ブログ

2013年10月6日

二人の日本人の智恵 ―私に日本人としての在りようを教える二人―

井嶋 悠(本センター代表・元私学中高校国語教師)

2006年、上海で「第3回日韓アジア教育国際会議」を、韓国の池 明観先生から「東アジアの過去・現在・未来」との表題でお話しいただき、日韓中台で、改めて東アジアを考えてみた。

そして、その三日間を『東アジアからの青い漣』と題して、ドキュメンタリー映画[監督:逢坂 芳郎]としてまとめた。

(その会議の詳細は[活動報告]の項を、映画については[映像 Film]の項を参照ください。)

その時、私は、世界の若者が、中央アジアで、陽光きらめく彼方に地平線が円環のまま見渡せ、夜ともなれば満天の地上に落ちんばかりの星々に包まれる、そんな大地で手を取り合って大昼寝する姿を思い浮かべた。
或る時、映像制作を担った青年たち(30代初めの異文化体験者で、映像作家、デザイナー、写真家)に、

「自分にとって抒情とは?」と質問を試みた。

彼ら曰く、

「水のをえた歌、音楽。例えば弦楽器或いは木管楽器が奏でるパッフェルベルのカノン。」

「忘れられて行く日本の美意識。浄瑠璃や能が醸し出す象徴性。」

「アジアの市井の人々の日々の暮らし。そこにみなぎる溢れる雰囲気、世界。」

以下は、彼らに触発されて思い起こした、一日本人の私が、日本を考える拠りどころにしている、二人の「智恵溢れる人の言葉である。
これらは、私の中で日を経るにしたがって益々思い入れが強くなっている。
しかし、それとは裏腹な方向に日本は進んでいるように思える今、それを主導し支持する多数の人たちからは、「井の中の蛙大海を知らず」、あまりに非現実的、とのを受けるのだろう。

鈴木大拙 

『東洋的な見方』(1960年前後の氏のエッセー、評論、講演等を集めたもの。氏は1966年死去)から。

「東洋民族の意識・心理・思想・文化の根源には、母を守るということがある。母である。父ではない。

「西洋人は人間を自然性化する。東洋人は自然を人間性化する。」

「この有限の世界に居て、無限を見るだけの創造的想像力を持つようにしなくてはならぬ。この種の想像力を、自分は、詩といって居る。この詩がなくては、散文的きわまるこの生活を、人間として送ることは不可能だ。」

古代から日本の女性の存在は、自然風土を糧に、豊潤な文化の源泉となって来た。底流にある哀しみ・悲しみ・しみ、その強靭な優しさ。母性。きらめく抒情の世界。抒情詩。
日本語と自然。オノマトペ(擬態語と擬音語)。自然への研ぎ澄まされた五感の感受性。そこに築かれる生活。現代の喪失感への直覚。
大拙氏の言葉(論理)を、言葉での「理解」(理で解く・分かつ)ではなく直覚する私たち。その感性とそれがゆえの国際社会での難しさ、危うさ?

                               

 夏目 漱石

  『現代日本の開化』(1911年:明治44年 和歌山での講演)から

 日清戦争、日露戦争に勝ち、日本は意気軒昂な時代を送っていた時の講演で、氏は、日本の今は「外発的」な「開化」であって、「内発的」な開化の大切さを言い、うわつく日本に警鐘をならす。そして公演の最後に次のように言う。

 「・・・我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。外国人に対しておれの国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。
ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方ない。・・・」

ちょっと歴史のおさらいをしてみる。

1868 明治時代の始まり。日本の近代化。
1895 日清戦争
1905 日露戦争
1910 韓国併合
1937 日中戦争
1941 太平洋戦争
194586広島に、9長崎に、原爆投下。 15 敗戦        戦後復興へ
1950 朝鮮戦争
1961 ベトナム戦争   戦争特需による経済成長
日米安保条約下での安定と繁栄 そして沖縄の矛盾
20113.11 大震災と原発事故

アメリカの保護と他国の戦争を背景に、先人の努力によって、わずか半世紀で奇跡的な高度経済成長を遂げ、経済大国として世界の「一等国」となるも、莫大な借金をかかえ、りに危機感を抱き始めたからか、「強い日本を取り戻そう」と、用不用進化論的大国主義志向が再び声高に言われ始めている。

「強い」とは何を意味するのか。「形容語はその人の価値観を示す。用不用進化論的大国主義志向の意味での合意は既成の事実なのか。私にはそう思える。それが日本の生き方なのだろうか。

脚下照顧。東アジアの心を、2000数百年の心をかえりみ、そこから東アジアに位置するそれぞれの国・地域が、今をかえりみることは、必要なことではないのか。狭量偏狭な地域主義とかナショナリズムからではなく、近来の批判用語としての「内向き発想」でもなく。

とりわけ若い人たちが。

年齢が加わると、人間、どうも懐古趣味的になるのでよくありませんから。