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2017年2月1日

「ポピュリズム」から ―言葉と人に思い巡らせる―

井嶋 悠

トランプ大統領誕生で、ポピュリズムとの言葉が、我が国の元首相や元市長時代以来久方ぶりに、マスコミの識者によって批判的否定的に使用されている。それは数年来待望されている“英雄(ヒーロー)”願望の負の側面への憂慮、と同時にアメリカ絶対的追従国日本の一人として、彼が大統領に選ばれるほどの支持者が厳としてある、そのアメリカの事実をどう受け止めるかの自己明確化への警告、と取ってはいささか識者贔屓過ぎるか。
しかしそうでなければ、識者(エリート)の繰り返される官僚的思弁への民衆の反逆でもあるポピュリズム(ポピュリスト)を方便とする権力獲得への、結果的に援護者と堕してしまわないか。

そのアメリカの国民の意思について、職歴等からアメリカ人やアメリカで研鑽を積んだ日本人青年たちとの出会いからも私感(観ではなく感)はあるが、「生兵法は大怪我のもと」、自国のことさえ今もって一知半解の身、いわんや他国・地域については、で軽率な批評は自重すべし、を昨今の信条としているので触れない。
ただ元職の日本の二人については、私の政治家不信の典型的理由の一つを体現していて、旧オーム真理教・アーレフ幹部(現「ひかりの輪」代表)の「ああ言えば、上祐」と重なっている。言葉と人のこととして。ただ、ここでは「四技能」の内、話す・聞くに係ることだが、聞く耳持たぬ話し上手?の印象甚だ強く、そこに権力志向の醜悪を直覚する。
言葉(国語科)の教師として33年間生計、家庭を営み、今の自照、供養も言葉で、「同穴の狐狸」そのままなのだが、それでも、である。「何を今更、世は騒音雑音が常」を承知し、何人もの“二人”と同系の人と仕事を共にし、心の病さえ発症したにもかかわらず、今もって脳内に留め置く小人ぶりに、妻から苦笑をかっている。
政治家と教師(特に文系)は酷似している、とも思えてしかたがない。ただ、ここで言う教師とは中高校(中等教育)それも私立校のそれで、公立校や小学校(初等教育)また大学・専門学校(高等教育)については外側からの印象である。

 

言葉は文化を表現する。文化は人に、人の理・知・感(ここで言う感は、うごめく感情が理知によって高められた感性を指しているつもりだが)によって構想され編み出される。人が多様なのだから文化も多様で、或る“絶対”を確信する人は時に羨望を受ける。煩悶難儀甚だしい「生」の軸足を持っているのだから。それに引き替え、未だ絶対を持ち得ない私はなおのこと、無とかゼロを、以心伝心を、尊崇夢想し、それを文化次元低い、しかし私にとっては心底実感の伴った言葉で表白し(書き)、心鎮める。その螺旋上昇のない?悪しき円環、堂々巡り……。

1945年以降、欧化は米化に代・変わり、この20年ほどそれは恍惚感(エクスタシー)的ともなっていて、例えば私が知る映画制作者、愛好家はその輸入量の欧・米差に危機感さえ募らせ嘆く。
極東の温帯(亜寒帯から亜熱帯の南北に長い地)の列島国、しかも6割が山岳森林地という地理的環境が一層そうさせるのか、好奇心旺盛で温和!?な国民性を醸成し、中でも奈良時代の漢語、明治時代の欧米語の導入・咀嚼力は、和語復活論さえ出るほどに怖るべき力(パワー)を発揮し、日本語を豊かにした、とも言える。

国際化また国際社会の制作・監督・主役がアメリカの現代世界、当然言葉と文化もアメリカ化が必然、自然ともなっている。好むと好まざるにかかわらず。しかし、異文化理解は理解との言葉が示すように理知の領域で、異文化間(異文化の狭間)で悪戦苦闘、四苦八苦している人たちが多数派(マジョリティ)ではないか、と年齢世代を措いて推察している。(尚、更に個人的に言えば、そこに「海外・帰国子女教育」の意義、重みを直覚し、20年程だったが関わった。)
言葉と文化の表裏一体性を思えば、意識・心に係る語はどうしても理解と感性での不完全燃焼は避けられず、その外来語を、誤解の危険を思いながらも、元のまま使わざるを得ない。例えば身近で出会った言葉で言えば、英米語の「アイデンティティ」であったり、韓国語の「恨(はん)」であったり。
そして、ポピュリズム。

日本語訳としては、肯定的な場合「人民主義」「民衆主義」、否定的な場合「大衆迎合主義」「衆愚政治」で、且つアメリカでは肯定的に、ヨーロッパでは否定的に使われる傾向があるとのこと。[『日本大百科全書(ジャポニカ)』から抜粋的に引用]

日本では否定的に使うことの方が多いのではないか。肯定的な訳語も、「民主主義」の多数決が持つ困難さ、また人為の現場に降(くだ)った段階で頭をもたげて来る権威主義、全体主義の、政治に限らず様々な社会での、古今の事実を思えば、肯・否皮膜微妙とは言え、多くは否定側に吸収されるように思える。
これは、私の中で渦巻いている、「人間性・人間的」と言う場合の、性善説・性悪説とはまた違った本質、価値観の表象のことにつながるのだが、ここではあくまでも上記引用の解説に従って使う。
蛇足ながら、日本語の特性としての否定表現と国民性についてはよく説かれるところではある。

 

勤務校で出会った現地校出身者の高校1年次で帰国した女子生徒(或るスポーツでアメリカ全土での高い実績を持ち、某高校に特待生で入学したが、練習法の日米の違いへの違和感に加えて足を壊し、1年で退学。その後私の勤務校に1年下げて入学)の、心に深く刻まれ考えさせられた言葉。(何度目かの引用)

「帰国してほっとした。なぜなら、日本では教師や生徒の発言を静かに聴き入って座っていれば褒められるのだから。アメリカでは存在自体を無視される。」

これは、生徒だけではない。

インターナショナルスクール協働校で出会った、英米加豪英語圏世界で、同僚から“典型的アメリカ人”(男性)と言われていた教師の、「転がる石に苔むさず」(A rolling stone gathers no moss)の日英とは違うアメリカ解釈そのままに他国のインターナショナルスクールに異動し、一時帰国した時の言葉。

「教師会議(ミーティング)で、間断なく発せられる『私が・は』の自身の実績を誇示し、自己主張する世界にほとほと疲れた」

その教師は、後に日本の別のインターナショナルスクールに転属し、後に日本女性と結婚したとのこと。

二つ目の蛇足ながら、インターナショナルスクールでは夫婦(同国人)で同じ学校に赴任する人がごく自然にあるが、在職中に離婚し、日本人女性と再婚する男性に何人か出会った。そして、中には元夫人もその後同じ職場で、何もなかったかのように協働していた。

これらの引用はあまりに恣意的で、且つ国際社会のリーダーを目指す日本の学校校教育との理念と目標からすれば少数派(マイノリティ)かもしれない。しかし、数の多少とは別に、「国際」の際(きわ)性から「ボーダレス」であることの難しさを思い、同時に敬意を抱く一人として、アメリカのポピュリズム肯定使用の背景を勝手に推察し、引用した。
とは言え、「日本」と言う時と同様、アメリカの東西南北中部どこを意識してのアメリカ観(感)なのかもはっきりせず、加えて英語力も貧弱な私だから、いよいよもって危なっかしいが。

トランプ大統領は支持する民衆を背に、次々に選挙公約実践のための「大統領令」に署名し、得意気な表情を全開している。アメリカポピュリズムの、鉄は熱いうちに打てと言うことなのか。
ただ、「生兵法は大怪我のもと」を自省する私とは言え、「アメリカ第1」との主張には、それぞれが己が正義を絶対とし、それぞれ相手をテロと糾弾し、武力がすべてを解決する(殲滅(せんめつ)!)との意が含まれているのか、との懸念はある。民主主義国家としての絶対的矜持を持つ国であり、一方で、過去に何人もの大統領が暗殺された国、アメリカとの思いがふと過る中で。
オバマ氏の大統領在任最後のスピーチの、理・知・感の春光に包まれたような調和との対照的な違い。オバマ氏は、同じアメリカ人としてトランプ大統領の初動を見越していた、とも想像するからなおさら畏怖に近い感動を持つ。

アメリカ国民の半数はトランプ氏を大統領に選び、選挙制度の違いはあるが、私たちは現首相を選んだ。その首相は、就任前のトランプ氏と夢!を語り合いたい!と世界最初に会いに行った(行けた?)ことを自負し、しきりに互いの信頼関係を言う。数千万円の国費を私費のように使うことへの反論かのように。経済至上社会のほころびは、子どもの、大人の(更に言えば女性の)、都鄙の、貧困・格差に、また学校教育に、露わになって来ているにもかかわらず。そして沖縄に代表される在日「在外米軍」への、世界屈指の貢献国日本。

ポピュリズムとの言葉を使ってトランプ氏を批判する識者とそのトランプ氏への首相の言説にあっても現内閣支持率が今も50%強の事実が、私の中でどうしても整合しない。これは私の不足、偏狭としても、ポピュリズムの源流でもある識者への不信と同じ感覚を持つ私もいる。「迎合」「衆愚」との識者視点ではなく。

先日、ボブ ディラン氏が、ノーベル文学賞を受賞した。氏の音楽には、生の哀しみを自覚し、懸命に生きようとする詞が、あのギターの調べと和して、ある。だから人々の心に深く沁(し)み入る。
その氏、ビリー・ザ・キッドを敬愛し付き従うも己が生を模索する役で出演し、同時に音楽も担当した映画『ビリー・ザ・キッド―21歳の生涯―』(サム ペキンパー監督・1973年・クリス クリストファーソン、ジェーム コバーン主演)の、映画としての、また氏作曲の劇中音楽『天国への扉』の、何という哀調。
サム ペキンパー監督は「暴力の美学」を追求したと言われるが、暴力につきまとう哀しみを常に意識し、観客に意識させたからこその讃辞ではないかと思う。その氏は、酒と薬の溺れ続けたとのこと……。

因みに、アメリカの英雄的スター・ジョン ウエイン(1907~1979)を引き出した西部劇の神様とまで言われた監督・ジョン フォード(1894~1973)は、晩年期、それまでのインディアン=悪視点を止め、叙情性溢れる『シャイアン』(1964年・リチャード ウイドマーク主演)を制作した。
そこには、アイルランドからの移民の子で、アイリッシュとしての誇りを持ち、映画制作人生での経験が、アメリカの歴史、風土と重なってあるように思える。

ポピュラーミュージック[popular music・ポップス(pops)]と、ポピュリズムは同語源とのこと。
ポピュラー音楽史に残る祭典ウッドストック(1969年)に象徴される1970年代の若者を核とした疾風怒濤の気運は遠い過去のこととなったが、今はそれらを経ての円熟期なのだろうか。熟し、種子を育み、新生へ。音楽と、芸術と政治、社会……歴史と人と。

非政治的で、ポップス・バラードを愛聴する私は、あまりに感傷的(センチメンタル)なのかもしれない。
識者はクラシックを愛聴する、との公理的?図式に従えば、私は「例外のない規則はない」になるが、クラシックの中でも主に古典派(クラッシク)の、それもアダージオとかラルゴといった調べ(旋律)に溺れているので、やはり識者が常々悲嘆する感傷的感情的人間なのだろう。