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2014年8月29日

私が「学校」「教育」を“語る”ことの大切さと虚しさと疾(やま)しさと その3 教師だった私の心に刻印された生徒・保護者・教師の言葉と私感 A. 教師原点習練期

井嶋 悠

A-Ⅱ

                        宗教教育

                        外国人子女教育

 

A「原点習練期」とは、「アメリカ人女性宣教師によって120年前に創設された女子中高校」(西宮市)での最初の勤務校で、17年間勤務した。その後が、他校でのB「新たな教師挑戦期」である。

◎宗教教育と中高校生徒

勤務中高校は、キリスト教主義(プロテスタント)校ゆえ、週5日の内、4日はパイプオルガンのある講堂で礼拝が持たれる。(後1日は各クラスで)この礼拝での感動、心の揺さぶりは、思春期の彼女たちにとって大きかったことを卒業生のほとんどが言っている。
私のような人間でさえ、荘厳なパイプオルガンの響きと讃美歌は、音楽の天上性を直覚する。
その最高潮となるのが、各自1本のローソクを持っての中高生全員による「クリスマス礼拝」である。

この礼拝は日々の学校生活でのキリスト教また聖書体験は、ここ数年仏教や東洋思想に心向いている私に広がりを与えている。

ところで、そこでの生徒の受洗は非常に少なく、生徒たち(とりわけ高校生)の牧師をはじめとする受洗教師や外来者による礼拝時の講話に対して、また時にその人に対して、非常に厳しく、シニカルなものであった。
それに比して、前回記した校務分掌高校生徒会担当での交流等で知ったカソリック系学校生徒の受洗率は高く、修道士・神父や修道女・シスターへの尊敬度は実に大きかった。

理智(叙事)と情感(抒情)。言葉と人間。具体と抽象。

感性鋭く瑞々しい思春期の中高生への宗教教育の難しさを思い知らされた。

この私の見聞体験からの感覚には、10代の彼女彼らにプロテスタント系とカソリック系の違いが与える感覚と思考だけでなく、学校云々の前に日々の生活の根幹である家庭(具体的に言えば、保護者)の生き様の持つ大きさ、影響力、そしてそれと重なるその子どもの10数年の歴史があるように思える。

 

◎私にとっての外国人子女教育の原点

 上記校では、毎年、高校2年次で、1年間の留学生を[AFS・YFU等が仲介]2~3名受け入ている。(日本からも、同様に留学生を送り出している。)
その日本語教育に、自身から希望して携わった。

この初めての体験は、日本語母語者の国語教師にもかかわらずの日本語曖昧者、英語低レベル者を身に染みて知ることとなる。

その数年後、学内にあった国内外での研修[国内 半年、国外 1年]制度で、大阪外国語大学(当時)大学院日本語科に在籍した。
ここでの経験は、国語科教育と日本語教育の融合の有効性や、日本語教育学徒との出会い、先生方の個性等々、大学教育のさまざまな面を一社会人として新しい眼で再認識する新鮮で、豊潤な時間となった。

その一つに、ドイツ語ドイツ文化研究者と大学院生による視聴覚教育研究会に参加し、日本語でのオノマトペ(擬声語・擬態語)を再考する貴重な機会もあった。

これらは、職場復帰後の自問自答、人生多感も手伝って、豊饒とはならなかったものの、次に様な日本語教育体験への礎になったように思う。

それは、限られた時間での日本語習得の限界のなかで、私自身興味をもってでき、受ける側の興味と有効性にもなることとして、1年の後半時から、彼女(たち)による「創作絵本」(ストーリー・描画共に)制作という収穫である。

このアイデアが思いの外彼女たちに受け入れられ、完成したものの中から3作品を、本センター・ホームページ【http://jk-asia.net/】の、「活動報告」に掲載している。

それらを観ていただければ、ここ数年、アジテーションのように言う日本の一部「知識人」の言葉、「日本よ、もっと自信を持て」が、30年前のアメリカの、ベネズエラの、タイの高校生たち10代の感性からすれば、日本の真と善と美を忘れて何で!?といぶかしがる、現在50歳前後の彼女たちを思い浮かべさせるだろう。
その私は、日本が今、そして次代に向けて目指す姿が示唆されていると思っている。

また、この留学生受け入れでは、引き受け家庭の日本人ゆえの難しさ―例えば、留学生をどこまでも客人と見る姿勢とそのための家庭のそして留学生の疲労感―を知ることともなった。
そのことは、後に知る韓国の家庭の、日本にはない積極的受け入れ姿勢から、同じ東アジアにありながら、その島国性と大陸性の違いに思い到ることとにもつながっている。

私と外国人子女教育の「原点習練期」としてもう一つ記す。

当時、私は任意の国語教育と日本語教育の融合(旧来の、日本語教育から国語教育へのタテの融合ではなく、ヨコの融合)を意図した研究会『関西日本語・国語教育研究会』をしていたことから、他校の40代のこんな先生(女性)に出会った。

この研究会は、従前の国語(科)教育と日本語教育理解から脱却し、国語科教育から日本語教育を考えようとしていたのだが、「子どもたちの国語学力低下になる」との批判から抜け出るには遠く、参加者は甚だ少数で、その中にあって先生は貴重な一人であった。

先生は、アジアの日本人学校派遣教員経験を持ち、公立中学校の国語科以外の先生で、派遣や在職中学校での経験から、日本語教育の有意性、重要性に着眼され、在職校に設けられたニューカマーの在籍生徒を対象とした「センター」で日本語・国語指導を、孤立無援的にされていた。
その先生の言葉から二つ。

「公立高校入試の国語対策の直前、最後の指導は“過去問”を暗記させる。5割から時には6割ぐらいは確保できる。」

「ニューカマーでない、日本語を母(国)語とする生徒の受講希望があるが、規定でできない。」

この先生の取り組みは、「教育困難校」の持っている背景や課題、また授業理解度の表現としてある「七五三構造」(小学校・中学校・高校の授業理解度)の、根本的解決に向けた示唆となると思うのだが、それから20年経った今日、文科省の提案は以下である。

呆然、唖然、塾通学を自明の前提としての、根源或いは背景を意図的に避けた“官僚的”そのままの悪しき対症療法以外何ものでもないと思うのは私だけだろうか。
しかも、大手塾(予備校)の人的・物的大幅縮小が発表されたほぼ同時期に。

―子どもの貧困率が悪化する中、文部科学省は所得の低い家庭が多い公立小中学校の教員を来年度からの10年間で2千人増やす方針を固めた。

塾に行けない子に放課後補習を行うことで貧困の連鎖を断ち切るのが狙い。― (インターネットニュース文を引用)
次回は、「教師原点習練期」でひときわ大きな影響を持った「(海外)帰国子女教育」と私を記したい。