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2014年3月26日

言葉・ことば・言葉・ことば・・・・・・ その2 具体(体験)と抽象(知識)と「私」の言葉 ―「学校」教育を論ずることについて、私の生と教員体験から、今思うこと―

[Ⅱ]―② 

中高校国語科教育から 

(付:或る中学校の英語教育、帰国子女教育)

 

 井嶋 悠

○国語科教育

なぜ、私は国語科なのか。

在籍学科が国文学科で、教職課程を履修するに際しての自然な流れで、敢えて外国語(文学)を視野に入れることもなかった、との甚だ消極的理由である。
それがためか、27歳時に思わぬ縁で教員になったこともあり、悪戦苦闘の日々であった。
ましてや最初の勤務校が、かの〝偏差値“で言う、トップクラスの女子生徒集団であったから尚更である。
しかし今振り返れば、それが幸いして「授業予習」への真剣度は大きく、「生徒が教師を育てる」真理を体得したとも言える。

10年後、大きな転機を迎える。

高校への外国人留学生(1年在籍で、毎年ほぼ2,3人が留学)への、自身から希望しての日本語指導であり、勤務校が「帰国子女受け入れ校」に名乗り出たことである。
そこで痛感させられた『日本人にして日本語知らずの国語科教師』

そして、当時学内制度としてあった国内外留学研修制度を利用し、大阪外国語大学大学院日本語科に半年間留学した。
日本語教育につながる様々な講座と演習、個性溢れる教員たち、日本語教員・研究者を目指す俊英たち(ほぼ全員女性で、なぜそうなのかは後々分かるのだが。)との出会い。

ここを原点としての、「聞く・話す・読む・書く」の4技能習得のための、「読解・表現・言語事項」指導を目的とした国語科教育体験の、私的実践・私見を幾つか挙げる。

体験したクラス生徒数は、以下で、事例として挙げる科目は必修科目である。

①  の学校  40人前後×3クラス(6年に一回、4クラス)

②  の学校  25人前後×3クラス

③  の学校  25人前後×3クラス

 

これを見て、先の勤務校の特性と重ね合わせ、或る“特別”感を持つ人があるかもしれない。
学力等々の理由から、クラスとして授業が成立していない学校、授業について来ない生徒は無視、切り捨てられている(そうせざるを得ない?)学校は、現にあるのだから。
私自身、非常勤講師と言う立場とは言え、そのような高校にも勤務し、或る程度ながら克服した経験もある。
そういった眼も含め、私の勤務校の事実を見ていただければうれしい。

私が授業に際し心掛けていたことは、現代文であれ、古典であれ、“目立つ子”に偏重することのない、生徒との応答、対話授業である。
しかし、これは、例えば小学校で、良きにつけ悪しきにつけ多くみられる「擬似家族的」関係からのものではなく、私が求めたのは、親愛の情を置きながらも、あくまでも他人である関係(他者関係)を尊重したい、との思いである。
これも、生徒からのさまざまな痛みを経た、その体験からである。
とは言え、余裕をもってできるようになったのは、教師人生後半になってからではあるが。

結論を先に記す。

【国語科教育(教員)と日本語教育(教員)の意識的意図的協働の導入を。
~指導目標を明確に、教師相互の啓発と謙譲に立って~】

◇言語教育と文学教育

造詣の深浅は別にして生徒学生時代から私は文学嗜好で、それは中高校教師にあってその限界は明らかで、その時に接した、或る日本語教育研究者の「国語(科)教育は、畢竟言葉の教育である」が、すべてを言い表していると思う。
社会性の視点ではなく、「ことばの教育」の視点から、「国語教育」より「日本語教育」の呼称の方が、より明確であると思う。
文学教育(授業)は、自由(必修ではなく)選択講座としてあれば良いと考える。

◇現代文学習と古典(古文・漢文)教育

○現代文

  読解[聞く・読む]

散文、韻文、またその中での、それぞれの特性によるいささかの差異はあるが、「言葉と構成(組み立て)」を常に根底に置き、筆者の意図を読み取る工夫であ
り、その上での鑑賞である。

(本センター委員でもある小学校教師の実践事例
5年生の公開授業で、小説(物語)指導に際して、生徒と共に副詞(この用語は使わずに)を順に採り出し、主人公の心の動きを確認していた。

教科時間数や教科内容とその目標については、それぞれ正論があり、あれもこれも、は生徒の時間、心への過重であり、更には功、奏すること何も無きで、やはりそれは学校理念で的を絞らざるを得ないであろう。そこに私学の特性がある。
私の場合、幸いにも!勤務3校の内2校が「進学校」を校是・標榜している学校でなかったので、私の今があると思っている。

尚、生徒たち何人かで《虎の巻(教科書準拠ガイドブック)》を共有することを(高価なので何人かで1冊共有し、後輩に引き継ぐ形で)、教師の学習効果、指導工夫にも有益で、薦めたいと考える一人である。

○表現[話す・書く]

添削指導の方法や物理的時間に加えて、教師の言葉観や表現観もあって、読解指導以上に難題である。

当初、全体・部分で細かく添削し、返却していたが、生徒自身煩雑に思うことやそれを基にしての再提出の時間的余裕みもなく、各生徒の表現に個別の全体批評をした上で、2,3人の生徒の表現をテキストに、「言葉と構成」を核にクラス全体で応答する方法に変えた。
この方法は、生徒の相互啓発を刺激した教室内対話も増え、実り多い時間となった。

○古典学習

古典授業の一つの型に[①10分:音読、②20分:文法事項を含めた語彙確認、③10分:口語訳、④10分:鑑賞]がある。

実際はその間に生徒⇔教師間の質疑応答等々があり、この型は机上の空論、理想?で、時に学習が数行、などと言うこともあって、プリント配布や板書による“一気呵成授業”も決して珍しくはない。
辞書(それも古語辞典・漢和辞典)を引くことの効用を否定するはずもないが、現実に実践している生徒は、学校差個人差があるとはいえ、少数であろう。
ここにあっても、否一層、《虎の巻(教科書準拠ガイドブック)》の有効使用を思う。

この《虎の巻》提案は、国語科教育の正道、本道から外れた邪道との指摘は当然あろう。
しかし、ほぼ100%高校進学にして、50%強大学進学の時代で、しかも学校教育環境の落ち着きのなさ、慌ただしさへの悲鳴も多い中、その指摘ははたしてどうなのか、とさえ思う。

ここに、教材と授業での「精選」議論のテーマの一つが、あるのではないだろうか。

それに関連しての、①の中学校での英語教育の事例を紹介する。
前述したようにこの学校は、明治時代にアメリカから来日した女性宣教師によって創設され、アメリカからの女性英語教師(兼宣教師)が、数年毎に交代する。

その英語教育(特に中学部での)は、高い特性と伝統があり、高い評価を得ている。
その主な内容・方法は、以下である。

・これまでに積み重ねてきた教育実践に基づいて独自に作成された3年間の教材

アメリカ人教師・日本人教師それぞれの個別授業と両者の合同授業 

その際、日本人教師は、その独自性の身をもっての体験者である卒業生教師である。

・週5日制の、1日6時間時間割にあって、週に6時間ないしは7時間の授業

この教育について、卒業生は、大学、社会人になっての得難い有用性を、異口同音に言っている。
ここには、担当教師は同じにもかかわらず、高校が欠落しているのだが、理由は、付設の大学(女子単科大学)があり、そもそもは進学校ではないにもかかわらず30年ほど前から高度?有名大学進学校評価に変わり(理由等については措く)、そのための大学「受験英語」との関係からである。

従って、彼女たちは、高校から(早い生徒は中学3年生から)ほぼ全員、予備校併学で、それは「五教科」に共通している。

進学校の方が、学習観、学習課程に明快さがあるとの言説は、ことの是非は別に、的を射ているのかもしれない。

○言語事項

内容としては「文法」「漢字・熟語」「故事成句ことわざ等」が、考えられる。

私自身、週1回の「口語文法」(中学校)と、「現代文」(中学校・高校)時間での「漢字」学習と小テスト実施経験を持つ。

しかし、今日、時間を割いての「口語文法」学習をしている学校はないのではないか。「漢字小テスト」については、『漢字検定』への昨今のこだわりもあって、時間を割いての取り組みに接するが、例えば「現代文」の時間に、教科1時間の半分近く割くことはどうなのだろうか。
進路によっては、これらは採点の客観性から入試、入社試験に多いようだが、文学史同様、試験前の1か月ほどの集中対応で完答はなくとも、可能ではないかと思う。

 

「国語」学力の低下に関して、何をもってそう言い得るのか、研究者ですら疑問視しているにもかかわらず、一部識者やマスコミは嘆き、危惧し、それに同調する人は多い。その時、懸念されるのは、漢字や語彙等の弱さをもって、学力低下に結び付ける単眼性の怖しさである。

そもそも、学力低下を糾弾する人に理系が多いことに、私たちはどれだけ自覚しているだろうか。

「ゆとり教育」総懺悔的世間にあって、「ゆとり」導入時の意味内容・方法に係る反省がどれほど行われているのだろうか。

国語(科)教育にとって、時間と先述の「精選」につながる内容のゆとりこそ、最も重要なことと思うのだが。

 

【補遺的備考】

「帰国子女・キコクシジョ」での偏狭、狭小からの解放を

―なぜ今もって「帰国子女教育」との領域、名称が、言われ続けるのか―

 

「帰国子女教育」が、日本社会の大きな課題として顕在化し、半世紀ほどになる。

そこに20有余年携わった一人で、先に書いたように帰国子女との出会いから自覚、自省を得た一人にもかかわらず、なぜ今もって「帰国子女教育」との領域、名称が、言われ続けるのか、との思いがある。

西欧社会には、「帰国子女」に相当する言葉がないと言う。
これは、何も西欧(また西洋)を善しとする例の発想ではなく、日本的なものを表わしているように思う。

最後の在職高校(③)でのエピソードを紹介する。

インターナショナルスクールの方に在籍していた、父:日本人、母:英国人の男子生徒との、夏休みを前にした時の会話。
(因みに私は、その生徒が高校2・3年生時に履修した「国際バカロレア」の『日本語higher(上級)レベル』を担当し、彼は秀逸な卒業論文(エッセー)を書き、アメリカの大学で映画を専攻後、現在は日本でその才能をいかんなく発揮している。その彼は、幼少時からの過程で、イギリスの現地校で、また日本の現地校(公立中学校)で、いじめを経験している。)

(尚、「国際バカロレア」については、ここ数年、教育関心事として話題になっているようだが、その経験とその後の通信教育での経験から、その話題の取り上げ方に疑問もあり、別の機会に私見をまとめたいとは思っている。)

「休み中は、日本にいるの?」と、ごく自然に、当たり前に、私が聞いた時の彼の反応。
「その自然さが、ここなんだよねえ。」

帰国子女と言っても、その海外在留中の学校背景は様々で、大まかに言えば以下の3形態であろう。

(尚、「子女」の用語については、辞書的には問題ないのだが、文字上で疑問視されていて、「児童・生徒」と言い換えることが多いが、ここでは「子女」そのままにする。)

・日本人学校出身者(基本的には小中学校)

・現地校出身者(ほとんどは英語圏であるが、英語以外の場合も)

・英語が共通言語であるインターナショナルスクール出身者

帰国子女との出会いは、日本(人)の世界での在りようや学校教育、また広く文化について、彼ら/彼女ら、保護者、教員から、具体的な発見と再考の、そして自省の、例えば「井の中の」自身など、機会を与えられた。
ただ、ここでは「学校社会は社会全体の鏡・縮図である」との視点で一つの事例を挙げるに留める。

された「隠れ帰国子女」なる表現について。
学校段階であれ、就職段階であれ、自身が帰国子女であることを隠す、というのである。
なぜか。

一つに、帰国子女=英語ペラペラが、社会に公然とまかり通っているからである。

先の背景からも、英語堪能者は確かにいる。しかし、在留期間や在籍校環境(外国人への英語教育対応等)等々から、その中身は聞く・話すだけの段階から4技能熟達まで千差万別で、そこに本人の性向、保護者の指向(家庭教育方針)が加わることで、「公然」への意思表示も様々である。
ましてや日本人学校出身者の、それも日ごろほとんど英語を使う機会のない地域での、心は推して知るべし、である。
その社会風潮から生まれた「キコクシジョ」との揶揄的表現

帰国子女との出会い初期のころ出会った、4技能全体で非常に高いレベルながら英語カタカナ語を極力使わず日本語で通していた他校男子生徒のことが思い出される。

英語(米語?)=国際語は現状で、世界を視野に生き、仕事を目指すならば必修であろう。しかし、日本と言う環境にあって、「必要は発明の母」も含めて、その英語絶対指向に疑問を抱くのは私だけなのだろうか。
先ず母語をとは別に、私の狭量、偏狭はたまた劣等性ひがみなのだろうか。

そして、英語以外での、例えば受験での、対応の狭さの現実。

在籍校種での区別なく、海外在留での異文化体験生活の、子どもたちの心への影響について、国内の私たちは、もっと想像力を広げなくてはならないと思う。
国内での転校でさえ大きな影響を与えるのだから。

(もっとも、最近は、都会の子どもの地方転校の場合、その転校生が在の生徒を排除、いじめるとのことであるが。)

往々にして“陽の当たる”(正逆含め)子どもたちに目が行ってしまう私の自戒と、広く大人、とりわけ教師への自問自答の期待を込めて、そう思う。
[これに関して?の恩師の言葉を一つ]
私が教師になるきっかけを作ってくださった、高校時代の恩師の、就職に際しての忠告の一つ。
「授業を始めたら、先ず廊下側(陽の当たらない側)に眼を向けよ。人は動物。自ずと窓側に眼は移動する。逆はない。」

私たち日本人は、日に日に心の余裕・ゆとりを失くしつつあるように思えてならない。

その根本を凝視し、変革せずして、自殺者がここ2年3万人を切ったとは言え、今も先進国で上位にある事実、また大人子ども双方の世界で頻出するいじめは、無くならないだろう。

文明・先進・一等とは何だろう?

原 民喜の「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためだけに生きよ」が、命を絶った、絶たされた、とりわけ近現代の若い人たちの面影と共に過って行く。