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2015年2月11日

あいまいさ或いはグレイゾーンに光を ―コワイ日本からやさしい日本へ―

井嶋 悠

「男女共同参画基本法」が、施行されて15年が経つ。
その間、世界の男女格差報告では、日本は2006年、115か国中79位、2012年は135か国中101位。
惨憺たる“先進国”だ。そして私はその国民の一人。しかし海外脱出など考えたこともない。理由は二つ。一つは脱出先の国・人々への無礼、一つは日本は私の母国で、その日本が好きだから。

日本のこの遅滞ぶりの大半の責任は男性にある、と男女共同社会が当然の教員社会で、33年間禄を食み、優れた(これは知力・人柄兼ねての意味で、例えば知識を誇る衒学人とか己が学歴を誇示する人などは対極にある)女性教師と多く出会い、それが教育の豊かさになることを知った一人として痛切に思う。
しかし、教育世界も含め現実のあまりに父権的、父系的、父性原理をほとんど無意識化下で前提とする歪(いびつ)さを思うのは私だけではない。もしそれが一部なら先の報告は虚偽となるはずだ。
男女形成も、生活形成も、はたまた歴史形成も、女性があってこそ、と欧米人でもアラブ人でもない、“母性の国”日本の一員として直覚的に思う。
こんなところにも明治以降の近代化=欧米父性原理について行けなくなった私が在るのかもしれないが、しかし、年金生活者の加齢(今夏、古稀を迎える)者だけではないと思えてしかたがない。否ひょっとするとだからこそ?とさえ。

選定が日本人男性であろうと思える「世界三大美人」について。非難囂々(ごうごう)を思いつつ。
三大美人は、クレオパトラ・楊貴妃・小野小町とされている。
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」と、来し方を顧み、その思いを切々と和歌に託した小野小町は生没年不詳、貌(かお)の画が残っていない、9世紀の伝説的人物で、墓所は全国各地に散在する由。
その彼女について、同じ平安朝、10世紀初めにまとめられた『古今和歌集』の、秀逸な詩論でもある序で、次のように評されている。 「あはれなるやうにてつよからず、いはばよき女のなやめるところあるににたり」と。
楊貴妃は、唐の玄宗皇帝に国を傾けるほどの寵愛を受け、最期は悲惨な死を迎えたことは唐時代の詩人白居易の『長恨歌』に詳しい。
クレオパトラは古代エジプトの王(ファラオ)で、その最期はコブラに己が体を噛ませての自殺といわれている。

私は三人に、女性の心身一如としての生の「美」と「悲・哀」そして「愛(かな)(しみ)」を直感し、それは男性の深奥にある母性とつながっていると思うのだが、これは私の特異さかもしれない。
ただ、クレオパトラについては、ついついエリザベス・テーラーと重なってしまい、他の二人とはどこか違う心模様はあるが。

そして、私にはこの延長上に「世界三大微笑」がある。 尚、「微笑」は、響きを含め「びしょう」もしくは「ほほえみ」でなくてはならず、「笑い」と言っては空しく台無しになる。
一説では「モナリザの微笑」と「不思議の国のアリスのチェシャ猫」と「日本人の微笑」とのことであるが、私としては、チェシャ猫ではなく、別の一説に採り上げられている「弥勒菩薩」と組み替えたい。
何となれば、そこには東アジアの心の根幹仏教と、古代朝鮮半島との交流につながる「日本人の微笑」があって、それがモナリザの微笑と重合する恍惚を思うから。
私のその根底に流れるものが母性である。

この日本人の微笑を日本人である私に心強く響かせてくれたのは、明治時代半ばに来日した西洋人ラフカディオ・ハーン(父がアイルランド人、母がギリシャ人)日本名:小泉八雲である。 彼はその著『日本人の微笑』で、松江で出会った妻節子の愛情、周りの人々の温もりを力に、日本人の、他者への慮り、やさしさの道徳律が滲み出た民族性を、西洋との対比を通して讃える。

その日本人の微笑を、今、不可解な微笑、更には笑いとして、この国際化・グローバル化世界に不相応と批判し、排斥する日本人も多い。 果たしてそうだろうか。 そこにある批判者の伝統観と文化観・文明観とそして人間観とはどういうものだろうか、と国粋主義者でもなんでもない私は思う。

「イスラム国」によって二人の日本人が殺害され、世界の日本への眼差しの今を知らされた。
テロリズムを容認するほど私たち人類は堕落していない。しかしどれほど繰り返されて来たことだろう。
アメリカは民主主義の国として自負し、教育にあってもディベート等、議論が重視される。しかし大統領暗殺が多いことも一方の事実である。
そう言う日本はどうなのか。例えば近代以降にあっても清廉潔白を言えるほど厚顔無恥ではないはずだ。にもかかわらず……。
なぜなのか。 それが人の業、と言ってしまえばあまりに寂しい。

日本の現首相は、世界に向けて「罪を償わせる」と極言した。
「償わせる」の主語は、首相の日ごろの発言からすれば日本国民の50パーセントの支持を盾としての「私」であろう。 しかし支持者も含めそのような復讐姿勢を全的に容認しているとは、首相非支持者である私ではあるが、到底思えないし、思いたくもない。
その最中、アメリカのマスコミが、その(日本の)強硬姿勢に日本の文化変貌を言い、驚きの反応を示した。 首相が頼みとして言う「国際社会」が、欧米とりわけアメリカ価値社会が暗黙化しているような現代、この反応は、首相にまた首相を「強い日本」のリーダーと見ている周辺の人々に、どういう思考を促すのだろう。

インターナショナルとナショナルの模索と指向が複雑に絡み合い、「理解」との言葉が、「分析」の意と重なることで持つ“断ち切る”発想では到底処理できない時代、自由と責任と権利と義務について、あまりにもあまりにも“人間的”な時代にあるからこそ、母性原理と父性原理の新たな吟味と調和への過程で必ず突きつけられるだろう「グレイゾーン」「あいまいさ」を考える意義を、日本人の私は思う。

「四周が海」ゆえ云々との時代はとうに過ぎ、グローバル化と自国・地域の関わりをどうするのかが、緊要の課題の今だからこそ。 その時、アジアの、東アジアの、日本の精神文化の伝統が、光明を、示唆を与えるように思える。
それは、例えば先の小泉八雲が、「日本的霊性」を唱えた鈴木大拙が、母性原理に係る論文『阿闍(あじゃ)世(せ)コンプレックス』を師・フロイトに提出した古沢(こさわ)平作(父性原理に立つフロイトの理解は得られなかったそうだが)が、またその古沢を日本に広めた精神分析医であり研究者の小此木(おこのぎ)啓吾といった人々が、明治以降の日本の近代化の諸相を視野に入れて説いていることである。
(尚、用語コンプレックスについては、単なる劣等感の意ではなく、心の統合状態としての意である、  と小此木は述べている。)

古典とはいつの時代にあっても人の根源に係ることを提示している作品であり、上記の人々もその古典作者であるはずだが、何かの事情で現代では単に過去の人なのだろうか。

この私の思いは、度々指摘している日本の自殺者(数)にも通ずることである。
1998年から2011年まで3万人を越え,2012年に3万人を下回ったとは言え、昨年2014年は27,283人で、それでも毎日75人!(毎時間3人強)の人々が自ら命を絶っている。
そこに未遂者を含めればその数は絶望的に跳ね上がる。更には、家族、親族、友人の痛み、哀・悲しみは計り知れない。
その日本は世界に冠たる経済大国で、和を尊しとする、伝統豊かな文化国家で、勤勉な先進国と言われ、日本(人)もそう自負している……。
もう対症療法の限界を超えているといっても過言ではない。
にもかかわらず、世の多くの老若人々は、自身が非合理としての人であることを棚に上げ、己を唯一絶対神化したかのような合理で、平然冷徹に突き放して言う。

―日本の(潔い、しかし悪しき)文化・伝統。心の弱さ。自業自得。無宗教の因果応報。………―

あいまいさ、グレーゾーンを見据えることはもどかしい。しかし、人に、自然に、心寄せられる人は、そこで葛藤し、悶々とし、自身の言葉を紡ごうとする。 高速時代の間(ま)では《間に合う》はずもない。
語彙(知識)がまだ不十分な子どもたちは、その分より直覚的にその人を見抜き、敬愛の情を、たとえその時に遅れても後の時間の中で、寄せる。
これも、結論を急ぐ、結果を直ぐに求める性急な私の自省である。 謙虚さの喪失を嘆く大人は多い。速いことを善しとする限り、その嘆きは身勝手である。

何度か言及する学校教育も然り。
平均年齢が80歳の時代にもかかわらず、今もって「18歳〈人生決定〉」を権威的“一線”に置く不可解。二線、三線……がない硬直性。やり直したいとの意思が、空虚に、時には絶望に近く響く柔軟性、許容性のない社会。 かと思えば、東北大震災復興にみる急ぐべきことへの遅鈍、鈍重。

私は共産主義信奉者ではないが、世の中(資本主義社会?)ってそういうもの、今更何を、と嘲弄されるだけなのだろうか。
日本の「グレイゾーン」或いは「あいまいさ」と現代について、[日韓・アジア教育文化センター]のソウルと香港の仲間(日本語教師)が持つ複眼と併せて吟味したいとも思ったりする。
しかし、「韓国人の微笑」は一見共通点もあるようにも思えるが違うし、香港の“香港人にして中国人”意識にある人々を思えば、やはりあくまでも日本だけのテーマであろう。

ところで。
近代の哲学者九鬼周造は、1979年、江戸時代の美を基に「いき」を考察し『「いき」の構造』なる書を著している。
それによると「いき」とは、男女の愛・情が醸し出す美「媚態」を土台に、「意気地」と「諦念」が統合された心で、色彩としては「灰色」であるとのこと。
なぜ灰色なのか。次のように言っている。

―灰色は白から黒に推移する無色感覚の段階である。そうして、色彩感覚のすべての色調が飽和の度 を減じた究極の灰色になってしまう。灰色は……色の淡さそのものを表わしている光覚である。―

孔子と併せて、東アジアの雄、老子の「玄」を思い起こさせる。

野暮(いきの反対)よりいき。いきな日本で在ってほしい。

もっとも私は、いきなどほとんど無縁、皆無の人生で、だからといって古稀にしてそれに向かうのは、いくら孔子が自由人を言おうと、噴飯もの以外何ものでもない。 ただ、輪廻とあらば、娘の死とその経緯と背景、そこから先鋭的に自覚された33年間の中高校教師人生、そして70年間の己が人生等々、多事悲喜こもごもと自省を糧に、残る現世、この豊かな自然下の日々との遭遇を縁に、妻との最後の二人三脚、“新生”に備えた「いき」のDNA素地創り時間にできれば、と思ったりする。

 
【備考】「はんなり・じんわり・まったり」

明治までは上京とは京都に上ることだった。しかし、東京遷都があって今は東京に行くことに使われる。にもかかわらず「上方」との言葉は共通語として私たちは当然のように使っている。 歴史の重さ。
大阪生まれの上方文化研究者が言うには、上方の魅力は「はんなり・じんわり・まったり」とか。 むろん京都人や奈良人などからすれば抗議、異論もあろうが、これらの言葉の音感が「グレイゾーン」「あいまいさ」に通ずるように思えるので、以下に牧村史陽編の『大阪ことば辞典』から語義を引用する。

「はんなり」:(気質や色彩について)はなやか、はればれ、明朗、陽気、くすんでいないの意。 諸説あるが「花なり」「ほんのり」の訛りではないかと。

「じんわり」:ゆっくり

「まったり」:食物の辛くない落ち着いた味をいう。

どうでしょうか。