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2018年6月16日

「迷わぬ者に悟り(・覚り)なし」と思いたい

井嶋 悠

先日、妻と、車で、福島県いわき市の海辺にあるモダンで立派な水族館[アクアマリン]に行った。
田園地帯、山間道路、小都市の千変万化の風景、人々を見、個を想い、水族館での奥深い海への畏怖を再自覚させられたり、クラゲ舞踏会に魅入られたりの往復4時間余りの小旅行。
その時々に脳裏をかすめる「色即是空、空即是色」の、生きる力への感……
相も変らぬ昏迷深い私とは言え、一方で幽かに直覚する私の中の変移の昨今。

1967年(昭和42年)刊行された「人生の本 全10巻別巻1の内の一巻『懐疑と信仰』」で12人の日本人作家、宗教家、思想家を選び編んだ作家・武田 泰淳(1912年~1976年)の解説で次の二つの言葉に出会った。

――「信念」とか「悟り」とかいう単語を耳にするだけで、身ぶるいしたくなる、これら青年たちの感覚は尊いものです。彼らは決して宗教に対するときときだけ、そのような感覚を抱きしめているばかりではない。政治、経済、道徳、芸術その他あらゆる分野について、なにかしら絶対的なものに対する疑念、反撥、ためらいを手ばなすことができないのです。

――(児童文学作家小川 未明(1882年~1961年)の二つの童話《「火に點ず」「金の輪」》を選んだことに触れ)、彼[病により享年7歳の少年―引用者注―]には「懐疑」とか「信仰」とか、そのほかむずかしい日本単語も日本宗教もなに一つ知りはしなかったのに、私たちがもしかしたら見ることのできない、そんなにまで美しい金の輪を見ることができたのでした。――

私は後2か月で73歳になる身だが、歳相応云々の是非は別として、この青年と少年に今もって共感する。
前者の疑念、反撥の後ろに在る気恥ずかしさ、居心地の悪さから、後者の感性の力から、の共感。

私が教員として最初に勤務したK女学院中等高等部(女子大学を併設)は、1875年(明治8年)二人のアメリカ人女性宣教師によって創立されたプロテスタント系の、ほとんど校則のない(もちろん私服)ミッションスクールだった。
週5日制で、毎日朝8時30分から立派なパイプオルガンを備えた講堂で礼拝が持たれる。(尚、水曜日は1時限目がLHR(クラス毎を原則としたLong Home Room)のため、それが始まる前にクラス・学年等それぞれの場で実施)
讃美歌の斉唱に始まり、週毎に選ばれた聖書の一節の音読、学内外の牧師や受洗者、また生徒を含めた学院につながる人々による講話、そして讃美歌の斉唱で終わる。その間20分。

学校標語が「愛神愛隣」。
これは、『新約聖書』[マタイによる福音書22章37節~39節の、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主(しゅ)を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。隣人(となりびと)を自分のように愛しなさい。」を基としている。

17年間の勤務で、大まかに言って前半期まではさほどではなかったが、後半期から自校大学への進学者は激減し、退職後はほんの数名となった。或る年はセロもあった由。理由は他大学(それも東西の有名国公立私立大学)への進学で、心ない生徒や保護者、時には教職員までが、内部進学者は成績劣等との眼で視るまでになった。そのためか?一部では中等部3年次から、高等部ではほぼ全員が、塾・予備校との並立生活となる。背景には、中等部入試は、関西で最難関校の一つと言われ、生徒の保護者の自尊・矜持は高く、例えば中等部1年次1学期の成績で初めて下位を経験し、自尊心を大きく傷けられる生徒が出るほどにまでなる、そんな「受験(進学)知」?があるのかもしれない。

私立学校と私立塾・予備校の二重生活。保護者の経済的負担は明らか。世間で、いわゆる高偏差値大学進学家庭=裕福な家庭は実感的に理解できる。また一部で、日本国内のインターナショナル・スクール(小中高或いは中高で、基本は英語が第1言語)希望者が増えているが、その教育費もかなりのもので、私が経験した日本私学と協働校で、国際バカロレア加盟のSインターナショナル・スクールの(国籍は日本以外の外国籍が原則)保護者(とりわけ母親)で、パートタイマーで働く人は多かった。

【K女学院問題は私の退職後には一層強くなり、いろいろな場面で負の問題が生じて来ている。これについて、歴史的、教育的見地から学院全体で検討し、原点回帰を併せた変革の動きがある旨聞いている。】

彼女たちは礼拝の雰囲気(講堂‐パイプオルガン‐讃美歌が醸し出す雰囲気)には心地良さを刻み込むが、講話者への疑念、反撥は時に非常に強く、自身から積極的にキリスト教に、聖書に心向ける者は限られていた。ましてや在学中に受洗する者はまずなかった。
そんな折、校務分掌で高等部の生徒会を担当していた私は、S女子学院高等部生徒会との生徒会交流を提案し、実施できた。S女子学院は小中高一貫のカソリック系で、学院と同一敷地内に修道院があり、修道女(シスター)たちは教育の様々な分野で奉仕活動を行っている。
その時、S女子学院生徒会生徒が言った次の言葉は、K女子学院生徒会生徒を驚嘆沈黙させ、私の中では今もなお鮮明に残っている。要約して記すと以下のような内容である。

「中等部に入学して初めて知ったシスターたちの存在、その言行一致は、私たちに強い関心の眼を自然に向けさせる。自分が何かする時、例えば食事や入浴の時、シスターはどんな風にするのだろうと思い浮かべる。そんな日々が重なることで、自主参加である「ミサ」に正に自主的に参加し、キリスト教をより知ることとなる。中高6年間の在学中で受洗する人は、20人はいると思う。」

私の息子と亡き娘は、我が家の近くにあった長崎に本部を置く或る修道女会が運営する幼稚園でお世話になった。学習の前に人としての心の教育に温もりと安心を持っていた親・家庭は多く、私たちもそうだった。ただ、卒園後、現実の勉強、成績一辺倒的風潮にあたふたした子どもたちもあったが、私たち親は苦笑しつつも園の教育方針に共感していた。例えば遠足時、電車の乗り降りと車内での行儀良さの微笑ましさ。その幼稚園はもうかなり前に廃園になった由。理由はシスター、とりわけ若いシスターの減少とのこと。

S女子学院の今はどうなのだろう?
カトリック系男子校のR学院はどうなのだろう?同じくカトリック系の共学校N学院はどうなのだろう?かてて加えて、政治的、経済的、文化的等々の一極集中化、更には権力化、差別化著しい世界の?!大都市東京では、少子化高齢化に伴ってどのような変容があるのだろうかとも思う。
日本人は抽象的思考が不得手(それは想像力の欠乏につながる?)で、具体的思考を得手とすると聞くが、そうだとしてそのことと、学習の根底である生活すべてに「ゆとり」が無くなって来ているように思い、或る危機感さえ持つのは、勝手な老人の妄想なのだろうか。
しかし、今日本が先進国として誇れるものが確実になくなりつつあるという人が多いのも事実である。
それとも単にキリスト教と日本(人)というしばしば論じられることなのだろうか。

大きな夢を持って行ったからこそその公私にわたる痛撃が甚大であった、K女学院からの転身先(尚、この顛末はすでに投稿した)K国際中高校(共学化の構想もあったようだが、創設30年が経つ今も女子校)は仏教系の学校法人下にある。
その標語は「和」[聖徳太子『十七条憲法の第一「以和為貴」(和をもって貴しと為す)』]である。聖徳太子を考える上でも、「国際」をその視点から考える上でも、大きな入口となるはずだったが、時の校長の、かの国際化=欧米化と学校私物化的独善により、太子自身同じ第1条で「上(かみ)和(やわら)ぎ、下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」と言っているにもかかわらず、教育現場で一切関知するところではなかった。ただ、その学校敷地内には、立派な太子銅像が立てられていた……。
そして今では、学校紹介で「国際」は言われることもなく、「進学」女子校を標榜している。
因みに、第17条は「夫れ事独り断(さだむ)むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論ふべし。」である。
敬愛し、後に確かな相互理解を持つことができ、その校長への自身の悔悟を私に言って下さった、良き仏教徒であった今は亡き法人理事長の貌が浮かぶ。

日本は、[無宗教(者)]や「無神論(者)]が多い国であることは、幾つかの調査からも確かなようである。その一人私は、仏教及び自然神道系の無宗教で、私なりの「無」の解釈からすればすべての宗教を受け容れる要素すら持っている。(もっとも、この思いは暴力的新興宗教にまで及ばないが)しかし「無神論者」ではない。もっとも私の神観は、東洋的意味合いでの「天」と、自然神道的「神」(八百万の神)と、仏教での「仏」の意味が複雑微妙に重なっているのだが、少なくとも唯一絶対神に基づく一神教信仰者ではない。

日本国憲法の第一条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」とある。今もって私には、「象徴」の意味を整然と言えないもどかしさがあるが、感傷の危険性を承知で言えば、最近、天皇が直接登場するテレビ報道を見ると感涙さえもよおす非論理的な私がいる。それこそ迷いと言えば迷いであろうかと思うが、同時に日本的日本人の一典型?とも思っている。

虚構。英語では[fiction]。
手元にある国語辞典(新明解国語辞典)では次のように説明している。
「(文芸などで)事実そのままでなく、[作意を]を加えて一層強く真実味を印象づけようとすること。」
また英和辞典(グランド センチュリ 英和辞典)では、[①(文芸の一部門としての)小説・創作 ②作りごと・作り話・虚構]とある。と、ことさら確認したのは、ネットで調べていると「虚構と書いて、でたらめ・うそ・オチ・みせかけ・イミテーションなどと、架空のことを全面的に押し出した読み方をさせることがある」とあり、私なりの「虚構」の把握(イメージ)と大きな開きがあったためで、私としては先の辞典の説明に同意して使用する。
人間(或いは私)は、自身の意志とは関係なく生まれ、直後の記憶はなく2、3歳ごろから自我を持ち始め人生を始める。先の辞書の言葉を援用すれば、自我を加えて自身の真実を求め、自身にまた周囲に己(おの)が真実を印象づけようとする。だからこそすべての人は、人生を顧みその人の作意をもってすれば一冊の文学[芸術]作品を創り上げることができる、との先人の言葉があるのだろう。

人生はその人となりの虚構と言えるのではないか。そして様々な自・他批評。日々の喜怒哀楽苦惑…
映画好きの私は、フィクションへの想像力が枯渇し始めていて、その苛立ち、寂しさの昨日今日…
10代の鋭く瑞々しい感性の時代に大いに迷うこと、それから先の人生の礎。その意味で、この高齢時代が益々拡大化して行く中にあって、2022年度から成人が18歳になること、と学校教育の制度的、人的質的変革によって、迷いに必要不可欠な心のゆとりが生まれることと思う。(尚、変革私論は以前投稿した)言ってみれば、踊り場付き螺旋階段の低速進行の時間を経ることで、惑うこと多の年齢だからこそ孔子が言った「不惑」を活きた響きで実感できるのではないか。
と、「五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰えず。」を経たにもかかわらず、以前とは数段進歩!したとは思うが、今もって迷い、惑いにある私はつくづく悔恨を込めて思う。

そのためにも先ず、大人のたち私たちが、先日のアメリカ・トランプ大統領と北朝鮮・金周恩会談に関して、[テレビ・ニュース・ショー]?の一部の解説員(専門家、ニュースキャスター等)の、視聴者を無知との前提に立ち、薄ら笑いすら浮かべ、一方的且つ間断なく双方を得意気になじる姿に愕然とする。政治のうさんくささ、表裏、ホンネとタテマエ云々以前に、その人格性がますます若者を政治から離れさせるように思える。否、彼ら彼女らは或るターゲットを意図した虚構で、そのための作意を基に演じているのだろうか。

因みに、私はアメリカ・北朝鮮への同意・支持者ではないし、また中国・ロシアへのそれでもなく、かと言って日本絶対者ではないが、日本の現在について甚だ疑問を持つ一人で、なぜそういう私になるのか、ふと自問自答しながら豊潤な自然を傍に分不相応な贅沢をしている。

教師の難しさの一つとして恩師から言われた「生徒(若者)と“つかず離れず、急がずしかし時機を失せず」の見守りの姿勢の意義。それができたと言えるのは、33年間でほんのわずかだったが。