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2014年1月17日

小人(しょうじん)と大人(たいじん)、そして生と死 ―私の読書体験に見る「必要は発明の母」―

井嶋 悠

 

学校教師の傲慢独善が一つの入口となって、7年間の心身葛藤の末、2012年4月、23歳で絶対平安界の住人となった娘のことは、このブログで何度か触れている。

その娘が、死に到る2年ほど前、敬愛する大人(おとな)大人(おとな)の定義とは何か。」と問うたところ、その人物は、しばらくの沈思黙考の末「死を受け入れる覚悟ができている人」と答えた、と遠くを静かに見つめる眼差しで私に言ったことがある。

時に憤り、時に絶望の深淵に彷徨(さまよ)い、時に無心に笑みをこぼし、悪戦苦闘している中、言葉[論理]ではなく、直覚的に生と死を思い巡らせていたからこそ、自然にそのような問いが湧いて来たのであろうし、その人物の答えに素直に入って行く自身がいたのだろう。

その私は、中高校国語科元教師であり、私が43歳で得た彼女の父親で、その人生からも、また教師のほとんどが言う読書と教養と人格形成との視点からも、甚だ低いランクの教師で、要は「小人(しょうじん)」である。そして、天は66歳の私に娘の死と言う途方もない悲哀(罰?)を与えた。

自責、悔悟、またその教師たちへの憤怒、と同時に同じ教師ゆえの自他への不信、更には妻や長男への感情移入と、今もその試練と戦っている。

そんな中で、娘が身をもって、私に、生と死、「おとな」であること、「たいじん」であることについて考えさせるべく導いているかのようにも思えること多く、2014年を迎え、早半月が過ぎ去った。

何度も私は、娘とその人物との問答を想像し、私自身が、己が過去の一切合財受け容れることからの新たな過去創り、その少しの前方の死を受け入れる覚悟創りに向かわせていて、その時、読書の力、働きが、一人の私的な体験知の抽出に有効作用していることに実感から気づかされている。

そこでは、何を、今さら、今ごろ、との(さげす)み、憐れみの(とが)めの微笑みの一斉射撃を思い浮かべながらも、同業間で九牛の一毛の共感のあることも願っている私がいる。

更には、この気づきは、60年有余の生活が、自身の言葉で集約できるのではないか、また
読書と教養と人格形成の不実践者にもかかわらず、ただ教養については「教養」そのものに未だあいまいなので今は措く、読書への持ち得た自然な首肯を失わず、概念的道徳に陥らなければ、ひょっとして私も「死を受け入れる覚悟ができている人」「“おとな”にして“たいじん”」に到達できるのではないか、とのささやかな期待にさえなっている。
尚、上記教養云々については、末尾「追記」で触れている。

しかし、これは私の感性指向への白旗揚げにも似た限界の顕在なのかもしれない……。

最近の私の愛読書の一つは、日本の古代から現代に到る約500人の有名人の「辞世のことば」(これが同時に書名)を集め、そこに要を得た解説を加えたもので、その副題にある通り、それは「生きかたの結晶」で、その言葉群は、言葉の究極のように思える。

私の敬愛する人物から一人挙げる。

青年期のデカダン、智恵子との出会い、愛そして智恵子の発狂と死、更には太平洋戦争時の文学報国会詩部会長への慚愧(ざんき)を経た詩人であり彫刻家であった高村 光太郎の辞世のことば。

「老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。」

その死に顔は、ことのほか安らかで、おだやかな美しさをたたえていた、とのこと。
私に彼ほどの深さはないので、解放される、楽になる、との実感は思い及べないが、しかし心共振する何かがこのことばにある。
死へのその人の臨み方から、人生を想像するダイナミズムにも似た感触である。

来し方を整理し、来たる方を思い描き、その最中での娘の死。その過程での読書への気づき。
「必要は発明の母」とのことわざが浮かぶ。
「発明」を、「自覚」とか「発展」に代えれば、そこには日々の生活者としての生の在りようへの、具体と説得力に思い到る。
ことわざの持つ、先人の生活からの知恵の存在感。
英語にも、ことわざではないが同意の表現があるとのことだが、日本語でのことわざの後ろには、日本の風土、そこに生きる日本人の生き様があると思う。
読書も然り……。英語学習も然り……。

10年ほど前に校務でシンガポールへ行ったときの、現地の人の言葉が甦る。
「その人の生き方によっては、日本人は日本語だけで一生を終えることができて羨ましい。シンガポール人は、マレー語と広東語と英語ができないと人生設計は立てられないのだから。」
これは、返還前の香港人も同じかもしれない。
その点、英(米)語第1言語・母語人はどうなのだろう?

「国際」の吟味もそこそこに、国際語=英語であり、それを操る国際人こそ優れて魅惑的な人間の一生であるかのような画一的価値観を背景とした
日本の、幼少時からの、書道を含めた国語教育や音楽・美術・家庭・体育教育を削ってまでの英語教育の時に強迫的な喧伝、
英語母語者も或る評価をしているにもかかわらず、中高校での旧来の英語教育への総批判と会話教育の安易さ。

(因みに、娘は書道、音楽、美術、(技術)家庭の増時間と充実の(体育は自身の運動神経の無さから言わなかった)願いをよく言っていた。)

「必要」の心身実感、緊迫感もなしに英語学習に奔走する姿は、文明国の知的な貪欲さの現われとして自負され、賞讃されるということなのだろうか。
しかし、そこに覆いかぶさる都市圏と地方の、都市圏の精神構造を善しとした格差の現実。

その現代日本とは、一体なんだろう、とやはり思う。

追記
読書と教養と人格形成に関して

私の3歳年長の1942年生まれの教育学者竹内 洋氏が、教養と教養主義について、大正時代の旧制高校を発祥とし、新旧教育制度の変換を経て、大きな変容期である1970年前後とそれ以降を述べた書『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化―』で、「教養からキョウヨウ」との表現を使っている。

これは、私が係わった帰国子女教育での「帰国子女とキコクシジョ」の表現とも相通ずるものでもあるように思えるが、私の3歳年長にして学識者もあってか、そこにはカタカナ化することでの慨嘆のようなものを感じる。

何も私に腹案妙案があるわけではないが、「教養からキョウヨウへ、そして新・教養へ」の時を迎えているようにも思える。
なぜなら、竹内氏が言う、1970年前後までの一時代を画した一大教養月刊誌『中央公論』『世界』の内、特集テーマに魅かれて『世界』の最近を読んでみると、いくら憂き世とは言え、この私でさえ益々心暗雲たちこめ憂鬱とさせ、政治不信、マスコミ不信になるばかりなのである。
その『世界』もマスコミの一翼である。統制化されない自由な出版の良さを思いつつも。
要は自己選択の責任? 自我での客観性、主観性とは? その自我確立の要件の一つが読書? 体験?……。

過去に通用した「教養」の引き戻し的再生でもなく、ライト感覚?の「キョウヨウ」でもなく、「教養」の伝統を土台とした現代性の感覚としての「新」教養……。

『世界』での私の、最近の実感例を一つ挙げる。
福島の原発事故の今に係る論説(執筆者は環境エネルギー政策研究者)を読んでいると、知らされていない、隠されていることを知ると同時に、筆者の問題点提示に共感する私がいるのだが、或る世論調査では、原発再稼働推進も含め、現内閣の施策支持率は、60%前後に及んでいるとのこと。

その現代日本とは、一体なんだろう、と行動あっての教養と智恵への後ろめたさと少数派の独善嘆き節で、もう一度思い、それに併行して「死を受け入れる覚悟」はまだまだ遥か彼方!と直覚し、茫然自失し、娘のくっくっくっという幽かな無心の笑い声を聞いた心持ちになっている。