ブログ

2014年12月12日

私の60代最後の、娘の三回忌の、2014年の有終に ―妻の勇断が英断へと紡ぐ10年間と2015年へ―

井嶋 悠

時は瞬く過ぎ去り、宝塚(兵庫県)から栃木県に移住して10年が経つ。「10年一昔」。
この感慨は、奈良時代8世紀に、私が憧憬する60歳最後半からの数年間の中、『萬葉集』に秀歌を遺した、筑前(福岡県)守にして歌人・山上憶良について、或る著名な文学研究者が記している「七十余年の生を空しく過ぎたという、ほぞを噛むような悔恨」を、言おうとしているのではない。
むしろ逆である。
我がまま勝手な人生を経て、妻、娘、息子そして私を好しと思ってくださった方々の直接間接の愛情(愛(かな)しみ)があっての、この十年の中で得た“智恵”を、60代の最後に書き留めたいとの思いである。

【参考】以下は、教科書にしばしば掲載される、父母、妻子への、庶民への愛の歌 [例えば、「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」や「貧窮問答歌」] もさることながら、私がここ数年に魅かれることになった山上憶良の、晩年ならではの歌である。

○「世間(よのなか)は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり」(巻第五 793)

この歌は、妻や妹の重なる死にみまわれた僚友で歌人大伴旅人の心を思っての挽歌で、その背景には、彼自身が詠む老醜に懸る「・・・人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎まえ 老よし男(お)は かくのみならし・・・」(巻第五 804)との思いも重なっている旨言う人もある。
更には、憶良の辞世歌「士(おのこ)やも 空しくあるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立たずして」(巻五 978)から、憶良の心の苦しさ、屈折をも重ねて想像する人もある。

尚、秋の七草を詠んだ「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなえし また藤袴 朝顔の花」(巻五 1538)は、憶良の作と言われている。

 

移住は私が59歳、33年間の生業・中高校教師生活を退く半年前。すべては東京人の妻の勇断である。
先ず妻と私の実母(父母は私が小学生時に離婚し、以後独り生活の天涯孤独で、妻が引き取ってくれる。移住3年後に死去。享年85歳。父は私が55歳の時に死去。享年83歳)と愛犬2匹が移り、私と、心身の闘いを始めていた娘は、3年間の往来を経て定住する。娘、19歳の時。

大都会で青少年期を過ごし、兵庫(西宮・神戸)・大阪(箕面)で、私学教職を経たがゆえに体感し自覚させられる、自然と人間に係る、また都市と地方に係る、私の頭理解、知識の皮相。そこからの感得へ。

自然が在って人・心の安寧、おおらかさ。はにかみ屋(シャイ)気質の県民性、寡黙な言葉の端々からこぼれる優しさ。
(私が、これを言うとき、田舎人=善人とのあの図式ではない。ただ、首都圏等からの移住者家族の小学生が、地元の小学生を「臭い・汚い」とさげすみ、疎んじ、それに親が注意しない実態については、以前、このブログに書いた。)

一方、

公私立小中高校生、「塾」通学が、摩訶不思議とは言え必然、当然の時代にあっての教育環境での、
若者の雇用環境の限定性での、
車なくして生きて行けないとの意味での車社会と過疎化と高齢化での、

本人の意志とは一切無関係の格差の実態。

しかしそれらは、娘の心身戦いの末の死という恐るべき事実も含めて、妻の勇断が、無知な私を鞭打つかのように英断へと感じさせる日々でもある。
ただそこには、金銭管理能力皆無に近い私にもかかわらず、妻の結婚30年間に及ぶ蓄えへの深謀遠慮とやり繰り上手と、最低限度の生活保障を得た年金生活者からの、無責任発言であることの後ろめたさがあるのだが。
その一方で、主に都市圏在住のマスコミ人の、知識人の、はたまた文化人?の、一部?の人々の傲慢と虚飾を、自省を込めて糾弾したい私もある。

先の負の格差は、「大国」の、「近代化」の宿命として甘受しなければいけないということなのだろうか。

(補遺:「大国」の意味として地理的環境と経済を考えたとき、前者の国土面積は、2013年時点、世界244か国中62番目で、朝鮮(韓)半島より約150㎢大きい。
ただ、山林地域が約60%を考えれば94位前後で、地理的には小国であると私は思う。)

教育は社会を映し出す鏡そのままに、「国際」から「グローバル」との表現に、自然に?移行しつつある今にあって、世界の貧困地域での子どもたちの惨状が伝えられ、それに涙し、何もできない(しない)私に歯がゆく、苛立つことはあっても、結局はやむを得ないとして受け入れてしまっているように。
「愛情ほど同情より遠いものはない」1935年(昭和10年)代に駆け抜けた、ハンセン氏病〈当時は癩病〉作家、北條民雄の憤怒の言葉が今も突き刺さる。
また、古(いにしえ)の東西の思想家が、「小国」を前提にしてこそ「理想郷・桃源郷」が構想できたことが教えるように。

それでも、日本の歴史と蓄積された伝統からの、信念を持った“日本的”発言はあり得ないのだろうか、と思う。いわんや“小国”日本として、と。

これは、大国小国関係なく、要は「弱肉強食」が絶対前提ということに帰着し、形容語は使用者の価値観を表わしていて、日本での「弱い」と「強い」の今昔に思い及ぼすことは、心と頭と時間の無意味な浪費、時代錯誤なのだろう。
国の在りようを根元から考え直す荒唐無稽、一笑に付されることとして。

しかし、今から110年ほど前、文明開化、富国強兵、殖産興業と猛進していた明治時代後半、日本の将来に、一人は拝金主義から、一人は精神の在りようから、不安と懸念を表明していた、それぞれに確かな足跡を残した政治家・尾崎行雄と作家・夏目漱石を、私たちは持っていることを思い起こしても良いのではないか、とも思う。

この感覚は、青年時から私の中に在ったのではない。この10年の時間が顕在化させたものである。
そこに導いたのは、自然の息吹に日々24時間包まれた世界での自照自省であり、娘の死であり、更には次々に甦って来た私の身辺の人々の死である。

娘は言う。「生まれてからの19年間の、関西でのすべてを断ち切って来た」と。
死の間際に知った、中学時代の教師との軋轢、教師からの露骨な排斥[いじめ]、高校時代の教師不信を思えば、その痛苦、懊悩の断ち切りを誰が説諭できよう。
死後に、「なぜ、その時に訴えなかったのですか」との、然もありなん言葉に接したが、それらは私からすれば、娘の教師不信、と親への配慮を共有できない人の発言である。
全的に娘を正当化し、教師を糾弾し、更には幾つかの教師事例から教師全体に広げる偏狭さに堕しないよう心掛けてはいるが、娘の非、教師の是を、それぞれの表現で言う人の方が多い。
なぜだろうか。
私33年間の生業は、その教師だった。

再生への決意はままならず、妻の、己を棄てた母としてのひたすらの献身も奏することなく、移住して3年余りの一層激しくなる闘病の後、2012年4月、天上に昇る。
その時に信仰者から受けた「還浄」「神は慰労をもって引き戻された」との言葉は、信仰心の薄い私たちにもかかわらずどんなにか慰めとなったことだろう。

今、2014年を終えようとしている。
自然が教える孤独の愉悦と、併行する未熟さ露わに夜毎にも近い病と死へ不安と怖れ。
そして、生きることの三つのかなしみ[悲・哀・愛]の、その後ろに在る心象「空・無・玄ゆえの有限への目覚め、自覚」の、遅遅にして幽かながらも沈潜して行く実感。

明後日、衆議院の選挙がある。
首相を筆頭に与党の、更には多くの野党の、人であることをないがしろにした独善的で、「かなしみ」の対極にある傲慢さを思い知らせる選挙との期待は、感傷の木端微塵の選挙前予想。
「弱肉強食」?「優勝劣敗」?「適者生存」?「自然淘汰」の自然とは?

先に書いた作家・夏目漱石は、1911年(明治44年)、『現代日本の開化』と題する講演の最後の方で、次のように言っている。

――現代日本が置かれたる特殊の状況に因(よ)って吾々の開化が・・・ただ上皮(うわかわ)を滑って行き、また滑るまいと思って踏ん張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。・・・・・・
・・・私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹(かか)らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。・・・。――

それから100年余りの現在。
1945年、第2?の開国?を経て、文明国にして先進国そして経済超!大国の現代日本の今。
夏目漱石の言葉は死語なのだろうか。

選挙の10日後はクリスマス。
私はクリスチャンではないが、クリスマスの音楽に魅かれる一人で、中でも16世紀のイギリスの古謡『The First Noel』(「Noel」とは詩語で、クリスマス祝歌の意)は、最も好きな曲で、聞くたびに心洗われる。
(ただ、「Born is in the king of Israel」といった詞のある歌詞については、今は触れない。)

その「Noel」が、タイトルになった2004年・アメリカ映画(群像劇)を観た。
そこでは、クリスマス・イブのニューヨークを舞台に、華やかさとはほど遠い5人(それぞれの3人と婚約している2人)の主人公たちの「哀しみ」が、「愛(かな)しみ」に移り行く姿が、主人公の一人への「奇跡」を契機とともに描かれる。

その情調・構成・間・編集(街の光の明暗の巧みな挿入等)・名優たちの演技(とりわけ主人公の一人、痴呆症で10年来入院する母親を労わりながら仕事に専念する、結婚と離婚そして生まれて間もない子どもの死を経験した質朴純真な中年女性を演じた、スーザン・サランドンの秀逸)等々、総合芸術に相応しいスタッフ・キャストの素晴らしい調和。
その要の監督(チャズ・パルミンテリ〈俳優で、これが初監督とか〉の力と感性。

国内外での「異文化(体験・理解)」は、よく聞かれることである。
私自身、国内の移動、移住で、また私たち『NPO法人日韓・アジア教育文化センター』の活動や最後の奉職校であったインターナショナル・スクールとの協働校でも度々実感しているが、同時に民族、人種、風土等々からの異文化を越えた、人の根源・魂の共感、共振も度々経験した。
芸術美、スポーツ美の感動は、その一つの極であろう。映画『ノエル』のように。
5人の群像に籠められた、西洋人からの、しかし西洋人を越えての人間への眼差しと創造への熱意。
そこに集う名優たち[スーザン・サランドン、アラン・アーキン、ロビン ウイリアムスなど]の良心。

生きることで誰しもが経験する哀しみ。その憂えの時、或る人は他の或る人との出会いで、或る人は宗教を知り、或る人は自然との対話で、また或る人は・・・で、「愛しみ」を知り、新たな生へと進む。
『萬葉集』や『竹取物語』等々、日本の古代人(こだいびと)が「愛」を「かなし」ととらえるその優しさ溢れる感性に讃嘆する。
にもかかわらず、現代日本の自殺率は、文明国・先進国と言われる諸国・地域で世界1,2位に、それも10年以上も続いているという怖ろしさ。
その無神経さの真因は、一体どこにあるのだろう。

多くの識者たちは“合理”から《弱さ》を、優しく諭すように指摘し続けるが、私は、自身の無知浅薄を知ってはいるが、それに合理で応ずることができない。
そして自殺高率は今も続いている。
対症療法ではない根治療法を考えることが、日本・日本人の現代を、人の生と社会と時代の私の価値観を確認し、それが私の子子孫孫次代を考えることになる、との思いが益々強くなる。

クリスマスの1週間後に迎える2015年。正月。新年。
「七十にして心の欲するところに従いて矩(のり)をこえず」(孔子)の自然(自ずから然り)へ、私流「天上天下唯我独尊」(釈迦)の味覚へ、修行、行者を倣う不自然な私ではなく、どこまでも私的な方法で少しでも近づける時間を、そのために父母・妹・娘・友人・師・愛犬との再会と謝罪を先送りにしてもらえれば、と相も変らぬ得手勝手そのままに、冬のこの地ゆえの静寂の中で年の暮れを迎えようとしている。