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2018年5月5日

「死を選ぶ自由」ということ ―日・韓での悩ましき課題―

井嶋 悠

       はじめに

 

そもそも、『日韓・アジア教育文化センター』は、1991年、私と韓国・ソウル市を中心とした韓国人日本語教師の公的研究団体である『ソウル日本語教育研究会』(現在は、この研究会を基に創設された韓国全土の『韓国日本語教育研究会』と並立運営されている)との出会いに源を持つ。
今回、その両国で抱える厳しい課題について、あくまでも一日本人としての私の視点から、日本に向けて拙文を投稿する。いつか日韓比較をしてみたいとは思っているが。

【参考】世界の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)〈2015年〉

◇順位[2010年前後までは、日本は韓国より上位にあった。]

1、リトアニア 2、韓国 3、スリナム 4、スロベニア 5、ハンガリー
6、日本    7、ラトビア 8、ウクライナ 9、ベラルーシ 10、エストニア                                                                                                                  (米国は20位)

◇日本に関して
・上記について、6位であるが、男女別では女性が3位
ただ、日本内に限定して言えば、男性の方が女性の2,5倍
・1998年に3万人を越えたが、以後減少傾向
・青少年[若年層]の自殺が顕著

 

「哲学とは、人生は苦しんで生きるに値するか否かの判断をすること」といった意味のことを、西洋の作家が言っている。
人間が社会的動物であるかぎりにおいて、死を自己選択したその人の判断の社会的意味は大きいはずで、その人の数が多ければ多いほど所属する社会に不備、欠陥が多いとも言える。
しかし、その「死を選ぶ自由」を人の弱さ、甘えと言い、時に卑怯だと厳しく指弾する人が、少なからずある。私が知る、教師でも文化人?でも、いわんや知識人でもないごく普通の人もその一人である。
なんでもかんでも「問題は社会に起因する」と言うほどの安直さはないが、先の前者に与(くみ)する私がいる。と言っても、事の善し悪しは別に、頭と心のどこかでの直覚に過ぎず、身体全体で与するほどの成熟はなく、当然実践への決断力もない。
だからこそ「健康年齢(寿命)=私の平均寿命」などと、自己本位に、病に、貧困に苦悶している人への非礼そのままに思ったりする、その驕慢は承知している。

ここで、用語について確認しておく。一般的用語は「自殺」「自死」「自決」であろう。
アメリカでは州によっては「自殺」そのものを犯罪とみなしていて、幇助(ほうじょ)、教唆(きょうさ)はいずれの州でも犯罪とのことで、日本では前者は不問ではあるが、後者は同様である。そもそも「自らが自らを殺す」との用法からも理解できるように、統計等の所管は警察庁である。
「自死」は、自殺の語感が持つ酷(むご)さの印象とは違い、自から己が「死」を引き寄せる、との静的印象で使われているように思う。
ただ「自決」は、そこに或る集団的なもの、集団性があっての用語と考えられ、私のここでの意図とは違うので除外する。(例えば、三島 由紀夫の場合)
私は「自死」の静寂に心魅かれ、一時は自死を敢えて使っていたが、「死」に到る(未遂も含め)激情、葛藤そして決断を思う時、法云々とは関係なく、「自殺」がふさわしいと思うようになっている。

その自殺について、20代のころから考えさせられることもあり、後4か月で73歳となる身、先進国と言われる日本にあってなぜ自殺が多いのか、自身の事として考えを及ぼしてみたい。
考え及ぼす?
6年前になるが、新聞書評で、作家・柳 美里(ユウ ミリ)氏(1968年~・在日韓国人)の、女子高校生を主人公にした小説『自殺の国』が採り上げられ、同じく作家・江國 香織(えくに かおり)氏(1964年~)の書評文に次のような一節がある。

「…自殺する理由がない、ということが、自殺しない理由、すなわち生きる理由になるのかどうか――。さらに、仲のいい家族というものの、仲はほんとうにいいのか、友達だと言い合っている人間を、信じる根拠はどこにあるのか。そんなことを考え始めれば、少女でなくとも途方に暮れる。何か考えるのは危険なことだ。でも、考えない危険より、はるかに安全な危険だ。」

私は、考えるに際して、芥川 龍之介(1892〈明治25〉~1927〈昭和2〉35歳で自殺)の『遺書』『或る旧友へ送る手記』を拠りどころにする。
尚、芥川が「死を選ぶ自由」を行使する1か月前に、友人久米正雄宛てに書かれた『或る阿呆の一生』という、己が人生をかえりみる全51章の短文作品があるが、今はそれには触れない。(因みに、最後の第51章の表題は「敗北」である。)

彼の自殺はほぼ100年前のことであるが、現在でも十分に共有できると思う。否、現実の政治・経済・社会の混迷度が増し、タテマエとホンネの乖離が一層強くなりつつあるように思う一人としては、なおさらである。
その私が、芥川龍之介を拠りどころにする理由は以下である。

○元中高校国語科教師らしさを出すため?

○『蜜柑』を読んで“目からうろこ”的に共感したため。

○文(子)夫人への結婚前の愛(ラブ)の手紙(レター)[はがき]に溢れ出ている人柄に魅入られたため。

○写真で息子二人の良き父であったことを彷彿とさせる姿を見たため。

○繊細に、鋭敏に、知を、時代を、感知し、認識していた人と思うため。

○優れた人をみることは、その人でもそうなのだからいわんや、と逆説的に己をみるにふさわしいため。

○西洋の文学者たちのことなど無知な私にもかかわらず、「遺書」及び「或る旧友へ送る手記」に不遜にも共感したため。(因みに、「手記」では、自身を「大凡下(だいぼんげ)」と言っているが、芥川が言うから通ずるのであって、私が言えばそのままである。)

時代(社会)の、家庭の、環境は、人間の心に大きな影響を及ぼす。その深浅或いは内容は人によって違うが、芥川の場合、生来の、そしてその後の勉励、人との出会いが、より鋭く、より深く刻まれた。だからこそ、私は『蜜柑』に共感(と言えば高慢だが)し、「繊細に、鋭敏に、知を、時代を、哀しみを感知し、認識していた人」と信じている。そして、芥川の二つの遺書は過去の遺物とならず、今も私を、多くの人々を惹き込む。
芥川の自殺に立ち入る時、しばしば引用される言葉が『或る旧友へ送る手記』(以下『手記』と記す)の中の「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」という箇所であるが、その前に彼の自殺そのものに係る発言を、両書から引用する。

『遺書』より

「僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである。」

「僕は勿論死にたくない。しかし生きてゐるのも苦痛である。」

『手記』より

「僕は紅毛人たちの信ずるやうに自殺することを罪悪とは思つてゐない。仏陀は現に阿含(あごん)経(きょう)の中に彼の弟子の自殺を肯定してゐる。曲学阿世の徒はこの肯定にも「やむを得ない」場合の外はなどと言ふであらう。しかし第三者の目から見て「やむを得ない」場合と云ふのは見す見すより悲惨に死ななければならぬ非常の変の時にあるものではない。誰でも皆自殺するのは彼自身に「やむを得ない場合」だけに行ふのである。その前に敢然と自殺するものは寧(むし)ろ勇気に富んでゐなければならぬ。」

どうだろう?
曲学阿世に限らず、マスメディアに登場する評論家・解説者(コメンテーター)・ジャーナリズム関係者の多くは、弱さを、憐れみを言い、地域での、学校での、通信での、救済機関の充実を指摘するだろう。相談相手に恵まれ、死を思い留まる人も確かにあるだろうし、それは一時的に自殺者数が減ることにつながるかとは思うが、そこには根底的に日本を再考する視点がないように思う。
芥川の時代を概観してみる。彼の主な活動期は大正時代15年間(1912年~1926年)である。
大正時代=大正デモクラシーのイメージが、私の中で浮かぶが、実際はどうだったのか、手元の年表から主だったことを挙げて整理し確認してみる。

1912年(大正元年) 第1次護憲運動・天皇機関説論争・オリンピック初参加

1913年      「大正政変(桂内閣総辞職)」

1914年       シーメンス事件(海軍汚職事件)・第1次世界大戦勃発
(ドイツに宣戦布告)

1915年       中国への21か条の要求提出・抗日運動起こる・大戦景気

1916年       憲政会設立・大隈重信狙撃

1917年       「西原借款」(中国政府反革命的武力統一援助)で侵略
政策との批判

1918年       シベリア出兵宣言・賃上げ要求スト・米騒動

1919年       朝鮮での日本からの「三・一独立運動」・国際連盟に加

1920年       恐慌襲来[1927年、1930年と続く]

1921年       原首相暗殺・市川房枝ら新婦人協会結成

1922年       中国に関する「九か国条約」に加盟・治安警察法・全国
水平社創立

1923年       関東大震災・甘粕事件[大杉栄・伊藤野枝虐殺事件]

1924年       第2次護憲運動

1925年       治安維持法公布・普通選挙法公布

1926年       大正天皇崩御・川端康成『伊豆の踊り子』発刊

1927年(昭和2年) 第1次山東出兵・金融恐慌勃発

これらは過去の事実である。そしてこれらはその時点で終了[完了]したこととして年表に記されているだけなのだろうか。
人間は、それほどに日進月歩、高次に途上しているだろうか。人類誕生以降「歴史は繰り返す」……?!

真に博識博学な人は寡黙で謙虚である。些少狭小な私はついつい多言、おしゃべり!になる。教師には(特に文系?)多弁家が(と言えば聞こえはいいが)多い。私もその一人だったから寡黙な人を憧憬した。良き教育は教師の謙虚さが先ず初めにある。
そういう中にあって、一度(ひとたび)話し出すと流れるが如く言葉を編み出す英語との完璧なまでのバイリンガルにして博識博学な教師(女性)と職場を同じくしたことがあったが、私の印象は寡黙な人としてある。

言葉は怖ろしい。キリスト教圏・イスラム教圏では、[神の言葉]は論理である。日本では言霊。
そこに日本の感性の国をみる。だからなおのこと、国際化=英語教育なのだろうが、どこか本末転倒の感があるように思えてならない。
あの理知研ぎ澄まされ、西洋文学、芸術にも造詣の深かった芥川は、『手記』の中で次のように書いている。

―自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。―

「ぼんやりした不安」……。
自身の生への、作家であることへの、日本社会への、「ぼんやりした不安」。
俊秀であっただけに響き入る言葉。感性。
先の年表と彼の生い立ち、生活から、それを視るのはあまりに我田引水過ぎるだろうか。
そして彼は「死を選ぶ自由」を行使する。葛藤に葛藤を重ね。

『遺書』の中の言葉

「他人は父母妻子もあるのに自殺する阿呆を笑ふかも知れない。が、僕は一人ならば或は自殺しないであらう。」

《息子への言葉》
「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。」

『手記』から

「…僕はスプリング・ボオドなしに死に得る自信を生じた。それは誰も一しよに死ぬもののないことに絶望した為に起つた為ではない。寧ろ次第に感傷的になつた僕はたとひ死別するにもしろ、僕の妻をいたわりたいと思つたからである。同時に又僕一人自殺することは二人一しよに自殺するよりも容易であることを知つたからである。」

「我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる、所謂生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦(あ)いた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷のやうに澄み渡つた、病的な神経の世界である。[中略]若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違ひない。しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問である。唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。」

 

日本は先進国であると標榜し、私たちの多くもそう信じている。しかし「先進国」とは一体何をもってそう言い得るのか。経済力?技術力?……。
OECD[経済協力開発機構]が運営する学習到達度調査(PISA)に、結果としての順位にその都度、一喜一憂、安堵と焦燥の論評が繰り返され、教育指針再検討が持ち出される。
各学校種段階の入学試験で「記憶する(暗記する)力」から「考える力」へ、と何とも遅ればせながら緊要の課題として言われ、入試方法が変わる。

“1点が合否の境目”にあっての、問題作成、そして客観的評価(採点)の難しさの解決が今後の課題とのことだが、そもそも「小論文」入試でもその視点があったにもかかわらず、今では形骸化的となり、かてて加えて、すべての学校とは言わないが、【塾・予備校】頼りがますます強くなることが予想されている。
それほどに学校とは何なのかが問われ、高校義務教育化も話題となり、大学の大衆化の負の側面が露わになり、専門学校指向が増えている現在、今も子どもたちはひたすら時間に追われ、振り回され、追い詰められている。(都鄙での違いは程度差の違いで、本質的には同じと思うので一括りに言い表す)

それでも先進国と評されるならば、そこにあるのはモノ・カネ社会、或いはほんの一部の「超エリート」の功績ということなのだろうか。
自照自省の私的経験で極論的に言えば、問題作成側教師(集団)の児童・生徒受験者の学力観は、塾に拠りかかった学力観であり、教育観とさえ思える。
そして学校世界(より限定的具体的に言えば教師世界)の権威意識或いはその指向また聖域意識。
今もって不登校生、「いじめ【ハラスメント】」問題(児童・生徒同士、教師から児童・生徒、その逆、そして教師間))の多発状況は変わらない。

眼を学校外の大人社会に向ければ、政治家の、行政者の、不埒ぶり。
ごく最近で言えば、朝鮮半島の歴史的転換の可能性、米朝会談の高い実現性にあって、日本の拉致問題を最重要課題と言っていた我が国の宰相は夫人共々、なぜか今この時期に中東へ。数千万円の税金を使っての病的としか思えない媚び外遊。更にはこのゴールデンウイーク中に、10数人の閣僚が心・頭・体を休め、己を振り返り、学習する姿勢を感ずることもなく、同じく税金数億円を使って外遊とか。

一方で、とりわけ中高年世代が苛立ちを募らせる、子どもの貧困の深刻。老人介護の貧富化の深刻。
青少年の「テレビ離れ」が増えているにもかかわらず、お笑い芸人・タレントを多用し、繰り返される同系番組の画一化、低次元化。当たり前過ぎることを「視聴者は無知」に立って大仰にもの言う、多くの解説者(コメンテーター)・評論家等、専門家と称される人々の言葉の垂れ流し……。そこに跋扈(ばっこ)するカネ・カネ…。
30代40代の働き盛りの人々の厳しい仕事・家庭環境の現実。公務員と大企業社員[=財界の別表現]以外の中小企業関係者たちの実感しない好景気、賃上げ報道、それに引き替え体感する物価値上げ。駆け巡る「働き方改革」の言葉遊び(戯言)。

それらを10代20代の感性が、感知しないはずはない。
瑞々しい感受性と「ぼんやりした不安」。
少子化になればなるほど“隠れる場所”が狭められる子どもたち。少子化による子どもたちの息苦しさ。
少子化が一層もたらす高齢化での老いの孤独。人生経験が導く日本社会懐疑と「ぼんやりした不安」

「国際的学力」(例えば、一部で流行的!?に採り入られている[英語を主言語とする国際バカロレア教育])では、常に論理的思考力、表現力が求められるが、それは先ず「感じる力」があってのことではないのか。そこから「考える力」の必要性が自然に自覚され、それが自主的学習を生みだす。「記憶する力」の自然育成。
かつて国際バカロレア教育に、また帰国子女教育に、外国人子女教育にわずかながらとは言え携わった一人としては、日本がその風土、自然そして歴史から培って来た感性こそ、複雑な国際化社会の今だからこそ一層必要性が求められるように思えるのだが、これは時代錯誤だろうか。老いの証し?

以前出会ったアメリカからの帰国女子生徒の言葉が思い出される。「一時帰国した際、クラスメイトのお土産に持ち帰った動植物等をかたどった小さく色彩感豊かな消しゴム等の文房具への、歓声と賞讃と憧憬」
1000年余り前の清少納言の言葉が、ふと甦る。
「なにもなにも、小さきものは、皆うつくし」
「うつくし」の古語辞典での漢字表記は「愛し・美し」である。