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2020年1月24日

多余的話(2020年1月)  『軟禁』

井上 邦久

サンフランシスコの次は南京ではなく、軟禁のことです。
去年今年貫く棒の如きもの、虚子の句を高校生時分のようには実感できずまさに虚しく歳が暮れようとしたところに、Carlos Ghosn has goneの報せ。そして、NHKでは中国関連のドラマやドキュメンタリーが続きました。

『趙紫陽 極秘回想録』 天安門事件「大弾圧」の舞台裏!
                           趙紫陽 

パオ・プー(鮑樸)/ルネー・チアン/アディ・イグナシシアス
河野純治=訳 
            光文社 2010年1月25日 初版第一刷発行

 1989年6月、全ての職を解かれてからも「党の処分を決めるための審査上の必要性」という理由で北京市内の自宅に拘束され、2005年1月17日死去するまで16年間の軟禁生活が続いています。

 2000年から2003年、監視要員に悟られぬよう、家人に累が及ばぬよう秘かに、全録音時間30数時間の口述記録をカセットテープに残し、信頼の置ける人たちの手で香港へ分散して持ち出されたとのこと。それを基に編集出版されたのが上記の本であり、ちょうど10年前に日本語版が出されています。 
「趙は録音前にメモ書きを用意していたために、語りも、論理もしっかりしていた」「父親(鮑彤・趙紫陽の最側近)の関与がなかったら、この本の出版は無理だったであろう。彼がテープを聞いて全文をチェックし、順序を入れ替えたりした」(中国語版出版元、英語版からの翻訳に当った鮑樸の言葉

経緯や時代背景は、巻末の日暮高則氏の解説に詳しく、NHKのドキュメンタリーも概ね上記の本、ということは趙紫陽の肉声を録音したテープに基づいて制作されていると思います。

 1992年10月8日、党中央は趙紫陽を中南海に呼んで審査の終了を宣言したが、それでも趙の自由回復はならなかった。ただ、これ以降の自宅軟禁について、当局は理由も提示せず、また実際に根拠をみつけることもできなかったのである、との記述もあります。

まさに多余的話で恐縮ですが、「改革開放」という言葉の使い方について個人的なコメントを繰り返します。
趙紫陽失脚以降に言われるところの改革開放とは、経済改革であり政治改革ではなく、対外開放であり対内開放ではないことを改めて感じます。

昨年の晩春、制作に携わった人が思いつめた感じで「自らの半生をかけて作ったので是非見て欲しい」と伝えてきました。そのバージョンでは、趙紫陽の遺骨が自宅に留め置きされたままにされている画像と埋葬の許可が下りないというナレーションがありました。
昨年の夏に夫婦一緒に埋葬されたとの報道があり、年末の拡大版でも一族や友人が埋葬に立ち会うシーンが映されました。また拡大版にも事件当時広場で学生と接した趙紫陽に、温家宝(当時は中央弁公庁主任)が緊張した表情で拡声器を指し出す姿が画像記録されてました。

 1月26日(日) 14:00-15:50 NHK BS1で 「NHKスペシャル」/「証言ドキュメント 天安門事件30年」の拡大版が「再・再放送」の予定との案内を貰いましたのでお伝えします。
なお、大陸に住む友人たちには番組の案内や拙文を不用意に届けると迷惑をかけるので注意します。

趙紫陽が軟禁されていた当時の北京には何度も仕事で行きました。すぐ近くで高濃度PM2.5含有の空気を共有していた事実、そして軟禁が続いた時間の長さを改めて感じています。
現在こうしている時にも、カナダで拘束されようやく審理が開始された華為技術(HUA WEI)副会長・CFOの孟晩舟氏やレバノンで咆哮(彷徨?)している人のことも連想しています。
また、高齢の鮑彤が今日も北京で軟禁状態にある事実は、歴史が現在に繋がっていることを意識させます。

                         (了)

2020年1月18日

   江戸っ子・気質

井嶋 悠

私は一応、都っ子[京都っ子]である。一応というのは、家系的には京都だが、私の人生が、子ども時代の周囲の大人の事情や後の私の意志もあって流転しているからである。
そんな私だが、江戸っ子という響きに好意性を持っている。それも山の手系ではなく、下町系の人々である。言ってみれば江戸落語或いは風流の世界かもしれない。

私は4コマ漫画以外、基本的に漫画をほとんど読まないのだが、東京生まれの漫画家にして江戸(文化)考証家で、46歳の若さで逝去した杉浦 日向子(1958~2005)は例外である。彼女の代表作の一つ『江戸雀』に接し、虜になった。描かれる男女が微笑ましく、風景が緻密で情緒深い。
以後、彼女の著作であるエッセイを読んでいる。『一日江戸人』もその一つである。入門編、初級編、中級編、上級編の章立てで、江戸人を、暮らしを、文化を、軽妙な筆致と温もり溢れる描画で紹介していて、最終項は『これが江戸っ子だ!』である。
そこに【江戸っ子度・十八のチェック】というのがあり、次の項目が挙げられている。適宜私の方で要約してそれを引用する。

①よく衝動買いをする ②見栄っ張りだ(借金をしてでも人におごる) ③早口 ④よく略語にする ⑤気が短い ⑥定食より丼飯 
⑦潔癖(濡れた箸を気味がる) ⑧下着は白で、毎日替える ⑨行きつけの床屋がある ⑩無頓着にみえるが、おしゃれにこだわりがある ⑪履物に金をかける ⑫間食好き ⑬入浴時間は15分以内、45度以上で毎日 ⑭あがり性 ⑮異性交際が下手 ⑯駄洒落好き ⑰ウソ話を本気で聞き、後で笑われる ⑱涙もろい

以上の該当数により、筆者は次のように分類する。
18   金箔付きの江戸っ子    
15以上 江戸っ子の末裔の東京っ子    
10以上 並の東京人
一桁  並の日本人
どうであろう?

上記⑤⑦⑧に通ずることとして、義侠心(男気・男勝り)、反骨精神(哲学者九鬼 周造(1888~1941)の『「いき」の構造』による“粋“の3要素【媚態・意気地・諦観】の内の意気地に通ずる意地っ張り、との江戸っ子気質を語るにしばしば登場する表現)との言葉が浮かぶ。
尚、杉浦も九鬼の著書を基に書いているが、彼女曰く、最初はちんぷんかんぷんだったが、江戸への理解が進むと、当たり前のことが当たり前に書かれている、と。
このチェック表、三代続く生まれ育ちが東京下町の、私が知る近しい女性は、ほぼ該当していて、更には義侠心、反骨精神は甚だ強い。
私は5ないしは6である。但し、反骨精神はあると自認している。

ひょっとして、私は江戸っ子=男性と思い描いていないかと自問する。私が男であるからとも言えるが、幾つかの本等からも江戸っ子というとき多くは男性がイメージされている、と思える。女性は中心にはいない。夏目 漱石の『坊っちゃん』然りである。『男はつらいよ』の寅さんの妹、おばちゃんもあくまでも脇である。
これでは明らかに今の時代にそぐわない。
これを、先の杉浦 日向子は、別の書(監修)『お江戸でござる』で、江戸の男女構成(そこには江戸時代の江戸だからこその要因、参勤交代制がある)や、そのこととも関連する結婚事情、また男女協働の実情を通して「かかあ天下―現代のウーマンズパワーーと書き、
日本近世文化研究家である田中 優子さん(1952~)は、『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?-落語でひもとくニッポンのしきたりー』との著で、落語『抜け雀』『厩火事』を通して「江戸の女は強かった」と書く。

ここに、「男があって女」ではない「女があって男」の世界を見、一方で明治維新以後の近代化の中での「男があって女」が今もって続いていることに思い及ぶ。
「江戸の世界も女は強かった」のではなく、あくまでも「江戸の女は強かった」のである。だからと言って男が弱かったのではなく、また男が勝手に女は弱いと決め込んでいたのでもなく、男女平等意識が、難しい講釈なしに自然に浸透していたと説く人もある。
なぜか。今ほどに職種はなかった時代、協働しなければ生きて行けなかったし、その時、とりわけ女性に強いと言われている地に足をつけた現実性指向は何よりも有効にして必要であった。

今はどうであろうか。
職種は多種多様で、農業国としての面影は薄くなりつつある。そして男女共同参画、協働との言説、呼び掛けはかまびすしい。しかし、その成果、内容は先進国中最下位に近い。先進国、一等国と言うにはあまりに哀しく恥ずかしい。
どうすればいいのか。

男性が、これまでの歴史をかえりみ、自身の深奥に何が見えるのか、響くことは何なのかを謙虚に問い、政治等社会を主導し、変容に与ることがより直接的な世界に、女性が果敢な自由さと柔軟さをもって参入できる雰囲気[場]の醸成が必要なのではないか。もちろんそこでは女性自身の意識改革も必要だが、先ず問われるべきは男性側の意識変革である。その時、江戸の庶民男女の躍動こそ、その方法等を考える大きな力となる。
ただ、あの吉原は、樋口 一葉の『たけくらべ』で終わりにしてほしいが、現実はフーゾク通りとして陽の高い時間から今も営業している。性はヒトへの永遠の課題の一つなのだろう。
江戸を顧みることで、女性の在りように限らず、豊かさと質の問題や東京での貧困問題を説く人も多い。
ここ数年の江戸ブームが、郷愁や感傷だけで終わることなく新たな生の力となってほしいものだ。