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2014年11月10日

私が「学校」「教育」を“語る”ことの大切さと虚しさと疾(やま)しさと B. 新たな教師挑戦期   その1 「教師は人間である……」

政治的人間
Ⅰ  言葉と「二人」の教師と私と

井嶋 悠

この醜文は、その2回の時期(一つは、新たな挑戦として飛び込んだ40代半ば、もう一つは、退職の決意に到る50代後半)に中間管理職的な立場にあったこともあり、一層の私の不甲斐なさの悔悟の取り繕いに過ぎず、私事的、私怨的との難詰を受けるかもしれない。

しかし、一人については20年後、一人については10年後の、ここ1,2 年の今、時が“事実”を炙り出し、娘の死がより自照自省を進め明確化した私論、教育を教師―聖域とまでは言わないがどこか不可侵的領域の教師社会或いは教師個人―から考える意義を思い、書くことにした。

尚、炙り出した内容は、次のⅡ.「権威と権力の魅惑と怯えと哀しみ」(仮題)の最後に書く。

 

生きている限りにおいて人は政治と何らかのかかわりを持つ、と言うか持たざるを得ない。
その時、人は両極二派に分かれるように、極(・)文系人間の私には思える。
一つの派は、政治的人間。もう一つの派は、非政治的人間。能動的表現で言えば唯美的人間。

私の心性・心根は、憧憬でもあると同時に、高校前後年齢からの遍歴や1970年前後の全共闘運動への共鳴(シンパ)から思えば後者である
しかし、59歳での33年間の中高校教員生活の終止符、自然と人間と現代日本を体感できる地方への転居、2年半前の娘の死の、己が人生への重なり合いから、日本の政治への苛立ちが表に立ち現われ、我ながら驚くほどに政治的人間になったと思う。
もっとも、それは老人になった証し、と説く人があるかもしれない。

これは、「政治と芸術」との古今東西の課題に通ずるのだろうが、私には到底手におえる代物ではないので避けて通り、ここでは政治を意識し始めたといったほどの意味で使っている。

少なくとも私の周囲での、その政治を生業(なりわい)とする「政治家」の心象(イメージ)はすこぶる悪い。
その一人である私の政治家像は、あくまでも日本の、それも昨今の限られた政治家たちしか知らないが、二つのイメージが、保守革新、与党野党、右翼左翼問わず浮かぶ。

自身を善にして正義の人と信じて疑わない不遜な偽善者。

権威、権力を後ろ盾にした厚顔無恥の言葉の排出者。

ただ、微少な知見ながら、以前『石橋湛山評論集』に少し触れた記憶では、氏は例外だと思う。

前回のまえがきで記した「私を、更には何人かの人々に辛酸をなめさせた二人の上司」の共通項こそ、この二つのイメージがある。

 

□熱く、時に感傷(センチメンタル)に、教育と理想を、口調の静と動の違いはあるが、聞き手(保護者や生徒、またメディアや後ろ盾)に、有無を言わせず一方的に語り(私からは対話を避けているようにしか思えないのだが)、煽(あお)る。そして聞き手を巻き込み自己陶酔する。
政治家が政治家同士での会議でどうなのか知らないので見当違いかもしれないが、たまたまなのか、二人は教員会議等の校内公的会議にあって、どこか視線定まらずおどおどびくびくして話す。

言葉は、古代からの人々の心の結晶であり、天につながり、私たちを包み込み、時に襲い掛かる。
日本では「言霊のさきはふ国」。
仏典にはこんな言葉がる。「安らぎを達するために、そして苦しみを終滅させるために、ブッダの語りたもうた安穏な言葉、これこそが、言葉のうちの最上のものである。」そして「色即是空、空即是色」。
唯一絶対神を奉ずるキリスト教では「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」。同じく唯一絶対神を奉ずるイスラム教でも唯一神アラーの言葉は絶対である。

その言葉を弄する生業にあった国語科教師にあった私は、自省を込めて思う。
二人の言葉使用事情は、天への冒涜であり、人の傲岸そのものである、と。

言葉の暴力で、自ら死の意思決定をした人は多い。現代は、言葉⇔情報氾濫時代である。
情報氾濫は、日本だけではない。にもかかわらず、自殺者数世界10位以内に、日本と韓国が10年来多いのはなぜなのか。
それについて、既に以前投稿したので重ねて触れない。

「文は人なり」と言う。
ここでの「文」は文章の意味であるが、話し言葉の方が、表情、音調が直接わかり具体的で、より人柄を表わす。とりわけ「察する」文化を血肉に受け継ぐ日本人としては。

二人は日本人である。同僚の私たちの視線を、人間らしく察しているとすれば、なるほどと思う。
東洋文化の華、禅は「以心伝心」を言う。合理主義の歴史国、欧米人で禅に魅かれる人は多い。
自身の不安と恐怖に戦(おのの)きながら演説する独裁者(自身は救済者としての英雄)の証しかもしれない。
二人の内一人は、敬虔なクリスチャンを自認し、公言する。
世情に不安や危機感を皮膚感覚で察知している人が多い時代、このような人物に傾倒する人(私の知る限りでは女性に多い。なお、これは女性批判ではない。)が、増える。
怖ろしいことである。

老子曰く「多言なればしばしば窮まる。中(ちゅう)を守るに如かず。」
孔子曰く「巧言令色、鮮(すく)ないかな仁。」

言葉への、或いは言葉と人への私の視点は、言うまでもなく一つの視点で、絶対ではない。
人が、己が絶対を言い始めることで堕落が始まる、と私は考える一人である。しかし、絶対意識なくして進歩も創造もないとの考え方に違和感を直覚しながらも全的に否定する絶対的!私の根拠もない。

「教師原点習練期」で、私はしばしば教員会議の議長を経験した。伝統校との自負、気概もあってか、その議論は侃々諤々(かんかんがくがく)。この議長での経験は、そこに到る20数年間の人生と生得がもたらした、“相対”を、その正否は別にして(当然のことながら)、より成育させたかもしれない。
しかし、これはしんどいことでもある、と「人間(じんかん)」から多く解き放たれた今、思う。
因みに、議長は選挙で選出された(この学校では、要職は概ね選挙で、新たな挑戦期での学校は企業式で、そのことも私の不可解さを強めたかもしれない。)のは、投票者の多くが、同様の感覚を持っていたのかもしれない。

先の老子の発言の章の冒頭は「天地は仁あらず」で、その解説(小川環樹)では「非情」「無為」との言葉が使われていて、非(情に非ず)・無(無用の用)の用法に重ねて眼を開かされると同時に、引用箇所に共感する私がいる。

二人の言葉使用事情は、あくまでも私の疑念であって、あくまでも人間を絶対理知的に見る人々からすれば、二人は優れて“人間的”との批評を受けるだろう。
しかも、言葉は人間の叡智の創造、結晶で、そこに他の動物との差異があるとも言えるのだから。
かてて加えて、一人は詩集を幾冊か出版し、学校説明会等で自署販売し、詩人を誇示する、と聞いている。(私は直接にその場に居合わせたことがないし、知らずして言うなかれ、を承知しつつも読み、知りたいとも思わない。)

日本の学校教育にあって、「スピーチ」「ディベート」の積極的導入が、必然、当然とされて何年かが経つ。それを否定するものではないが、そこに演技性(的)のわざとらしさを直感する私がいることも否定できない。

これは私の特異性かもしれない。
1900年前後からの西洋、とりわけヨーロッパでの、近代合理主義や唯一絶対神キリスト教への自省的懐疑がなぜ起こったのか、更には絶対的犯罪である戦争が、相対的犯罪として公認され、第2次世界大戦(日本に引き寄せて言えば、太平洋戦争)を作り出し、今もって根絶は永久(とこしえ)にあり得ない、と私たちに思わせているのはなぜなのか。
「人間だから」と言われてどこか得心するのはなぜなのか。

2011.3.11の天災と人災は、自身の「人間的・人間らしさ」とは何かを問うている。
そのことを彼方にしての「地方創生」の無意味(ナンセンス)。担当大臣の空疎な観念的夢物語。

私は、自然への、天への畏敬が人間的である、との考えに与したい。
実践のない言葉は軽んぜられる。しかし浮沈繰り返し続けて来た『日韓・アジア教育文化センター』の具体的活動をいささかの申し開きとして発言する。

先の一人は国語科教師でもある。(管理職と言うことで授業はしていない。しかし、同じように管理職で授業を担当していた人々を知っている一人としては、避けているとも思えた。)

国語科教師の指導に「表現」がある。
表現指導(ここで言う表現は、説明文、小論文の領域)での最重要は、書かれた言葉が、書き手の深奥から出て来た訴え(主題)かどうか、それを紡ぐ言葉が自身の言葉かどうか、を推察し判断する力である、と教師晩年にやっと確信できた。
知識の多少ではない。これは、大学での教職課程履修では習得できない。

大学入試に「小論文」が多く導入されて数年後、新聞に掲載された或る大学教授の寄稿「読んでいると、工場でベルトコンベアーに運ばれて来る製品を検査しているような感覚に襲われる」は、私の指導経験を省み、また他教師たちの指導実践を知り、一層卓見であると思う。
もっとも、このような私見など、あれもこれもの、それも“主要5教科”が当たり前の表現の、教育課程にあっての学校そして塾、予備校時間の日常の無茶苦茶、不条理が、根本的に解決しない限り―解決するはずもないが―虚しいだけなのだが、同意する若者がいることを思い、付記する。