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2020年10月29日

「中2病」からの学校特別プログラム

—『日本国憲法』第三章【国民の権利及び義務】の一部条項を使っての自検証「—

井嶋 悠

「日本人は親切だ」「日本人はマナーが良い」「日本の街にはゴミがない」等々の高評価を聞くと日本人としてはやはり嬉しい。「好事は門を出でず、悪事は千里を行く」と言うからなおさらだ。しかし、本当にそうだろうかと思ってしまう私も一方にいる。ウチとソトの使い分けはないだろうか。表通りから一歩奥に入ったとき、また自然豊かな場所でのごみの散乱、違法放棄を見る。マナーについても例えば自動車運転と歩行者のマナーはどうか。外国人への対応も人種、民族を問わず同じ態度で接しているだろうか、等々。

ウチとソトに関連して、日本人が外国に行ったときどうだろうか。いっとき問題になった、“金持ち”日本人の横柄さはなくなっただろうか。個人的には、10年ほど前台北に行った時のこと、有名なホテル内の中華料理店で、自分のバッグから酒を出し飲み、店の人と言葉が通じないのをいいことに、一悶着起こしていた日本人老夫婦を見かけた。彼らは欧米でも、また日本でもそうするのだろうか。

大仰な副題をつけたのは、年々権利の主張の度が過ぎ、その都度政府、警察は罰則を厳しくし、私たち市民自身が彼らの管理強化に手を貸していることが多発しているように思えてならないからである。
大人は大人で「表現の自由」を御旗に勝手なことを言い、そうかと思えば、学校で(一部の?)教師は子どもや親の前で委縮し、頭上を通り過ぎるのを待とうとする。中には子どもに暴力振るう者もいる。
どこかで日本人の特性とまで言われて来た謙虚さが消え、傲慢な、しかも権利の意味を自身の中でかえりみることなく主張することが増えて来ていると思うのは少数派で、時代は権利の主張こそ近代人の証し、と言うことなのだろうか。
そもそも権利の意味をきちんと言える人はどれぐらいいるだろう?権利と義務での義務の欠如。
因みに『新明解国語辞典』では、人権を次のように定義している。
《人間に当然与えられるとされる権利》

昭和20年(1945年)8月、日本は明治維新以降台頭し、伸張させてきた帝国主義の歴史に決定的な自省を促した。海外でどれほどの日本人が「天皇陛下!万歳!」と末期の叫びをあげ、どれほどの現地人に死を与えたことだろう。そして、広島・長崎で、投下したアメリカ内でさえ不必要であったと言われている原子爆弾でどれほどの日本人が、在日朝鮮人が、中国人が、凄惨な死に向き合ったことだろう。しかし、残念なことになぜか今もこの事実は完全に反省、再考されていない。
翌1946年11月3日[現文化の日]、『日本国憲法』が公布された。その前文に何が書かれているか、私たちは共有しているだろうか。その憲法は、世界のなかで類まれなほどの理想を体現した憲法と言われ、或る一主婦のノーベル平和賞に値するとの発言を端に、現在その活動の拡大に努めている人を、私は知っている。この憲法こそ、日本再出発の原点ではないかと思う。だからこその世界観であり、それを遵守し、現在があるのではないかと思う。

ゼロからの出発からわずか半世紀で経済大国へ、そこには朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需があったからこそなし得たえたこととは言え、先人の和と勤勉の国民性の賜物であることには間違いない。
憲法を持ち出したのは、原点を確認し、再共有し、現在の混迷の再興の基礎になると思ったからである。何事も、混迷と混乱そして「ぼんやりとした不安」を直覚したときは、それぞれの原点[初心]に戻れと言うではないか。そこから再構築の光が視えて来る、と経験者は言う。更に戻ることを潔しとしない人は、いずれ己が首を絞め、ますます混迷度を増すことはいろいろな形で明かされている。

私たちは今コロナ禍の最中にある。ワクチンも未定で、この状態がいつまで続くのか誰も分からない。ウイルスは目に見えない。だからより恐怖であり、つい忘れがちである。多くは危機感をはらんだ不安の中でとにかく日々を送っている。自殺者が昨年9月比に比べ多く、男性の自殺が本来多い中で女性の自殺が増えている、との報道もあった。
それでなくとも日本は先進国にあって自殺者の多い国としての歴史を持っているからなおさらである。
《自殺の問題は、私自身考えさせられることが多く、以前投稿したこともあり、ここでの女性が増えた事実に心が向くが、結果だけを記すだけとする。》
自殺はぎりぎりの個と社会を反映する。理由なき自殺は無い。ふっと不安或いは虚無に襲われた自殺も、その後ろに個と社会がある。

近代化は、明治時代に原点があるのだろうが、それ以上に1945年昭和20年が原点にある、と1945年8月生まれの私はことさらに思う。
今日、憲法第二章第9条の論議が盛んに行われている。平和からの視点からすれば当然のことである。ただ、戦争も平和もヒトが為すものであり、その根底たるヒトの権利と義務を考えたく第三章を一部ではあるが、採り上げた。
対象としたのは、その中の第十条から第二十七条である。
私にそうさせたのは、コロナ下での【誹謗中傷】(「自主警察」も含めた)の壮絶さである。その中にあって、科学の時代ゆえに実現した発信者の逮捕と有罪で、今度はその逮捕者が誹謗中傷を受け、言葉の怖ろしさを身をもって知った旨の新聞記事も検証の一つの契機となっている。もちろん自身を出発点としてである。かてて加えて、差別と貧困の一層の顕在化も大きな影響を与えている。

採り上げた条文の中で、テーマの用語数は以下である。
 ・「権利」:9回  ・「義務」:2回  ・「自由」:8回
尚、各用語の意味を、人権と同じく『新明解国語辞典』で確認してお
  く。
  権利:物事を自分の意志によってなしうる資格
  義務:その立場にある人として当然やらなければいけないとされ
     る事。
  自由:他から制限や束縛を受けず、自分の意志・感情に従って行
     動すること。またその様子。

今回のテーマに係る要所を幾つか引用する。(旧仮名遣いは現代仮名遣いに改めてある)

第十一条  この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことがで
      きない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えら
      れる。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断
      の努力によって、これを保持しなければならない。又、
      国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公
      共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

第十三条  生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について
      は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上
      で、最大の尊重を必要とする。

第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有
      の権利である。

第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかな
      る宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権利を
      行使してはならない。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、
      これを保障する。

第二十三条 学問の自由は、これを保障する。

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権
      利を有する。

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところによりその能力に
      応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
      すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護す
      る子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育
      は、これを無償とする。

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。

どうだろうか。とりわけ太字のことは言わずもがなと思う。言葉も難しくない。

私たちは、「私」の立っている環境、地位による意見の多様を承知しながらも、原点たる憲法をただ読むだけの教科書のようになっていないか。知識としての憲法ではなく、生き方[智恵]としての憲法を見直す必要を痛感する。

では、そのことと誹謗中傷また差別や貧困をなくすことと、どうつながるのか。学校は知識を学ぶところであり、同時に人格陶冶の場である。だからこそ一貫教育の学校環境に魅力がある。しかし、現実は人格陶冶より知識の多少が、人生での次への選択に優先されているのではないか。それぞれの教師が、それぞれの学力観で、あれも知らないのかこれも知らないかと、子どもたちを追いつめていやしないか。平均寿命80歳以上と言う中で。

平均年収1000万円以上の家庭が2割以上占め(一説には平均年収2000万円以上が5割とも言われる)、通塾あってが当然になっているという日本最高峰?のT大合格者の多い高校を選んだクイズ大会[知識お披露目会]の分断を意図したかのようなマスコミの醜悪、また自慢げに参加する生徒、感嘆するスタッフ、視聴者。
これは私が遊び心のない固陋者であることを白状しているに過ぎないのか。
ただ付言すれば、もう10有余年前の全国紙の小さくではあったが社会面の記事、[T大医学部教授会の、ここの学生たちに医業を任せることへの危機感]は一体何だったのだろうか。固陋とは言え、つい時代と社会と学校制度そして「優秀」について考えてしまう。

「中2病」という言葉を最近知った。この言葉に接し最初に脳裏をかすめたのは[校内暴力等荒れた学校・最も難しいとされている14歳前後の前期思春期の屈折]であった。例えば、私の知る或る社会学者が、30年ほど前、小中高校の校内暴力を調査したところ、発生数が最も高かったのは中2であった。この傾向は今もあるという。子どもから大人へ移行する心身変容期という微妙で危うい時期。「中2病」をインターネットで検索したところ、以下のように書かれてあった。     [出典は「ヲタク文化研究会」著『オタク用語の基礎知識』]

 ・洋楽を聴き始める。
 ・旨くもないコーヒーを飲み始める。
 ・売れたバンドを「売れる前から知っていると」とムキになる。
 ・やればできると思っている。
 ・母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言
  い出す。
 ・社会の勉強をある程度して歴史に詳しくなると「アメリカって汚
  いよな」と急に言い出す。

要は大人への兆しの自己葛藤であり、その葛藤を時に反社会的行動へ移す、と言うことではないか。仮にこの要約が当たらずとも遠からず、であるならば、先の中2観と相通じているのではないか。

そこで私が考えた、誹謗中傷の減少と基本的人権、自由に係る特別教育プログラムが以下である。
〇実施期間
   小学校2年生から中学校3年生までの5年間
   可能な限り、内容を広報し、小中の連続性を持たせたい
〇実施時期 
   年2回(例えば連休前か後)及び10月から11月にかけて
   但し、中学校3年生は集約期として、年1回とする
〇実施内容 
   学齢、学校特性を考慮し、毎回ゲストスピーカーを変える
   ゲストスピーカーは、以下の制約の中で依頼する。
   理由は、経験(体験)から発せられた言葉には強い響きがあり、思春期の
   多感性に訴える力を持つと考えるので。従って、そのような経験(体験)
   のない教師や研究者、行政関係者等は招聘しない。
   尚、年齢は問わない。   
    ☆誹謗中傷を受けた経験を持つ人 
    ☆誹謗中傷をして悔悟した人
    ☆思春期前期の中で葛藤を持ち、それが今生きる力となって
     いることを子どもたちに伝えたいとの熱意を持

〇実施方法(1時限50分として)一例

  • ゲストスピーカーの紹介と当日の意図の説明(5分)
  • ゲストスピーカーの話と質疑応答(30分)
  • 生徒代表と担当教師の感想(10分)
  • ゲストスピーカー挨拶(5分)

以前、ヨーロッパの某国では、デパートのあるような大きな都会で走っている子どもを見たら日本人と思え、と言われている旨聞いたことがある。私の幾つかの経験では、悪意ある全くの嘘とも思えない。これは子どもの問題ではなく、親つまり大人の問題である。
大人一人一人が、冒頭の賞賛を自然体で受け止める、そんな日本になることで『観光立国』は十全に機能するのではないかと思う。
或る西洋人が言った「日本の田舎の老人たちは真に国際人だ」との感想も思い出される。

2020年10月11日

多余的話(2020年10月)    『少し中国の話を』

井上 邦久

年初に予定していた北京への訪問が中止になってから、種々制約の多い日本の大阪で過ごしています。大阪から移動せず、これほど長く過ごしたのは、1971年以来の回遊魚生活で初めてのことです。
移動が制限されると、空間的・地理的な横軸が拡がらないので自ずから時間的・歴史的に縦軸を掘り下げることが増えました。
その間、安否確認のような身辺雑記と読書記録を牛の涎のように綴ってきました。
今回は久しぶりに以前の筆致に戻って、中国での体験や情報を盛り込み、縦軸を掘り下げた作文を試みます。

1868年、大阪が開市開港、つまり対外開放してから今年で152年です。土砂の溜まる安治川口から天保山の築港建設へ方針転換して120年です。
天保山桟橋から朝鮮半島、山東半島そして中国東北地域を含む北東アジアへの航路が拡大し、ヒトとモノの行き来が飛躍的に伸びました。綿産業や軽工業(雑貨)が急成長を見せ、人口も211万人/1925年から299万人/1935年へと膨張し「大大阪」と称されています。
日中貿易額の半分以上を大阪が占め、なかでも大阪市西区川口を拠点とした山東系華商(川口華商と呼ばれ、華中出身の南幇公所に対して、北幇公所を組織)が対中輸出の過半を担っていました。
しかし1945年3月から6月の空襲により大阪港は機能を無くし、大阪の産業は大打撃を受け、川口華商の多くは帰国して戻らないままでした。

1949年10月に建国した新中国とは政府間の断交状態が続きました。1951年のサンフランシスコ講和会議を経て、1952年から日本が国際社会へ復帰。MADE IN OCCUPIED JAPANから脱却し自由貿易が始まりました。
この年から各国各界の名士を招いた「桜を見る会」も始まっています。

対外貿易が再開されても中国とは国交がないため、政治情勢に左右され制限の多い取引が細々と続きました。クラレ社のビニロンプラント以外は延払い輸出許可が下りず、松油由来のロジン・漆・タルクなどの中国特産品は配慮物資貿易という特別枠で輸入されました。
また、台湾・韓国との貿易をしないことを条件に認定された友好商社や華僑系の愛国商社による友好貿易が中国との関係を繋ぎ留めました。

1972年、国交正常化により一気に中国ブームが到来。宝山製鉄所等に代表される大型契約が為されましたが、中国側の資金不足の為に契約破棄の危機となり、日本からの円借款など資金協力により何とか関係を継続しました。その後、プラザ合意後の円切り上げ圧力の中で、中国への投資が続きました。
昨今、その頃に投資した合弁会社が契約期間満了を迎える時期になり、農村の都市化や環境問題などの30年間の変化による事情も絡み、簡単に合弁解消や円満撤退とはいかない例も聴きます。

1989年6月の天安門事件により、多くの取引が瞬間凍結しました。顧客から「プロジェクトは延期ではない、取消だ」と厳しい口調で通告された記憶があります。
その直後の1992年、鄧小平によるいわゆる「南巡講話」を契機に解凍が始まり、日本は世界に先駆け、深圳などの特区政策や上海浦東地区の開発に呼応し中国市場への投資を増やしていきました。この頃までが「中国の政策と日本の対策」が呼応補完する関係が続き、中国の貿易全体の中での日本のステイタスが高かった時期と言えます。

21世紀早々の2001年に中国のWTO加盟が認められたのが分岐点となりそれ以降の中国経済の流れは、奔流化し、国際的に大幅伸長が続きます。
これまで、経済成長率の下落したのは、1989年(天安門事件)・1998年(国有企業の民営化停滞)・2009年(リーマンショック直後)そして2020年(コロナショック)で、今回はマイナス成長を経験中です。従来のようなV字型恢復ができるか?「消費」「税収」の伸び悩みと、「売掛金」「在庫」の不気味な増加傾向に注視する必要があります。

2月15日に神戸華僑歴史博物館で行った「大阪港と川口華商」の報告10月21日の大阪商工会議所で予定している「中国の政策と日本の対策」と題する報告、この二つの報告の骨子だけを繋ぐと上記のような骨が刺さりそうな文章となります。

大阪ではWEBセミナー形式で上海の畏友の弁護士を繋いだ企画を立て、前座として縦軸の体験や私見報告を務め、真打の弁護士にバトンタッチをしてコロナ禍発生以降の中国状況をリアルに語って貰います。
真打講師とは、筆者が上海に赴任した2009年に現地法人の顧問弁護士に就任して頂いて以来のご縁です。京都で苦学し、大阪で弁護士修行をした骨の硬さと、阪神タイガースや半沢直樹をこよなく愛する柔軟性を併せ持つ畏友との画像越しの再会を愉しみにし、併せて個人的にも半年遅れの「蠢動」を試みるきっかけにしたいと思います。                        (了)