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2013年9月30日

先生方、自身の驕(おご)りに気づいてください!―教師の、生徒へのいじめ(パワハラ)―前篇

井嶋 悠(本センター代表・元私学中高校国語教師)

「パワハラ」の定義「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう。」を援用すれば、
「職場」=「学校」であり、「働く」は教師と生徒と保護者の協働の場との視点で、そこで「優位性」にあるのが教師であり、「苦痛を与える」教師がいて、「苦痛を与えられる」生徒があり、それは明らかに教師のパワハラで、別の言い方をすれば、教師の生徒への「いじめ」である。

.娘の死

その時に
父や母 教師や祖国などが
海蛇や毒草 こわれた甕 ゆがんだ顔の
イメージで ちいさくかたどられるとしたら
それはやはり哀しいことではないのか

おとなたちにとって
ゆめゆめ油断のならないのは
なによりもまず まわりを走るこどもたち
今はお菓子ばかりをねらいにかかっている
この栗鼠どもなのである

これは、茨木 のり子の5連からなる詩「こどもたち」の第4連と第5連である。
詩の子どもたちは小学生のイメージだが、私が今回、採り上げる子どもたちは、13歳から18歳の多感な時期の中高生であり、教師とはその間の教師である。

小学校教師の児童へのいじめ(パワハラ)は、すでにかなり報告されているし、また大学教師の甚だしい勘違い、独善からのそれも多く語られているが、ここでは、あくまでも体験からの言葉を大切にしたく、私の27歳から59歳までの中高校教師生活(3私立学校)からの、また父親としての、自照自省、時に自己批判に立ってのものである。

尚、教師間のそれ・罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)も日常茶飯事ではあるが、今回は教師の生徒へのいじめ(パワハラ)に限定する。

私の娘は、2012年4月、7年間の心身の病との闘いに力尽き、この世を去った。23歳であった。
彼女が闘いを始めるきっかけの一つに、
中学2年次のクラス担任(男性)の、クラスの女子生徒を自身の味方に引き入れての娘へのいじめ、と
高校での権威主義、迎合、独善教師からの学校不信がある。
学校は、彼女の意志で双方公立学校である。

断るまでもないが、彼女の苦闘理由、背景のあくまでも「一つ」であって、親としての責任、また娘自身の在りようを不問にするつもりはない。
それでも彼女の言葉から、学校の、教師の責任は重大である、と思う。

この事実を具体的に私たち親が知ったのは、死の2年ほど前の彼女自身の口からであり、それまで口を閉ざしていたのは、親への配慮であり、彼女の意思であった。
そして彼女は、高校1年の1学期に登校拒否の意志表示を出し、その年の8月末に退学する。
ちなみに、退学届の事由は、学校からの指示で「進路変更のため」である。

彼女が敬愛した教師、心の支えとなった生徒もいる。
例えば、中学時の苦痛を、1年後とは言え和らげたのは、3年次のクラス担任(男性)であり、卒業直後の彼女への「何も気づかなくて申し訳なかった」との謝罪の言葉であった。
また彼女を支え、教師に異を唱えた生徒たち(男子)。

どんないじめであり、教師態度であったか、彼女の言葉を基に簡単に記す。

[中学2年次]
・存在の無視[例:ホームルームでの彼女への返却物を下駄箱の上に放置]

[高校1年次]
・授業での「指導書」そのままの講義、上からの問答無用的進行、世間話或いは漫談授業等
・地域一斉模擬テストでの好成績(1位)後の、彼女へのこびへつらい。

親としての、教師としての、そして一社会人(大人)としての、憤り、怒り、哀しみ、そして虚しさ。

今回、その憤り、怒り、哀しみ、虚しさを基底に、一文をまとめるまでには、彼女の思い、また公表することの正負等、思案しての1年4か月があった。
先述の「意思」からも分かるように、彼女は、一旦起こった事実を後追い的に表沙汰にすることをひどく嫌っていたが、一方でこの活動への確かな協力者でもあったので、今回の寄稿にきっと天上で首肯してくれていると思う。

2013年9月24日

更新のご挨拶

人はみな自身の居場所を求め、探し日々刻々を生きています。時にそれは辛苦に満ち、迷い、立ち止まり、あらためて自身に、取り巻く社会に、世界に思いを馳せ、再び歩み始めます。大正生まれの今は亡き私の父の口癖「楽しい日々、人生などと軽率に言うな」を思い起こします。

団体、地域、国も同じです。その人の集まりなのですから。もちろん私たちNPOも同じです。

日韓中台で、時には共感を、時には批判を受け、NPOへの原点1993年から20年の時間を重ねました。そして心新たに「再び歩み始め」たく、この度ホームページを一新しました。

「資金?!」といった本センターにあって、これが実現しましたのは、本センター委員でもある30代のデザイナーと映像作家の二人の尽力の賜物です。ぜひ立ち寄ってください。

 

井嶋 悠(本センター代表・元私学中高校国語教師)