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2021年2月13日

人権意識 ―中学校時代の私と教師時代の私の回顧― 最終章 

井嶋 悠

人権意識への定着

私が60年前の中学時代に受けた衝撃は、厳しい現実と暗記的概念的に陥りがちな歴史を私に突き付けた。それは成長とともに、多くの人と比べればかなり遅い速度だが、沈潜化し内実化して行った。歴史の重みを知ることになると言えるだろう。
は第四章で記した[修学旅行]の車中で行われた進路指導面接時に奨められた高校に進学した。

高校は、歴史の浅い公立(国立大学付属高校)のいわゆる進学校であった。私からすれば、大学(それも或るレベル以上の)に合格さえすればそれで善しとする無味乾燥の高校であった。
その2年次、国語の時間に担当の先生の休みで自由作文を書くことがあった。ほとんどの生徒は、思春期真っ只中の自身をかえりみ、生きて在る苦悶を書いていたらしいが、それに引き換え、私は将来SLの運転士になりたい、と小学生時代に何度か利用した信越線の車外風景を織り交ぜながら書いた。すべてに遅いというのか遅れてやって来る私だった。私の人生は、人の数倍の時間がかかるのである。しかし、当時私にとってはSL機関士になるとの言葉が、私の感性にその時最もふさわしかったのである。因みに、そのSL機関士作文は、担当の先生からクラスで読み上げられるとの名誉に浴した。

加齢とともに確実に住みついて来た生きることの「哀しみ」「愛(かな)しみ」は、高校や大学時代に思うことはなくはなかったが所詮それは瞬間的で、観念的で、知識的だったと思う。
自身で自身に涙するほどに実感できるにはまだまだ時間が必要だった。

私の母校の中学校は、今落ち着いていることは前章で記した。
その母校に、何度か会ったことのある教育研究者[大学教師]が、生徒対象の講演会講師として招かれたことがあった。教師になって、何かの研究会で会った際、その教師は、みんなお行儀よく素晴らしい生徒たちだった、と喜々としてほめたたえるのである。
私は、つい昔を思い起こし、場違いであることは言い出して直ぐに気づいたが、「さぞかし先生方が裏で苦労されたのであろう」的なことを言った。すると、その大学教師の表情に不快感があらわになった。その教師は生徒を絶賛することが、すべてであったのだろう。
これは、大学に限らず教師にしばしば見受けられる、子どもを絶対礼賛の存在と見る姿勢である。私はそう理解したが、その大学教師が同じN市出身であるにもかかわらず、歴史にあまりに無知であることに疑問を持ったのである。疑問以上に不信に近いものさえ抱いた。

私がその中学校の卒業生であること、私も知りその大学教師も知っている人物が、講演当時教頭であったことに触れると、その教師は一切無言となり、立ち去った。よほど気分を害したのであろう。
研究者にしばしば見受けられる観念性、概念性を思った。研究者と現場教師との決して少なくないあの乖離である。マスメディアでしばしば接する専門家と現場の乖離。

母校の環境がすっかり変わったことは事実である。すっかり変わるにはそこに多種多様な人為が尽されている。学校だけでは解決しない課題に社会が稼働し、導いたのである。
私は生徒礼賛を否定しているのではない。すべての児童、生徒、学生に、それぞれの可能性がある。当たり前のことである。ただ、それが学校でどれほどに為し得ているかは別のことである。
褒めることがその可能性に弾みをつけることも、教師経験から十分承知している。しかし机上的な礼賛には抵抗がある。偽善の眼差しすら覚える。

欧米の教育は褒める教育、と言われるが、私が帰国生徒入試で経験した、英語圏の現地校や、英語が第一言語であるインターナショナル・スクールからの受験生の内申書を見る限り、確かにはじめはほめているが、その後ほとんどの場合、「しかし、とか、けれども」といった逆説の言葉が出て来る。そして私たちは、書き手の主眼が逆説に続く後半にあることを知っている。日本も同じである。日本は何も貶す教育をしているわけではない。ただ、褒め方、褒めた後の導きに違いがあるように思える。これも人権先進国の為せることかもしれない。
こんな笑い話のような話を、アメリカの現地校の教師から聞いたことがある。「記号選択の問題で困ったら鉛筆を転がせ」と。

人権の回復、確立は、心ある人たちの献身と尽力の賜物である。かつて被差別地域であった場所には高層マンションが幾棟も建ち、商業施設が盛んに進出している。それらを見ることで差別はなくなった、と果たして言えるのだろうか。外観上のことで得心してやしまいか。そう自身に言い聞かせていないか。その地域の歴史と現在を知る或いは同市内で生まれ育ち、今も住む人々の多くは、完全に差別は解消したとは思っていない。
事実、これはN市以外だが、同じ差別の歴史を持つ地に住んだことの被差別地域の出自ではない知人から、生活する難しさを何度聞いたことだろう。それほどに深い。差別の根絶との言葉の重さに思い到る。

差別は決定的に悪である。断罪すべき人間の所業である。しかし、人の性、哀しい性と言ってしまえば、そこにあるのは人間の利己的ご都合であって、差別はいつまでも止まない。
知識としてではなく、また感情に溺れるのでもなく、心に直接入り込む活きた言葉が、差別を限りなくゼロに近づけて行くのだろう。それでもどれほどまでに解消されるのか心もとない。今もって自身の言葉になり得ていない寂しさを自身に見る。と同時に、その時々のマスコミの役割、責任に思い及ぶ。
例えば、こんなことである。
関西の或る市[A市・T市]は、高級で上品なイメージがマスコミによって全国に喧伝され、その地名が出るだけで、多くの人が讃嘆と羨望の言葉を発する。しかし、その場所は両市ともほんの一部の地域であり、被差別地域問題でN市同様の苦難の歩みがあったことを知る人は限られている。更にその問題は、底流で今も続いているのである。

マスコミは差別する側とされる側の分断に、決して意図的ではないと信じたいが、与(くみ)していることを自覚しているのだろうか。中でも影響力の強いテレビでの偏った発言に、然も知ったかのように追従することは、そこに生きる人たちに、愚劣にして非礼としか言いようがない。与える側の権威主義からの無責任、与えられる側の自己判断の放棄と追従。

インターネットの発展は途方もない。ネット社会の無名、匿名は、自身を絶対正義者と勘違いさせ、いずれ襲って来る表現への管理、統制も少し眼を広げればいくらでも例があるにもかかわらず、眼中にない。良心の一片もない冷酷な中傷、攻撃を繰り返し、する側は得々と自己満足に浸り続け、された側は塗炭の苦しみに陥っている。そういった人たちがいや増しに増えている。コロナ・ウイルス禍での大きな問題の一つである。自殺に追い込まれる人もある。それも女性の自殺が急増している。

人間の弱さを指摘し、乗り越える意思を言い、自己責任を持ち出し、諭す人が現われる。そんなカンタンなものなのだろうか。
そういう人たちにとって、私が身をもって知らされ、考えさせられた、人の人による人への差別の、中傷の歴史など、だからどうした、貴重な経験をしたねえ、で会話はそこで止まる。

人は、社会は、厳しい場面に向き合うと、本性が顕われると言う。コロナ・ウイルス禍は世界にそのことを示している。「新しい生活様式」を表明する国、地域が増えている。一大転換期である。否、そうしなければ、歴史は単なる知識で終わってしまうことを、私たちは体感的に知り始めている。
自粛は内省の時である。内省は人に忍耐と苦しみを要求する。人々の疲弊の色が際立ちつつある。限界に追い込まれ涙ぐむ人がいる。社会も多くの企業も同じ様相を呈しつつある。

こう言う私は、幸いにも「陽性」ではないが、その一人である。世界各国、地域では自省と対応が展開されている。にもかかわらず私たちはますますの不安に襲われている。なぜだろう。国の経済最優先[人があって経済と言う視点がそこにないとの意味で]指向に違和感があるからではないだろうか。指導者たちの言葉に、命の、生の息吹を直覚させないことが多い。
政治家たちは両輪を言う。ウイルスの回避、壊滅と経済再生の両輪。果たしてどれほどに日本は先行して為し得ているだろうか。人間が先か経済が先か。二兎追う者は一兎も得ずの危険。政府は経済を優先する。私は人間あって経済との考えに立ちたい。これ以上格差を広げるのではなく、「衣食足って栄辱・礼節を知る」との範囲内において。経済は時間がかかるが必ず復調する。日本人の勤勉さにおいても。

私たち一人一人は、一人の人である。そして日本は母性の国だと言う人も多い。それを肯定的にとらえることも大切ではないか、とも思う。母性はすべてを受け容れ、すべてに同一の愛を注ぐ。もちろん過ぎたるは、を知ってのこととして、である。
母性は女性だけの占有ではない。男性のそれでもない。男女性を離れて在るものとして言っている。父性も同じである。

確実に日本の明治時代以降の「大国主義(或いは大国指向)」のほころびが露わになりつつある。今こそ「小国主義」を俎上に載せ、再検討するべき時ではないかと思う。再と言ったのは、太平洋戦争での敗北で私たちは何を学んだのか、との思いからである。
ここで「小国主義」を確認しておきたい。
詳しくは岩波新書で刊行されている『小国主義』(田中 彰著)に委ねるが、小国主義とは大国主義の対照語である。現在のアメリカや中国、ロシアのような、経済、軍事等において世界を先導しようとするのではなく、一国の充足をもって善しとする考え方である。世界はその後について来る発想である。
それを目指した首相もかつていた。1957年、病のため短い期間だったが、戦前からそれを主張していた石橋 湛山(たんざん)である。

教育も然りである。国際化、グローバル化との用語を使って、あれもこれも遂行しようとする。しかし、それが現場を抑圧し、混乱させ、結果雲散霧消していることも多い。また、教育に携わる人々に、独善しかも感傷的独善が跋扈(ばっこ)していると言って、それを言下に否定できる人はどれほどあるだろうか。
教育は、他の領域と違ってすべての人が一切の例外なく関わる、日々の積み重ねの地道な世界である。華々しいアドバルーンなど不要な世界である。だからなおさら難しい。
一人と万人の相関関係の根底は人権であり、その確かな実現は、小国主義の方がより可能性が高い。中国古代の思想家老子が言う小国寡民の発想である。そして日本は少子化の只中にある。

60年前、私は中学校で、人が生きること、人権に係る大きな萌芽を得た。それも概念的知としてではなく身をもって得た。それは、高校、大学を経て社会人となることでいささかの成熟を持ち、やっと言葉が血肉化し私の中で定着しつつある。
だからコロナ禍での非人間的言動、ヒトよりカネ・モノ発想また為政者の無恥に触れるたびに憤り、日本人であることに思い及ぶ。災い転じて福と為す天が与えた機会を無駄にしたくないとの思いが強くなる。