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2015年3月25日

人生、「虚実皮膜」から「虚実合一」へ、超えて「無為自然」の境涯へ     はてさて……

2015年「朝日に匂ふ山桜花」を間近に

井嶋 悠

一切の例外なくその人の生涯は芸術である、との言葉は私の中で深く響く。
この年齢[古稀]を迎えることができ、なおのこと思う。
天上天下唯我独尊、生涯の、時間の長短、空間の広狭とは関係なく、その人は唯一なのだから。
芸術の起点は、人の、自然の一切の生であるとの当たり前に、今辿り着いているから。

人はそれぞれに懸命に生きる。「道」を違える人も古今東西数限りなくある。しかし人は、命あるすべてのものは、懸命に生きている。
その人、人類は「万物」の「尺度」で、「霊長」で、理性と悟性と感性の生きた統合体等々、定義すれば百花繚乱、しかしどれを読んでもなるほどと得心する。

【注:理性・悟性・感性の語義 『現代国語例解辞典』より

理性[感情に走らず、道理に基づいて考えたり判断したりする能力。]

悟性[知的な思考能力。特に哲学で、理性と感性との中間に位置する論理的思考の能力。]

感性[感覚的刺激や印象を受け入れたり、反応したりする能力。]

そこにはそれぞれの《真善美》がある。
老子が言う「天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善のみ」の謙虚さに立って。

1週の律動を、宇宙万物の構成要素[木火土金水(もっかどこんすい)と日月]とし、毎年51回52回と繰り返し生き続けるという宇宙的聡明さをもった偉大な人類、人。
にもかかわらず独りでは生きられない。
「人間(じんかん)」、人と人の間に生きることで成り立つ霊長動物。
そんな人間同士だから人間関係ほど難しいものはない。

人と言っても幼少年青年壮年老年段階での中味は様々で、概ね加齢とともに心・頭・身硬化し、老いを重ねれば重ねるほどより一層、発する言葉とは裏腹に、保守的に閉鎖的更には権威的になり、「独尊」は単なる独善となり、日本語の特徴である結論は最後にあることも忘れ、他者の言葉をさえぎり、持論を展開する。
そこでは、生の、世の、[悲・哀・愛(しみ)]は、観念に堕している。
そして孤独を憂い哀しむかと思えば、孤独を愛で希う。
とかく老人は扱い難い。
と言う私もその老人で、この無礼発言は体験からの自省である。

なお、ここで言う老人とは、かつて出会った衝撃、病院の、しかも相部屋で、機械につながれた数本のチューブを帯び、うわ言を発し、うめき続けている、本人の意思とは関係なくひたすら命をつなげている、周りの人々にとっていたたまれなく悲(哀)しい境地にある老人ではなく、話すことも動くこともできる老人を言っている。

この老人への対象限定は、教育を話す(語る?)ときでも、どういう年齢の、どういう自己環境にある子どもを言うのかと同じく肝要なことだが、ここでは立ち入らない。

そして、好々爺、好々婆は稀少だ。生来もあろうかとは思うが、好々“老”には、その老に意図・意志を働かせる腐心、自律があると思う。
自戒せねばと重ねて肝に銘じる。

ところで、言葉として好々爺はあるが好々婆はない。狸爺・狸婆はあるが、鬼婆に相応する爺はない。なぜだろう?「男文字」「男社会」からなんとなく察しはつくが。
閑話休題。

そんな天上天下唯我独尊の生涯が、芸術の対象となるのは当然で、そのための表現技術を修得できれば芸術が生まれる。もっともこの表現技術の修得が、先天/後天併せて至難だから芸術家は、ますます神々しい輝きを放つ。その芸術は、古来、神に最も近いと言われる。

芸術家は生涯少年少女の心を持っている。世俗にまみれては、芸術は生まれない。芸術家に“奇人変人”が多いとの評がうなずける。奇人変人はあくまでも“したり顔”の大人社会からの言葉なのだから。
宇宙的に見ればその人達は天の才能者、天才である。宇宙は神秘的で、神々しい。
その才を与えられ、且つ精進力ある人は限られるから、心悩む人々にとって芸術は慰めとなり、救いとなり、そして芸術家は憧れとなる。
因みに、秀才はどこまでも“人間的”で留まっている。

江戸時代、大阪を起点にした芸術家〈人形浄瑠璃、歌舞伎の作家〉近松門左衛門(1653年~1725年)は、芸術は「虚実皮膜」にあると唱えた。
その少し前、松尾芭蕉(1644年~1694年)は、俳句の根幹を「虚実融合」と言った。
両者言わんとするところは同じだ。

近松も芭蕉も、芸術としての虚実皮膜・虚実融合を言ったが、同時に一人の生としてのそれを持った。
芸術家ではない私は、この虚実論に、芸術鑑賞の、そして人生の要諦を見る。
幸いにも!?今夏古稀を迎えることになり、身の皺は視えるから分かるが、心の皺[襞(ひだ)]も濃やかに増えたかとの直覚から。

もちろん「虚」とは、あくまでも虚構と言う人為を言ってのことであり、虚飾の虚ではないことはことさら言うまでもない。そのような虚ならば、遅かれ早かれ破滅することは歴史が証明している。

自己確認の思いもあって、二人の創作への虚実論の概要を記す。
参考にした書は、栗山理一編『日本文学における美の構造』、穂積以貫『難波みやげ』(1738年)で、以下の概要の「 」は、それぞれの筆者の引用部分である。

【近松門左衛門】

「今時の人はよくよく理詰めの実らしき事にあらざれば合点せぬ世の中」との時代認識に立って、舞台登場人物の描写の在りようを
言い、次のように説く。
「皮膜の間といふが此れなり。虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みが有たものなり。」
その時、人形であれ、せりふであれ、表現での肝要は「……本のことに似る内に又大まかなる所あるが、結句芸になりて人の心の
なぐさみとなる。」と言う。

【松尾芭蕉】[芭蕉の死後1764年に刊行された『うやむやのせき』から]

「……俳句は上手の虚を云ふがごとくに綴ると云ふを金言となして、虚は虚なり。虚を実に綴るを是となし、実を虚に綴るを是と
す。実を実と云ひ、虚を虚と顕すも俳諧の道にあらず。正風は虚実の間に遊んで、しかも虚実に止まらず。」と説き、その具体例
として次を挙げている。

「糸切れて 雲となりけり 鳳巾(いかのぼり)」  虚の句
「糸切れて 雲より落つる 鳳巾」        実の句
「糸切れて 雲ともならず 鳳巾」        正の句

そして、この論説を引用した研究者(堀切実)は、芭蕉の虚実融合の秀句として、次の句を先ず挙げている。
「荒海や 佐渡に横たふ 天の河」

 

人は、この世に生を享け、“天使”の2,3年を過ぎると、自己を意識し始める。
ぼんやりと、しかし心の深奥で、虚構(人為)の自身と、実(自然)の自身を。本人の記憶には残っていない。少なくも私は。
4,5歳ともなれば、親の、周囲の同世代や大人たちの、心持ちを直覚し、表情を造り、実と虚の調和を図ろうとする。言葉(理性或いは合理)は未熟だから当たり前に苛立つ。

大人は言う。「赤ん坊は泣くのが仕事」「泣く子は育つ」。

保育所、幼稚園に行き始め、小学校に入学しようものなら、「皮膜」「融合」の葛藤は、猛烈に加速する。
小学校の高学年から中学校、高校へ、思春期の激情に言葉は到底併行できない。多くは。
言葉の多少とは関係なく、実と虚の接点にもがく或る者は、外の実への拒否を示し、引き籠る。

長寿化時代にあっても未だどこか「18歳人生決定観」が如き世にあって、合理と効率と高速を善し、とする周囲はそれが愛情で善意であると信じてもがく彼ら彼女らを急(せ)き立てる。

「世の中は厳しいもの」と言うときの、その大人自身にこみ上げる寂しさ。
「物分かりの良い子」と言うときの、その大人の自身を忘れた勘違いの哀しさ。

他者として最前線に在る小中高校教師。私はその一人だった。しかも33年間も。
「少人数教育」が、子どもの個を活かすに相応しいと考えられるのは、子どもたちのその「虚実皮膜」を把握できるからということにもつながるのだろう。

しかし、自問自答を繰り返す要領遅鈍の子どもにとってはどうなのだろうか。
自負と正義で、子どもの心に、時には有無も言わせず、自身の虚実皮膜の葛藤を忘れ、入り込むことを愛情とする教師から遁(のが)れたい、と別の新たな虚実を思う子どももある。
少人数教育は、悪しき管理教育に陥る可能性を持っている、と言えば、あまりに暴論だろうか。

生徒・保護者にとって賢い生き方は、学校をただただ通過点とする“気概”を持つこと、何とも寂寥と無味乾燥ながら、なのかもしれい……。

これらを私が言うことでの、私を知る教育関係者からの排撃、反論は私の心の中だけに留め置く。
私の今の皮膜、これからの皮膜のためにも。

1か月前の「川崎事件」で改めて言われ始めた「少年犯罪の増加」また「凶悪化」の、上滑りの、感傷的正義感の、政治家の、大人の軽薄さは前回書いた。
この川崎の事件と世の反応にも、現代日本の「虚実」があるのではないか。
そしてその虚実に在って今、どういう「皮膜」が、日本としての、日本人としての、真善美的、創造的生き方なのか、が問われているのではないのか。

これは、先天と、60年の人生と、それから10年、今年古稀を迎える私と言う限定された一人の、不調和を呻吟する老年に相応しい!世迷い言、脱落者・劣等生の、謙虚さを忘れた愚痴なのかもしれない。
人の実を遥かに超えた世を痛覚し、自身の虚が追いつかない非力を他へ転嫁した傲慢からの。

時代は後戻りできないとすれば、不承不承ついて行くしかない。
しかし、一般論ではなく私の生として、あくまでも天命下す死に従順に、と。
私の残る時間での私の虚実皮膜。
その時、虚実が合一した究極の生、有にして無、無にして有、ゼロの生がほとばしる、「無為自然」の私を夢想する。

ふらりと居宅地の図書館に行き、何気なく書棚を見ていたら『老子の世界』(加地伸行・編)という本が目に止まった。
その中に「老子と近代中国」(橋本高勝・1936年生)の一項があり、小見出しを「教養(カルチャー)と天性(ネイチャー)」とした一節で、林語堂(1895~1976)の著『わが国土・わが国民』で中国人の性格を述べた「老獪」からの次の引用に出くわした。

ただ、例えば「家を一歩出れば儒教、家に帰れば道教」といった同類表現はあるし、道教=老子とすることには配慮が必要であるかとは思うが、自然、母性、人間(じんかん)、文明への老子の眼差し、警鐘に共鳴する一人として、橋本氏の小見出しに魅かれ引用する。

――中国人は、教養によって儒教の徒となるが、それ以上に天性によって道教の徒である――

(注:林語堂
魯迅や周作人といった中国近代化の礎を創った人々の一人で、世界的文学者・言語学者。)

 

日本人はどうなのだろう。

日本とは比較にならない広大な、そして多民族国家の、かてて加えて中国本土と台湾の、香港の、またチベットの問題、そして文化大革命の激変を経ての現代中国にあって、私のような志向性は、日本以上に憫笑をもって泡沫(うたかた)のように消し去られるしかないのだろうか。

そして、韓国の、私をこよなく信頼し、亡き娘に心の真(まこと)で[悲と哀と愛、のかなしみ]を寄せて下さる方々は。