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2014年7月16日

素晴らしき居酒屋との遭遇 ―愛酒初老の嘆き節―

井嶋 悠

これは、半世紀にわたってこよなく酒を愛して来た、酒豪でもなく、アル中でもない私の、また私の周辺に居る人たちの思いを併せた、現代日本への憤慨と寂寥の嘆き節である。

もう10年近く前になるだろうか、旧知の教育関係者が、当時中高校教師であった私に、日本の若者の“内向き”傾向を、国際化時代にあって実に嘆かわしい、と悲憤慷慨したとき、若者だからこそそういった時間も必要なのではないか、と疑義を出したところ、見事に侮蔑の一瞥をくらった。
しかし、その疑義は今も変わらないし、いや、年々、これは加齢の特性傾向かもしれないが、強くなりつつある。とりわけ2011・3・11の天災と人災以降そうである。

もっとも、そこには「内向き」の互いの語義のずれもあるのだが。
或る辞書にある「心の働きが自分の内部にばかり向かうこと」の「ばかり」の有無による違いのような。

この嘆き節、私と真逆の価値観の人物からすれば与太話は、先の一瞥への再疑義でもあり、ここ数年の自照自省からの、憤慨と寂寥であり、これは昭和最後生まれの、昭和をこよなく愛し憧憬した亡き娘の思いとも重なっている。

私にとって「居酒屋」は、男、それも艱難(かんなん)、歓喜の人生紆余曲折を経た中高年空間である。
その時代の主流とは関係のない、或いはそういったことは避けたい、関わりたくない、うつむき加減の、背中にいささかのたそがれをごくごく自然に発光させ、柔和な眼差しで、両切りのちびり煙草をくわえた(なぜかフランス映画の彼らが実に様になっているのだ。)男たちの姿(イメージ)である。
そこには、若い時のただただの憧憬から脱し、老いに入った今、私の言葉として言える実感がある。

しかし、居酒屋の表舞台を切り盛りしているのは女性でなくてはならない。もちろん老若関係なく。
“女性”と“母性”を心身もって体感し、言葉に何がしかの、理屈ではなく直覚で疑問と不信を持ったそんな中高年をさらりと歩む女性は言わずもがなだが、天から授かったのか若くしてその域に在る女性もいる。もっともそんな女性とは、残念ながら今もって会ったことはない。
はるか昔、女気の全くない、数十人は入れる居酒屋のカウンターで、高橋真梨子歌う『五番街のマリー』に衝撃を受け、直ぐにレコード屋を聞いて、買いに走ったことはあるが。

私は女性をこよなく愛するが、恋情或いはそれに近い感情で話し掛けるのは、必ずや酒が、それも或る程度の量が入ってから、という小心者である。

無頼派と文学史に記されている坂口安吾の、「酔うために酒を飲むのであって、しかし酔っ払った悦楽の時間よりも醒めて苦痛の時間の方が長く、なぜ酒を飲むかと言えば、なぜ生きながらえるかと同じで、だから女の酒飲みが少ないのかも知れぬ」旨の言葉に接すると、我が意を得たりである。

なぜ酔いたいのか。
心身不調理由を「ストレス」とすることで、あたかもすべて許される?的時代[現代!]の世への鬱積ではなく、あくまでも小心者としての私自身への苛立ち、憂さである。

そんな私だから、1956年制作のフランス映画、原作エミール・ゾラ、監督ルネ・クレマン『居酒屋』の主人公女優マリア・シェルのような限りなくキュートにして、爽やかで可憐な魅惑が零(こぼ)れ落ちる女性が看板娘であっても、素面(しらふ)で恋情を言える男性の肩越しに見ているだけである。
(尚、マリア・シェルが居酒屋の看板娘をしているのではなく、ただ題名つながりだけのことで、ここに登場する居酒屋は、男の尊大の象徴的場所である。)

私にとって居酒屋は、テレビとか音楽といった人工音や放歌放声は問答無用論外で、かと言って取り澄ました雰囲気も空々しく、はたまた「私は馴染み客」との優越感にも似た体臭を漂わせるのも傲慢いやらしく、要は透明な自然空間であって欲しいと願う一人で、ホッピーなども当たり前にさり気なく置いてあり、肴も高価でなく、品名を読んでスッと姿の浮かぶあれこれが、所狭しと壁に、紙の白さを保つために定期的に書き改め、貼り付けてある、そんな風情が、私にとっての居酒屋で、今の時代、希少価値的にさえなっている。

しかし、先日、東京下町生まれ、ニューヨークで才能を開花させた青年の導きで、山手線外、邦画名作の舞台ともなった下町の、再開発でビルが林立する駅前、これぞ居酒屋と思える店(以前は恐らく平屋であったとも思うが、再開発で縦になったのか、3階建てだった)に遭遇し、私は至福の時を過ごした。
もっとも彼は、私が何せ彼の父親より年上なので疲れひとしおだったとは思うが。

その階2階は、中年二人の女性が切り盛りしていて、その女性たちが言うには、カウンターは独り用で、卓席も二人用、三人用と彼女たちの中で決まっていて、その対応は無駄なく淡々飄々爽やかで、しかも機微に溢れ、ホッピーを頼めば間髪入れず「白?黒?」と返って来る。
客の9割は中高年男性で、誰一人周りの客に負けじと声を張り上げることもない。礼儀作法に係る張り紙(文字)などあろうはずもない。

人は理より気である。

以前、同じく都内の、外国人観光客も多い或る有名観光地の裏通りに、何軒か分厚い透明ビニールが戸、窓で、ホールのような空間に卓と席を無造作に並べた居酒屋とおぼしき店があり、ガイド本に掲載されているのか外国人客も多く、その各店前で老若女性がしきりと呼び込みをしている所を通ったが、そこに安っぽい芝居を思い、それが伝わったのか、私は呼び入れ対象全き外であった。

私は、下町人情極上人情を言うほど能天気ではないが、しかし権威と権力を巧みにカモフラージュし、虚飾にまみれた都市文明人よりは、数段人間の真にして善が息づいていると思うし、そう言う私は、酒を愛しているが己が酒文化・酒科学・酒生理等々の知に疎く、興味なく、純一に愛する一人で、しかしどこか言葉(理屈・知識)に振り回され、私は時代遅れとの自嘲もどこかしらあることは否定しない。

体よく言えば“反近代”の、元国語科教師で、いつぞや反近代の選集(1965年刊)を読んだとき、その編者の解説と併せて、収められている幾つかの著作にいたく共感した思い出もある。
(そこには中高校の国語教科書の常連である、夏目漱石、谷崎潤一郎、小林秀雄などもあり、権威に弱い!?私としては何とも心強くなったものである。)

その私は、若い時から今に到るまで、原始共産社会的桃源郷へのほのかな幻想を持っていないとは言えないが、とは言え社会主義信奉者でもないし、かと言って資本主義社会を善しとするものでもない、高齢化社会の一翼を担う1945年(昭和20年)8月23日長崎生まれ!の年金受給者で、今の日本にほとほと疑問と不安と寂しさを感じている、しかし心ある若い世代から言わせれば、戦争への真摯な反省もなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争の特需への謙虚な自覚もなく、己が一番の戦前と同根的感覚の中高年世代である。

ただ、少子化をもって、今を支える若者たちの数十年後の年金に懸念を言う政治家、官僚、一部学者の無責任、奇妙な保守性、前例主義は持っていないことだけは、記しておく。

敗戦後出発期の一人で、母親は「give  me  chocolate」で私を育てた一人で、生まれ落ちた時から西洋化はアメリカ化世代である。
「転がる石に苔むさず」の日本またイギリス解釈と真逆の、或いは表現術での日英型とは違うアメリカ。
戦後史はアメリカ史であるとも思える日本。
そのアメリカ。

私はアメリカ憎しでもなんでもないし、10年間の仕事場の関係から謙虚で慈愛溢れる多くのアメリカ人との出会いも経験したからこそ思う。

原住民アメリカ・インディアンを虐殺し独立を成し、広島と長崎に原爆を投下し、日本を、沖縄を、はたまた世界を意のままに動かそうとし、戦後の超大国になり、自身の正義が、人類の道徳(倫理)、最高善と言わんばかりのアメリカ。

その事実は事実であるとしても、アメリカとは、やはりそこに収斂(しゅうれん)されてしまうのだろうか。

世界を導き、世界を警護する、「天上天下唯我独尊」「唯一絶対」を矜持する、それをアメリカとして、そのアメリカを唯一の同盟国と言い、それに追従し、この度の集団的自衛権の閣議決定は、その同盟を一層強化する画期的なことと言う、20世紀は戦争の世紀だったとの東西の知恵ある人々の痛切な反省など、「読書とは、ああその本は読んだということを言うための労」と、文学史に名を留めるイギリス人が言った偉大な警句、真理を、言葉面(づら)そのままに「もちろん、知っていますよ」としか言わないであろう我が国の宰相の展望に、疑問と不安と、そして寂しさを直覚するのは、思想とか難しい論理とはかかわりなく、人として、更には日本人として、ごく自然な良心ではないのか。

私たちは、アメリカの東部西部南部北部中部の文化と歴史をどれほど承知し、そこから「アメリカ」の美点を、深さを、日本にどれほど採り入れているだろうか。
例えば、差別、貧困を承知しつつも、一方にある人生の歩み方への、やり直しがきく人間的寛容と信頼。
私は、「馬鹿なアメリカ人」との、揶揄言葉であり、同時に、心和む誉め言葉を何度聞いたことだろう。

そのアメリカに日本の美点と深さは、どれほど伝わっているのだろうか。

同盟とは、モノ的「強さと豊かさ」(「 」の言葉は自民党ポスターから)が優先する補完関係を言うのだろうか。