ブログ

2015年5月27日

「すなほならずして、拙きものは女なり」 ―されど「男は妻から(治まる)」―

井嶋 悠

 

表題の「すなほ・・・」は、吉田兼好『徒然草』(鎌倉時代末期1330年ごろ)の一節である。
その前後では、女は、ひねくれものとか、我執が深いとか、道理を知らぬとか、おしゃべりとか、賢女は人間味がない等々と、惨憺たる評である。
もっとも、恋愛、愛慾対象としての女[「色好み」の美]論では賞讃の嵐だが、これについては王朝貴族の伝統美への考え方と関わり、軽々に是非を言うことには注意しなくてはならないと思う。
ただ、個人的には、生と美を包む「悲・哀と愛」しみと、男女の中で重なるものがあるように思える。

(不勉強で、兼好のこの女性観について、男性(それも古典的?)の解説等には接しているが、女性の側からの意見は未だ確認していないので、この機会に是非確認したいと思っている。これも[ブログ]と言う自己整理の功かもしれない。)

私は、人並みに女性への関心はあるが、とりたてて恋愛崇高信奉者でもない。
しかし、生い立ちや職場(男女差別のない〈はずの〉学校社会)、また他の機会での、能力的、人格的に優れた女性との出会いから、女性敬愛者にして男尊女卑懐疑者ではある。
だから、時代と立場の違いがあるとは言え、兼好の酷評には全的に同意していない。

(尚、海外帰国子女の在留地生活形態から母親の影響の強さが指摘されている中、帰国子女を積極的に受け入れる学校教員時代、理想を生徒の前も含めて滔々と語る同僚(男)が、或る男子高校生のことで私に「あいつはマザコンだ」と言い放ったことがあった。その瞬時、私は「マザコンで何が悪いっ!」と感情を爆発させた思い出もあり、私の中の“マザコン”要素は否定しない。)

私が言う能力的とは、当たり前のことながら学歴など関係なく、他者の意見を傾聴し、独善を振りかざすことなく対話と仕事をする人であり、人格的とは「謙虚」を体感的に熟知し、実行している人のことである。

その私は、自省を込めて、現代日本の危機は男女問わず謙虚の喪失であると思っている。

その気持ちを表わしたのが「男は妻から(治まる)」の副題で、女と妻は違うとの指摘もあろうかとは思うが、現実の日々での女性は、妻を通してしか知らない私の活きた言葉である。

ジョルジュ・ミシュレなるフランス人(フランス革命でも活躍した、18世紀の政治家にして歴史家)は、次のように言っている。

―妻は夫の娘である。……妻は妹でもある。……妻はまた母でもあり、男を包んでくれる。ときとして男が動揺し、模索し、空には自分の星
がもう見えないという、そんな闇の瞬間に、男は女の方をみつめる。すると星は女の眼の中にあるのだ。……―

さすが、フランス革命に尽くした人だけのことはある。

彼が言う妻が、私が言う謙虚かどうかは知らないが、
映画『かくも長き不在』(アリダ・ヴァリ・演)や『居酒屋(マリア・シェル・演)』に登場する女主人公に魅かれる私としては、能力と謙虚を兼ね備えた女性であろうと思っている。

これを書いている今日[5月24日]、白鵬が破れ、同じモンゴルの若者照の富士が初優勝を飾り、来場所の大関を確実にした。
繰り返される、時の流れと人・命あるすべてのもの、との係わりの寂しさ、虚しさを再確認しているが、同時に、私の中で、独り横綱として日本の国技を支えて来た“外国人”白鵬への、ここ最近繰り返されている手のひら返したバッシング[白鵬たたき]に見る非人間性、独善性、それを誘導するマスコミの、横綱審議会委員等への嫌悪・不信が益々募っている。

例えば、NHKの一部?アナウンサーの道学者的言葉、横綱の品格を諭す審議会委員の中で、どれほどの人が人間としての品格を持っているというのだろうか。
そこには、不完全な万物の霊長ゆえの苦悩を持っている同じ人としての眼差し、優しさ、謙虚は微塵もない。
日本の“嗚呼!勘違い!”を改めて直覚させられている。
24日千秋楽の解説は、もちろん北の富士氏であったが、うまく言葉が出ませんと言葉を詰まらせていた様子に、私の勝手な想像とは言え、氏の人格の高さを思わずにはおれなかった。
今回は、そんな私の、女あっての男、妻あっての夫についての雑考である。

高齢化社会となり、定年も65歳とするところが増えて来ているので、次の感慨は65歳以上の人が多いかもしれない。
曰く、今の若者は、こらえ性がない、耐える力がない。
話の重心が若者の自殺ともなればそれに拍車がかかる。
それを言う御仁は、私の体験では、それぞれの世界、道程で、矜持からの自尊を持ち得た人々のように思う。もちろん、独善的自己顕示の虚栄を響かせるような言葉を言う御仁ではなく。
その私には、古稀直前ながら先の感慨が過(よぎ)らない。それは、私の中で達成感とかそういった矜持がない証しなのかもしれない。

思想家・唐木順三(1904~1980)が『自殺について』(1950年刊)で言う、次の言葉に共感、同意している私なので。

――思想と感覚の乖離に苦しんだはてに自らを殺していった人々は、我々の苦しみを典型的に苦しんでくれたのである。――

(因みに、氏の、太平洋戦争・東京裁判で絞首刑となった7人のA級戦犯の最期について、広田弘毅、松井岩根への敬愛漂う言葉、他の5人の辞世の歌を介した厳しく断ずる言葉に、大いに頷き、同時に自省を促す。
そして、娘が生前好意的に発した人名の一人が、広田弘毅であった。
和歌の素人で浅学のこの私でさえ、5人の辞世歌は酷(ひど)過ぎる。昭和天皇はどのように受け止めたのだろうか。)

人+憂=優。
憂き世にあっては、「生きる力」はやはり耐える力なのであろう。
乗り越え、生き抜いて来た人は優しい。
しかし、形容語にはその人の人生と生の価値があることからすれば、頓挫した人の優しさもあるはずだ。
そして、前者の優しさより後者の優しさに親しみと、時に敬意さえ寄せる、言葉だけを弄する勝手で無責任な、私が、いる。

「めめしい」は「女々しい」と書く。反対語は「おおしい・雄々しい、男々しい」。
男のささやかな抵抗?
神(天)は男女の特性が、それぞれにまた一体として活きる共同体を描き、創生した、と思う。
先ず、母系・母権から始めた。やがて人間の哀しい業、利他を言いながらも結局は利己の、“戦い・戦争”が始まり出し、肉体力に勝る父系・父権に移行した。

日本は天照大神を始源とする。
「元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。」と言った、
平塚らいてう(1886年明治19年~1971年昭和46年)を思い起こす人も多いと思う。
では、今、日本で「病人のような蒼白い」女性は、なくなったのだろうか。

川端康成が、ノーベル文学賞受賞スピーチで引用した道元禅師の歌、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり」や古来の“春秋論争”に、太陽と月のそれぞれの美に、日本人と自然を見る私は、らいてうの言葉に、彼女の生の激情と併せて二つの叫びを見る。
女性を隷属する男性への怒りと、それぞれの美をないがしろにすることへの怒り。

このことは、江戸時代が、私にとっては「武士道」よりも「かかあ」が先ず浮かぶことともつながる。
西洋文化圏は、聖書文化からも父性優先世界と思っているが、そこにも近代化=西洋化・西洋に追いつけ追い越せの歪、無理が日本人にはある、と思うのは私だけだろうか。
「かかあ天下」に漂うほのぼのさ。安らぎ。男の勝手と承知しつつも……。
女性の、無限の、自然の愛の深さ。母性。母なくして子は育たぬ。
大地も、大海も、根底に流れる「母」。
「母なる大地」「(今は消えてしまった)海の漢字に込めた“母”」

【参考】

「かかあ天下」は、英語でどういうのか。[『アンカー和英辞典(小学館)』から]

――彼の家はかかあ天下でね。何をするにもまずかみさんに相談してからなんだ。

He’s a real henpecked husband ; he never does anything without asking his wife first. [henpecked husband  恐妻家]

私注:
英語圏文化に精通していないが、ここには「かかあ天下」のほのぼのさはないように思える。
否、ほのぼのなどということ自体が、男性優位発想なのだろうか。

その日本の男女同権度(男女平等度)は、142か国中、104位とのこと。
(因みに、1位はアイスランド。2位から4位は北欧三国。アメリカは20位。9位でアジアでの1位はフィリピン。中国は87位。韓国は117位)

104位、さもありなん、と思う。
何が先進国!?何が世界のリーダー!?何が積極的平和主義国!?……。
先進国とは? リーダーとは? 積極的とは?

男女同権、共同社会を声高に言う今の首相の、立法・行政の要人たちの、言葉の端々、行間に漂う偽善。
しかし、女性の任用の数量的拡大だけで解決するのではない。併行しての無用な男性の、また現社会的で既に活躍している女性の、猛省、更には潔い自覚的撤退の必要を思う。
その物差しこそ能力と人格ではないか。
それを決めるのは高人格の他者である。自薦者の醜態を幾つも見て来た。

以前、職場(インターナショナルスクールとの協働校)を共にした、外国人も含めた同僚から典型的なアメリカ人と言われていた、その親愛の情の豊かさから、多くの生徒に慕われていた男性教員の言葉。

「会議等で、私が、私は、と他人よりちょっとでも先に言う姿に辟易した。疲れる。」と。

そのアメリカ人は日本人女性との結婚に憧れていた。

【備考:その職場での同じ英語圏のアメリカ人・イギリス人・オーストラリア人。カナダ人の関係は、なかなか興味深いものがあった。】

繰り返し教育と社会の価値観の変革の緊要さを思う。
学校教育世界は、地域の、国の社会状況を見事なまでに映し出す。だから教育が変われば社会も変わると言える。その教育を変えるのは、大人であり、特に教師であると痛切な反省、人の振り見て我が振り直せ、から思う。

例えば、海外・帰国子女教育世界。
その家庭を含めた在りようは、時代を反映する。海外在留の大半を占める企業派遣や官庁派遣の実状は、30年前40年前とどのように変わり、そのことで、保護者・子どもの意識はどう変わったのか。
派遣教員の、通信教育の、海外進出塾の実状に変化はないのか。
また、
少子化に伴う主に私学経営からの女子校の、男子校の共学化でどのような変化をもたらしたのか。
「良妻賢母」「強い男」育成を学校目標とする女子校での、男子校での、過去と現在での「良」と「賢」また「強」は違うのか。違うなら、そこにどのような社会意識が反映しているのか。
現代だからこそ女子校の再評価を、との声も聴く。それは、旧来の男観女観の意識変革が動いているととらえることができるのだろうか。

日本社会の方向性、そこに生きる生徒の年齢、地域の、家庭の環境、学校の教育目標の違い等々、多様な現実・現場を無視した抽象的教育論の、それも理想(ロマン)を己が絶対善も併せて語ることの空虚と寂寞そして高慢に気づかない教師や研究者・評論家。

太平洋戦争とその前後の日本の近代化を再確認し、高齢化、長寿化そして少子化の現在を、正の社会的試練ととらえ、付け焼刃的対症療法ではなく、民主主義国家《日本》としての長期的展望と戦略を明示しなくてはならない時を迎えている日本。そこにこそ“専門家”の役割があるのではないか。
それが、今の、内閣・研究者・マスコミが導く姿なのだろうか。
私には、到底そうは思えない。

展望と戦略で思う具体的なことについて少し挙げる。

乳幼児から老人までの福祉の充実、被災地(福島、宮城、岩手等々)復興の加速化、物価高騰に見合う一部大企業や公務員だけではない国民の所得増加、地方再生(創生と言う用語は使い方を間違えている)の裏付けとなる財政、自衛隊の“軍隊”化の経費、等々。

にもかかわらず、平均5000万円前後を掛けて歴代首相最多の外遊をする首相。その必要と成果は?被災地支援以外の海外の資金供与、増税の根拠の過去の施策を覆い隠す言い分、等々。

これらを肯定的に承認するのが良き日本国民、とはあまりに不可解と思うのだが、それは前回書いた。

精神科医で随筆家であった斎藤茂太《1916~2006:和歌史に名を残す歌人にして精神科医斎藤茂吉(1882~1953)の長男で、弟は同じく精神科医で作家(もっとも後年躁鬱病を発し、そんな人間がするのはおかしいと精神科医を廃業)北杜夫(1927~2011)》の、短いエッセー『私の死論は「夫が先に死ぬ」』を思い出した。
世間のことに全くと言って疎い自身を自覚して、妻に先立たれたらどうしよう、との強い不安を仲間と共に日ごろ話している、といった内容である。
いたく共感同意した。

給料をはじめ金銭及び、衣食住一切の管理運営をし、「よくまあこれまで世の中の諸々を知らずして生きて来られたねえ」「今の若い女性ならとっくに離婚だろうねえ」とさらりと言い、私立中高校では稀有な所属校を3度変え、或る時期の2年間、二人の子どもの母として物心苦境に陥っても一切苦言を言わず、先に引用したジョルジュ・ミシュレの言葉「星は女の眼の中にある」を、高低・強弱の抑揚なく淡々と言うカミさんを娶り37年が経つ。

カミさんの星の言葉を一つ挙げる。

これは教師であった私の自己嫌悪と重なるのだが、学校世界の、とりわけ校長をはじめ教師の独善、権威志向、要は私が言う「人格」の真逆が、最高潮に達した定年1年前59歳で、一切退く決意をした時のカミさんの言葉。

「いいよ。何とかなるよ。」

そのカミさんが、娘の、教師が一因となる7年間の苦闘にひたすら向き合い、護り続け、死を経て持つ、教師への激烈な不信と、マスコミ登場する教育研究者、評論家、またマスコミ人の独善と傲慢への痛罵。

娘に先立たれた上に、このカミさんに先立たれたらと思うと、手すりのない吊り橋に立たされた気持ちに襲われ、不眠症的症状を招くことさえある。

かの一休禅師が88歳!で死を迎えたとき、森女(しんじょ)[一休77歳の時からの弟子であり、一休に深く愛された盲目の旅芸人の女性]の膝を枕に「死にとうない」と言った由。
その一休さんの言葉を幾つか引用する。

女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む。

世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり。

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ。

親死に 子死に 孫死に。

大人(たいじん)と小人(しょうじん)の致命的差を承知し、想像を絶するあまりに遠い世界ながら、羨ましく、妬ましく、憧れる、そんな共感を持つ私もいる。

あれこれ思い悩ます第2の人生、老いの“青春”の日々である。

2015年5月13日

私は「非国民」? ――現内閣支持率が今も51%前後あることに訝(いぶか)る69歳の私感――

井嶋 悠

このブログへの投稿を始めて2年が経つ。娘の無念の死の1年後からである。
意志薄弱、無為徒食に生き、今夏古稀を迎える年齢もあってか、続けることに心折れ、消え去ることがままある。
そんなとき「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。」という作家・原民喜の言葉を、原民喜への無礼を承知しつつも、思い起こし自身を励ます。

原民喜は、中高校の国語教科書によく採り上げられる一人で、1905年に生まれ、1951年に自殺した、広島で被爆した気品あふれる作家である。(ひたすらに愛した妻は1944年に病で逝去している。)
その彼に1949年(昭和24年)に発表された『鎮魂歌』という、自身の被爆から生まれた、読む者を引き入れてやまない作品がある。
その一節にある言葉が、しばしば引用される先の言葉である。
前後と併せて引用する。

――恐ろしい日々だった。滅茶苦茶の時だった。僕の足は火の上を走り廻った。水際を走りまわった。
悲しい路を歩きつづけた。ひだるい長い路を歩きつづけた。真暗な長いひだるい悲しい夜の路を歩きとおした。生きるために歩きつづ
けた。生きてゆくことができるのかしらと僕は星空にむかって訊ねてみた。自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ
生きよ。
僕を生かしておいてくれるのはお前たちの嘆きだ。僕を歩かせてゆくのも死んだ人たちの嘆きだ。お前たちは星だった。お前
たちは花だった。――

原民喜に無礼と書いた。
広島被爆の死者・行方不明者73,000人余り。被爆後5年間での死者約20万人の事実を前に、私は娘を追想して、励みとするのだから。
それに、「ために」と私が言うのはおこがましく、偽善的なことは自覚しているから、「自身のために」と思っているのだから。

ただ、私たち親が誇りに思っていた、終生人を疑うことを知らなかった娘が、中学校教師の「イジメ」を端に、高校教師への不信を経て、7年間の心身苦闘の末、2012年、23歳で天上に昇った、そのことで突き付けられた、教師として、親としての自省、自問自答、贖罪と憤怒。娘の不憫。娘の志し、絶対の孤独へのおののきを言うでもなく言っていた娘、それらを合一しての「自身のため」である。

今回もそこからの拙文である。
前にも書いたが、私は一応“京都っ子”の端くれながら、東京に魅かれる一人である。
それは、小学校と20代の放浪地が東京であったこともあるかとは思うが、漫画家で、江戸時代考証家で、随筆家で、更には「そば通」の、46歳で癌のため早逝した杉浦日向子さん(1958年~2005年)に、とりわけ文章に、魅了されたことが大きな背景にある。
その日向子さんを教えてくれたのが、三代続く江戸っ子(新橋)のカミさんである。(因みに、数年前から寝食共にしている我が家・4代目の愛犬の名は「ひなこ」とカミさんが命名した。)
だから、魅かれるのは「東京」ではなく「江戸」である。

江戸時代は士農工商穢多非人の身分階級社会云々、ではなく、日向子さんの描く、貧しくとも心優しくつつましく、己が生をおおらかに楽しむ人々の姿に、現代日本の喪失の寂しさと回帰の願いを見た一人である。
と言っても、「貧すれば鈍す」「貧乏人のひがみ根性」を否定する気はないし、そうかといって「貧にして楽しむ」「貧は士の常」などと諭すつもりもない。
その上での現代日本人の一人の私の「日本、どこへ行く」の思いである。

(私は、30年ほど前、日本の大学に留学していた韓国人学生から聞いた彼ら彼女らにとって[にほん・にっぽん]の響きの違いの説が強く心に残ったこともあり、日本は「にほん」と読む。)

日本は、無条件降伏の太平洋戦争敗北から奇跡の復興を成し遂げた経済(超)大国にして先進国と賞讃されている。
(但し、これについて朝鮮戦争、ベトナム戦争によるアメリカがあっての特需景気であることを横に、すべては日本人の勤勉に帰した言い方が多いが、これは朝鮮・韓国の人々、ベトナムの人々に対して非常に無礼な言い方だと思うし、またアメリカに過剰に恩義を思う必要もない、と思っている。)

その日本、先日、財務省が、全国民一人当たり830万円、総額1053兆3572億円の借金国であると発表した。
総額の数字は、もちろん実感性は全くなく、想像もつかないが、世界各国の国家予算(2012年)によると、1位アメリカ520兆7000億円、2位日本390兆7000億円、3位中国333兆8000億円で、30位があのギリシャで20兆1000億円とのことなので、途方もない借金であることは納得できる。
私は「学」、とりわけ理数系やそれに近い文系の経済等、が苦手で勉強不足も甚だしいので見当はずれを言うのだろうけれど、
テレビ報道で、経済の専門家が「借金なんて全く関係ない」旨の発言を、余裕の笑みで話しているのに接したり、国土的、資源的にも大国の両国と同列に言うのはおかしいとは思うのだが、アメリカも中国も借金大国とのことで、それらの言葉からすれば何ら心配することはないのかもしれない。

しかし、なのだ。

この数字、3人家族とすれば2490万円、5人家族なら4150万円の借金で、
世は物質文明、消費文明華やかに、或いは虚飾に溢れ、
物価は軒並み上がり、しかし所得は一部の人々を除いて現状維持ならまだ良いと慰められ、
中小の企業・商店等は廃業、倒産、転地に追い込まれるところ多く(例えば東京都内の有名商店街では、地代高騰でその地の商店が徐々に消え、大手商店等が流入してきている。いわんや地方では、である)、
今も仮設住宅居住者が約22万人もいる東北大震災と原発事故による地域復興でも、
更には高齢化社会での福祉についても、あたかも責任は国民にあるように財源不足を言い、
税金等公共収入と個人財産精査と把握に躍起になっている現代日本の立法府と行政府の要人たち、そしてその人々を支え、導く専門家たちとそれを喧伝誘導するマスコミ。

ごくごく普通に考えれば、自殺、心中、一家離散大国となってもおかしくない日本。
にもかかわらず、少子化に危機感を募らせ、目先のカネ給付での「産めよ、殖やせよ」に見る、国民をコケにしたかのような短慮。

私が生涯の仕事として33年間携わって来た学校教育(専任教員で奉職した私学中・高校3校は、すべて大学進学を前提とした矜持高い学校であった。これは私の実力とは関係なく、周囲の人々との恵まれた出会いからのものである。念のため。)と二人の子ども親の経験からも、その過酷な教育費の現状はすさまじい。 2012年度の文科省の学習費調査では、例えば私立中学高校から国公立大学進学の場合、約1450万円、私立理系なら約1750万円で、かの東大生の世帯年収は約60%が950万円以上。
かてて加えて、良い進学のために求められる、塾・予備校また家庭教師への学習費、自宅の部屋環境。
一方で広がる、大学の大衆化の負の側面と、それによるますますの有名大学志向と学歴差別の現状。

〔塾・予備校教育については、いかなる小中高校であれ行かずして次の段階への進学なし、が現実で、塾・予備校教育を批判する学校関係者の多くは“丸投げ”状態で、かく言う私も「小論文」以外はその一人であった。(「小論文」と言っても、予備校の上級クラスからすればお笑い草であろう。)
ただ、小中高大、中高大、高大といった形で継続付設し、生徒のほとんどがその大学に進学する学校では、建学等精神に基づいた担当教員・教科の意図、意志による検定教科書や問題集等使わない個性的(ユニーク)な授業が展開されている。もっとも、大学の保守的権威的閉鎖的教員からは、基礎知識がないとの苦情、非難もけっこうあった由。
私が勤務した学校はそのような学校でなかったこともあり、羨ましく思うことがあった。
最初の勤務校は、伝統のある中高大一貫校であったのだが、奉職後10年前後頃から、ほとんど他大学志向となり、内部進学者はごく少数で、時に劣等感さえ持って進学していた。この歪み、屈折も私に考えることを求めた。]

この社会状況が、すべての原因ではないが、しかし、ここ10数年来、先進国中1位の自殺大国の日本。全く関係ないと言えるのかどうか、私には甚だ疑問である。
小学生を含む生徒学生段階の若者の自殺について、若者の精神力の脆弱化を嘆く大人は多いが、カウンセラー配置等の施策そのものが、対症療法の限界と言われ始めていることにつながっているのではないか、
また、
背景には、高齢化・長寿化社会にもかかわらず「18歳人生決定観」は生き続け、社会人での方向転換、再学習が難しい固陋さから抜け切れず、更には「階層」から「階級」指向へさえ見え隠れする虚栄的特権意識化、それともつながる人権意識の低さによる格差化があるように、私には思える。

尚、「階層」「階級」を国語辞典[『現代国語例解国語辞典』小学館]で確認すると、
「階級」《身分、職業、財産などを基準にして考えられる階層》とある。
「階層」と「階級」の決定的違いは【身分】(社会的、出自的序列)にあると言うことだろう。
その日本は、戦後以降「階層社会」と言われる民主国家である。

「日本は曲がり角に在る」と言われて久しい。それは、2011年の東北大地震と福島原発爆発事故で、或る意味限界的頂点に来ているように思える。
その日本のリーダーたる現首相は、放逸な独善者傾向をいや増すばかりで、言葉に誠意は微塵も感じられず、本人の意とは裏腹に?言葉を愚弄化し、人・国民を軽侮しているとしか響かない。
このような人物とは、幾つかの職場で仕事を共にしたので実感で伝わって来る。

独善と愚弄の根拠を二つ挙げる。

一つは、税金の使い方。

先ず、「外遊」の多さ。
2年ほどの期間に、歴代首相第1位で30数回(50ケ国前後)に及び、そのための経費(運航費、人件費等)は、期間や距離によって違うが、平均1回あたり5000万~6000万円(仮に5000万円として30回とすれば約15億円)、そして対外支援総額が6,5兆円で(この額は2014年度消費税分とほぼ同額)、被災地支援は当然のこととして欄外に置いて、支援に「共生」の愛情を直覚させることなく、心ある人はそれを「ばらまき」と言う。もちろんその心の有無とは関係なく私も。

この実状を知るための資料の一つに、衆議院議員からの質問へ首相名答弁書(2014年2月)がある。
実に慎重な?言い回し(政治家、役所の表現法?)の回答の中、次のように書かれている。

――……我が国の安全と繁栄の維持・強化、二国間関係の発展、国際社会の平和と繁栄の確保に向けて指導力を発揮していくことは、大きな意義があると考えられる。――

それぞれの抽象語の具体的内容や具体的成果の検討なしに漫然と読めば、もっともな文章だが実に虚しく思うのは、私だけだろうか。

例えば、盲目的偏愛のアメリカ追従にあって、オバマ大統領の【TPP】に係るアメリカ国民を前にした演説(農産物、畜産物の輸出拡大の約束)を、日本の農業、畜産業等団体からの嘆願書を承知したと言った首相は、どう聞いているのだろうか。
「政治(家)ゲーム」で、お互いに主張することで“落としどころ”を模索する一つの手、ということなのだろうか。

もう一つは、平和観。

現憲法は、占領下での、素人が短期間に作成したものと断じ、“強い”日本のための自主憲法制定をもくろむ。占領の核はアメリカであったのだが。
日米盟友の具体的証しをアメリカから求められたこともあるのだろう、「我が国を取り巻く危機的状況」を言い、「集団的自衛権」成立を急ぐ。
そこには、中国の、韓国の、ロシアの、尖閣、竹島、千島問題を糸口にしたそれぞれの国の具体的脅威の戦略を、また北朝鮮の、はたまたアラブ圏等の日本への具体的脅威情報を、客観的に把握しているのでは、とも憶測を働かせてしまう。
戦争は永遠になくなることのない人の業なのか、世界は、日本は、それほどに危機的状況に在ると言うことなのだろうか。
そうなら、日本(人)はその危機的状況に向かわせた一員なのかどうか、謙虚に自問しているだろうか。

それらともつながっているように私には感ぜられる、自民党要職にある二人の女性国会議員の、日本でのネオナチズム日本人リーダーとのツーショット事件の放置に見る怖ろしさ。

先日の5月3日憲法記念日の集会の一つで、ノーベル文学賞受賞者の80歳を迎えた大江健三郎さんは、
決して人の名を呼び捨てにしない温厚篤実な紳士にもかかわらず、何度も現首相の姓を呼び捨てにしてスピーチをしたとか。
よほど腹に据えかねていたのだろう。
この「世界人」の思いを首相はどう受け止めたのだろう?私は、日本の言霊観を、これも自省を込めて大切にしたく思う一人なので、とりわけ「人の名」を言うことには深謀遠慮を可能な限り働かせている。だから、唖然呆然とする現首相の姓名を言うことは忌避している。

いささか悪態が過ぎたかもしれない。
しかし、私の生と自省から発した言葉である。

「グループ一九八四年」という学者集団(一説では、当時学習院大学教授であった香山健一、一人とも)の著になる『日本の自殺』という本がある。
雑誌『文芸春秋』1975年2月号に発表され、当時大きな反響を呼び、3年前の2012年、解説等を付け加えて新書版で刊行されたものである。なぜ今再刊されたのか、我田引水を承知で私の悪態と一部つながる論説もあり意を強くしている。

現首相は読んだのだろうか。
読んだとすれば、さぞかし自分がその救世主だ、と確信しているのだろう……。

 

 

 

2015年5月11日

中国たより  (2015年5月) 『青島余聞』

商社マンの井上 邦久氏の、『上海たより』『北京たより』の定期的転載投稿を
楽しみにしておられるこのブログの読者は多いですが、
今回からより視野を広げて標題を『中国たより』に変更されました。
一層楽しみが増えそうです。
その第1回は青島の「たより」です。     (井嶋)

井上 邦久

1989年から1992年の山東省青島市に駐在しました。北京の化学品部門との兼務でした。毎週の北京への移動には夜行列車を多く利用しました。航空便も週に何便か就航していましたが、軍用飛行場と同居しているせいか、機材が乏しい時代だったせいか、単機千里を走り各地を転々として青島に立ち寄る便は、大幅な遅延が常態化していました。
チェックインカウンターの黒板に手書きで四文字「没有時間」と書かれると持久戦の気分になりました。「時間がない→いつ来るか分からない→今夜は来ないかも知れない」と読解するわけです。文庫本とウォークマンと甘納豆が殺風景な待合室での三種の神器でした。
それならば、約束事が目的地にある時は特に、平均速度が時速百キロ以下で済南など途中駅での停車時間も長いけれど、確実に目的地に向かう夜行列車を選びました。業務を終えた夕方に青島駅から乗車して12時間から14時間で朝の北京に到着です。

父親がインシュリン注射後に倒れて昏睡状態になった時、1ヵ月後に危篤続いて葬儀の相談の電話が届いた時、前者は夜行列車で、後者は飛行機で北京に向かいました。日本人居留者が20人、日本への直行便がなかった頃のことです。

その青島の地下鉄工事が大幅に遅れています。
地下鉄駅近くに建設された高級ホテルやマンションは玄関口で工事が続けられて大誤算でしょう。当社の事務所のスタッフにも、あと1年以上はバス通勤をしてもらうことになりそうです。想定以上に岩盤が固い難工事なのか?予算管理が軟らか過ぎたのか?理由は不詳です。

3月末までに終わらなかった監査の為に、4月に入ってから青島に出張しました。監査講評のあと邦銀支店を訪ね、旧知の副支店長との定点観測のような会話。
今年は日本人学校の生徒数を質問しました。

「70人を切りました。月謝は5,000元にまで上がりました」。意図を汲んで日本円換算で10万円の月謝は世界の日本人学校で一番高いことも教えてくれました。
中国経済の成長期、日本からの進出が旺盛な時期に、300人の生徒数を見込んで建てられた立派な校舎、その借入金返済や教師招聘費用などの負担が大変であることは、昨春の全国日本商会総会でも報告され衝撃を与えました。
その折には、世界で三番目の高額月謝であること、駐在員子弟の教育費を全額負担してくれる恵まれた企業ばかりではなく、ましてや自営業の子弟に於いておや、という議論でした。
インターナショナルスクール或いは地元の学校で学ぶか、更には家族を日本に残して単身赴任の選択をするかの切実な問題が、青島に典型として表れています。

もう一つの話題は、ゴルフ場の閉鎖命令問題です。
数年前からの新規建設認可を下ろさない政策は、高級ホテルや大型分譲住宅にゴルフコースを併設させるという対策で潜り抜けられてきました。それが昨年の夏くらいから、環境保全と違法建設取締りという当局の方針が打ち出され、閉鎖命令が為されたゴルフ場も出てきたということです。当然、高額な会員権は紙切れ同然になるのは必至なので、円安で見かけ上は膨らんだ価値を評価替えしなければならないという話を聞きました。

本件は全国各地での運用がどうなっているのかの調査ができておらず何とも言えません。環境保全については、列島改造が進んだ頃の日本でも、保水力低下や農薬被害、更には生態系や地域集落社会への影響などが問題にされました。ただ、今回の中国では公務員のゴルフ禁止令が出てから、当局の締め付けが厳しくなったという穿ったコメントもありますから、ローカルルールの把握が必要でしょう。
1989年6月までは、北京北郊の十三陵ゴルフ場で何度か遊んだことがあります。
クラブハウスに掲げられた名誉会員のプレートの最上段に、時の首相でゴルフ好きだった趙紫陽氏の名前があったことを思い出します。

その後、上海動物園前でのタクシー同士の追突事故で歯を三本無くし、左手の握力が60%減となる頚椎症のためゴルフはドクターストップ、ついでに車の運転も控える前のことです。そろそろピアノの練習などで遅まきながらのリハビリをしたいと思っています。

青島の小学校校長の三男として、1931年に生まれた中村八大の家にはグランドピアノがあったことが、自伝的な書物の『ぼく達はこの星で出会った』黒柳徹子・永六輔編(講談社)に載せられた天井の高い応接間でピアノに向かう写真で分かります。
ポーランド生まれのユダヤ系ドイツ人のヘルス先生に、中村八大はクラッシック音楽の美の片鱗を教わりました。ある日、日本将校(「商工」の誤記ではありません)倶楽部で、「敵性外国人」ヘルス先生が即興で弾いた「荒城の月」と「さくらさくら」の大変奏曲が、軍人を含めた聴衆、そして八大少年に感動を与えたとのこと。この青島時代の体験が、早稲田大学時代から頭角を現し、ジャズピアノのスターへの路に繋がったようです。
その後、永六輔・坂本九との6・8・9トリオによる「上を向いて歩こう」などの名曲や、ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」、西田佐知子「故郷のように」などの曲は、従来の粘着型歌謡曲とは異なる、ちょっと乾いた音楽の世界を拡げてくれたと感じています。

お名前の「八大」は東洋のニースとも呼ばれた青島の海岸線のなかでも、有数の景勝地、別荘地である「八大関」の地名にちなんで名付けられたのではないか?と思いつき、副支店長にも伝えたのですが、上述の著書の「父を想う」という一節に以下の文章があり、ご本人が別の説明をしています。

・・・三人の男の子の名前に、親父は二大(じだい)、又大(ゆうだい)、八大(はちだい)とすべて大の字をつけた。長男なのに何故「二」としたのか。「トップにはなるな、二番目でいけ。二番目でトップの人を助けなさい」というのが、親父の思想だった。謙譲の美徳を身につけさせたかったのだろう。又大、八大となると、字画を五にするためと、末広がりの意味をもたせたらしい・・・

京都人が「先のいくさ」と言えば「応仁の乱」であると言われると何を大げさな、と思ってしまいそうですが、古い商家に生まれ、祇園祭には稚児として山車に登ったという高校時代の友人から、「うちは先のいくさの時に伊勢へ逃げたのが響いて、町内でのランクが低い」と聞いたことがあります。
今の日本の政治家が「先の大戦」と言えば、第二次世界大戦を意味するのでしょうが、ヨーロッパで単に「大戦」と言えば、第一次世界大戦を指すのがむしろ一般的である、ということから説き起こす奈良岡聡智の著作『「八月の砲声」を聞いた日本人 第一次大戦と植村尚浩「ドイツ幽閉記」』には、1914年8月に勃発した第一次世界大戦直下のドイツに在住した800名近い日本人(重光葵、河上肇、小泉信三など後に著名になる人たち。医学関係者が圧倒的に多く、続いて林銃十郎、寺内寿一、梅津美治郎、永田鉄山らの軍人たち。意外だったのは曾我廼家五郎、伊藤道郎らの有名無名の芸人・ダンサー・軽業師の多さ)について書かれています。
1914年8月23日に日本がドイツに宣戦布告するまでの経緯も興味深く読みました。

欧州での火事場のどさくさに紛れて、9月2日に陸軍は山東半島への上陸、11月9日に青島のドイツ軍を降伏させています。(山口県徳山小学校の映画鑑賞会で観た東宝映画、佐藤允主演の『青島要塞爆撃命令』によって青島という地名を知りました)。並行して海軍は10月7日にパラオ島、10月中旬までにトラック島、サイパン島などのドイツ領南洋諸島を占領しています。

その後、中国に対して山東省におけるドイツ権益の継承など二十一項目の要求を突きつけ、1915年5月9日に受諾させました。この「対華二十一カ条要求」は、アヘン戦争から始まる中国への諸外国からの軍事圧力、権益拡大が「反英」「反独」などから、一気に「反日」に集約される契機となり、現在でも5月9日は「国恥記念日」として語り継がれて、今年で100年になります。

折しも、北京支局駐在だった吉岡桂子記者(今は偉くなって論説委員)による、奈良岡聡智教授の新著『対華二十一カ条要求とはなんだったのか 第一次大戦と日中対立の原点』への書評が好意的でした。市民からの購入貸出の要請にノーと言わない図書館に向かいました。
その自転車での往還に、昨秋までの水田が掘り起こされ、「秋普請穂積の里の稲田消え」と残念に思っていた所を通りました。春までに瀟洒な住宅となり、人も住み、その一角にはハナミズキが植えられていて、樹木説明の札には日本に渡来したのは1915年であると書かれていました。
黒船来航のあとの日米修好条約から50周年の記念に、日本から米国に届けた櫻はワシントンのポトマック河畔に植えられ、春の風物詩になっているようです。米国からはハナミズキが贈られ、今では普通の樹木として日本各地に根を張っています。

記念樹交換から100年、櫻とハナミズキの記念切手で祝うくらいの普通の関係で良いと思います。               (了)