだろう。娘もそう考えていたのだろう。
先の著者から言えば「父性」での(父)親関係……。

父の孤独……。
私は、露わに寂寥を引きずっている自身を自覚することがある。それは絆がロゴス中心主義だからなのか、それともそう言うことで体裁を取り繕っている“いやらしさ”なのか、負い目・劣等感なのか。

小津安二郎監督の名作(私が魅了してやまない作品)『東京物語』で、笠智衆演ずる父親は孤独な姿で描かれている。しかも先に妻が急逝する。しかし、最後の場面で、静かに切り替える父として描かれる。小津安二郎と脚本の野田高悟の自身の中への女性の溶化と、明治の男!心を大切にした笠智衆との自然な一体が為し得たことなのだろう。

男が作った「女々しい」ではなく、女が作った「女々しい」私、ということか。

母親が言い出した、週に1回神経内科に通い、帰りにおいしいものを夫婦で食べ、との自身が立てた企画も、その医師の対応への疑問と限界の直感も加わって、1回で終了し、好奇心の旺盛さは益々活発となり、その情報源であり肉付け媒体であるテレビ、インターネットとの時間は旧時をはるかに越え、年金生活だからなおのこと、家庭経済を取り仕切り、ほぼ毎日買い物に出掛け、いろいろなポイントを集め、料理にいそしみ、私の長寿と気力注入を願っての長晩酌を尻目に早々に己が寝室に引き上げる。

生前の娘の話題は、お互いによほどでなければ出さないが、それでも出すときは、あたかもドキュメンタリー映画の巧みなナレーターのように話す。

私が「会いたい」などと言おうものなら「それを言っちゃあおしまいよ」と一蹴される。
しかし、何か月かに一回くらい、ふとかすかな溜息と共に発する。

「私、いっぱいいっぱいよ。」

 

先日こんなやりとりをした。
日本映画史の銀幕を彩った一人、淡路恵子さんが、今年(2014年)1月に天上に旅立った。80歳だった。

戦後間もなく、10代後半からの60有余年、私たちに寂寥感漂う妖艶さを与え、一方で、二度の結婚、離婚、(二人目の夫は、私の中でも強烈な面影としてある、萬屋、私の中では中村、錦之介であるが)、その錦之介の仕事と病への献身と介護そして彼の死、借財、錦之介を父とする2人の息子たちの一人は事故死、1人は自殺。

病院嫌いの彼女が、その晩年癌で入院し、訪ねて来た友人に「これも運命よ」と恬淡(てんたん)と言った由、

彼女が最晩年に出ていたテレビのバラエティ番組で、タレント、芸人の女性たちの、「恋した、失恋した、男はどうこう」、いつもの喧騒を仕事上?作っていた時一言「そんなに言うなら付き合わなきゃいい」と切って捨て、場内、出演者を一瞬の沈黙と戸惑いに覆わせた彼女。その彼女に拍手喝采した私は、先の母親、“ウチのカミさん”に伝えたところ、さらりと一言。

「江戸っ子だ」

カミさん、東京は新橋の生まれ育ち。それも三代目だから正統派。

 

私は京都だが、関西の(中でも大阪の?)あのべとべとした人間風土は、東西を越えてカミさんと同じく苦手で、東京、それも“山手線内”ではなく線外にある、“江戸”下町情緒を善しと思っているので、カミさんの一言はスッと入る。

私の教師生活はすべて関西で、しかし改めて思い返せば、好ましいと直覚した関西女性は、それが親愛の情が如き自信!でずけずけと人の中に入って来ないにことに改めて気づかされる。だから人との間の断ち切りも速く、クールだ。

女性は、常日頃公私刻々、たとえ難題を抱えても、その時どきにあって、論理的思考の人為的稼働ではなく、動物的に、忍苦し、整理し、決断し、自身を生き、と同時に身内(最もは、母ならば自身の子ども)を守っているように思う。そこから喜びを噛みしめている。

実にしなやかなのだ。強靭(きょうじん)。

男性の硬化したコンクリート的脆さ(もろさ)がない。男性を批評する言葉、例えば「猛々(たけだけ)しい、雄々しい」と、いった自作自演的加虐性など全くない。
自然な流露。強さ。だから美しい。女性性から導かれる母性の真・善・美。
男性性の父性の、理知(ロゴス)、その人工性、虚構。
だからしんどい…。
と言う言い訳も理知………。

因みに、優美でしなやか、との意味を持つ「たおやか」(清少納言は「枕草子」で、萩の枝が花をたわわにつけた姿を「たおやか」と言っている。)から生まれた女性を讃美する「たおやめ」という言葉がある。
ところが、漢字では「手弱女」と表記される。通例と違った意味で、漢字はやはり「男文字」?!

ただ、先の「守る」が、時に狭隘(きょうあい)となり、独善に陥るという負の側面がある。「教育ママ」との表現は、その一つの形であろう。「教育パパ」はほとんど聞かない。
これは、先の『父性の復権』の著者が言う、「全体的、客観的、公正さ」との父性の長所…? 断るまでもなく、ここで父性・母性の優劣を言うのではなく。

時に「教育ママ」にあたふたした経験を持つ私は、一切の“色眼鏡”なしに父母性補い合う、補完することこそ、人間らしい営みなのではないかと思う。

次回、日本と母性について、やはり雑私感を、と思っている。