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2016年7月18日

今一度「日本(人)の微笑(ほほえ)み」を ―『特別展 ほほえみの御みほとけ仏―二つの半跏思惟像―』鑑賞雑話―

井嶋 悠

 

日韓国交正常化50周年記念『特別展 ほほえみの御みほとけ仏―二つの半跏思惟像―』(於:東京国立博物館)に出かけた。博物館にあまり関心を持たない私としては、何年ぶりかのことである。行こうとの心を持たせた理由は二つプラス一つ。
一つは『日韓・アジア教育文化センター』の原点、日韓であること、もう一つは私に心地良い響きと想いに浸らせる日本語(和語)「ほほえみ」に魅かれたからである。プラス1は、59歳で家族理解を得て退職の重い決断をしたこと、その後の10年間で「憂き世」を実感する幾つもの痛切に出会い、昨年古稀を迎えたことである。

平日の午前にもかかわらず、入場券発売窓口での長い列をなす来場者。それも高齢者が多い。私と同じ現在日本社会(現代)への直覚の共有者なのだろうか、横で『特別展 古代ギリシャ 時空を超えた旅』の入場券も発売しているのだが、少なくとも私が並んでいる間では、購入する人はほとんどいない。

日韓の代表的半跏思惟像が、ほの暗い一室に、強弱柔らかな照明を受け、一体ずつ向かい合って展示されている。以前、奈良・中宮寺で、韓国・慶州博物館で観たときと違って、それぞれを執拗に見入る私が在って、鑑賞する理由、展示環境によって博物館の意義も変わる、との当たり前に知らされる。

「ヘイトスピーチ」をはじめ、対韓国・北朝鮮への、また中国への誹謗、悪罵が再?増加している昨今、古代からの交流国との上下・優越を越えた眼差しを取り戻したい、との主催者の意図があるのかもしれない。それもあるだろう。
しかし、日本人の私の中では、微笑み(以下、この表記で記す。このことについては後述する)を忘れはじめた日本、とりわけ東京への再?機縁にとの意志がどこかで働いている。牽強付会と言われるだろうけれども、そうあって欲しいと願う、今この地(栃木県北部那須)にあって「微笑み」の美しさ・力を改めて自覚しつつある私がいる。

仲間のいる韓国はどうなのだろうか。民族、風土、歴史、南北問題等の違いから安易に言えないが、20年ほど前、ソウルの中心街を姿勢よく颯爽と歩く若い女性に、日本人女性にない女性美(以前の投稿での表現で言えば、日本女性の「柳のしなやかさ」と韓国女性の「鋼のしなやかさ」の女性美)を感じていた私に、親交のある韓国人男性日本語教師が言った「平和ボケの日本人の貌(かお)」との言葉が思い出される。そのソウルの女性たちもすっかり変わった。更には、長幼の序での老若の儒教意識や敬語の変容等も聞く。郷愁、慨嘆との保守性からではなく、互いに“現代”を共有できるのでは、と思ったりする。

日本に戻す。

「首都圏から移住してきた小学生の子どもの、地の子どもへのいじめ。用語は「臭い、汚い」。先生は見て見ぬふり。」

「リタイア組を含めた大人の特別意識とそれが醸し出す地の人への侮りとその人たちだけでの言行動」

この二つも以前の投稿にも書いたことで、“自然があって人”のこの地に移住して知った、この地の人の首都圏人への、断続的に発せられている憤り、疑問そして哀しみである。『日韓・アジア教育文化センター』に係る韓国の日本語教育関係で上京し、これらの言葉が、都鄙の生んだ“ねじれ”であることを、自省を込めて改めて実感することになった。
今回、そのことを投稿する。
この実感は2泊3日の短期間でのたまたまかも知れない。しかし私にはそう思えない。仮に、現代数周回?遅れの「敗者組」員だとしても。
それとも、幼少時代に経験した皮膚感覚的劣等感に始まる70年の生の中で培われた私ということなのだろうか。

東京、日本の首都は、殺伐と優越に溢れている。自己絶対、時代の牽引者意識が随所に漂う、傍若無人的意気軒昂。
博物館での静かに鑑賞しない(できない?)、同伴者とおしゃべりの絶えない男女高齢者群。
歩道を相も変わらず疾走する老若男女不問の自転車群。
(これについて、大阪の“おばちゃん”を嘲笑的に話題にする東京人がいるが、どれほどに自覚しているのだろうか。目くそ鼻くそを笑う)「私が、私が」発想。自意識過大と他への深奥での蔑(さげす)み。
(例えば。学歴に係るホンネとタテマエ)。
麻痺した虚飾の金銭感覚と弱・強の吟味のない弱肉強食を当然・自然とする生。
(例えば、高級?商業地域でもないペットショップでの一光景。貴賓室の別室ケージで展示されている何かのグランプリを受賞した子犬の価格が120万円。我が家の新愛犬と親が同じ組み合わせの子犬が、私たち購入価格の5倍!
一方での、子どもの貧困が6人に1人、母子家庭の貧困、若者を中心としたワーキングプアは、どれほどに解決したのか)。

現在都知事選挙準備中となった元凶者の、醜悪以外何ものでもない自己特別と特権意識が妙に肯ける。そして参議院選挙。18歳の新有権者への期待。どういう期待なのか。世論調査からすれば、更なる現状推進への期待? はたまた、「自由と民主主義のための学生緊急行動SEALDs:Students Emergency Action for Liberal Democracy はいずれ雲散霧消するとの確信犯的視点?
と、この投稿を書き進めている間に、参議院選挙結果が出た。
或る程度予測していたとはいえ、「自民党は改選50議席を上回り、公明党も選挙区候補が全員当選。自公両党で改選過半数の61議席を大きく超えた。憲法改正に前向きなおおさか維新の会などを加えた改憲勢力で参院(定数242)の3分の2(162議席)も確保。衆院はすでに自公だけで3分の2を超えており、衆参両院で憲法改正案の発議が可能な改憲勢力が形成された。」(毎日新聞から抄出)
現状推進派の勝利。例によっての勝利党首と敗者党首の、特に勝者の下卑た品性、の貌写真群。

私は「支持政党なし」の政治不信者の一人だが、18歳への期待と同じ熱意をもって、先進国中最低とも言われている投票率を、罰則(罰金)規定も視野に考えるべきではないか、と思う。そこには「投票率が低いほど自民党に有利」とか「宗教団体の拘束性」を知らされている私がいるが、私の政治観からも、この現状は先進国に値しないはずだ。それでも先進国と高唱するなら先進国の“日本の定義”を世界に向けて発信すべきだと思う。そうしない(できない?)ならば、いつまでも明治以降の富国強兵日本への自省のない、独り善がりの、それも虎の威を借りての強弁・虚栄で、国民を、時代を主導する恥ずかしい国だと思う。

創り上げた前提目標は、人間の所為にもかかわらず概念的確認だけの絶対善で、「善は急げ」で進められる巧妙な管理と方策。
(例えば、沖縄県知事の、政府高官や行政者の得意語「粛々」への怒りと抗議を、また教育世界での、教師をはじめとする教育関係者の、対話の重要性を言うその舌も乾かぬ内に露呈される自己正義の問答無用の独善を思い起こせばよい)等々………。

ひょんなことで、関西(大阪・兵庫)からの単身赴任の中年男性企業戦士2人と会話する機会があった。彼ら曰く「どうして東京人は人にぶつかっても謝らないのか」。
東京在住者は、江戸時代から地方人(東京以外のすべての道府県)が大半で、江戸っ子・東京人は2割か3割。だから多くは片意地張っての自分しか眼中にないのではとの同情的仮説に、2人は甚(いた)く納得していたが、当たらずとも遠からず、ということなのだろうか。
そこに同席していた私の知人、40代の東京下町の生まれ育ちの男性映像作家、の言「場所が良くない。下町にはそれはない」。
その2人の、東京での居住地、安息地は下町とのこと。そういう私は「京都人」にもかかわらず、江戸っ子(東京人ではない)に憧れさえ抱く一人である。

「音楽に(芸術に)政治を持ち込むな」について、若者間で最近論争がある由。
政治は空気。空気なくして生は立たず。空気が悪ければ、心身病に侵され、望まぬ死を招く。清澄な空気に包まれれば生の活力は湧く。一事あって初めて自覚する自然の大気。私は、典型的?文系ゆえなおのこと、作為で「空気」(政治)だけを取り出すことに違和感を持つ。鑑賞者の自然な感性が、それぞれに静かに政治を考えさせる音楽、芸術を秀作と思う。正確に言えば、私の秀作。鑑賞者と創作者の“察し(想像)”の幸せな融合。そこに滲み出る人であることの[悲・哀・愛しみ]。その時、私は「音楽が神に最も近い」を実感する。

今もって政治家は、表向きの顔・言葉(政治の言葉?)とは裏腹に、自然は征服し得る人類への奉仕者と息巻いているとしか思えない。何度も辛酸をなめ、挫け、崩壊寸前も経験して来たにもかかわらず、多くの人々があって33年間も、国語教師を続けられ、「言葉の怖しさ」を人一倍知った私にとっては、政治家たちの表現態度・言葉用法は異星人的でさえある。
政治は人為の極と考えれば、自然にして当然の言葉遣いなのだろう。だから紀元前以来、東西思想家は政治にもの言わざるを得なかったのだろう。と同時に、隠棲者、出家者が多いのも必然かもしれない。
近代化とは西洋化、それがあっての繁栄と幸福、を全否定するほどの勇気?はないが、その源泉地西洋が自省し始めて1世紀以上経つにもかかわらず、西洋(欧米)=先進文明国=国際、の今もって盲目的皮相的欧米崇拝、追従、とまたもそこに帰着する。個であれ国であれ「個性」を自覚した「小国(主義)指向」を再考再検討する螺旋階段踊り場に今在ると考える私がいる。

「微笑み」と「笑い」は違う。[ Smileと Laugh] 。また「微笑」と「ほほえみ」とも違う。「ほほえみ」の音的心地よさに「微笑(びしょう)」の心象を加えることで、私の想いの確かさが出るように思え、ここではそれを使っている。ましてや、喧騒以外何ものでもない今風?「お笑い」の氾濫極まる今世にあっては。
(因みに、上方お笑い芸人の東京志向が今も続いているが、江戸っ子は「帰れ!」と言い、浪花っ子は「要らん!」と言っている現実。)「笑い」についての談論は、社会的になったり、哲学的・美学的になったりするようだが、私に在るのは「微笑み」の人品のことであり、道徳的(倫理的)のことである。

日本人の微笑み。英語にすると、かの[Japanese Smile]。
西洋人(それも西洋絶対善的西洋人?)が不可思議で、無気味と酷評することに論外的な私だが、[Korean Smile]や[Thai Smile]とどう違うのか、[Chinese Smile] はあるのかないのかは、聞いてみたいとは思う。
私は日本人。日本(人)の讃美も批判もする。しかし、他国(人)・地域(人)への讃辞は大切にするが、疑問は呈しても批判はしない。生兵法は大怪我の基以前に、少ない知識や経験であれこれ批判することへの非礼と傲慢を思うから。

「微笑み」と聞いて、レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザの微笑み」を思い浮かべる人も多いだろう。
ただ、モナリザは女性であるが、半跏思惟像の弥勒菩薩は女性を超えた母性である。
美術史家で仏教学者である佐和 隆研(1911~1983)は、著『仏教美術入門』で、こんなことを言っている。

「……人間の個性的な特徴、たとえば肥えているとかやせているとか、背が高いとか低いとか、そういうものを全部否定してしまって、非常に円満な姿、しかも非常に威厳のあるものになっている。だから男性とか女性の特徴というものを抽象してしまい男性でも女性でもない姿が作られ、その上にいろんな特徴がつけ加えられる。」

老子の「天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善のみ。……為すもしかも恃(たの)まず。功成るもしかも居(お)らず。それ唯だ居らず、是をもって去らず。(栄光そのものから離れているから栄光そのものがない)」が思い起こされる。
老子の根本思想は母である。母は宇宙であり、自然であり、永遠である。「玄のまた玄」「玄(げん)牝(ぴん)」。
仏教の説く大慈大悲、安らぎは、母性があってのことである。人の[悲・哀・愛しみ]。

「包み込むという母性原理……すべてのものに対する絶対的な平等性…それに対して男性原理の特性は、断ち切ること、分割すること……したがって、女性原理と男性原理とに対して、それぞれ無意識・感情と、意識・理性が対応することになるのである。」と、哲学者・中村 雄二郎氏(1925年生)は『術語集』の一項「女性原理」で述べる。

近代化、合理化、効率化に青息吐息の私は、母性にこの上なく魅かれる。その私は男性、それも、「大和魂」とか「武士道体現者云々の侍(最近サムライとの表記が多い)が得意でない日本の男性である。

小泉 八雲[ラフカディオ ハーン:父はイギリス人、母はギリシャ人・1850年~1904年。アメリカでのジャーナリスト生活を経て1890年(明治23年)に来日]が、1894年(明治27年)44歳に刊行した日本の、日本人の美を描いた随想集『知られぬ日本の面影』に、度々引用される「日本人の微笑」がある。
現代日本を“現代的”にとらえる日本人、また外国人からすれば郷愁の苦笑も多いが、生き方の基層を思う時、全的に礼讃を得意気に鵜呑みにする過ちに注意した上で、1世紀余り前の指摘はたかだか1世紀ではないかと思う。ましてや人間、誕生以来本質的に変容していないともなれば、である。
(このことについては、以前の投稿で引用した日本思想研究者渡辺 京二氏(1930年生)が、2005年に刊行した幕末・明治時代に来日した外国人の言葉を集めた大著『逝きし世の面影』にも通ずることである。)

小泉 八雲は、当時横浜で知人のイギリス人に雇われていた日本人乳母(女中)や下僕の、また直接に体験した車夫の、「微笑み」「沈黙の言語」の例を通して、日本人の道徳的気高さを讃える。そして言っている。

「日本人の微笑を理解するのには、日本の古風な自然のままの庶民生活をすこし諒察しなければならぬ。近代化した上流階級からは、学ぶべきものは何もないのだ。」

(地蔵に黙祷していた日本人少年と地蔵のそれぞれの微笑に双生児を観た彼は)「日本人の微笑は菩薩とおなじ概念――すなわち、克己と自己抑制とから生れる幸福を表わしている。」

これについて、民俗学者柳田 国男(1875〈明治8年〉~1962)は、エッセイ『女の咲(え)顔』で、エクボとエクボへの女性の、親の願いと将来の日本の女性の幸いを書いていて、その中で小泉八雲の『日本人の微笑』に関して、女中の例を採り上げて好意的に述べている。

私は、自照自省のキーワードでもあり、東西異文化はない(と様々な国・地域の人々との出会いからもそう思う)「謙虚」「誠実」「健気」の美徳の喪失を思い、そこに母性と父性の、男・女性を超えた、調和に思い巡らせ、その自身に苦笑する。
そこには明治時代がゆえの、階級社会であった江戸時代の江戸庶民の日々是好日気概と同じ諦めがそうさせている、との指摘もあるかもしれないが、私の中ではそれだけではないと思える。

日韓の二つの半跏思惟像。
私たち衆生を「四苦八苦」の憂き世から救済に導く弥勒菩薩。その私たちに注がれる微笑みの眼差し。光を得て一人一人の心に広がる平安・平和な世界。微笑には声はなく、笑いには声がある、との言葉が過ぎる。
古代人(こだいびと)の切々たる祈りが込められた二つの仏像を、何度も行きつ戻りつ眺め、中宮寺の半跏思惟像に、母性をより強く直覚し、「日本的」美と徳を思わせる。
制作者の中核は朝鮮(韓)半島からの渡来人・帰化人かもしれない。そうだとすれば、その制作時の、その人たちの心映えが日本的なものに導いているかもしれない。「和(なご)む」と言う和語が示すように。

宝冠をつける韓国の像と髻(もとどり)(髪型)の双髻(そうけい)の日本の像。
顔の輪郭。眉から眼、鼻そして口元にかけての曲線の流れとそれぞれの比率関係、また鼻の高さの微妙な違いが醸し出す私の母性の静と平安の直感的印象。衆生の苦悶にゆったりと耳傾ける日本の像。少し浮かせてある左足指が、思惟の後の踏み出し(救済)を暗示する?かのような日本の像。
これらは、韓国の鋳造と違う木造の醸し出す雰囲気と融け合って、私に親近感を与える。

ところで、「制作当初の本像(中宮寺の半跏思惟像)は法隆寺百済観音と同様に彩色豊かな華麗な偉容だった」(小林 裕子氏「本展示解説書」)との由。
そこに宗教の、人々を向かわせる意図、色彩美からの安らぎを思ったりもするが、山上憶良の歌や防人歌が表わす地方民の貧窮、哀しみを想いながらも、日本人の原像心なのだろうか陽性指向を思ったりもする。だからより一層、心の病の急増している現代(日本)を、私自身をかえりみて思うところも多い。
やはり、現代ならではの「特別展」なのだろうか。

「近くて遠い国」と双方で言い、どれほどの時が経ち、今の今はどうなのだろうか。
そこにどんな微笑みを共有しようとしているのだろうか。ましてや「日韓・アジア」と言う私たちは。