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2020年12月23日

人権意識 ―中学校時代の私と教師時代の私の回顧―

井嶋 悠

第四章 修学旅行

修学旅行は3年次に東京方面に行った。東海道新幹線の開業は1964年なので当時はなく、「きぼう号」という修学旅行用の夜行列車で行った。2人掛けの座席がそれぞれ向かい合いあってあり、中央の通路を挟んで配置され、1か所4人用、今でも一部同型の客車を見かける。日をまたぐころまで大変な賑わいである。先生が注意され続けていたとの記憶はない。“彼ら”も含め和気あいあいの深夜時間であった。
それぞれの理由で、一生で一番の思い出としている生徒もあったはずである。そんな時代であった。
学習塾は、いわんや進学熟は限られ、通塾するのはごく少数派であった。私は小学校時代も含め行ったことがなかった。良い時代であった。学校教育があった時代のようにさえ思う。

引率の先生方の疲労は相当なものだっただろうと、後に教師になった経験から想像できる。それほどに活気溢れる中で、私のクラス担任(3年次で2年次とは違う先生となっていた)の好々爺の先生が、行きの車内で進路に係る個別指導会を始めたのである。
4人座席の一隅に座り、順次生徒を呼び進路を確認し、時に助言を与えるのである。一人10分くらいだっただろうか。開かれた指導。教師と生徒の信頼関係。就職する生徒もごく自然にあった。学年で1割くらい(30人前後)が就職であったろうか。
私の場合、五分ほどで終わった。

「希望はあるのか。」
「いえ、特にありません。」(当然のように公立高校に行くつもりだったからである。
「そうか、×××を受けてみんか」と或る国立大学付属高校を挙げて勧められるのである。
「・・・・・・」(初めて知る学校名であったこともあり、どうとも答えられなかったのである)
「まあ、考えとけや。」

私立学校(とりわけ中高校一貫校)は多くは都市圏にあって、私立優先の保護者(どちらかと言うと母親にその傾向が強くあると経験上思うが)が多い。多さの理由の一つに、私立には学校区制がないこともあるが、主な理由に卒業後の進路が関わって来ることが多い。大半は、特に大都市圏では大学進学が前提となっている。大都市圏での私立校志向はより熾烈で、生徒の学校生活は大半が塾併用で、あたかも二校在籍の感である。
ただ、ここには「大学の大衆化」の負の側面、例えば大学格差の広がりと両極化、これまで以上の差別化、といった問題が顕在化しつつある。

私が知るこんな例がある。
或る小中高一貫校で、小学校の卒業生の多くは他の有名(この表現自体に違和感がある)中高一貫校に進学する。その入学試験は概ね2月から3月[小学校の三学期]にかけて行われる。受験は中学卒業後、高校卒業後の進路にも通じていて、頼りは学習塾[進学塾]であるのが多くの現実である。進路相談を塾でする家庭も多い。早い子どもは小学校低学年から通塾する。小学6年次の三学期は総仕上げ期で、学校を欠席する児童は多い。そのため学校活動が機能せず、私が知るその小学校は三学期を自由登校とした。一時、新聞等でも取り上げられた。そこまでに到っているのである。これは、この学校だけの問題ではない。必要悪である。

やはり私がよく知るこんな例もある。
伝統ある私立中高校及び四年制大学の十年一貫校で、近年、学内大学進学者は学業成績不良者との摩訶不思議なレッテルを校内外で貼られ、多くは他大学(それもかなり難易度が高い大学)に進学する。ここにも小学校時代の通塾が影を落としている。そして高校時代の予備校通学が当たり前となり(早い生徒は中学3年次から)、在籍の高校時間は友人との社交時間と化し、幾つかの授業は予備校予習時間と心得、その日の最後のホームルーム[連絡]時間は当然のように姿はなく、かてて加えてそれを当然の如く広言する生徒まで出て来る。
学校の伝統と理念を大切に考えている、とりわけ卒業生の教師の困惑が続き、同窓会を中心に改革の動きがある旨伝え聞いた。尚、この学校は、最近他大学進学状況を公開しないそうだが、塾[予備校]では十分に把握している。この情報社会のいたちごっこ?

これらを異常と見るのは時代錯誤で、正常の一様相として認知されているのだろうか。もしそうならば、一層のこと社会も文科省も公認したらと思うが、コロナ禍にあって文科省大臣からそんな発言は聞いたことがない。タテマエとホンネ社会日本・・・。
この教育現状への疑問と挑戦から創設された、やはり私立校の例を。

中学校入試で、独自の入試方法(学力優先ではない方法)を実施したところ、直ぐに塾から困惑と疑問の声が起きたとか。何を基準に合否を決めているのか分からない、と嘆くのである。
その学校入学希望の保護者は、学校の目指す理念に共感し自身の子どもに入学を薦めたのだが、入学後、やはり塾が必要との現実の壁に向き合わざるを得なくなった由。入試当日には塾関係者が校門まで在塾生の応援に来ていたとか。その学校の教師たちは、独自の入試方法を矜持していたが、或る時期から目指している教育が立ち行かなくなった。あまりの基礎学力の無さに、思い描く教育段階に到らないというのである。しかし、例えば入試方法の再検討は進んでいないようだ。自負心がそうさせているのだろうか。

超難関と言われる大学で、この二重在籍学生たちが卒業し、社会で活動することに不安と懸念を抱いた教授会のことが、もう10年以上昔に報道されたが、何らかの変革の方向に行ったのだろうか。
私が出会ったその超難関大学出身者で、私が想うその大学らしい出身者はほんの一握りでしかない。
ますます現状は過酷となり、入学での燃え尽き症候群や高額年収家庭ほど合格率が高いと言われている。文部科学省の上級官僚[キャリア組]の多くは塾出身者と言って間違ってはいないかと思うが、その人たちの人生と塾について、そして現在の仕事について聞いてみたいものだ。

私が教師になり10年ほど経った頃から携わった帰国子女教育領域は、帰国子女教育は学力観を改めさせ、学校教育の変革を促す起爆剤となる可能性を秘めている、と期待されていた。今はどうなのだろう。それにしても、海外に日本からの、また現地創設の塾が何と多いことか。
今もってまかり通る帰国子女=英語ペラペラの、非人間性さえ感ずる浅薄さは健在である。更には、保護者にくすぶる屈折と差別意識。アメリカからの高校帰国生徒(女子・現地校通学)自身が、困惑し疑問を持たざるを得なかったこととして語ってくれた、日本人母親同士の次の会話。
「アメリカまで来て、アジア人なんかと付き合いたくはないわねえ」

帰国子女と海外子女は表裏の関係である。その表裏の関係の中で、現地での保護者世界に、子ども世界に、また日本人学校に派遣された教員世界に、差別、理不尽な偏見が厳としてあることは心に留め置いて欲しいと切に思う。海外社会は日本社会を映し出す鏡である。
「隠れ帰国子女」とは帰国子女自身が、日本の世相に巻き込まれ、苦々しく言い出した言葉である。

経済的に富める家庭の子女子弟が、進路進学においてますます有利になる懸念は、コロナ・ウイルス禍終息後、より深刻な問題になるように思えてならない。休校中の3か月は学力観を考える千載一遇の機会になっているとの期待があるにもかかわらず。
[グローバル・スタンダード](もちろん欧米スタンダードの意味ではない)構想の一環として、「九月入学」が話題になってはいるが、どこか一学期の遅れを取り戻すための安易な思い付きに思え、教育研究者の学会が指摘するように唐突感は免れない。或る知事が、私は以前から九月入学派、と言っていたのには唖然とした。今言うべきことではない。自慢?したいのだろう。
私は帰国子女教育の経験から、九月入学はこの国際化、グローバル化の時代、好むと好まざるにかかわらず、現行の一学期[4月から8月]の空白への深謀遠慮と学力観ともつながる具体化内容の検討を経て、切り替え時期に来ているとは思っている。
桜の下での入学式がなくなるのが寂しいなあと、半ば本気で、半ば苦笑して言っていたかつての同僚の貌が浮かぶ。

尚、この数年『国際バカロレア』なる初等中等教育に係るヨーロッパに起源を置く教育制度が一部で話題になっているが、その制度での【日本語】を経験したことのある私としては、二つの点からも議論[話題]して欲しいと願っている。

一つは、日本語教育と国語(科目)教育の相互性の問題
一つは、何年か前実施され現在壊滅?した「横断的総合的学習」との共有性