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2014年7月23日

豊真将関の負傷[公傷]から考えた「理」と「気」と日本・人 ―そして「嘆願書」として……―

井嶋 悠

豊真将が、今月名古屋場所の5日目(17日)、日馬富士との取り組みで右ひざに深い傷を負い、自力で立つこともかなわず退場し、翌日から休場した。

治癒に少なくとも2か月かかるとかで、場合によっては幕下陥落になるという。
それは、33歳の彼が、本場所の取り組みでの不慮のけがで引退を勧告されたようなものである。
豊真将自身は、「やり残したことがたくさんある。残り火は全く消えていない」と言っているそうだ。

この寄稿は「理」と「気」の私見と同時に、
とりわけ、権威からの保守性を日毎に強く感じる大相撲関連の「審議会」等委員、正義の代表かのようなNHK新旧一部アナウンサー、そして広くマスコミと、そのマスコミにしばしば登場する大相撲愛好“有名人”に向けた、豊真将の再起日への嘆願書でもある。

日本はそこまで合理社会にして、非情社会になったのか、とますます寂寥に襲われている、私はそんな日本人の一人である。
そこには「規定」は宇宙の原則「理」だ、とのそれを作った人間の、それを玉条とする人間の、心「気」を低次とした人間観、近現代文明人?意識の尊大があると思えてならない。

夏目漱石の『草枕』の次の冒頭文は、かつてなかった力で私を、でお前はどうするのだとの叱責も併せ、粛然(しゅくぜん)とした激しさで打つ。

「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)ができる。」

私には主人公の画工《余》ほどのものは何もないが、10年前の59歳の時、33年間の中高校教師生活を廃し《越し》、縁あって豊かな自然と清澄な空気に抱かれた栃木県の田舎の地に移り、2年前に娘を亡くし、今、妻と愛犬と生活する日々にあって、やっと私の「詩」が生まれるのかもしれないと、驕りの予感に違いないが、思うことがある。

因みに、2011・3・11の、人災を天災に覆い隠すが如き東京電力と政府の、日本(より焦点化すれば首都圏の都会!?)の経済的繁栄のためには地方が礎になれ、それが世界の強大国として、リーダーとして、日本国民に幸福をもたらす、との非人間的悪魔的姿勢をこの地にあるからこそ実感する。
と同時に、その姿勢を支持する日本人が半数(以上?)いることに不安と不気味さを直覚するのは特殊なのだろうか。

「アベノミックス」との言葉に、地に足をつけて故郷を見ている多くの老若人々が、嘲笑い、苦悶している。
福島の女子高校生が、テレビカメラの前で毅然と言い放った「同情の眼で見るのはやめてほしい」との「同情ほど愛情より遠いものはない」の核心的言葉を、どう受け止めているのだろうか。

(尚、夏目漱石の講演『現代日本の開化』は、明治44年(1911年)であるが、2014年の「現代」、近時の歴史をかえりみながら読むに相応しい警鐘と内向・内発の講演である。)

主観或いは感情の動物・人だからこそ「理」が必要なのは自明だが、それは「その人」があっての理で、「気」のない「理」は言葉だけの非人間の世界だ。
これは、悪しき情緒性の日本的感情なのだろうか。

しかし、元中高校教師の私の中では、娘の心身葛藤そして死の一因から途方もなく自照自省され、気づかされた中学校、高等学校の教師の、無意識下での権威的合理性の「正義」とつながっている。

私は大相撲びいきである。
ただ、場所に直接足を運んだのは、席料の高価さもあって数少なく、4年前に、やはり大相撲に魅入られていた娘と両国国技館に行ったのが最後である。
その時の帰路、臥牙丸関と付き人2人と娘の4人の写真は、大切にしている懐かしい思い出である。

一番一番の勝負もさることながら、横綱土俵入りにはない幕内力士土俵入りの圧巻の美しさ。
江戸時代の”江戸・花の三男(おとこ)“が、与力、火消しの頭、と当時興業見物女人禁制にもかかわらず力士で、浮世絵に多く登場することにも得心が行く。
屈強にして柔和な眼差し。漂う温柔。艶やかな鍛えられた肉体と髷(まげ)と化粧まわしの典雅な統合体。
浴衣姿が、これ以上にない様(さま)を醸し出す力士。男女を越えて惚れ惚れさせる男たち。

中でもひときわ傑出する一人、天賦の才に恵まれ、奔放な人柄にして美男と、天が二物も三物も与えた、「努力」を言葉で表わすことを苦手とする、第52代横綱(横綱在位1970年3月~74年7月)、千代の富士と北勝海の二人の横綱を育て、現NHK解説員で、話しっぷり、批評の内容、おしゃれ姿から私たちを魅了してやまない北の富士関が、放送時間1分ほどの制約の間で言った取組中と取組直後の言葉。

「(勝負が決まった瞬間) あっ!
(その直後) 日馬富士のダメ押しではないとは思うが、大変だ。それにしても何と不運なお相撲さんだ。」

改めて直覚させられた氏の優しさ溢れる人柄。実直。愛情の深さ。
そのことは、強く篤い師弟関係の錣山(しころやま)親方(きっぷの良さが際立つ元関脇寺尾)が、弟子豊真将に掛けたという「しっかりと治そうな」の響きと、私の中で共鳴する。

私を完全に横に置いて益々確信的に思う。「言葉は人なり。」
もちろん天地の差の解説者はいるが、ここで私が言うことではないだろう。

その豊真将関。
取組前の、後の、端正な所作・礼儀、取り組みでの、日々での真摯さはつとに知られている。
いつぞやインターネット検索で知った、八百長経験のある元幕内力士の、4年ほど前とは言え、次の発言は、話半分としても十分説得力がある。

「力士の取組の中でこれは絶対、ガチンコだと自信を持って言えるのは昨年の九州場所で白鵬の連勝を止めた稀勢の里、真っ正直で不器用な豊真将くらいだ。」

「国技」となったゆえか、人倫に関してひとしお厳しい視線が注がれているように思える。
それは当然なことなのだろうか。

人に道徳、倫理があることは自明であって、層一層厳しく言う人々は何を要求しているのだろうか。
しばしば使われる言葉で言えば、品格?

品格を否定するはずもないし、伝統を再考、再吟味する温故知新に同意する一人として、確実に袋小路に入った日本の今を考える糸口の言葉になると思うが、しかし、どこか違う。
それが先に書いた私の「理と気」で、その違和感は「国」日本、日本人の、文化への眼差しの違いなのかもしれない。

大らかにして繊細、人と人との・人と自然との和(なご)みを貴び、言霊を今もどこかで信じ、「おかしみ」を愛し、「悲・哀・愛」の三つの「かなしみ」が生の底流にある日本、日本人と思っている私との違い……。

「気」があっての「理」を思えば思うほど募る、豊真将のような力士に、均一に規定を当てはめることへの距離感、そして日本らしさについて。

彼・豊真将のような行跡(ぎょうせき)者には、再起、再出発の時を、憐憫ではなく、当然のこととして、例えば幕内幕尻に置くという考え方が生きる地点はないのかどうか。

規定を作ったのは人であり、一律に規定を当てはめるのも、そのことに疑義を持つのも人であり、内容を臨機応変討議するのも人であり、より良い方向への改訂の英断をするのも人であり、一度の人為に完全があるかのような振る舞いはあまりに高慢である。

しかし、“道(どう)”に精進する力士たちにとっては、「人事を尽くして天命を待つ」、北の富士関が言う「不運」は、天意のそれであって、運命として受け入れることが正統で、いわんや豊真将、私のような考えは理不尽であり、不可解にして迷惑至極なことなのだろうか。

それでも思う。
2011・3・11以降、「子どもたちのために」との言葉(フレーズ)が増えた今、提議しても良いのではないか。

「人力で禍は防げない。しかし心積み重ね、自己練磨していれば、あなたが願う時ではないかもしれないが、或る時、天は確実に救いを、示唆を、あなたに与える。」と。

それを心に持つことで、その人の「生きる力」の輝きが生まれてくると思うのだが、どうだろうか。

2014年7月16日

素晴らしき居酒屋との遭遇 ―愛酒初老の嘆き節―

井嶋 悠

これは、半世紀にわたってこよなく酒を愛して来た、酒豪でもなく、アル中でもない私の、また私の周辺に居る人たちの思いを併せた、現代日本への憤慨と寂寥の嘆き節である。

もう10年近く前になるだろうか、旧知の教育関係者が、当時中高校教師であった私に、日本の若者の“内向き”傾向を、国際化時代にあって実に嘆かわしい、と悲憤慷慨したとき、若者だからこそそういった時間も必要なのではないか、と疑義を出したところ、見事に侮蔑の一瞥をくらった。
しかし、その疑義は今も変わらないし、いや、年々、これは加齢の特性傾向かもしれないが、強くなりつつある。とりわけ2011・3・11の天災と人災以降そうである。

もっとも、そこには「内向き」の互いの語義のずれもあるのだが。
或る辞書にある「心の働きが自分の内部にばかり向かうこと」の「ばかり」の有無による違いのような。

この嘆き節、私と真逆の価値観の人物からすれば与太話は、先の一瞥への再疑義でもあり、ここ数年の自照自省からの、憤慨と寂寥であり、これは昭和最後生まれの、昭和をこよなく愛し憧憬した亡き娘の思いとも重なっている。

私にとって「居酒屋」は、男、それも艱難(かんなん)、歓喜の人生紆余曲折を経た中高年空間である。
その時代の主流とは関係のない、或いはそういったことは避けたい、関わりたくない、うつむき加減の、背中にいささかのたそがれをごくごく自然に発光させ、柔和な眼差しで、両切りのちびり煙草をくわえた(なぜかフランス映画の彼らが実に様になっているのだ。)男たちの姿(イメージ)である。
そこには、若い時のただただの憧憬から脱し、老いに入った今、私の言葉として言える実感がある。

しかし、居酒屋の表舞台を切り盛りしているのは女性でなくてはならない。もちろん老若関係なく。
“女性”と“母性”を心身もって体感し、言葉に何がしかの、理屈ではなく直覚で疑問と不信を持ったそんな中高年をさらりと歩む女性は言わずもがなだが、天から授かったのか若くしてその域に在る女性もいる。もっともそんな女性とは、残念ながら今もって会ったことはない。
はるか昔、女気の全くない、数十人は入れる居酒屋のカウンターで、高橋真梨子歌う『五番街のマリー』に衝撃を受け、直ぐにレコード屋を聞いて、買いに走ったことはあるが。

私は女性をこよなく愛するが、恋情或いはそれに近い感情で話し掛けるのは、必ずや酒が、それも或る程度の量が入ってから、という小心者である。

無頼派と文学史に記されている坂口安吾の、「酔うために酒を飲むのであって、しかし酔っ払った悦楽の時間よりも醒めて苦痛の時間の方が長く、なぜ酒を飲むかと言えば、なぜ生きながらえるかと同じで、だから女の酒飲みが少ないのかも知れぬ」旨の言葉に接すると、我が意を得たりである。

なぜ酔いたいのか。
心身不調理由を「ストレス」とすることで、あたかもすべて許される?的時代[現代!]の世への鬱積ではなく、あくまでも小心者としての私自身への苛立ち、憂さである。

そんな私だから、1956年制作のフランス映画、原作エミール・ゾラ、監督ルネ・クレマン『居酒屋』の主人公女優マリア・シェルのような限りなくキュートにして、爽やかで可憐な魅惑が零(こぼ)れ落ちる女性が看板娘であっても、素面(しらふ)で恋情を言える男性の肩越しに見ているだけである。
(尚、マリア・シェルが居酒屋の看板娘をしているのではなく、ただ題名つながりだけのことで、ここに登場する居酒屋は、男の尊大の象徴的場所である。)

私にとって居酒屋は、テレビとか音楽といった人工音や放歌放声は問答無用論外で、かと言って取り澄ました雰囲気も空々しく、はたまた「私は馴染み客」との優越感にも似た体臭を漂わせるのも傲慢いやらしく、要は透明な自然空間であって欲しいと願う一人で、ホッピーなども当たり前にさり気なく置いてあり、肴も高価でなく、品名を読んでスッと姿の浮かぶあれこれが、所狭しと壁に、紙の白さを保つために定期的に書き改め、貼り付けてある、そんな風情が、私にとっての居酒屋で、今の時代、希少価値的にさえなっている。

しかし、先日、東京下町生まれ、ニューヨークで才能を開花させた青年の導きで、山手線外、邦画名作の舞台ともなった下町の、再開発でビルが林立する駅前、これぞ居酒屋と思える店(以前は恐らく平屋であったとも思うが、再開発で縦になったのか、3階建てだった)に遭遇し、私は至福の時を過ごした。
もっとも彼は、私が何せ彼の父親より年上なので疲れひとしおだったとは思うが。

その階2階は、中年二人の女性が切り盛りしていて、その女性たちが言うには、カウンターは独り用で、卓席も二人用、三人用と彼女たちの中で決まっていて、その対応は無駄なく淡々飄々爽やかで、しかも機微に溢れ、ホッピーを頼めば間髪入れず「白?黒?」と返って来る。
客の9割は中高年男性で、誰一人周りの客に負けじと声を張り上げることもない。礼儀作法に係る張り紙(文字)などあろうはずもない。

人は理より気である。

以前、同じく都内の、外国人観光客も多い或る有名観光地の裏通りに、何軒か分厚い透明ビニールが戸、窓で、ホールのような空間に卓と席を無造作に並べた居酒屋とおぼしき店があり、ガイド本に掲載されているのか外国人客も多く、その各店前で老若女性がしきりと呼び込みをしている所を通ったが、そこに安っぽい芝居を思い、それが伝わったのか、私は呼び入れ対象全き外であった。

私は、下町人情極上人情を言うほど能天気ではないが、しかし権威と権力を巧みにカモフラージュし、虚飾にまみれた都市文明人よりは、数段人間の真にして善が息づいていると思うし、そう言う私は、酒を愛しているが己が酒文化・酒科学・酒生理等々の知に疎く、興味なく、純一に愛する一人で、しかしどこか言葉(理屈・知識)に振り回され、私は時代遅れとの自嘲もどこかしらあることは否定しない。

体よく言えば“反近代”の、元国語科教師で、いつぞや反近代の選集(1965年刊)を読んだとき、その編者の解説と併せて、収められている幾つかの著作にいたく共感した思い出もある。
(そこには中高校の国語教科書の常連である、夏目漱石、谷崎潤一郎、小林秀雄などもあり、権威に弱い!?私としては何とも心強くなったものである。)

その私は、若い時から今に到るまで、原始共産社会的桃源郷へのほのかな幻想を持っていないとは言えないが、とは言え社会主義信奉者でもないし、かと言って資本主義社会を善しとするものでもない、高齢化社会の一翼を担う1945年(昭和20年)8月23日長崎生まれ!の年金受給者で、今の日本にほとほと疑問と不安と寂しさを感じている、しかし心ある若い世代から言わせれば、戦争への真摯な反省もなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争の特需への謙虚な自覚もなく、己が一番の戦前と同根的感覚の中高年世代である。

ただ、少子化をもって、今を支える若者たちの数十年後の年金に懸念を言う政治家、官僚、一部学者の無責任、奇妙な保守性、前例主義は持っていないことだけは、記しておく。

敗戦後出発期の一人で、母親は「give  me  chocolate」で私を育てた一人で、生まれ落ちた時から西洋化はアメリカ化世代である。
「転がる石に苔むさず」の日本またイギリス解釈と真逆の、或いは表現術での日英型とは違うアメリカ。
戦後史はアメリカ史であるとも思える日本。
そのアメリカ。

私はアメリカ憎しでもなんでもないし、10年間の仕事場の関係から謙虚で慈愛溢れる多くのアメリカ人との出会いも経験したからこそ思う。

原住民アメリカ・インディアンを虐殺し独立を成し、広島と長崎に原爆を投下し、日本を、沖縄を、はたまた世界を意のままに動かそうとし、戦後の超大国になり、自身の正義が、人類の道徳(倫理)、最高善と言わんばかりのアメリカ。

その事実は事実であるとしても、アメリカとは、やはりそこに収斂(しゅうれん)されてしまうのだろうか。

世界を導き、世界を警護する、「天上天下唯我独尊」「唯一絶対」を矜持する、それをアメリカとして、そのアメリカを唯一の同盟国と言い、それに追従し、この度の集団的自衛権の閣議決定は、その同盟を一層強化する画期的なことと言う、20世紀は戦争の世紀だったとの東西の知恵ある人々の痛切な反省など、「読書とは、ああその本は読んだということを言うための労」と、文学史に名を留めるイギリス人が言った偉大な警句、真理を、言葉面(づら)そのままに「もちろん、知っていますよ」としか言わないであろう我が国の宰相の展望に、疑問と不安と、そして寂しさを直覚するのは、思想とか難しい論理とはかかわりなく、人として、更には日本人として、ごく自然な良心ではないのか。

私たちは、アメリカの東部西部南部北部中部の文化と歴史をどれほど承知し、そこから「アメリカ」の美点を、深さを、日本にどれほど採り入れているだろうか。
例えば、差別、貧困を承知しつつも、一方にある人生の歩み方への、やり直しがきく人間的寛容と信頼。
私は、「馬鹿なアメリカ人」との、揶揄言葉であり、同時に、心和む誉め言葉を何度聞いたことだろう。

そのアメリカに日本の美点と深さは、どれほど伝わっているのだろうか。

同盟とは、モノ的「強さと豊かさ」(「 」の言葉は自民党ポスターから)が優先する補完関係を言うのだろうか。

2014年7月10日

北京たより(2014年7月) 『散歩』

今回の井上氏の「たより」は、

在留邦人10万人以上、総人口2600万人の上海で、

定期的に開催されている『上海歴史散歩の会』の、第65回[松江地区の散歩]に、

久しぶりに参加されてのメッセージです。

以下、余計な井嶋の前口上です。

 

私[井嶋]は、最後に勤務した学校務や「日韓・アジア教育文化センター」主催の交流・会議で、何度か上海を体験しました。

しかし、それらは数日の、正に点の訪問で、薄っぺらなものです。

例えば15,6年前のことですが、路上延々と私につきまとい、時に泣き真似をして、金銭を要求していた小学校高学年とおぼしき男の子が、高層ビル建設ラッシュの上海に地方から家族丸ごと来て建設途中のビルに住んでいる事実(当然?在籍校はありません)と、一方での華やかな街並みとそこに集まる多くの国内外の人々の対比から、複雑な思いに駆られながらも結局は一過性の心でしかなかった自身。

確かに、北一輝とか大川周明また魯迅、また映画などからの想像もありますが、それらは私流勝手な思い描き世界です。

それに引き替え、この会に参加されている方々の眼差しは、それぞれの上海での日々に立った強いものです。

その中に、日本人学校の先生方(任期は3年~5年)もおられ、その方々が、世界一の大規模日本人学校(2校あって、小学部1校・約1600人、及び小学部中学部と初めての日本人学校高等部合せて約1600人の、計3200人有余の生徒数)での、生徒や保護者たちとの、日本の各地から集まった先生たちとの、また現地中国人を含めた職員たちとの協働に加えて、古代からの上海史を眼と心での学びは、帰国後の生徒・保護者また周りの人々に広く大きな眼差しを与えることと思います。

 

「たより」と併せて、添付の「資料」から、上海の昔と今を味わってください。

 

尚、「たより」中、氏の「歴史「を」知識として学ぶだけでなく、歴史「に」学んで今に活かすべき」との言葉があります。

在職中の大きな課題「教科書教えるではなく、教科書教える」を思い出しました。                                                                                                                       [井嶋]

 

北京たより(2014年7月)

『散歩』

上海・松江散歩 前編      上海・松江散歩 後編

井上 邦久

6月中旬は毎年日本での会議の季節です。株主総会と経営会議の谷間の週末に帰郷しました。

羽田から北九州空港まで1時間半。潮風の空港からバスでJR日豊線朽網駅に出て、各駅停車で中津まで1時間半。先に海に近い安全寺へ。戦時疎開した祖父が愛でてよく散歩したという、掃除の行き届いた気持ちの良いお寺です。
福沢諭吉の従兄、西南の役で散った草莽の士、増田宋太郎の墓もあります。祖父母・伯父・叔父に花を手向け、戦後混乱期に早逝した叔父と同級生だった住職の母堂と話をしました。

次に寺町の一角、大河ドラマ関連の取材で訪れる人も増えたという赤壁合元寺へ。墓に水を濯いでいたら、夕方の鐘が鳴り始めたので、鐘撞堂へ行くと大黒さん(住職夫人)が「アリャ!井上さん。来ちょったン。方丈さんを呼ぼう。代わりに撞いちょくれ。あと2回だけよ」と元気な声で迎えてくれました。
子供の頃から念願の鐘撞きがあっさり実現しました。周りの寺からの鐘音も已んだこともあり、あと3回撞きたいのを我慢して、方丈さんとの茶飲み話(黒田官兵衛に抵抗した土豪宇都宮一族の事、知人故人の話、そして中国外交部スポークスマン評判)。雨も降り始めたので、駅まで大黒さんに送って貰いました。お寺の奥さんは十一面観音と千手観音を合わせたような人で、大変な仕事だなあといつも思います。

菩提寺参りで1時間半。中津から特急、小倉で新幹線に乗り換えて徳山へ1時間半。
午前中は東京で仕事をしていましたが、色んな1時間半を経て、遅めの夕食を妹一家と食べました。

上海に戻って直ぐ会社の総務担当者にパスポートを召し上げられ、公安局での居留証更改手続き開始。
7工作日(営業日)の間は足止めです。お蔭で梅雨入りした上海で、久しぶりに長逗留をしました。

前日の大雨も已んだ日曜日。地下鉄2号線の駅で8時に全員集合。「上海歴史散歩の会」への久しぶりの参加です。和蕎麦の店を毎年増やしている『紋兵衛』オーナーの支援手配によるバスで松江地区へ。
いつも人気の歴史散歩ですが、今回はバスの定員の関係もあり申し込み殺到、一日で札止めでした。

先ず、松江の外れの民家の間をぞろぞろ抜けて、小さな橋を渡った所に潜んでいる春申君祠堂。松江の歴史を描いたレリーフ壁画の前で、簡潔明瞭な解説がありました。
事前に配布された添付資料の達意明晰な文章で感じた通り、要点を押えて無駄のない、印象に残る解説でした。

散歩の途中や隣り合った昼食時、その後のメール交信で知ったのですが、華東師範大学の博士課程在籍の少壮研究職の方でした。「私自身は、10年くらいのスパンで中国というものを理解しようと考えており、今年で5年目になります。あと5年はこちらに留まって研究を続けながら、老百姓(「庶民」としか拙訳できませんが、広い意味を含む言葉です)の何気ない日常について理解を深めたいと思っております」これまた共感する姿勢を簡潔に表現されていました。

これ以上「多余的話(言わずもがな)」の紹介は控えます。方塔園で上海随一の庭園景観という触れ込みに納得し、清真寺(イスラム経寺院)でハンサムな回教徒からの説明と写真撮影。老街・市場を抜けて大倉橋欄干に腰掛けて水運栄華の名残を眺めました。

上海発展の基は松江から始まり、米と綿と塩の三白の生産地として、太湖の水が黄浦江・蘇州河に流れ、北京まで繋がる水運の集散地として栄えた一端を見聞できました。皮影戯(影絵人形劇)の実演場所も発見できました。なぜ上海を申城と称するか?黄浦江の名前の由来は?という基礎知識についても添付資料に詳しく説明されています。

帰りのバスで、会の顧問である陳祖恩教授の「講評」を聴かせて頂けるとのことでした。清真寺参拝の為の禁酒令も解かれ、麦酒が車内配布されましたが、ぐっと堪えて「講評」を待ちました。期待した以上の素晴らしい「講話」でした。

2009年に上海に赴任したばかりの頃、職場近くの『紋兵衛』1号店のレジで『上海の日本文化地図(上海錦繍文章出版社)』を知り、『上海に生きた日本人―近代上海的日本居留民1868~1945(大修館書店)』には繰り返しお世話になってきました。その著者の陳教授は、気さくに散歩話を聴いてくれました。蝶理株式会社の前身の大橋商店上海事務所の所在地をこの5年間探して見つからないことも伝えました。数日後、陳教授から以下の連絡を頂きました。

「有关大桥商店的历史遗迹,现据当时的《上海邦人人名录》(1916、1936、1939、1943)、《上海年鉴》(1926)、《商工录》(1939)和《日华商工信用录》,均未有大桥商店的记载。很遗憾。以后如有发现,会及时与您联络。 陳租恩」

遺憾ながら各種記録には記載がありません。以後見つかったら直ぐにご連絡します。という誠意にあふれる内容でした。

バス車内「講話」の最終段で、陳教授は「これほど熱心に歴史を学ぶ日本人が居るのに、中国人の参加者が少ないのは残念。中国人は歴史に学ぶべきだ」と語られました。
日本人も歴史「を」知識として学ぶだけでなく、歴史「に」学んで今に活かすべきだと思いました。

そんな思いでいるところに数日後、『紋兵衛』オーナーから声が掛かり、実に深みのある実践者のお話を伺いました。その翌日に対話の印象を綴る機会があり、以下のメールを東京へ発信しました。
T.I.様 読売新聞27日付け夕刊に掲載された「浅川巧 INソウル」のご案内とコメントに感謝します。
実は先般の台湾行きで、戦前ダム建設・治水の為に尽力した八田与一の本を読んでいて、浅川巧に通じるものを感じました。無私、無雑、その土地への半端ではない思い入れ・・・
特殊例、美談としてではなく、本や碑が残らなくとも、その土地に根をおろした人たちが多く居ると思います。昨夜も、上海にてT.D.氏という方から呼ばれてじっくり話を聴かせて頂きました。
大手製薬メーカーの経営を60歳で退き、中国で本格的な和蕎麦を伝える教室を開かれたた後、8~9店舗にまで拡がる蕎麦屋チェーンのオーナーとして実業でも活躍されている方です。
昨夜の話は、留学生たちへの支援活動、生身の中国力をつける塾活動に協力して欲しいとの要請でした。
D氏自身は「父親の気持ち」になって、若者への支援に投じているようです。
父親が中国で戦死した半年後に生まれた事のみを最後に洩らされました。戦後混乱期に母子家庭でご苦労をなさっただろうと容易に想像できますが、それが「中国で」「父親の気持ち」になって、支援教育をする精神的な基盤に繋がっていると想像しました。ナショナルスタッフとの接し方、若い駐在員への薫陶、そして留学生への支援など共通する分野で学ぶことの多い夜でした。そして、その翌日にソウルの浅川巧についての連絡をいただける御縁が嬉しく、感謝致します。   井上@北京快晴35℃

 

北京で「僕らの日中友好」最終報告書(全41頁)を代表の渡辺航平さんから直に受け取りました。
活動のエキスと1元も疎かにしない収支報告、そして参加者の未来志向が詰まっていました。

https://www.youtube.com/watch?v=OBy7IFSteZo  http://v.youku.com/v_show/id_XNzlyOTY2MDI4.html

 

2014年7月2日

娘の死が導き気づかせた「母性」のこと―日本社会の根幹は母性である……― その4 「次代日本への期待と不安―母性私感の終わりに―」

井嶋 悠

2年前2012年4月、23歳の娘との永訣が、私に雷光を投げつけ、私が私を照射し、生きんとしているとは言え、あまりに分弁(わきま)ずで、しかし、その「分」などわざとらしさであってどこにもあろうはずはないと居直り、彼女の最期の7年間をひたすら支え続けた母親から肉感させられた【母性】のこと、母性はやはりこの“苦”の世界・人間(じんかん)に和らぎを与える源泉ではないかとの思い、を書いた。

一つは、日本人が「母性」を考えることでの世界への貢献への期待、であり、
一つは、その「母性」は、=「女性」ではなく、「男性」にも確実にあることの自照自覚への期待であり、(と同時に、「父性」=「男性」ではなく、「女性」にも確実にあることの自照自覚への期待であり、)
そこからの男女相補い合うことでの、男・女同じ地平に立っての「男・女参画」であり、「男・女共生」への期待である。

今私たち夫婦が住んでいる処は農業地帯で、老いた農夫・農婦が田畑で仕事をしている姿をよく見るのだが、例えば草刈りで、老農婦はかがんで一つ一つ根気強く抜き取っていて、老農夫の方は突っ立ち機械で一網打尽的に刈り取っていることがほとんどで、腰がほぼ90度近く曲がっているのは概ね老農婦で、それが何を表わしているのかを考えての、そこからの相補い合いへの思いである。

ところで、抽象された言葉への発話者の定義(例えば、学校)や、形容された言葉での発話者の具体(例えば、優れている)との相違から生ずる誤解を私たちは数限りなく経験し、辛酸をなめている。
しかし言葉を離れて生きることはできない。
その克服の最良は孤独である、と聞かされ、なるほど、とここ2,3年、とみに思う。

その昔、新約聖書『ヨハネによる福音書』第1章第1節の冒頭「初めに言葉があった」の、「言葉」を「LOGIC・論理」としてある英語聖書に接し、大いに納得したことがあった。
聖書では、その後、「言葉は神とともにあった。言葉は神であった」と続く。西洋文化の基盤(論理)の一つ言葉の重み、絶対性。

日本は、どうなのだろう? 韓国・朝鮮は? 中国は? 更には東洋は?

母性・父性・女性・男性についても同じで、あれこれ言葉を尽くしても、核心での共通理解は成り立ち得ないとは思う。
しかし、一つのまとめとして、中村 雄二郎氏(1925年生まれ・哲学者)著『術語集』の「女性原理」の項を参考に、強引に、且つ簡単に整理しておく。

母性原理(≒女性原理):絶対的平等性に立った包み込む直覚的自然感性、それがゆえの人為としての社会との間での葛藤、苦悶、またそこからの歓喜。

父性原理(≒男性原理):相対性に立っての断ち切る、分割する思考的理性、それがゆえの論理との葛藤、苦悶、またそこからの歓喜。

ここで、この二つの原理を、社会の縮図である学校教育に、次代への期待を込めて当てはめてみる。

以下の引用は、1996、年中央教育審議会(中教審)が文科省に提出し、今も有効性を持つ第1次答申である、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の一部である。

我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、
また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやるや感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。

ここでは明確な日本の国家像がないのでなおのこと、その抽象語と形容語の多さから、分かって分からないあいまいさがあるが、ただ波線部は母性原理と父性原理の調和の必要を言っているのではないか。
日本の小中校、更には高校での、実社会で生きることをより意識した時の、母性原理圧倒の是正と父性原理との調和の必要、の指摘として。
それは、教師生活最後に経験したインターナショナルスクールとの協働校での、欧米世界(英米の英語圏?)の学校像としてのインターナショナルスクールでの、父性原理優勢世界との違いでもあるように思える。

(こういったことも、例えば大学進学後の、少子化と大学全入時代と益々強くなるかのような大学格差、学歴偏重の現代、教師と学生間の戸惑い、乖離、また大学教員の旧態然とした悲嘆の原因があるように思える。)

そして日本は、どういう像に向かおうとしているのだろうか。

近代化の負の象徴である人災・福島原発事故(水爆事故)から3年!経った今。

私が思う現在日本への、そしてそれを導く政治家や官僚や学者や財界の一部?への思いは、何度も記しているのでここでは割愛し、文末に要旨を記しておく。

この母性再考・父性再考は日本人ゆえの、勝手な、或いは特殊な言い分なのだろうか。
確かに、ギリシャ神話だけでなく、中国の、韓国(朝鮮)の神話[天地・世界創成]でも主体は男神であるが、どうなのだろうか。

12世紀の武家政治への大きな転換に始まり、明治維新、「脱亜入欧」による富国強兵、殖産興業の近代化への猛進。「大東亜共栄圏」の矛盾と崩壊、太平洋戦争での敗北後、勤勉と技術力に朝鮮戦争、ベトナム戦争での戦争特需を得ての半世紀足らずでの驚異的発展。
世界に冠たる経済大国の誇り?「国際」社会のアジアの代表?世界のリーダー?的自負を思えば、この母性再考・父性再考は、勝手で、特殊な言い分なのかとは思いつつも、日本だけの特殊性とも思えない。

江戸時代の人々の、生活、文化が、様々な抑圧、差別また鎖国の問題等負の側面があったことを承知の上で、例えば庶民世界の夫婦とそこでの妻の存在の大きさ、強さや、文学、美術、演劇、芸能等に見る“日本性・日本的”確立と成熟が、今、世代、男女を越えて多くの日本人の憧憬の対象となっている、その心に流れているものは何だろう?と思ったりすることともつながっている。

しかし、否そして!? その日本は、2011年に10年連続年間3万人を切って第2位ではなくなったが、今も世界第8位の「自殺大国」である。
(尚、昨年、このブログに「自殺」について寄稿した際にも触れた用語について、死の尊厳との視点からすれば「自死」と思うが、ここでは、自身が自身を殺す、という  激しさを意識して「自殺」とする。)

一体、なぜなのだろうか。

「人が国を創る」ではない「国が人を創る」が、顕現している証しではないかと思う。

日本人の自殺について、国際的に移動、活躍し、大国日本を牽引して来たことを自負する日本人男性の言葉「自殺者は自業自得である。」の尊大、傲慢。また、
西洋文化圏に在留経験を持つ日本人女性(母親?)の(キリスト教受洗者とは思えない)言葉「欧米では自殺か禁止されていますから」に見る劣等心理。

これらの人の「母性」や「父性」が在る限り、日本が自殺大国から解放されることはないと思う。

フィンランドの教育が、ここ何年か高い評価で日本に紹介されているが、そのフィンランドも以前は、自殺の多い国としてあったところ、国が率先して国の方向性を是正することで自殺が減り、併せて教育の充実が実現した旨の文章に触れたことがある。
対症療法ではそれは為し得ないであろう。

日本にとって、非常に具体的な示唆になるのではないだろうか。

そして隣国の一つ韓国は、その日本に代わって2011年第2位で、もう一つの隣国・中国は、統計数字がないが、農村部では多数の女性の自殺があると言われている。
男女比を見ると、日本の場合、約6割は男性で、概ね3か国とも男性が上回っているが、韓国の場合、20代では女性が上回り、中国では上記のことが言われている。

そこに、現代国際化[或いは欧米化]と、その競争化と、東アジアの歴史に堆積されている精神性を、それも「母性」と「父性」から考えるのは、余りに強引な牽強付会というものだろうか。

最後に、国内外で大きな足跡を残した禅思想研究者で、「日本的霊性」を言った、鈴木 大拙(1870年・明治3年~1966年・昭和41年)の、『東洋的な見方』(1997年刊)から引用して終える。

東洋は母性愛を理想とし、西洋は父性が好いという風になっている。西洋では、東洋人は女性に対する敬愛を欠いている、と考えているのが常識のようだ。
が、ある点から見ると、女性を全体として見ることはどうか知らぬが、母性に対する敬愛の心情は、東洋のほうがずっと優れている。(1959年)

因みに、2010年に来日し一世を風靡した(今も?)、ハーバート大学・マイケル サンデル教授[政治哲学者]の東大での12回連続講義の内一つは、「代理母」の問題を主題に、尊厳、崇高と言った言葉を使って学生と対話し、母性愛を述べている。(『ハーバート白熱教室講義録 上』(2010年刊)

 

備 考

 

【私の現代日本への懐疑のこと】

日本国の在りようを、文明を問う意見は、どんどんかき消され、いつしか経済最低現状維持、否、是が非でも向上に向かわせることこそが次世代日本の幸福であり、
そのためには増税が必要不可欠で、
高齢化、少子化と今後の展望にあって、年金等社会福祉の現状維持のためには経済復興が最前提であり、と
首相はトップ外交と称して、1回数千万円の国税を使って、原発建設等売り込み、
日本への投資を「もうかる国!!日本」へ呼び込み、
海外経済援助を各国・地域数百億円単位で約束し、
担当大臣が行っているにもかかわらず国際会議に出席し、
中国からアメリカの批判は率直であったが、日本は何が言いたいのか分からないと一笑に付され・・・・・。

それでも内閣支持率は50%を超えている、要は「カネ本位制社会」の、その日本とは一体何だろう?と、貸借等差し引いての負債が、あのギリシャに次いで世界2位の国の一人として思う。 (負債は約14兆円、単純計算で国民一人約792万円とのことだが、識者に言わせれば何ら心配はないとか)

「衣食足って栄辱を知る」は、現代世界状況からも大いに説得力を持っている言葉であるが、では「日本人にとって“足る”の水準を、誰が、どのような基準で言うのだろうか。
「正解」などあろうはすもないが、と同時に古今東西人間のモノ・カネ欲望は果てしない俗物恐怖を承知していながら、それでも今の日本の、例えばテレビ情報からの感覚は、少なくとも私の感覚からは確実にずれる。
私の周辺の、生活実感を直接知る主婦であり、母である女性たちは、言っている。それもかなりの質・量で。

「日本はひどい国、さびしい国」と。

でも選挙をすれば……。

更には、東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、都心に建設する高層ビル構想の発表での、都知事(男)の「パリのシャンゼリゼ通りのような」旨発言。
私は偏狭なナショナリストではないが、この下品、下劣、無節操なまでの淫靡(いんび)さはもうほとんど最低品位ではないか。
ビゴーは墓の下で、ほくそ笑んでいるのか、絶句しているのか。
発言者は、高学歴の、以前国務の大臣も経験した、良識派と言われている人物で、その言葉の後ろには国や都を主導する政治家が居て、官僚が居て、学者が居て、財界が居て、そしてその発言を嬉々として擁護するマスコミ人が居て……。
もっとも、その人は、お粗末で辞職した前知事の後継として急遽選挙に出馬したのだが、かつて離党したその党からの支援を得るための集まりで見せた、あの平身低頭、腰つき、表情そして言葉を知れば、まあ分相応の発言なのだろうけれど。

そして、2020年に向けて、ますます決定的になる、地方と大都市圏(とりわけ首都圏)の生活観、人生観、価値観の格差の拡大。
地方の青少年の「負けるものか」「追いつけ追い越せ」の疲労困憊と自暴自棄の懸念……。杞憂?

 

そして昨日(7月2日)の「集団自衛権」の「閣議決定」。
首相曰く「平和を貫く」。世界で、戦争を求めている人はどれくらいあるというのだろうか。
人間がいる限り戦争はなくならないからこそ、その人間が、20世紀は戦争の世紀だったとの反省の下、平和を創る至難さに取り組んでいる中での、軽薄そのままの発言。

なんでことさらそのようなことを言って、拙速に閣議決定をして、英雄!?になりたいのでしょうか。

国民の半数が、懸念を表しているにもかかわらず。

ひょっとして、北朝鮮の、中国の、更にはイスラム圏の決定的危険な動きを把握していているのでしょうか。
アメリカの「正義」に追従するのではなく、日本の平和構築に向けた独自性を、どれほどの国・地域が敬意をもって視、承知していると思っているのだろうか。

それに関連して、現与党国会議員二人(男性)が、「憲法第9条にノーベル賞を」との、或る日本人が主唱者である運動に署名したことを指摘され、あわてて取り消した時の言い分の唖然呆然おぞましさ。要は内容など精査せず署名したとのこと。署名って、そんなもの?組織、団体の、あのハンコと同じく。

私たちは、首相を、絶対的権限をさえ有する「大統領」とは思ってもいないし、いわんや絶対君主として観たこともないのだが、現首相は、自身をそれに相応しい人と思っているのだろう。
権力を志向し、そこに快感を覚え、表では「国民のため」と美辞麗句を並べ、裏では策を弄し、保身と更なる権力に向かう質(たち)の人は政治家に限らず、世は「政治言語の世界」で、教育世界も例外にもれずで、そんな人たちを何人も見て来て、私は今ここに居る。