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2021年5月8日

多余的話 (2021年5月)   『国性爺合戦』

井上 邦久

 上海で弁護士をしている浙江省出身の畏友は中国で指折りのタイガース党で、カラオケでは大阪弁の歌手でもあります。
その彼から3月8日にメールがあり、今日は国際婦人デー、長らく「婦女節」と称されていたが、最近では「女神節」「女王節」とも呼ばれている、女性のみ午後休暇となりデモはなくショッピングで忙しいと伝えてくれました。オフィスが静かで羽を伸ばしていたのでしょう。

国際婦人デーは1857年のニューヨークの被服工場の火災事故で多くの女性が施錠された現場から逃げられず、犠牲になった事への抗議デモが行われた日を起源とするようです。
戦前の日本には女工哀史、鄧小平の南巡講話後の深圳版女工哀史、そして2013年のバングラディシュのラナプラザビル崩落による多くの縫製女工の圧死と、現在も主に労働集約型産業に続く問題です。

この稿を綴っている5月4日は、中国では青年節です。「婦女節」と異なり祝日にはなっていません。
1919年5月、第一次大戦後のパリ会議での中華民国代表の発言が力不足であり、山東省権益への日本からの圧力に対して政府は弱腰であるとして、北京から各地に広がった抗議示威活動「五四運動」を記念するものです。
北京での一群が親日派と目された政府高官の曹汝霖宅に放火するなど暴徒化しています。その折に中江丑吉(中江兆民の長男)が曹汝霖を救出したことが記録として残っています。
第二次大戦末期まで北京で、軍関係者からは「拗ね者」と視られながら暮らした中江丑吉については稿を改めます。

国民党政府は辛亥革命(1911年)前夜の黄興らの活動を讃えて、革命先烈記念日を3月29日に設定していました。その後、台湾での青年節として続いていますが、祝日からは外されています。

大阪国立文楽劇場の4月公演は入場者制限のため市松模様の席での見物となりました。虫の報せか、先ず第二部の「国性爺合戦」で吉田蓑助を見ておこうと二重マスクで人形芝居を観ました。
平戸に亡命した老一官(実は、大明国旧臣の鄭芝龍)と日本女性との間の子、和藤内(平戸生まれで台湾を拠点化した鄭成功がモデル)が海を渡って清朝を倒し、明朝を復興しようとする物語です。
衣装も鳴り物もセリフの一部も中国風であり、近松門左衛門の異国趣味溢れる舞台と身近な国際事情が江戸時代の人たちに与えた興奮と刺激を想像しました。
「高楼の段」のみで演じた吉田蓑助は、遠目にも静かな動きであり、数日後に報じられた引退発表も残念ながら納得しました。
文楽に詳しい人は「一つの時代の終わり」と語っています。玉男・住太夫・文雀・嶋太夫らが次々に去って、戦前に文楽に入門したのは蓑助が最後であり、「終わりの終わり」の印象があります。

大里浩秋先生の解読と解題による「宗方小太郎日記補足、明治28年3月23日~9月1日」(神奈川大学人文学研究所報 №64)を読んで、明治20年(1887)には、日本政府は早くも「清国征討策案」をまとめていたことを教わりました。
そして、戦勝後に割譲をもくろむ地域として澎湖諸島や台湾がピックアップされており、宗方もその方針の下に海軍嘱託として行動しています。
その宗方の澎湖島従軍日記の3月27日の項に、日本軍が攻撃支配した漁翁島の土民総代が慈悲を求めに来た事を記し、「我を称して大明国大元帥と云ふ」と書いています。
日清戦争の渦中に「大明国」が亡霊のように現れ、文楽の世界との符合に驚きました。宗方も国姓爺になった気分が少しあったでしょうか?

そんな中で、市場に俄かに現れてきたのが台湾産パイナップルです。これまで多かったフィリピン産よりも高値で500円前後します。しかし外観がすっきりしており、購入して十日余り過ぎても部屋の置物として存在感を高めています。
スーパーの野菜果物担当者によれば「急に出回ってきた。五月中は続きそう」とのことでした。箱には台湾東南部の屏東地区の農民の名前が書かれていました。
3月1日に突然「検疫性有害物質」という理由で中国政府から輸入差し止めを受けた台湾パイナップルは、台南市・嘉義市など台湾南部が主産地であり、民進党の地盤にも重なります。
3月3日には蔡英文総統も参加した「買鳳梨、挺農民」(パイナップルを買って、農民を支援しよう)デモンストレーションが開かれ、日本からも昨年比3倍の6200t?の大量の発注が為されたようです。
その内の1個が我が家のリビングにあり、大げさに言えば世界に繋がっているわけです。

文楽の演目名では「国性爺」ですが、鄭成功は明朝の朱姓を賜った親分という意味の「国姓爺」と呼ばれます。1月に出版され、2月に増刷された鄭維中著の『海上傭兵 十七世紀東亜海域的戦争貿易與海上劫掠(原題:War, Trade and Piracy in the China Seas 1622-1683)』(衛城出版・新北市』の一節には、

・・・第二次大戦の頃、国姓爺は「民族英雄」の元祖として喧伝され、中華民国が台湾に立て籠った1950年代には強烈な国姓爺ブームとなった・・・資料研究レベルは浅薄で民族主義の宣伝に過ぎなかった、とあります。565頁に及ぶ大作『海上傭兵』の索引には国姓爺・鄭芝龍・鄭成功の項目が他を圧しています。

この本を勧めてくれた台北在住の友人の添書きにも、発売後に多くの読者を得ているとありました。
多くの脚注に出典が記載されている中に江樹生先生の名前を見つけて懐かしく思いました。出来の悪い学生二人を相手に第3中国語として閩南語を二年間教えて頂きました。直後にオランダへ移住されました。

台北の読書家と上海タイガース党の弁護士は、京都大学法学部で恩師を共にしています。意識の磁場に台湾に関することが惹きつけられた日々でした。