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2017年10月28日

中華街たより(2017年10月) 『ボストン余聞』

井上 邦久

【ブログ編集者・井嶋からのお詫び】

―井上氏のブログを楽しみにされている方々があることは以前から承知していますが、私(井嶋)の私事情から10月の玉稿の公開が今日に到ってしまいました。何卒、ご海容ください。
尚、読者の多くの方々にとっては自明なことで、私の浅薄さの露出との蛇足になりますが、筆者が文中で紹介されています、アンドリュー・ワイエスの記事でのインターネットアドレスは必ず開かれ、東アジアに生を受け、現代国際社会で生をつなぎ、且つアメリカの風土と文化に関心を寄せる方は、自照、想像への必見の記事かと思います。―(井嶋)

 

この夏はボストンで家事を優先、その合間に天気と脚部の調子に従って町歩きをしました。これまでの生活に比べると、かなり引き篭もり気味であり、しかもそれを善しとして暮らしました。家事優先の使命に区切りがついて、自分優先の条件が揃ってからは、引き篭もりの反動で飛び跳ね、回遊する生活に戻りました。

長年ニューヨークに住むS夫妻から、夏休みをボストンで過ごすので好きな処へ一緒にドライブしましょうという有難い提案があり、
アマースト行きをお願いしました。エミリー・ディキンソンの生家を訪ね、町の風情を感じるのが目的でした。1886年に亡くなるまでの人生のほとんどをアマーストで過ごし、そしてそのほとんどを自宅敷地内で過ごした女性。亡くなった後に自室から整理された1800編余りの詩が発見され、詩集として出版されると、伝説化された生涯と思索的な詩で有名になり、アメリカを代表する詩人として位置付けられています。

年明けから、随分賑やかで饒舌で詩的でない言説が飛び交う印象が強かったアメリカ。
静かで寡黙で詩的な隠喩に満ちたディキンソンの作品『対訳 ディキンソン詩集』(岩波文庫)を手にしました。亀井俊介氏の訳と脚注で何とか雰囲気だけは感じ取りました。説明的に語り過ぎない処が読者に想像を誘う力となるという点が俳句に通じないかなと思った程度。ただただ浅い認識でした。

ボストンから西へ100キロ余り、高速道路から離れて光と緑の豊かなマサチューセッツの地道を寡黙なS氏の運転で進みました。途中、「道の駅」のような施設で簡単なランチを摂り、地元のメイプルシロップを土産に買いました。
アマーストは可愛い町でした。新島譲が留学し、クラーク博士を送り出した大学が有名です。独立戦争のあと、産業発展に伴い世俗化するボストンそしてハーバード大学を是としない人たちの手で創設された学校であり、ディキンソンの父親も建学に貢献した名士でした。市役所から古い本屋の角を曲がって徒歩5分くらいの場所に生家があり、何棟かの建屋と庭が拡がっていました。「外出しなかった」という伝説を日本のウサギ小屋感覚で信奉してはいけません。兵庫県龍野の伏見屋商店のような趣のある本屋で地元出版のディキンソン関連本を買って帰りました。町と生家の空気とアマーストから海や街までの距離を体感できました。

同じ亀井俊介氏の対訳『アメリカ名詩選』(岩波文庫)は過去何冊か買っては歯が立たず、その都度米国に縁の深い方々に引き取って貰っていました。名詩選にはもちろんディキンソンの詩も選ばれていますが、特段の印象は残っていません。文庫のカバーに使われている絵が、アンドリュー・ワイエスの「クリスチーナの世界」であったので、それが嬉しくて買っていたかも知れません。

今年は、そのアンドリュー・ワイエスの生誕100年目に当たり、生家のペンシルベニア州チャズフォードや、夏場の制作拠点だったメイン州ロックランドの美術館で特別展が開かれました。日本からも何点かの作品が、高橋秀治氏(愛知県美術館→岐阜県現代陶磁美術館館長)を介して里帰りをしたそうです。
ボストン空港で体重測定と荷物重量測定をしてから搭乗券の発券、10人乗れば満席の小型飛行機の前で点呼を受けてから、重量バランスを見極めた座席が指示されます。
高橋さんからメイン州訪問のイロハを教わった時の一節、「ボストンからのフライトはスリリングです」の警句が甦りました。コペンハーゲンから対岸のスウェーデンへの海峡越えで乗ることになったヘリコプターの次に小さい飛行物体での体験となりました。

「クリスチーナの世界」の舞台のオルソンハウス、クリスチーナの墓、そしてまだ新しいアンドリュー・ワイエスの簡素な墓など・・・20代半ばでその存在を知り、今でも躊躇するような値段の画集を買って貰い、当時は秩父や神戸などで展示されていたアンドリュー・ワイエスの作品を訪ね歩いていました。

バブル経済崩壊後、潮が引くように作品群はアメリカに安値で買い戻され、時流に流されずに維持されているのは福島県立美術館と埼玉県朝霞市の丸沼芸術の森のみです。
その福島県立美術館で2009年冬に開かれたシンポジウムの講師が愛知県美術館副館長だった高橋秀治さんでした。それより前にニューヨークの近代美術館(MoMA)で「クリスチーナの世界」を観た時に長年の夢が叶ったと思っていましたが、高橋さんから画家一家や大切なモデルとなったヘルガの近況を聴かせてもらう内に、いつかはメイン州のオルソンハウスへ行きたいと思うようになりました。しかし、行きたいと思えども、米国最北のメイン州は遠く、見果てぬ夢のままでした。
今回その土地に立てた感動は大きく、脚部手術を成功に導いてくれた主治医に感謝しながら、オルソンハウスの三階までの階段を踏みしめました。

 

日本では予想もしなかった静かなブームが起こっていました。
『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン(A Quiet Passion)』という映画が封切られ、画像のほとんどはディキンスン邸の中のシーンであり、しかもそれはアマーストの生家で撮影されたことが売りになっています。また現代詩手帖8月号は100頁近い大特集で書店では売り切れ状態。一方、日曜美術館ではアンドリュー・ワイエスの特集が組まれ、ゲストに高橋秀治さんが出演されました。

http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/279257.html

高橋さんの著作『アンドリュー・ワイエス作品集』(東京美術)が9月1日に初版発行されました。ワイエス家三代への独自の分析は卓見に溢れていますので、好評増刷は必至でしょう。
最後に文化人類学者の渡辺靖氏が書かれた文章の一節を引用させてもらいます。(2017年3月25日朝日新聞)
・・・思うに私の中には「簡素さの美学」に惹かれる自分がいる。単に冗長で虚飾をまとっているだけの本。そんな本に出くわした時、私は書棚からディキンソンやフロストを手に取る。
そして、私の中には「内省的な米国」に惹かれる自分もいる。目先の便宜のために自らの理想を蔑ろにする米国。真実を貶めることを厭わない米国。そんな米国に出くわした時、私は書棚からディキンソンやフロストを手に取るのである。                              (了)