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2014年8月18日

私が「学校」「教育」を“語る”ことの大切さと虚しさと疾(やま)しさと その2 「学校って何だろう?」と考える私の必須と空虚

井嶋 悠

学校って何だろう?

高校進学ほぼ100%、大学進学54%(①京都66,4% ②東京 65,7%  私の現住地栃木 52,2% 最も低いのは沖縄 36,2%〈30%台は沖縄のみ〉)の現代にあって改めて思う。

そのとき、例えば次のような実態を私たちはどれほど共有しているのだろうか。

大学の大衆化の負の側面としてある大学の一層の格差化からの、

○専門学校進学の増加、

(大学での資格授与のための専門学校との様々な提携は数年前から行われている)

○“有名(偏差値高)”大学進学で絶対?!必要不可欠の塾・予備校の隆盛、

(私が知り得ている高い進学実績を喧伝する私学高校での、進学実績での予備校通学は当然、必然で、それができるからその高校に進学するという実態

例えば、長期休みが長く義務登校もほとんどなく、且つ週5日制で放課後活動も自由、《因みに教員も》、また、進学校を標榜しないが(有名)大学進学が自明かのような伝統校も。

高校の独自性を押し出すことでのAO入試等での受験生の、“生”は、生徒の生なのか先生の生なのか、という実態)

〔因みに、塾・予備校教師(小中高対象)は厳しい契約社会で、結果を出さなければ、つまり“プロ”との評価を得なければ解雇の世界で、旧知の男性は若い時2年勤務し、胃を3分の1切除した。私には到底勤まらない世界である。〕

○進学に係る都会と地方の格差、また都市圏からの似非上流階層?人の地方への蔑み

(都市圏からの移住者が多い地〈豊かな自然と生活の便利さが両立している地〉の小学校で、都会から移住して来た子どもが、土地の子どもを「汚い、臭い」と言い、それを親も知って知らぬふり、教師たちももの言えない、そんな世界が日常的にある旨、土地の人から聞いたことがある。)

「汚い、臭い」と嘲り、からかう子どもたちはきっと笑いながら得意満面言っているのだろう。それは笑いの原則「優者」が「劣者」へに立てば、いっとき流行った「勝ち組」「負け組」で、世は、政治家等国を主導する人々、は「優者」「勝ち組」価値観に、ほとんど無意識下で立っているように思える。

〔これについて、映画「男はつらいよ・フーテンの寅」シリーズの監督、山田洋次氏が、今はどうか知らないが、映画が完成すると、下町と山の手の映画館に行き、観客の反応を確認している旨言っているのを何かで読んだ。
そこにあった「下町ではしんみりとした場面の反応が、山の手では笑いとなる」旨書かれていたことが、私自身未だ為し得ていない「同情」と「愛情」につながることとして、私の中で今も強く残っている。〕

笑いの客観性(理智性)と情緒性(心情性)と社会性。笑いと泣き[涙]の表裏一体。

以上は世の常識としてあるのだろうか。

状況進行の変化[悪化]のまま何年、何十年?過ぎたことなど周知徹底していて、それが現実で、だからこそそれに打ち克つ術を教えることが、親の責務全うで、私がごとき不可解な夢想家?など大人失格なのかもしれない。

またこれは、1980年前後からの少子化とは、どのように関わるのだろうか。

小中高校の、学校数・教師数・生徒数の2010年の統計から、その概数を記す。 

小学校  学校数 21,000校  教師数 42万人  生徒数 677万人

中学校      11,000校  教師数 26万人  生徒数 355万人

高校       6,200校   教師数 32万人  生徒数 346万人 [中等教育学校・特別支援学校・高等専門学校を含む]

非常に単純粗雑な計算ではあるが、教師一人あたりの生徒数は以下である。

小学校 16人  中学校 14人  高校 11人

『週刊朝日』2014年4月、で掲載されている全国2317高校〈全体の約37%〉の主要大学合格者数によれば、首都圏、中部圏、関西圏、北九州圏等で、採り上げる大学に若干の違いはあるが、「主要」とされているのは、以下の数である。

・国公立大学  16校  ・私立大学  14校

(余談ながら、私の出身大学は上記にあるが、妻のそれは伝統ある幼稚園から大学院までの総合学園の大学にもかかわらずない。)

上記の事項や数字と合せると、どんなことが読み取れるだろうか。

ところで、保護者の教育費負担はどうなのか。
家庭の経済状況はどれほど改善されたというのだろうか。

(現首相は自身の名前を冠にして「○○ミックス」と言い、今確実に出てきている効果を津々浦々までに、と得意気に言っているが、私が知る東京都内の自営業者の苦悶と怒りを知っているのだろうか。)

備考として、大学生家庭の平均年間収入と進学大学を記す。

950万円以上が、東大生57%、東大生以外一般23%から、疑問に思う人は相当数であろう。
これは、京大で「東大に行けなかったから」と平然と言う現代、旧帝大は大同小異かとも思う。

その東大、2001年、立花 隆+東大「立花ゼミ(4名)」による「東大生はバカになったか?」での、バカの是認、また立花氏が提案する3分の1くじ引き入学案、それ以前からあった「医学部教授会」での危機感等々、現在はどうなのだろうか。
それとも東大にさえ入れば、何とでもなるということなのだろうか。

私は、この現状を様々な場で直接に知り、理念と生(生活)の間で問答して来て、「大人」!?としての虚実リセット“ゼロ”!の69歳、「はてさてお前はどうする?」天声しきりの日々ゆえになおのこと、前回引用した旧知の女性弁護士の言葉が、私に強い衝撃性を与えたのだろう。

「学校幻想」をしっかりと伝えられる立場にいたにもかかわらず、やはり私も“先生”(“ ”は、以前やはり自照自省から書いた、生徒や保護者〈多くは母親)の前で、現実現場を承知しながらも、だからこそより独善的に、時に神意識さえ醸し出す傲岸で理想を独り滔々と「語る」教師を指している)で、

同時に、

教師を当然のように信頼していた、篤実で純情で、だから生真面目な娘を善し、とする親であった私について、脳裏を飛び跳ねる。

形容語はそれを発する人の価値観、倫理観、真善美観を表わす。
私にとっての、「優秀」の内容・定義とその先天性と後天性に、先に書いた「優者・劣者」「勝ち組・負け組」とも重なって思いが行く。
これは、私が「学校って何だろう?」との制度的にも内容的にも多様である学校[抽象語]への自問が、「私の学校」と言う具体を問うているのと同様に。

「やり直しができる」との意味での「ゆとり・寛容」社会を確立し、長寿化の今にもかかわらずある「18歳・人生4分の1時での人生決定」観をナンセンスの極みと否定し、
“主要教科”とか音楽・美術・書道・保健体育・技術家庭を蔑みでもって“芸能科”という無恥で愚劣な表現をする教員や保護者の意識を変え、

一切の例外なくある子どもの特性を、自身が、家庭・親族が見出すための、各教科と教科間連携と教科を離れた多様な校内外の統合的12年~15年間(最大15年間、卒業時21歳の中での、自己選択を含めた柔軟体制)の有機的機関が学校で、そこに教師の専門性と力量が問われ、それらがあっての進路進学である、と
私は娘の7年間の苦悶と死、その過程で彼女の嘆きと憤りをオーバーラップして思う。

彼女はよく言っていた。
「学校で、大人になって大切さを痛感する書道と技術家庭をもっと教えるべきだ」と。

中学校は小学校の、高校は中学校の、大学・専門学校・企業は高校の、教育内容を、それぞれの現場はどれほど統一的に把握しているか、
そして教師・学校運営者の多くが、組織と個人の概念的、主観的な把握と対立に見る独善がどれほど糾(ただ)されているか、公共性の中で一層自問自答すべきだと思う。
そこから必然的に「学力観」についての吟味、再検討も起きる。

いつぞや聞いた、企業人の言葉「大学で理論とか余計なことを教えないでください。教育は私たちでしますから」と言うのは、今も生きているのだろうか。

物質文明での富国と強国の邁進を善とした価値観を前提に、対症療法を繰り返して来た国(具体的に言えば、政治家、官僚、学者、大企業、マスコミ)の、日本再考、洞察と展望、意識変革の緊要を思う。
その時、教育機関への税金・補助金増額との論法は、論外で却下されるしかないのだろうか。

[2011・3・11]の天災と復興、人災と対応、その時間、そして最近の政・経と平和観に疑心が向かう。
大空襲と原爆被災国日本が、古来持つ、人間間に、人間と八百万の神在られる自然間に底流する「かなしみ(悲・哀・愛)」―それは古が伝える日本人の生と美《もののあはれ》につながると私は考えている―は、畏怖、畏敬そして謙譲の稀薄化と併せてもはや遺蹟でしかないのだろうか。

私と同世代の“偉いさん”でもなんでもない心共有できる人々の、郷愁とはほど遠いつぶやき。
「どうして若い人たちは黙っているのだろう!?」
怖い今である。

私の学校観には、今では雲散霧消した「総合学習」の雲散霧消理由と一部重なっている。
それは、ヨーロッパを起点とする【国際バカロレア《IB》】教育の有効性について、相当以前から学び検討すべき対象として一部提唱されていたにもかかわらず、ここ数年、あたかも新しい視点かのように声高に言う一部教育関係者や文科省の、自国日本を含めた脱亜入欧的劣等感と虚飾の軽佻浮薄、似非エリートの滑稽溢れる錯覚とも、IB日本語指導経験も得た私の中での重なりである。

私たち娘の親は、死への一因となった教師たちを、学校を、糾弾する公的手続きを採る意思は当初から、そして今もない。
それは、娘の強い遺志であり、そもそも学校の、教師の、教育委員会(娘の通学校は公立)の対応が、私の「実」体験から透けて視え、そのことでこれ以上心の傷を受けたくない、との自尊からである。
私は私学勤務であったが、人として、教師として尊敬し、私の卑しさを知らしめた校長、教師は極めて稀少(敢えて数を言えば、アメリカ人も含めて10人余り)で、対応は公私立関係なく大同小異であるとこれも体験から確信している。

「学校」を考える、私の『必須』と『空虚』。
しかし、今だからこそ、私を整理総括する一つとして、娘への鎮魂と私の贖(あがな)いとして、また人間社会への或いは人間への懐疑としても、敢えてその必須に傾かそうとする私が蠢く(うごめく)。

33年間の時間にあって、国語科教育、日本語教育、帰国子女教育、外国人子女教育、国際(理解)教育に直接関わる幸いを得た、決して優等な教師、親ではなかったと自認する一人ゆえになおのこと。

学校世界の権威的正義の偽善、独善が一層そうさせたのか、閉鎖的“人間”社会に疑問、違和感を持ち始めた教師生活10年目頃の1984年、

永畑道子氏(幕末から現代に到る女性の姿を追った『おんな撩乱―恋と革命の歴史―』等の著書がある)が、母親としての経験も込め、自身にとっての「ほんとう」を求めて直接訪ねた、香港日本人学校を含め11校(取材校はもっと多い)のルポルタージュと私見の書『ほんとうの学校を求めて』に出会った。

その書が刊行されて30年が経つ。

改めて読み返し、掲載校の存亡とは関係なく、そこで報告、提議されていることの幾つかは今も、いやその時以上の重さで覆いかぶさっていることに気づく。
それでも日本は「進歩」を遂げていると言う……。

書の刊行以降、新たに「ほんとうの教育」を求めて創設された、私が直接間接に知る私学が、関西で少なくとも4あるが、はたしてその理念と現在の実態は、今どうなのだろうか。
現代社会に迎合せざるを得ない、それが生(せい)の現実よっ!と言われれば、私はどう反論できるだろうか。

次回、私の教師人生で出会った、私を、学校を、日本を考えさせた、多くは私の中で今も未解決ながら、生徒・教師の言葉を、そこで何を考えたのかの私感と併せて記したい。私の人生の或るまとめとして。