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2018年7月15日

俗人・俗物・脱俗・反俗―『日韓・アジア教育文化センター』の今後と併せて―

井嶋 悠

日本の辞書は欧米の辞書と較べて“無個性”と聞いたことがあるが、そうでもないように思う。
私が自分の俗物さから何とか脱け出したいと痛覚して何年が経つだろうか。そこにも娘の死が、娘自身の、とりわけ死に到る数年間の母と娘の、苦闘が見え隠れする。

「俗物」の字義を確認した。辞書は『新明解国語辞典 第5版』(金田一 京助他・三省堂)である。

俗物:「俗人」を、さらにけいべつしていう言い方、とある。

そこで「俗人」を確認してみた。いささか長いが写す。

  1. 高遠な理想を持たず、すべての人を金持ちと貧乏人、知名な人とそうでない人とに分け、自分はなんとかして前者になりたいと、そればかりを人生の目標にして暮らす(努力する)人。
  2. 天下国家の問題、人生いかに生きるべきかということに関心が無く、人のうわさや異性の話ばかりする人。
  3. 高尚な趣味や芸術などに関心を持たない人。」

どうだろう?なかなかの激しさではないか。

この字義からすれば現在の世相に思い到らざるを得ない。①での[勝ち組・負け組]発想。②での統治者側の思惑にいつしか埋没してしまう危険性。ただ、③については、「高尚な」との形容語に少々抵抗もあって、趣味や芸術は個人の好み[感性]領域でそこまで立ち入るのは過ぎているように思える。

その私自身については、この字義で言えば、俗人であっても俗物ではない、と一応言える。一応とした俗物ではない根拠は以下である。
人間を、財力や知名度で高低をつける発想は持たないし、政治がその国、地域にとっていかに重要な事かは言うまでもないことは承知している。しかし、少なくとも私は、その政治の世界を思い描くとき、おどろおどろしいそれも油ぎった人間世界を感ずる。またそう感ずる人が、多いのも事実である。

芥川 龍之介の愛読書の一つであった、19世紀のアメリカの作家・アンブローズ・ビアスの著『悪魔の辞典』では、政治は次のように定義されている。

政治:主義主張の争いという美名の影に正体を隠している利害関係の衝突。私の利益のために国事を運営すること。

日々の生活に、生そのものにプラスであれマイナスであれ覆い掛かって来る政治は、世の東西を問わず、やはり胡散臭いようだ。なぜか。答えは簡単だ。人間が、それも強大な権力を持った人間が、執り行うからである。古代から東西で「哲人政治」が言われ続けられている由縁でもある。

日本の現首相は、世論調査の結果とは裏腹に、支持政党なしの中高年主婦層からどれほどに拒否反応を持たれているか、承知しているのだろうか。少なくとも私が知るその人たちは、彼が画面に出てきたら直ぐにチャンネルを替えると公言している。なぜそこまでに到っているか。一例を挙げる。

首相の外遊(海外渡航外交)の頻度は、歴代首相の中で突出し、今では心の病とさえ指摘する人もある。外国(海外)に行くことでの権力者たる自己への陶酔。
2年前(2016年)、当時衆議院議員であった井坂信彦氏(国民民主党)は、首相に対し「安倍内閣総理大臣の就任以来の外遊旅費に関する質問主意書」なるものを提出し、以下の質問を行い、首相は衆議院議長に対し回答している。

一 二〇一二年十二月二十六日に第二次安倍政権が発足し、安倍晋三首相就任以来、本年五月の現在に至るまで、安倍首相は何回、外遊をしたのか。
二 二〇一二年十二月二十六日に第二次安倍政権が発足し、安倍晋三首相が就任して以来、決算・精算が終了している範囲で、安倍首相の外遊は何回か。また、その総額はいくらか。
三 一回あたりの外遊経費で最高額はいくらか。また該当する外遊の日付、訪問先を明示されたい。
四 外遊先、外遊日数、随行人数について、詳細な説明を求める。
五 外遊に使用した政府専用機の費用は、燃料費、人件費を含めいくらか。
六 首相が外遊する際に、ホテル代の規定はあるか。これまでの外遊で一泊当たりの最高宿泊額はいくらか。また、該当する宿泊先の日付、宿泊地、ホテル名を明示されたい。
七 首相が外遊する際に、節約の工夫は何かなされているか。
八 首相の外遊経費の適正性について、政府の見解を求める。

【回答要旨】
一、41回
二、決算、精算が終了している40回分で、約87億7400万円
三、1回あたりの最高経費については、回答困難として無回答
四、92ヶ国、1地域、滞在日数は総計204日間、随行人数は延べ4,643人
五、約48億7,600万円
六、警備上等々諸般の理由から回答困難
七、真に必要な同行者の調整、宿舎等経費の節減等々
八、(回答から引用)「我が国国益を確保するとともに、国際社会の平和と安定、繁栄に寄与すべく指導力を発揮することには大きな意義があり、内閣総理大臣の外国訪問経費は適正であったと考える。」

現在、上記から2年経ち、アメリカ大統領への阿諛(あゆ)追従(ついしょう)外交等々、病状は悪化の一途なので、経費等は更に増え、使用経費は100億円に達しているのではないか。それらは国民の税金である。血税の濫費。 これらは国民周知のことなのか、限られた時だけにしか新聞を読まなくなった私が知らないだけなのか。
それは措いて、どれほどの国益が上がったのか、どのような指導力を発揮し、具体的にどのような成果を為し得たのか、一方で深刻化する高齢化福祉の貧しさ、子どもの貧困、諸物価の高騰、また目前に迫る消費税増税、増税分使用内容への消えない不信、財源不足を理由にしての××税等の引き上げ、徴収、豊潤な自然≒自然災害国、での復興遅延、原発問題、更には驚天動地としか思えない日本型?カジノを含む統合型リゾート施策賛成の多数政治家……、
先の主婦たちの憤りに大いに同意得心する私。

国会での、記者会見での、概念的で、力を入れれば入れるほどに虚しく響く、自身の言葉として響かない美辞麗句、時系列も含め統一性のない言葉群、薄ら笑いを浮かべての揚げ足取りでの権勢誇示姿勢。
(7月10日、今回の外遊を中止する旨発表があった。功利プンプンの臭いをどう受け止めるか。あまりにも病巣が深すぎる。)
この拙稿を終えようとしている時に、首相や大臣経験者等約50人の自民党幹部政治家の、中国・四国・九州地方の昨年、一昨年に続く甚大自然災害時での、酒宴と得々とした集合写真のネット公開を知った。かてて加えて、国を動かす大人としての深謀遠慮皆無の言い訳謝罪。
このような人たちに、教育を、福祉を、暮らしと生を委ねている私たち。得も言われぬ恐怖と嫌悪。

なぜ、そのような人が引き続き一国の最高権力者首相として支持されるのか、私には全く分からない。 人間が持つ、変わることへの不安不明という保守性かとも思えるが、それで良いのかどうか。
或る人曰く「ああいうのを上に置いておくと仕事がやりやすいからだろっ!」

高尚な?趣味(ゴルフ?)を吹聴し、アメリカ大統領の就任式前に世界に先駆けて出掛け、それを顕示する浅はかさ、家柄の良い生来の金持ち、名誉も地位も誕生来保証された、にもかかわらず哲人性とは全く無縁の人物。このような人物をして俗物と言うのではないか。辞典監修者も苦笑するに違いない…。小学校(幼稚園)から大学までどのような教育を受け、どのような教師に出会い、そのときどきで何を学び、どんな自己啓発をしたのか、元教師職としてはつい思う。
その人が、その人を支える政治家、官僚、学者等が、旧弊の価値観を、意識的なのか無意識的なのか、前提にして労働や教育について改革を唱え、時に時間を最優先に結果ありきの強引さで成立へと向かう。
或る自民党議員がテレビカメラを前にして言っていた。「どこの国、世界でも、5年も経てば権力は腐る」と。現首相の三選に向けて、支持派閥の幹部が「支持しなければ冷遇する」と言ったとか言わなかったとか。恐怖政治?
何ともおどろおどろしい政治の世界。
しかし、政治の世界だけではない。私が体験した学校世界も同じである……。何人もの権力指向の強い教師(それも聖職者意識の強い)を見、私は教職・教師です、とは素直に言えない屈折している自身がいた。もっとも、闘争から逃げていた言い訳に過ぎないと言われればそこで終わるが。

所詮“ごまめの歯ぎしり”、態よく言えば“太平洋に一石を投ず”。その小石は直ぐに波に呑まれ沈み行方は誰も知らない。
長く醜(みにく)い閑話!休題。

そもそも「俗」とは一体何なのか。これは二つの辞書で確認してみた。
一つは、『常用字解』(白川 静)一つは、『漢語新辞典』(鎌田 正他・大修館書店)

前者にはこうある。

【祖先を祭る廟の中に、神への祈り文である祝詞を入れる器を供えて祈り、かすかに現われた神の姿を見たいと思うことを欲するという。このような一般的な信仰や儀礼のありかたを俗といい、「ならわし、世のならい、世のつね、世のなみのこと」の意味に用いる。また「いやしい、ひくい」の意味にも用いる】とあり、

後者には、「人が谷のように限られた型の中にいる、ならわしの意味を表わす」とある。

前者には、「また」以下については、それまでとのつながりが私の頭ではしっくり来ず、後者はあの《井の中の蛙大海を知らず》を思うぐらいで、「俗人」とは、「平々凡々、五慾に煩悶する人間らしい人間」と考え納得している。

加えて、俗の反対語は「聖」ではなく「雅」で、俗人の反対語は「僧侶・仙人・雅人」とあり、そうかと思う。[『反対語対照語辞典』(東京堂出版)より]
「凡俗」や「平凡こそ非凡」との言葉が通り過ぎて行く。俗人が憧憬する?雅人の世界(観)[利益打算に陥ることなく、個の創意を大切に泰然と過ごす生き方、世界]。離俗、脱俗、超俗あるいは反俗……。

ふと「風俗」の二つの意味・用法[風俗・フーゾク]に、「虚実皮膜」に似た独特な着眼を、何の脈略もなく思ったりする。

「聖と俗」という言葉に何度か接したことはあった。20世紀の西洋の著名な宗教学者であるエリアーデの代表的書名であると言うクイズ的知識も含め。それを、無宗教の私は、単純に宗教性と非宗教性と何となく思っていたが、そうではなく、俗である人間の内にあるもう一つの側面すなわち「聖」の、二つの側面を示していることに気づかされるようになった。

それは、一つに、「聖」との漢字の成り立ちが、神の言葉「口」、それを聞こうとする「耳」、人が背伸びしている姿「壬」、人が神の言葉に耳そばだてている姿を表わすが「聖」でることを知ったこと。

もう一つに、詩人の富岡 多恵子さん(1933年~)のエッセイ、伊勢参りとその近くにあった遊郭古市のことを書いた『聖と俗の間(あい)の山』を読んだこと。
その一節にはこう書かれてある。

――古市の遊郭は、神参りした旅人の、もうひとつの目的となっていた。聖地から坂をのぼった丘の上に、俗なる区域があった。聖から俗へが下降ではなく、上昇してたどりつくのはおもしろいことである。ところで、たいていの聖地が遊郭とセットになっているのは、どうやら人間が聖だけでも俗だけでも暮らしていけぬものらしいのが読み取れる。――(注:内宮外宮の間の山という意味から坂を「間の山」と呼んだとの由。)

だから、俗の反対語(対義語)は聖ではなく雅なのかと。俗人が、優雅で風流の境地に達する人・雅人と言う別人に化する。しかし俗と聖は、同じ一人の中に常時並行し、時に葛藤して在る。 江戸時代、吉原、島原、新町の政府(幕府)公認の遊郭をはじめ様々な形態の遊女と男の世界。そこに身を置く遊女の苛酷な、そして絢爛の世界。「悪所」。その場所に男が行くことは自然、当然とされた世。私がその時代に生まれていたらどうだっただろう?現代意識から想像するのではなく。
父性(男性ではなく)の俗と母性(女性ではなく)の俗に思い及び、後者あっての前者で逆はない、とまた想いながら、「反俗」や「超俗」の強さは十分に自身の中で熟してはいないが、少しでも俗から遠ざかる「脱俗」への志向。

後何年、観、聴き、読みまた書く動機を持ち得られるのか、と定期的に通院する病院で見かける70代、80代、更には90代の重篤な人々の、諦めを漂わせた苛立ち、寂しげな表情に遭い、明日の我が身を想い来月73歳を迎える。

「反俗」の」用法を調べていたら、[反俗の類語・関連語・連想される言葉]として190語あまり並べてある一覧があった。そこには、「反共」「反日」や「精神性の高い」「耽美的な」といった言葉もあったが、これまでのそして今の私の心に滑らかに入る語は次のような語であった。

「媚びをうらない」「おもねらない」「距離を置く」「なれ合わない」

『日韓・アジア教育文化センター』の活動、NPO法人として、当時内閣府から認証され15年が経ち、様々な企画、実践を試み、多くの出会いを持ち得た。しかし、10年前に私が栃木県に転居(移住)したこと、その間の私及び周辺での変動から、幾つもの難問に遭遇して来ていて、先日も現在の所管である栃木県庁に出向き、意見を聞く機会を持った。

私たちの今後の在り方について、膨大な数に達しているNPO法人の一つとして公共性を意識し継続するのか、そこから離れもっと自由に“個”の展開の可能性を探るのか、それとも終止符を打つのか、或いは別のアイデアがあり得るのか、今月末、韓国の代表者であり友人でもある朴 且煥(パク チャファン)氏が、東京に来るので、東京在住の私たちの良き理解者である日本人日本語教育教師と共に意見交換をしたく思っている。

 

 

2018年7月15日

中華街たより(2018年7月) 『幸存者』

井上 邦久

6月18日の朝、いつもの08時02分発の京都方面行き快速電車に乗り込もうと自転車置き場からJR茨木駅の階段へ急ぎました。上り切って改札に向かおうとした時に直下から大きな振動があり、駅員が「態勢を低く保ってください」と叫び、それでもホームに向かおうとする人に「改札に入らないでください。電車は動きません」と指示していました。地震発生の07時58分からの数分間をとても長く感じました。上り切った「直後」、乗り込む「直前」で幸運だったと後日、複数の人に言われました。

7月3日は九州の大学へ特任講師として出向く予定でしたが、台風直撃の予報確度が高まる中で待機していました。
最終的に当日の朝に休講となり、地震に続いて携帯メールの漢字変換機能は「きゅうこう」と綴ると「休講」が一番に出てくる状態になりました。その後、大雨や交通機関の混乱が続きました。
大阪中華学校で戦後秘話を聴かせてもらえましたが、御礼の冊子は濡れてしまいました。
佛教大学四条センターで予定されていた清水稔先生による太平天国についての講義もまた休講になりました。

同じ日、雨合羽姿の保険会社の検査員が来宅、家屋の状態を丁寧に調べて「一部損壊」という判断をして請求書類を置いて帰りました。近所にもブルーシートを覆せた家がある中で、連日の大雨にもかかわらず雨漏りが無かったのが幸いでした。
日本での災害や事件へ欠かさず見舞いメールを届けてくれるイタリアの友人には心配を掛けない程度に事実を伝えました。しかし広島の知人から深夜に届いた「70㎝の浸水。断水」という事実だけの短い報せに重い想像を掻き立てられます。

富士山の景観や温泉を楽しむからには地震は覚悟し、自然エネルギーが増幅する一方の天象への冷静な洞察と愚直な備え、そして一定の諦念が必要だと改めて思います。

そんな日々のなか、タイ北部の洞窟に閉じ込められた青年や少年の救出を祈りました。そして、北京から届く女性詩人の動向を注視していました。理由は異なりますが共に真昼の暗黒の中に置かれた人たちでした。

『季刊 三田文学』2017年秋季号 特集「主張するアジア」

『詩集 毒薬』より「無題―谷川俊太郎にならいて」

『朝日新聞 2018年6月12日』 谷川俊太郎の返歌

『日本経済新聞2018年6月25日』阿刀田高「私の履歴書」

『詩集 独り大海原に向かって』「鎮魂歌ほか」

この半年、雑誌・新聞そして詩集(ともに福岡市に本社を置く書肆侃侃房社・田島安江代表発行)を読むにつけ、詩人の心身の容態を危惧してきました。

7月11日の朝刊に「友の祈り届いた」という大きな活字の脇に「タイ洞窟・全員救助」、そしてその横にドイツに向けて「脱出」した詩人の写真が掲載されていました。

7月13日は、詩人の亡夫の一周忌であります。
(了)

※2010年国際ペン大会の主宰者代表として阿刀田高氏は、
「有効なことはなにもできなかった」とし、未亡人の身を案じて「私たちの心は重く、苦しい」と書いている。

※谷川俊太郎の返歌の最終段は「君のまだ死なない場所と私のまだ死んでいない場所は 沈黙の音楽に満ちて同じ一つの宇宙の中にある」と丸ごと包み込んでいる。