ブログ

2014年11月24日

哀悼 高倉健さんの眼差しと「かなしみ」 ―併せて渥美清さんの眼差し―

井嶋 悠

高倉健さんが、先日(11月10日)に、彼が言う「明治の母」お母さんの、そしてひたすらに愛し早逝した妻江利チエミさんのもとに旅立った。
旅立ちの時、そこはさぞかし清澄な気に包まれたいたことだろう。
もっとも、天上はにぎにぎしく歓迎(式・祭)が行われていただろうけれど。
健さんより18年先に逝った生年3年先輩の、かの渥美清さんも、そこにいた一人に違いない。
「ようっ、来たかいっ」と。

私は健さんも、清さん(寅さん)も、銀幕〈何と美しい響きをもった言葉〉の人でしか知らない。
人として知っていることは、誰しもが知っているほんのわずかなエピソードだけである。それで十分だ。
だからこそ二人は、心の奥底にいつまでも輝く宝物で、何かことあると銀鈴は奏で始める。
死の報せをテレビの特報で知った時の激震のように。
その時の妻の一言。
「健さんも死ぬんだ。それも83歳だったなんて。」
はっと気づかされる、彼は永遠に生きていると思い込んでいた私。
スターのスターたる証し。

健さんと清さん(寅さん)の二人は、私が、父母からまた天から授けられた生得と子ども時代、そしてその後の摩訶不思議な?生、なかんずく妻の病で長女として生まれるはずだった子の流産、そして3年前の娘の23歳での死、等々、有為転変から、ここ数年昇華に努めている、生きることの「かなしみ」[悲しみ・哀しみ・愛しみ]を自然に体現していた役者だと思う。

健さんの、
任侠道全うがゆえの斬り込みの後に、また「不器用な」男(であり人)の真情(健さんの言葉を借りれば、プロデユーサーや脚本家や監督によって磨き出された科白)を訥々と語った後に見せる眼差しに、

清さん(寅さん)の、
微笑み絶やさず、時に饒舌な科白の、その合間にふと空(くう)を見つめるつぶらな〈銀幕上での彼の科白で言えば「ちっこい」〉眼から注がれる眼差しに、

私はいつも「かなしみ」を直覚していた。

名優は背中で演技すると言われる。二人は背中と眼差しで演技する。しかし、私たちは演技であることを忘れる。
その静寂で激情的な“間”を映像化するスタッフ・キャスト。
映画制作の醍醐味……。

別話。
二人と縁の深い倍賞千恵子さんが映画『家族』(山田洋次監督)で、路上にかがみ込み、妻として、母として、そして女(ひと)としての「かなしみ」を、寸時背中で表現した激烈さは今も私の心に焼き付いている。

私がこだわる「生とかなしみ」は、まだまだ直覚だけに留まっているだけだが、「(人の)生は苦」との仏教等から誘発された哀傷とか哀愁といった消極的、逃避的抒情ではない。
人と人の関わりにあって、愛(あい)別離(べつり)苦(く)、会者定離(えしゃじょうり)ゆえの、人が人の子として生きんとする精進と葛藤の積極性を思ってのことである。
不遜な言い方をすれば、日々の暮らしから得た、仏教から、ではなく、仏教へ、である。
そこでは、春夏秋冬移ろう自然と人生に思い及ぼすとき、「かなしみ」を日本の風土、文化そして真善美につなげようとする私もいる。

或る映画評論家の、小津安二郎の映画での人物描写と自然(風景)描写について「観照」や「日本人の消極的受動的態度」といった言葉を使って批判的に言い、社会的矛盾を能動的にとらえる姿勢の必要を説いている文章に接し、その言説に頭では肯いつつも、私はその小津安二郎映画を、構成・情調・映像から、『東京物語』を頂点として、善しとする、時折そのブルジョア性に違和感を持つとは言え、一人で、そんな私の「生とかなしみ」であって、それは結局どんなに抗弁しようと日本人の感傷に過ぎないのかもしれないが。
ドキュメンタリー映画の傑作と言われる『ゆきゆきて、神軍』(原一男監督・1987年公開)の叙事性に共感しつつも、主人公の奥崎謙三や映像に没入できないように。

因みに、日本最大の国語辞典『日本語国語大辞典・全20巻』では、「かなしみ」に係る語の項目立てとして「かなしい【悲・哀・愛】」に始まり15語が、多くの文例と併せて挙げられていて、「かなしい」の初めに次のような抽出がされてある。
「感情が痛切にせまってはげしく心が揺さぶられるさまを広く表現する。悲哀にも愛憐にもいう。」

私が健さんと出会ったのは、1970年前後、紫煙で銀幕もかすむ中で渦巻く歓声、叫声、嘆声溢れる池袋の「文芸坐」深夜興業であり、自由喫煙の館内閑散として前の席への足掛けは当たり前の、かすかに便所の匂いただよう、耽美的に言えばけだるさ漂う、新宿南口にあった映画館。
深夜興業が終わり明け方の、真昼の南口映画館での、私に沁み寄り迫って来た「かなしみ」。

清さん(寅さん)との出会いは、『男はつらいよ』で、監督の山田洋次さんは、封切に際し東京の下町と山の手の両方の映画館を訪れ、観客の反応を見るとのことで、そこから発せられた言葉。
「山の手の観客が笑う場面で、下町の観客は涙する」に、生きることに気づかされた「かなしみ」。

その後の、健さんの、またその幾つかの映画に登場する清さんの、途方もない存在感。

巨星がまた墜ちた。
代わる人はいない、と誰しもが断ずる二人。

何年か前に出会った、欧米で学び、映画制作にも携わり、現在日本で活躍する30代前半の或る日本人映像作家の、1年ほど前に直接聞いた言葉、
「このままでは日本映画はダメになる」「後10年もしたら無為の人でありたい」との呟きが、思い起こされる。その彼といつか再会することもあるだろう。
もっと自身の言葉を蓄えて、と思う。

健さん、清さん(寅さん)、ありがとうございました。
でも、とても寂しいです。