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2019年9月23日

自殺は哀しい・・・・・

+井嶋 悠

自殺は哀しい。しかしヒトが社会を構成している限り、自殺が無くなることはない。 自殺は人間だけの、生きると言う苦行[憂き世]での課題の一つである。

こんな言葉に出会った。19世紀から20世紀にかけての、フランスの社会学者デュルケームの『自殺論』に係る啓蒙書にあった一節である。(筆者は宮島 喬氏)

「自殺は、それ自体で病的なものともいえない。むしろ、日常のわれわれの行動とある場合には、類似したものであり、ある場合には内通したものである。」

そしてこの考え方を、社会的、道徳的な視点でとらえ、そのことから社会的、道徳的動物である人間の自殺という行為を視ている。
個人的には、自殺という何者も侵すべからざる領域について「論ずる」ことの疑問を持っている一人だが、この言説に説得力を感じた。
ただ、犯罪者の自殺については、そこに悔悟の情があったにせよ、上記の視点に同様に含めることには、私の中で未だ明確にできない。

自殺は自身を「殺める」こと。なぜ殺めるのか、理由は様々だが、精神的自己放棄は共通している。ということは、放棄せざるを得なくしたのは誰か。自分自身か。或いは先の言を敷衍すれば、社会であり、道徳か。と牽強付会を承知で言えば自殺は「社会的・道徳的殺人」とも言い得るのではないか。
とすれば自殺者は、加害者であり被害者である。そこを明確にしなくては、ただ哀しい一事で終始してしまう。それでは自殺者の供養にならないことに今更ながら気づく。
私は自殺を誉め讃えようと言うのではない。やはり哀しい。しかしただ哀しいのではない。もう一つの 「愛し(い)」があっての「哀・悲し(い)」に思い及ばさなくてはならないと思うのだ。

自殺で宗教を持ち出す人は多い。ユダヤ教では、キリスト教では、イスラム教では、ヒンズー教では、そして仏教では、……と。 信仰とは、己が信ずる神(仏)に心身を委ねることだから、その委ねているにもかかわらず自身で命を絶つことは明らかに神(仏)に背くことになる。 その意味では唯一神信仰は、自殺を厳しく戒めることが想像できる。

それをキリスト教でみてみる。 『項目聖書』(聖文舎)[現代に生きる私たちが出会うさまざまな問題を項目別にあげ、それに関する聖書の箇所を、本文そのままに並べたもの《まえがき、より引用》]で「自殺」の項目がある。
その中で、【新約聖書】の[マタイによる福音書]から、2か所採り出す。

◎青年の、永遠の命を得るには、どんな善いことをすれよいのでしょうか、との問いに対して、 イエスが答えた言葉「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。」

◎イエスを裏切ったユダの描写で、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言って、首をつって死んだ。

前者は、自身を殺すな、まで含まれていると考えられるのだろうか。これは、解釈上、次の姦淫するなとの言葉の意味をどう取るかとも重なるように思う。また、後者は、社会的道徳的に許せない自身の懺悔の証しとして縊首自殺は自然とは思え、先にも記したが、私が採り上げる自殺からは外に出ている。

慈悲の仏教では、その主旨から、積極的に肯定も否定もせず静かに見守る、との姿勢のように思える。
イスラム教の場合、キリスト教以上に唯一絶対神性が強いように思え、その中にあって「殉教」という自殺[他者を巻き込むのでテロの一つの形としてとらえられているが]は、どのような見方が正当なのであろうか。
私の中では、明治天皇崩御での乃木希典夫妻の殉死、また三島由紀夫の切腹とも通ずることで、自殺の範疇とは違うのではないか、とも思ったりする。私の言う自殺は、もっと個人性の強いこととしてある。

19世紀のドイツの哲学者ショーペンハウエルに『自殺について』との著書がある。 そこには、30代の時と60歳前後の、かれの自殺観が書かれている。
両者に調子の強弱はあるものの、基本的に自殺を排斥していないし、キリスト教の牧師たちを痛罵している。
例えばこんな具合だ。 「死はわたしたちに必要な最後の隠れ場所であり、この隠れ場所に入るのに、わたしたちは、なんで坊主どもの命令や許可などを、受けなければならないのであろうか。」
また、ギリシャ時代の哲学者たちの一派であるストア学者の「自殺を一種の高貴な英雄的行為として讃美している」ことに触れ、引用している。

このギリシャ文化(ヘレニズム)とキリスト教文化(ヘブライズム)は、欧米(主にヨーロッパ)の思想家たちの間で、自殺擁護と排斥で常に意見が分かれている。ショーペンハウエルは前者である。
私は先にも記したが、自殺を讃美するほどの器量はない。しかし、否定し批判することはあり得ない。自殺者は死をもって、真実の最後の叫びを発しているのだから。だからなおのこと、かなしい。


日本は自殺が多い。数年前まで、世界の上位10カ国に登場していたが、ここ何年か減少傾向にあり、今は10位以内から外れてはいる。それでも毎年2万人余り(男女比はほぼ2:1)が自ら命を絶っている。 そして最近の傾向として、2000年前後から若者[15歳~24歳]の自殺が鋭いカーブで増えている。
因みに、現在、韓国は第2位となっていて、また日本同様、若者のそれが急激に増えている。 韓国の自殺理由は、日本と程度の差があるとは言え、重なることがあるが(例えば超学歴社会、超受験社会。高齢化者社会等)、ここでは日本について考える。

日本は四季折々の自然の恩恵を受けた山紫水明の国である。それらは人々の心に清澄さと繊細さを増幅させる。このことは『歳時記』の存在をかえりみれば一目瞭然である。しかし、一方で近代化を邁進し、常にその狭間で葛藤を持っている。その時、体感する疲労感は非常に大きいのではないだろうか。 今日(こんにち)にあっても、私は、謙虚であること、繊細であることのそこに“日本人性”を見たい。「私が、私が」「私は、私は」と前に出ての自己主張が自然態でできない、苦手である……。

そもそも、英語から入った3人称は別にして、1人称、2人称は表立って使わないし、1人称2人称両方で使われる「自分」などと言う表現もある日本語。 現代若者日本語はどうなのだろうか。
自己と他者の意識が強いとも思えなくもないが、どうなのだろう。 最後の勤務校で、こんな帰国子女(女子生徒)に出会ったことがあって考えさせられた。 彼女はアメリカの現地校に高校1年次まで在学し、帰国しクラスに入り、ホッとしたというのだ。教室でおとなしく、静かに座っていると評価されるから。アメリカでは己が存在を示す(アピールする)に大変で、ほとほと疲れた自身がいたから、と。
これは、典型的(と周囲から言われていた)インターナショナル・スクールのアメリカ人男性教師の日本愛(彼の場合、それは日本人女性愛へつながるのだが)ともつながるのだが、これは以前書いたことでもあり省略する。
ただ、彼はよく言っていた。「疲れた」と。

子どもたちを取り巻く学習環境は「塾あっての学校・学力」の観さえある。国際語英語でJUKUとして登録されているとか。加えて塾学習以外の、稽古事、習い事。あれもこれもで、忙し過ぎる。 大人も子ども疲労困憊の世界。
深謀遠慮なく、官僚的そのままの「働き方改革」「授業料無償」に視る微視的施策。情報過剰。溺死危険性さえある世界。都市部での(地方には都市部のような交通機関がない)電車、バス乗客のスマホ集中の異様な風景。そしてどんな言葉より頻度高く使われる国民的共有語「ストレス」。
これらと先の日本人性或いは風土は、どこでどう補完し合っているのだろうか。
若者と、新卒優先社会、それも何でもいいから大卒との歪んだ構造と大学の大衆化の負の側面、女性の社会進出の言葉(理念)と現実の乖離、やり直しを許さないかのような硬直化した社会……。
良いか悪いかは措き、日本人のもう一つの特性、「諦めの良さ」とは、この場合どういう意味合いで使われるのだろうか。
若者の自殺の増加は、大人(要は社会を動かし、形作っている大人)にあるのではないか。社会的殺人、道徳的殺人と謂われる所以である。

日本は無宗教の国と言われて久しい。結婚式はキリスト教で(最近は神道も増えつつある)、葬儀は仏教で、と信仰篤い国内外の人々から苦笑、揶揄される。 しかし、日本人は、本来(本質に持っているものとして)信心深い。すべての宗教を受け容れる、との意味で「無」宗教だと考えれば得心できる。ただ、眼に視える形で日常出さないだけのこととも言える。
信仰心は篤いのだが、確かな信仰者までには到らない。だから、独り懊悩し、心身動きがとれず、困憊した時、神(仏)に委ねず、自身で解決しようともがく。 現代社会に精神科、心療内科受診者が増えているのもそういうところにあるかもしれない。と同時に、そういう医療機関に行くことに、どこか抵抗感、恥じらい感がある若者も多い。
電話等で相談できる場が多く設けられつつあるが、例えば心から尊崇する、敬愛する恩師といった立場の人ならいざ知らず、優れた相談員と聞いていても、自身が他人に相談することに躊躇する若者もいる。
そして一切を自身で解決しようとする。

自殺と遺書。行動と言葉。 私は遺書に激しく心打たれる。極限の彼/彼女がそこにいる。極限を超えた“自然”の透明さがある。
近代史に一つの存在感を持ち、しかし自殺した二人を引き出す。
一人は1964年の東京オリンピックマラソンで銅メダルを獲得した円谷 幸吉。1968年1月に自殺。28歳だった。
その遺書で、ひたすらに親族に感謝の言葉を記した後、続けてこう書いている。

「父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。 何卒、お許しください。 気が安まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。 幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」

(この後に、自衛隊関係者への言葉が続き、最後「メキシコオリンピックの御成功を祈り上げます」で終わる。)

もう一人は、童謡詩人・金子 みすゞ。 破廉恥極まりない放蕩無頼の夫と1930年離婚したが、娘を連れ戻しに来るとの手紙が来て、
「その前日、彼女は自分の写真を写真館でとり、桜もちを買って帰り、娘と風呂に入った。童謡を歌ってすごした。その晩、睡眠薬自殺。26歳。」 (勢古 浩爾氏著『日本人の遺書』より引用)
三通(夫・母・弟)の遺書の内、母へのものから一部を同書から引く。
「主人は、私と一緒になっても、ほかで浮気をしていました。浮気をしてもとがめたりはしません。そいうことをするのは、私にそれだけの価値がなかったからでしょう。また、私は妻に値する女ではなかったのでしょう。ただ、一緒にいることは不可能でした。」
「くれぐれもふうちゃん(娘の名)のことをよろしく頼みます。」
「今夜の月のように私の心も静かです。」
勢古氏は、この後にこんなことを書いている。書くというよりか叫びに近い。 「金子みすゞは弱かったのだろうか。(中略)死ぬ気になればなんでもできるのに、というのもウソである。」私は勢古氏に共振する。

今私は、疲れたと一言残し、自ら死出の旅に立った或る人物のことを思い浮べている。 きっと労苦からすっかり解放されたことだろう。

2019年9月18日

多余的話(2019年9月)    『望郷』

井上 邦久

 アジアモンスーンの蒸し器の中で精神修養をしているような暑さから一転して、朝の風を爽やかに感じました。
そして、その夕方に元関脇の嘉風の引退が伝えられました。夜、相撲番付を見ながら随分と細い文字になってしまった西十両七枚目の嘉風雅継の名も今場所で見納め、併せて大分県出身の関取が居なくなることに寂しさを感じました。
大分県佐伯市出身、県立中津工業高校から日体大に進学し、教師になるつもりだった小柄(といっても身長177㎝)な大西雅継青年は角界入り後、新入幕から59場所(10年)かけての関脇昇進は史上二番目の遅さ。「真っ向勝負・飾らぬ姿」で「年齢を重ねるごとに歓声が大きくなった」力士になりました。

同じ中津工業高校出身に中日・日ハムで活躍した大島康徳さんが居ます。
39歳10か月、2290試合を要して2000本安打に辿り着いた遅咲きの選手と言われています。43歳で打率3割、22打点を残しながら戦力外通告を受け引退しています。      
番付表を精読後久しぶりに個人ブログ『ズバリ!大島くん』を検索しました。『ガンでも人生フルスイング』という著書の題名どおり、手術後もNHKに出演し、明るい笑顔と軽妙な豊前弁で語り掛ける大島くんの日常を覗けます。
大島少年の才能を地元の相撲大会?で発見し野球部に勧誘したのが中津工業高校の小林監督でありました。その小林監督が立命館大学を卒業して社会科教師として赴任したばかりの頃、生家の井上茶舗の二階に下宿し、その家の軟弱な小学生を野球小僧に仕立て上げてくれました。
以来、高校野球の地方予選の報道が始まると真っ先に「中津工」の小さな文字を探しています。  

そんな故郷中津の赤壁合元寺の住職さんから盆前に頂いた便りに一冊の本が紹介されていました。檀家の一人でもある植山渚さんの新著『日本と朝鮮の近現代史「征韓論」の呪縛150年を解く』です。
小倉タイムス「街かど歴史カフェ」欄に連載された肩の凝らない短文が集成材かパッチワークのように交流史として構築されています。
「私たち日本人が態度決定する際に、少なくともこれだけは知っておくべきという、共有すべき常識を示し」(渡辺治一橋大学名誉教授の推薦文より)、150年前・100年前の交流や折衝そして葛藤が現在に繋がっていることを知らされます。  

折しも大阪開催G20でのモノ別れから始まる両国間の批判葛藤が「政治的断絶」→「経済的制裁」→「外交的齟齬」→「軍事的離反」へ向かい、止まらない汽車に乗ってしまったように関係が悪化した時期に重なりました。
植山さんの著作と経済産業省発表の安全保障貿易管理に関する通達を冷静に読み返すことが増えました。  

大阪高島屋での山口蓬春展で『望郷』を観ました。今回は小下図・小下絵そして本画を三枚並べて展示されているので制作過程がよく分かりました。
両極に棲むシロクマとペンギンが、同じ場所に居ることは自然界にはありえないことですので、この絵の成り立ちについての解釈には諸説あるようです。
ここは素直に上野公園での光景を描いたという説と、遠い故郷を思うシロクマとペンギンの淋し気な視線に『望郷』という画題を託したとの説を受けとめます。
1943年8月からの戦時猛獣処分対象にホッキョククマも含まれており、1942年から山口蓬春も南方戦線に従軍して戦争画を描いています。10年後の動物園でどんな想いで『望郷』の構想をしたのか?
また『望郷』といえば、今では湊かなえのベストセラーや映画が連想されるのでしょうが、高校の頃は黒板に『望郷』と落書きしただけで江田島海軍兵学校卒の高木先生や予科練出身の飯塚先生は機嫌よく反応して小半時、ジャン・ギャバン主演、植民地アルジェリアを舞台にしたフランス映画のエトランゼ気分方向に脱線してくれました。
なお、山口蓬春は小下図を名優中村歌右衛門へ贈り、小下画を後進の東山魁夷の新築記念に届けたとのことです。

前号『新聞記者』で触れた1931年に早世した北村兼子について、第一稿で命日を9月18日と誤記していることをご指摘いただきました。お詫びして以下に補足訂正させて頂きます。
 1931年7月6日 飛行士免許を得る     
      7月13日 盲腸炎の手術のため、慶応病院に入院     
            7月26日 腹膜炎のため死去。享年27歳。  
     8月2日  人見絹江、肺炎のため死去。享年24歳     
            9月18日 中華民国奉天(瀋陽)郊外の柳条湖 関東軍が南満州鉄道
                      線路を爆破                                                                                                                                                (了)

2019年9月12日

芸術の快に思うことつれづれ

井嶋 悠

先日、とんでもなく魅力的な女性に出会った。作品と写真の上で。 1980年生まれの女流銅版画家入江 明日香さんの個展に行った。
とんでもないと言うのは、精緻極まる技法で彫られ、描かれ、重いプレス機で印刷されている諸作品を鑑賞しての感想。フランス研修で一層磨かれた、淡く鮮やかな多色彩、幻想的な構図、そこに漂う徹底した女性の感性。
「一版多色画」という独自の技法も編み出し、今も毎年フランスに赴き修練しているという。 私は美を直覚し、それを引き出す技術にただただ感じ入った。それは以前投稿したダリが発する男性性とは違った、私が思う女性性で、感動の質は違っていた。

過酷なまでの重労働であるという制作の最中の写真も展示されていて、右手に無造作に貼られた大判の湿布薬に眼が止まった。その姿が、もの静かで、自然な表情の彼女に、なぜか強く相応して感じられた。
主に若い世代で、こともなげに「アーティスト」と言うのをよく目に、耳にするが、聞く度に、老人の固陋(ころう)な感性と分かりつつも。非常な違和感が起きる。シャラクセエと思うのである。ひどいのになると、ポピュラー音楽歌手がアーティストと自称している。ポピュラー音楽を否定しているわけではない。私たち世代に大きな影響を与えた一人、ボブ・ディランは、先年ノーベル文学賞を受け、イギリスのピンク・フロイドという特異で魅惑的なグループもあったのだから。その自称する感性が信じられないのである。 時代に取り残された老いの愚痴なのかもしれないが、私が不真面目で、自称する人が真面目過ぎるのか?
ただ、入江さんは自身をそう呼称しないだろう。と頑なに己が直感を信じている。

その芸術、技術とは表裏の関係にあって、そもそも芸術との英語ARTには、元来「困難な課題をたくみに解決しうる、特殊の熟練した技術」(『美學事典』弘文堂)との意味を併せ持っているとのこと。そして、ギリシャ時代の哲学者アリストテレスは、「必要のための技術」と「気晴らしや快楽のための技術」に分け、後者を芸術と考えたとのこと。(上記同書)また時代が下って、18世紀ドイツのやはり哲学者・カントは「効用的技術」「機械的技術」「直観的技術」と分け、更に「直観的技術」を「快適な技術」と「美なる技術」と分けたそうだ。(上記同書)
なるほどと思うが、そもそも美とは一体何ぞやとなれば、私など巨大迷路に入り込み、「直観がすべてを判ずる」と放言し、早々に引き揚げる。しかし、哲学なるものはおもしろいと思う。世には好きなことで身を立てている人が少なからずあるが、生きるからにはそうありたいものだ。

この直観については、元中高校国語科教師の立場で言えば、文学もそうだと思う。 太宰治26歳の時の、稀有な第1創作集『晩年』の各篇は芸術だと直観できるが、芥川賞作家の中でさえ、私にとって全く直観作用が起こらない人もある。
もう一人例を挙げると、自由律俳人尾崎 放(ほう)哉(さい)の、1925年ごろの代表作の一つ「咳をしてもひとり」。彼の人生遍歴に係る知識の有無とは関係なく、やはり芸術としての直観が働く。

ところがこの個人性は、映画となると、どうしようもなく不明快度が増す。映画の持つ娯楽性と芸術性。 黒澤 明監督の『七人の侍』は芸術作品として扱われるが、その西部劇版のジョン・スタージェス監督『荒野の七人』は、そのような扱いを受けることはない。
いずれも監督、脚本家の意図(主題)があり、それに従ってカメラ、照明、美術、音楽、衣装、編集等々様々な技術が結集され、フィルム(とりわけ映像フィルムだからこそ映し出せる光と影の対照、微妙な色調)としてスクリーンに映写される。そこに差違はない。しかし娯楽と芸術に分けられ、或る人は前者を軽んずる。
ジョン・フォード監督の『駅馬車』は、どうなのだろう?
因みに、『七人の侍』と『駅馬車』は白黒(モノクローム)で、『荒野の七人』はカラーである。

【余話】 1953年の制作で、ヴェネツィア国際映画祭で「銀獅子賞」を受けた(その年、金獅子賞はなし)溝口 健二監督の『雨月物語』のことを思い出した。白黒の光と影の美しい重厚な作品である。内容は、江戸時代の短編集『雨月物語』の中の2編を基にしている。 この作品が、イタリア[ヨーロッパ]で高く[確かな芸術として]評価された理由は、日本文化或いは東洋文化への関心と、映像美だったのだろうか。 私自身、率直に言って次に記す『かくも長き不在』ほどの突き刺さりはなく観終えた。
更に余話を加えれば『七人の侍』。後篇の戦闘場面について驚愕、讃辞が言われるが、個人的には前篇に漂う緊張感の方に、より見入られた一人である。


たくさんの映画を観て来て、時間とカネを無駄にしたと思わせる作品は多くある。一方で、強い感動と思考を与えられた作品も多い。どこに私の線引きはあるのだろうか。自身でも分かって分からない。 初めて芸術的感動を意識した映画は、20代前半に観た、フランスのアンリ・コルピ監督の『かくも長き不在』だった。
J・L・ゴダールの諸映画には、前衛の映画である、との頭で背伸びする自身がいて内容より音響/音楽に興味が向いた。
また小学校時代、父親によく連れられて観たディズニーのアニメーション映画は、今も心に焼き付いているが、いずれに属されるのだろう。

とどのつまり、そこにプロとしての技術が裏付けされている限り、観たときの年齢や家庭、学校等環境、社会や人間との葛藤の深浅等々が複雑に絡み合い、それぞれの場面で己が心への突き刺さり、そのことで生ずる浄化(カタルシス)の有無としか言いようがないのではないか。直観(インスピレーション)の心地良さ。清澄な刺激 美は永遠のテーマであり、だから或る人を芸術から宗教に向かわせ、芸術の宗教性に思い到るのだろう。
孔子も「礼楽」との表現で、心と音楽をすべての基に置くが、それとも通ずることではないのだろうか。

こんなエピソードを思い出した。20年ほど前の、同僚のアメリカ人男性教師との会話。 当時話題になっていた、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』の、ⅠかⅡ、どちらが、面白いかというやり取りで、私はⅠで、彼はⅡであった。
この会話、ただこれだけなのだが、それぞれの「おもしろい」の取り方に興味が湧き、いささか大げさな表現ながら、そこに日米文化相違があるのかしらん、とまで思うようになり、再度映画を観たというエピソードである。
三つのことに気づかされた。一つは芸術と娯楽。一つは近代伝統の違い、一つは個人性。 芸術と娯楽。
「おもしろい」の人それぞれの取り方 映画の娯楽性は、(娯楽性の定義は措くとして)他の諸芸術に比して群を抜いていると思う。その線引きについては先に記したが、私の中で『キル・ビル』は徹底した娯楽性との先入観があり、観ることは「私の娯楽性」の確認でもあった。
そしてⅠは、そのリズミカルな展開[編集]、難解な主題(テーマ)もなく、幾場面か酷いシーンが映し出されはするが、ひたすら荒唐無稽そのままに観る者の眼と心を跳ね回り、監督の楽しげな貌が想像されたのである。
ところが、Ⅱはうってかわって、荒唐無稽にして酷い場面はあることはあるが、どこか監督の眉間の皺が浮かんだのである。母と娘の「愛」(最後に具体的に表わされるのだが)に係る思考的感動を意識しているように思えた、残念ながらそれは私の琴線に触れなかった。だから、私には何とも中途半端な、時に退屈ささえ襲う作品であったのである。

このことは、二つ目の近代伝統の違いにも、私の中でつながっている。 映画は演劇ではない。当たり前である。舞台上でのセリフとフィルム上でのセリフは違うのではないか。欧米(特にアメリカ?)は、言葉を弄して自己を主張する。Ⅱでは、主要人物のかなり長ゼリフがあり、それも多くはカメラがその人物を正面から映し出すのである。
Ⅰの歯切れの良い娯楽性に魅き込まれた 私としては、舞台の映画版を観ているような、だからなおのこと違和感が生じ、退屈なのである。
これらは、娯楽性の高い映画を観るにしても文化的背景の違いはあるのではないか、との思いに到ったが、しかし一歩離れて思えば、彼は非常にまじめなアメリカ人で、私はお気楽な日本人とも言えるようにも思えた。
因みに、彼の夫人は落ち着いた雰囲気の日本人である。 誤解を怖れずに敢えて言えば、Ⅰ・Ⅱを作品の是非とは関係なく、私の中でⅠは抒情詩、Ⅱは叙事詩との印象が残っている。

話しを最初に戻す。 入江明日香さんの作品は、海外でも芸術としての評価が高いと言う。 直感的にその理由は想像できるのだが、何が、どこが、海外の人を、芸樹として魅了するのか、いつか機会を見つけて確認したいと思っている。それは改めて私が日本を知ることにつながることを期待して。

2019年9月4日

自然は欺かない

井嶋 悠

この「は」、口語文法解説で〈は〉、主語であることを示す格助詞で〈は〉なく、副助詞と言う項に分類され、他と区別し強調する場合に使われる、とある。(尚、「副」は添える意。) 自然は、と区別しているわけである。
自然の反対語は[人工・人為・人間]とある。【東京堂版『反対語対照語辞典』より】
自然も、その一形態の植物も動物も欺かない。殺処分直前の犬の眼を見れば一目瞭然だ。人だけが欺く。自然災害は、時に人為災害となるが、逆はない。もっとも、「地球温暖化」が太陽そのもののへの変容に言い及ぶならばこれも人為侵食である。

こんな記事に出会った。今に始まった内容ではないが、知人の若者と重なるところがあり引用する。 内容は、人との出会いを夢に社会人になった現在30代の女性が、日常的にパワハラに遭い、人間不信から会社を辞め、農業世界に入ったというもの。
そもそもヒト社会とはそういったものとの冷徹さで「甘い!」の一言で一蹴する人は意外に多いのではないか。何せ世は“合理”最優先効率社会だから。
近代化、文明化はこの哲学なしには成り立ち得ないとすればやはり哀し過ぎる。それともヒトは、ヒトを押しのけ、蹴落としてこそ人生の「勝利者」の快を得る性(さが)とでも言うのだろうか。
若い人から自然な野人性が消え、体格の良い“ガラス細工”が増えたと言われる。しかし、この言い分もどこかおかしい。そうさせたのは自然なのか人為なのか。精緻な過保護社会としての文明社会の一面。

以前,[田舎には自然はあるが、人の情はない]旨の、やはり新聞報道の一節から投稿したことがある。 と言いつつも近代化、文明化また競争原理を忌避し、否定するほどの唯我独尊、飄然(ひょうぜん)とした自身があるわけではない。それは文明の恩恵に感謝する私と、生と競争は不可欠との思いにつながっている。それでも、ヒトとしての限界を越えたもの・ことを、最近度々直覚する。 ヒトが、ヒトが編み出し創り出した環境に、道具(機械)またそこから発せられる無数の情報に、押しつぶされそうになっている今を。

チャーリー・チャプリンが『モダンタイムス』を発表したのが1936年である。それから83年経つ今、彼の意図とその作品は過去の事として在るのではない。今、ますます生きて在る。
この拙稿では、その映画の私的感想を言うことを意図していないのでこれ以上は措くが、私自身を整理する意味から一言記す。
映画の冒頭で「人間の機械化への批判と個人の幸せの追求の物語」と言葉が映し出され、前半部は機械化とその非人間性の描写が続く。しかし、後半部には映画の本質[映像と音楽そしてチャプリンが意図する娯楽性といった側面]からの展開が続く。政治プロパガンダ的な労働者の団結と闘争の描写など望んでもいないが、愛の力(この作品では男女二人)で自身達の道を切り拓こうとする明日(ロマン)の可能性、自己信頼の他に、主題に沿った別の展開はなかったのか、と思うところがある。
しかし、私に妙案、対案があるわけでもなく、結局はチャプリンが提示した個人と社会に於ける一つの、或いは全ての?在り方に帰着するのかもしれない。 私が独りで在ることの個人性に拘り、憧れつつも、“家庭”が持つ幸せに到らざるを得ないように。
過去に、また今も、家庭(家族)を棄てた無名の、有名な人は多くある。俳人種田山頭火もその一人である。ただ、山頭火は放浪、乞食(こつじき)の旅にあって、ひたすら涙を流していたと言うではないか。

ヒトは意図的に、意識的に幸いを求める。ただ、幸いの中身は個人により多様である。 或る人は自ら命を絶つことで幸いが得られると考える。苦からの解放の喜び。 ヒトは基本的に善だと思っていた。
しかし、この10有余年の中で、娘の死への経緯、近親者のこと、世の中の様々な出来事、人々から、それが揺らいで来ている。そうかと言ってヒトの性が悪であるとまでは断じ得ないが、世、環境のヒトに与える大きさにたじろぎ、先に記した自殺は、社会による社会的殺人ではないか、とさえ思うことがある。 尚、ここで「原罪」との言葉を出せる私でもないし、そもそもそんな勇気はない。

ヒトが一層信じられなくなっている私がいる。寂しいことであり、哀しいことである。どんどん人から離れて行く私を感ずることが多くなった。
ヒトは唯一欺く生きものなのかもしれない。もちろんこの私もその一人である。 近代化、機械化とその拍車化はヒトの所為である。ヒトがヒトを、自身を追いこんでいる。
マグロはその生態構造上、止まることは死を意味する。戦後の焼け跡からの復興、高度経済成長は先人たちの“マグロ的勤労”の成果とも言えるのではないか。だから現代の沈滞感に危機感が募るのかもしれない。しかし、ヒトはマグロではない。
少子化、人口減少化(一方での高齢化)と経済成長は、どこでどう折り合いをつけようとしているのか。AIの進出(或いは浸出)、外国人労働者の不可欠と雇用の不安定、ヒトを意識しない機械化、利益追求。 人々は、子どもたちは忙しげに動き、必然、心の余裕はなくなり、日々刻々緊張感を強いられる。「性」+「亡くす」=【忙しい】。因みに「亡くす」は他動詞で「心を亡くす」、「亡くなる」は自動詞で「心が亡くなる」。

運転免許返納推進対象者となった私は、「働き方改革」が、何とも残酷極まりない冗談としか思えない。
ヒトの情(じょう)への願望が、多くの人々の口の端に上る。その時、なぜか“下町”が人情厚い(篤い)地域として共有される。 東京下町生まれ、育ちの妻が、同じ東京下町育ちの独善的ヒトに放った言葉。
「下町の人間は、いき[粋・意気]を大事にする分、感謝、報恩を忘れたヒトは切って捨てるっ」

【参考】「人情」を『新明解国語辞典』第五版では、次のように説明されている。 人ならば、誰でも持っているはずの、心の働き。同情、感謝、報恩、献身の気持ちのほかに、同じことなら少しでも楽をしたい、よい方を選びたい、よい物を見聞したい、十分に報いられたいという欲望。

上の語義に立てば、下町でも山の手でも「人情」に変わりはない。しかし、情緒的に下町に濃密さを想うのはなぜだろうか。互いにヒトであることの寛容性が今も脈づいているからではないか。先の一線を越えない限り。
利己と欲望と人間(じんかん)の葛藤が人間社会の一様態とすれば、山の手の家同士の垣の明確さに思い到る。だからこそ、先の下町育ちの一言が痛烈なのだろう。
自制と謙虚が繰り返し指摘される。それほどにヒトの欲望に歯止めが利かなくなっている。詐欺犯行者はそこを突いて来る。歯止めがかからなくなっていること自体、近代化の危機であり終末ではないか。

世界で初めて、国の発展をはかる指針として、国民総生産[GNP]ではなく国民幸福量[GNH]を採り入れたブータン。その国民幸福量の4つの指針と9つの指標は以下である。
『指針』
○持続可能な社会経済開発
○環境保護
○伝統文化の振興
○優れた統治力
『指標』
○心理的幸福
○時間の使い方とバランス
○文化の多様性
○地域の活力
○環境の多様性
○良い統治
○健康
○教育
○生活水準

そのブータン。 先日の報道では、自動車ブームで、人々がローンを組む等、競って自動車(主に日本製と韓国製らしい)を求め、経済混乱や環境汚染で、幸福度が大幅に下がった由あった。 ブータン(人)はいよいよ近代化の嵐の洗礼を受け始めたということだろうか。正念場はこれからだ。
このとき、日本は『指標』の「健康」と「生活水準」以外で、どれほどに誇りを持って発言ができるだろうか。親日家の多いブータンにとって日本はどのような鏡となるのだろう。

それに引き替え、北欧諸国の幸福度の安定はどこから来るのだろうか。 ここ数年来、日本でフィンランドの教育の素晴らしさが言われているが、かつては自殺大国でもあったフィンランド。
そこには社会[国家]そのものを再考し、再構築、再創造する意識があったからこそ為し得たのではないか。その国民的意識なしにただ高税の国ならば、この安定はあり得ない。

【参考】フィンランドを含め今年の世界のしあわせ(幸福)度ランキング(調査:国連) 《調査方法》各国の国民に「どれくらい幸せと感じているか」を評価してもらった調査にGDP、平均余命、 寛大さ、社会的支援、自由度、腐敗度といった要素を元に幸福度を計る。7回目となる2019年は世界の156カ国を対象に調査。 1位は2年連続でフィンランドだった。トップ8のうち半数を北欧諸国が占めている。
日本は2018年54位、2019年58位。因みに台湾は26位、韓国は57位、中国は86位。

1. フィンランド(2年連続)
2. デンマーク
3. ノルウェー
4. アイスランド
5. オランダ
6. スイス
7. スウェーデン
8. ニュージーランド

教育は人為の最たるもので、同時に国・社会の基盤になるものである。少子化の日本での教育変革が、今もって対症療法では、本質的問題解決に到ろうはずもない。 教育の無償化、選挙権の18歳化、これらは施行に併行してある問題の意識化があれば歓迎されて然るべき施策とは思うが、
何が何でも英語教育と科学教育の早期導入を政府や御用学者や御用マスコミが煽り立て、学校給食を15分にするか20分にするかで議論し、塾産業頼りの学力観、入試選抜と学校格差。大学の乱立。資格の取れる専門学校の高学費。(“妙な”大卒より早く元が取れるとは言え)
この心の貧困状況にかてて加えて、子どもの、親の(とりわけシングルマザー、シングルファーザー)経済的貧困。
そして、来年も酷暑が予想される夏、東京を中心とした、現都知事のお好きな言葉「レガシー」(そもそもここでlegacyなる英語を使う必然性があるのだろうか)をモットーとしたオリンピックが開かれ、既に東京の一部では“バブル”的公私会話が繰り広げられている。

日本の歴史と伝統を、教科書的、左右思想的、政治的な意図性に陥ることなく、心から日本を愛する様々な領域の人々の声・言葉に耳を傾ける時が来ているのではないか。東京オリンピックをその具体的きっかけにしたいものだ。「おもてなし」はその後に自然について来る。