ブログ

2015年12月27日

クリスマスから大晦日そしてお正月へ ダイナミックな?日本人? ―2015年から2016年へ 随感―

井嶋 悠

 

私にとってのクリスマス、特にイヴには、我が子たちの微笑みの記憶が幾層にも刻まれている。併せて、心が天空に翔けあがり浄化され、私を陶然の世界に導くクリスマス音楽、それもヨーロッパの伝統的、古典的なそれ、が強くある。
その中にあって、冒険!?の20代、あのクリスマス喧騒の新宿の夜、その日の当てさえもなく独り彷徨っていた路上で降りかかってきたフランスの古曲『ファースト・ノエル』の調べは、70歳になった今も、激しく心揺さぶられる。否、その後の“公”の人生が、娘の不条理な死と言う“私”の人生が、重層し、あの時以上の強い振幅と陰影をもたらしているとも言える。

新宿の2年後、高校時代の師の恩愛により私は、1875年(明治8年)に二人のアメリカ人女性宣教師によって創設されたプロテスタントのミッションスクール・女子中高校の教師に導かれる。
そこで体験した、開校日の週5日毎日、パイプオルガンのある石造りの荘厳さ漂う講堂での、クラスでの礼拝。奏で、歌われる讃美歌。その1年間の頂点にきらめく中高生合同のクリスマス礼拝。音楽は神に最も近い芸術を心底直覚させるひととき。
卒業生たち、礼拝での壇上から説諭するプロテスタント受洗者の大人たちに、時に猛烈反発する思春期真っ只中にあった彼女たちも、全員が、絶対の感銘を異口同音に言う。

にもかかわらず、私は17年後の40代後半、仏教系学園が創設した他校に移る。家族を持っての新たな冒険!?待ち受けていた、おそるき“大人の現実”に打ちのめされ、家庭にとりわけ妻に多くの犠牲を強いる4年間。
苦難が宗教を自覚させると言われるにもかかわらず、東・西宗教の信仰者となることもなく。

『日韓・アジア教育文化センター』の源流は、移動して2年後、教師廃業を考え始めたその頃である。
体験から学んだ、学校教育は人の営為であると言う当たり前過ぎること。教育がしばしば陥り易い独善と傲慢を自問自戒し、人であることを見つめ、引き受け、その葛藤の中にこそ教育が、子どもたちを前にしてもの言える教師であると言う本質。やはり教師の多くは“殿様“なのだと思う。私を含め。
だから、優秀(スマート)な?保護者は、子ども(生徒)は、学校は人生、良き人生(その価値基準の多くは最終学歴)への通過点に過ぎない、とつかず離れず、家庭財政に腐心する。

何度も出会った「教育は私学から」との私学界標語が意味するところは何だろう。それは、私が、帰国子女教育に携わり、公立校の取り組み次第で私立校消滅の危機を痛覚したことに通ずる。
といった自省教育観、教師観は、以前にも記し、これからも執着しなくてはならないと思うが、今回の本題ではない。教師、否国語科教師、否私個人の悪弊、話は拡散し、長くなり、聴く子どもたちは辟易する、の自省自戒はどこへやら。で、閑話休題。

クリスマス音楽が、キリスト教信仰といった思考(思想)的なこととは関わりなく、どうしてここまでに私たちを揺り動かすのだろう。
人が高等動物と言われるゆえんの一つ、繊細で鋭利な「感性」を授かっているからと言われれば、「憂き世」との用語への実感からなるほどとも思うが、分かって分からない。
若い時分の放ったらかしならいざ知らず、古稀を迎えては、と遅まきながら答えを身辺で探していたら、これも天の心遣い、導きから、こんな一節に出会った。

ドイツ文学者でキリスト教徒の小塩 節(たかし)氏(1931年生)の著書『光の祝祭―ヨーロッパのクリスマス』の一項「クリスマスの歌」の一節である。冒頭部分を引用する。

――クリスマスに歌われる歌はどうしてどれもみな、あんなに、言いようもなく美しいのだろう。どの歌も心に沁みる。(中略)たぶん幼児の誕生を祝うものだからだろうが、ただそれだけではなさそうだ。おそらくクリスマスのよろこびのかなたに、すでに十字架という残酷な出来事が透けて見えているせいもあろう。人類の歴史は、どの土地どの民族にも、身の毛もよだつような事件が満ちみちている。神もいき(・・)をのむであろう悲惨な人類史に、くさびを打ちこむようにして起ったクリスマスをうたう歌は、それだけにたとえようもなく美しいのかもしれぬ。――

これを読み、キリスト教徒の血みどろの歴史、戦争(戦闘)史を思い浮かべ、或る仏教徒が言っていた仏教界にあっては、そのような歴史はないとの言葉を思い起こす。
戦後、日本は原爆投下国アメリカを絶対善とした追従の、もっと強く言えば沖縄の戦中、戦後史に象徴される媚び、卑屈そのままの歴史を歩んできた。
何事もその人の視点(価値観)でプラスマイナス相対になるが、この追従の歴史は戦後50年にして経済大国となった要因、朝鮮戦争、ベトナム戦争での戦争特需への感謝の意思表示でもあるのだろうか。
アメリカ在っての日本の新「富国強兵」「殖産興業」を推進し、それが日本(人)の幸福につながると言う政治家、財界人、学者またマスコミは、「WASP」(White,Anglo‐Saxon,Protestantの頭文字。アメリカでは批判的に使うことが多い)とアメリカ建国史をどのように見ているのだろうかと、右とか左といったイデオロギーを離れて、いつも思う。そもそも保守とか革新って、観念論ではなく何をもって言うのだろうとも思ったりする。

大があって小、上があって下、の一方的感覚が正統、との意識が意図的な力で無意識化され、そういう価値での弱肉強食、弱者は道具、の競争社会に恐怖と寂しさを痛感する一人としては、なおさらである。
このような話題では資本主義/社会主義/共産主義といった用語を引き出す人は多いが、私は××主義との言葉が苦手な上、不勉強もあって不得手なので引き出さない。

私は小塩氏の言葉に、キリスト教徒の哀しみの、音楽に込める自覚と懺悔ゆえの美しさを見たい。
モーツアルトを崇愛する人々は世界に多い。その人たちからはるか離れた桟敷席の片隅から覗くに過ぎない一人の私ながら、多くの作曲家の音楽は、神への、天上への憧憬であるが、モーツアルトだけは、天上での、或いは天上からの作品に聞こえる。例えば最晩年の作『アヴェ・ヴェルム・コルプス』(カトリックの讃美歌)など、正にそう思え、“天才”なるものを得心し、だから映画『アマデウス』のモーツアルト像は生きている、と思ったりしている。

日本人は、わずか17音で宇宙を表わす、世界に類のない短詩型文学・俳諧(俳句)を創出した。それは、日本の地理的、自然的環境で育まれた感性、それを自覚し創造化した偉人たちの研ぎ澄まされた感性、その営為を力入れず自然体で感知する受け手の感性、これらの感性と想像力の幸せな統合。
私はこの頃になってどうにかこうにか、「旅に病んで 夢は枯野を かけ巡る」(松尾芭蕉)や「冬蜂の 死にどころなく 歩きけり」(村上鬼城)、また「咳をしてもひとり」(尾崎放哉)といった句を、私の言葉で鑑賞できるようになったかな、と思っている晩稲だが、晩稲は晩稲なりに日本人の一人であることを誇りにした愉快さで生きたいと思っている。

【余話】
歌謡曲やポップ音楽では、聞かせどころを「サビ」と言っているが、哀しい、憂き世と「寂び(さ)(しさ)」また「侘(わ)び(しさ)」とつなげて、日本的?な何かを思ったりもする。

キリスト教では復活祭(イースター)が最も重要な祭事と言う。クリスマスの生の祝賀とイースターの死からの再生の祝賀。
私はキリスト教徒ではないからか、死からの再生との叙事よりも、幼な子誕生の美に微笑む、その叙情、クリスマス音楽に浸り、「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」(新約聖書「マタイによる福音書」)に心響かせ、同時に老いへの道程を振り返り狼狽(うろた)える。
仏教で言えば「慈悲」「慈愛」であり、それは幼な子の無垢な心と「浄土」(きよらかな地)と重なる。

妻お気に入りの絵本作家・林 明子さん(私と同じ1945年生)の『サンタクロースとれいちゃん』が、娘を彷彿とさせると言って購入した昔が思い出される。その娘はもういない。

今世界は、「文明」にあたふたする人が増え、文明国だからこその宗教の時代に在るのかもしれない。
自身を糸口に、人間を、日本人を言うことが許されるなら、「日本人は無宗教」との指摘は、信仰と言う「理知」においてのことではないか、と思う。感性型/叙情型人間からすれば、すべての宗教を受容する、感性の無限をごく自然に表象しているということではないのか、と。そもそも日本は、有機無機一切に宿る霊(神霊)を直覚する「八百万の神の国」なのだから。
2015年も、クリスマス後1週間で終わる。今年もあまりに哀しい事件が幾つもあった。
その中で、先進国とは何かを問うかのような事件を二つ挙げる。

一つは、2月の、川崎市での中学1年生殺害。

殺された少年の優しさに魅かれていた仲間の二人が、あの残虐極まりない方法で殺した人物に、やめるよう進言したことを語り、それがあの悲惨な結果につながったのではないか、と苦しんでいる報道を見た。その一人が言った言葉「言った方が良かったのか。言わない方が良かったのか。きっと死ぬまで分からないのだろうなあ。」私はここに良心を見る。しかし心優しい少年は惨殺された。何という不条理。

一つは、2週間前の、那須町(私の居住地の隣町)での、10年ほど前に首都圏から移住し、病の後遺症で左半身不随となった69歳の妻の、介護していた71歳の夫による殺害。
強い信頼と愛情で結ばれていたにもかかわらず、或る日を境に急変した妻の暴言に絶望の淵に追い遣られた夫の寂しさ、哀しみ。
事が起き、周囲はあれこれ論説するが、それらは真っ当なことばかりなはずなのに、どこか心に浸透して行かない私がいる。
これは私の生母の介護を担ってくれた妻共々、私たち自身のこととして突きつけて来る。しかし答えは未だ見つからない。

「倉廩(そうりん)(穀物庫)満ちて礼節を知り、衣食足って栄辱を知る」は、中国発の誰もが使うことわざである。
我が国の現首相は名家の出自で、生まれながらにして礼節と栄辱を知るとも言える。にもかかわらず、哀しみは辞書の中だけで、発想も言葉も官僚的で心の響きはそこになく、国内外で「金と力」が平和をもたらすとの信念?のもと、時に虎の威を借りて横柄を繰り返している。50%前後の世論支持を背に、私が現代日本の、そして世界の牽引者と言わんばかりに。
この人の心に、クリスマス音楽はどのような響きをもたらすのだろう?
私が出会った同じ型(タイプ)の教育界の人物は、自身がキリスト教徒(クリスチャン)であることと併せてモーツアルト敬愛者であることを選民的感覚そのままにあちこちで吹聴していたが。

クリスマス音楽による浄化(カタルシス)が瞬く内に終わり、「もういくつ寝るとお正月」の歌詞で親しまれる『お正月』(1901年・滝廉太郎作曲・東くめ作詞)が流れ、ベートーベンの交響曲『9番・合唱』が到るところで演奏され、大晦日から新年にかけて『蛍の光』を耳にし、謹賀新年の挨拶が飛び交う日本(人)。
12月24日から1月6日前後を「Merry Christmas and Happy New Year」とのクリスマス週間とするキリスト教徒からすれば目の回る忙しさだが、それを何ら煩わしく思わず愉(たの)しむ日本人。そのことに眉をひそめる日本人もあれば、特性としての特異を言う日本人もある。
私は、日本人と行事、祝祭日から、短詩型文学俳句の創出者日本人の感性と近代化・近代化に右往左往する日本人、或いはホンネとタテマエの日本人を考えるのも面白いかな、と思う後者側である。

2016年、2015年心に押し寄せ不勉強の慚愧(ざんき)に襲われた幾つかの内、一つでも退治できたら、と。
己が感性のおもむくままに想像を巡らす心も、時間も余裕のない高速化と情報化の現代にあって、70年間生きて来た事実と老いゆえのスローライフができる幸運な境遇があるのだから、と言い聞かせて。