ブログ

2015年6月7日

「このまま死ぬのならむごいものだねえ」 そして ―有識者会議曰く「首都圏の高齢者は首都圏から出て行け」、とさ―

井嶋 悠

「このまま死ぬのならむごいものだねえ」は、作家・尾崎 翠(1896~1971)が、75歳、故郷・鳥取の病院で高血圧と老衰で全身不随の中、肺炎を併発し、亡くなる直前に大粒の涙を流して言った言葉である。 彼女は、生涯独身で、病を抱えながら身内、親族のために作家活動を横に置いて献身した。

私が彼女を知ったのは、元中高校国語科教師だからこそなおのこと一層の無知・無恥をさらけ出すが、つい3年程前、エッセー『悲しみを求める心』に感銘を受けた時である。 娘が、7年間の苦闘の末23歳で憂き世から旅立って間もなくである。
無知・無恥を更に加えれば、それを機に彼女30代に発表され高い評価を受けた幾つかの作品を読んだが、己れの想像力、感性力、理解力の無さを思い知らされるばかりであった。
にもかかわらず、私は、そのエッセーと年譜から彼女の優しさと哀しみに心揺さぶられ、私の中で、神々しいまでに輝く美しい女性の一人となった。 エッセーから何か所かを書き写す。

(父の死に出会った時)
「私の頬に涙が止め度なく流れた。七年以前のその時から今日まで私はたびたびその時の心に返った。けれどそれは  追憶のかなしみであった。……それは人の死の悲しみではなくてたゞ父の死にむかってのひととほりの悲しみであ  ったのだと私は思った。私は父の死によって真の死を見ることは出来なかった。」

「私は死の姿を直視したい。そして真にかなしみたい。そのかなしみの中に偽りのない人生のすがたが包まれてゐる  のではないだろうか。」

母に「私もこれから先十年のあひだだよ」と言われた時。
「私の頬には父の死にむかった時よりももっと深い悲しみの涙が伝はった。それは瞬間のものであったけれど真の涙  であった。母の心と私の心とはその時真に接触してゐた。私の願ふのはその心の永続である。絶えず死の悲しみに  心をうちつけて居たいのである。……私の路を見つけるための悲しみである。」

私はこれまでに、妹の、父の、生母の、そして娘の死に向かい合った。
エッセーを読んだとき、彼女の言う「母」を、私の「娘」と無意識下に重ねている自分がいた。その自身を確かめたくて2年余り私の言葉を続けている。その文章の優劣とは一切関わりなく。
その営みは、私の教師としての、自身としての人生から、生きることの[真・善・美]が、「悲・哀・愛(しみ)」であると確信するようになっている。
更には、その心映え、霊性こそ日本ではないか、とも思いだしている。
そこに【日韓・アジア教育文化センター】の一つの原点があり、一つの背景があるのでは、と個人的に思っている。

それは、浅学を忘れた厚かましさで言えば、日本の伝統美「もののあはれ」に通ずることとして得心している。
その得心を私に与えた一人、日本文学研究家・山本健吉(1907~1988)の『もののあはれ』では、詩人西脇順三郎(1894~1982)の「詩は存在自身の淋しさである」を引用している。 その西脇は、ヨーロッパ体験を踏まえて「人間が本来の性質にある哀愁感にもどることが一つの大切な文化的精神と思う。」と他のところで言っている。

このことは、奈良時代には稀有な長命(660年ごろの生まれ~733年没)で、今日伝えられる作品が、様々な人生苦を経ての60代後半の作である官僚で歌人(当時、職業として歌人というのはなく、職業化したのは江戸時代以降)・山上憶良の歌、中高校の教科書にもしばしば採用される『貧窮問答歌』の志しにもつながることである。
尚、人々の貧窮を歌った作品は、萬葉集中唯一とのこと。
人々と自身の貧窮の実状を述べた長歌の後の短歌は以下である。

―世間(よのなか)を 憂しと恥(やさ)しと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば―
(注:恥し・仏教でいう自身を反省し、恥ずかしく思う心)

ただ、憶良に共感する私だが、 彼の辞世の歌『士(をのこ)やも 空しかるべき 万代(よろづよ)に 語りつぐべき 名は立てずして』(男たるもの、語り継がれる名を立てずに生涯を過ごすことがあってよいものか、の意)のような意思、気概は私にはない。

この賢人たちの生への思いは、生きること・生死一如の葛藤に打ち克ちながら、自然と共に、また人間界に在って、謙虚に生きることの重さ、深さであり、そこに日本(人)を見ようとする意思ではないかと思う。
しかし、今の日本はどうだろう?
これまで何度も具体的に書いて来たので繰り返さないが、私たちの心に巣食っているのは、傲慢であり、独善であり、差別の無意識化で、且つそれに馴致されている怖ろしさであるように思えて仕方がない。
国家予算がアメリカに次いで2位(3位は中国)で、超借金大国で、モノ・カネ物質文明と消費文明を最善とするかのような社会風潮の現代日本。
これは、私の学校教育世界での33年間を、今高齢者となって地方に在住し69年間の己が人生を、顧み・省みることからの私の言葉なのだが、例えば教育と福祉の領域で私と同意見者は周りに多い。
中には、日本をもう一度徹底的に打ち壊し、組立て直すべきだ、と激烈(ラジカル)な言葉を発する人もいる。

そんな折、先日、産業界や研究者でつくる有識者団体「日本創成会議・首都圏問題検討分科会」(座長・元総務大臣)が、以下の事由から高齢者の地方移住促進を提言した。
曰く、
・首都圏の介護需要が、他地域と比べて突出している。
・首都圏の医療、介護の受け入れ能力が全国平均より低い。
・2025年には75歳以上人口が現在より175万人増え、全国の増加数の3分の1となる。
・その2025年に医療や介護の人材が80万人~90万人不足する。

慄然とし、唖然呆然とする。それが副題である。

これは、現状からの将来懸念が数値という客観性で示されているのだが、過去での施策の深謀遠慮と実行経緯の不備、失態の省みがなく、あたかも首都圏在住者の責任のような響きさえ感じられ、同時に地方の人々への温もりもない。
「有識者」とは、この場合政府の諮問的会議ではあるが、一体どういう「識」を「有」する人を言うのだろうか。
また団体名に「日本創成」としたことに、どのような意図が働いているのだろうか。
これは、他のことでも言えることで、「対症療法」は多く提案されるが、根源的(ラジカル)にとらえ直す発想がない。
だから、先の激烈な言葉を、少なくとも私は否定しない。

蛇足かとは思うが、先に書いた「地方の人々」については、地方人=善人といった単純(或いは自虐的優越意識)な発想ではなく、私の今の居住地(栃木県)で聞いた、都会からの移住家族の子ども(小学生)が在地の子どもをいじめるという過去とは真逆の事例が象徴する、現代の差別意識の根底、背景にあることへの疑問から言っている。
と同時に、今もって「同情」と「愛情」の間を彷徨っていて、つくづく愛情の稀薄である私を自覚しているのだが。

立法・行政を担う政治家たちは「私たちは選挙で選ばれた、言わば国民総意の体現者ですよ」と言うのであろう。
しかし、その言葉は、どういう国民を頭に描いてのものなのだろうか。
それは教師が、親が、人々が、「児童生徒学生」を言うときと同様に、そこに発言者の生の価値観、人格が見えない。例えば「グローバル人材育成と海外帰国子女教育」と言われた時と「企業が求めるグローバル人材育成と海外帰国子女教育」と言われた時の違いのように。

18歳選挙権が確定した。
飼い馴らされた20歳以上の一部?大学生・社会人の若者より、厳しさと激しさを未だ秘めている高校生が選挙権を持つことに、私は期待を寄せている。
教科によってはその授業との関連で、或いはホームルーム活動で、課外活動で、思想と現実の政治(政党ではない!)について、結論をせっかちに求めることなく、しかし生徒の時機を逸することなく、各生徒の生の問題として、時に教師が問題提起者となり、大いに議論したら良いと思う。
それは「国民のために」と当然過ぎることを正義派よろしく声高に言う政治家を選ばないことになるし、これも繰り返しの自省として、教師の独善、傲慢の自覚と反省、意識改革にもつながるであろう。
一部で、高校生の政治活動への懸念が言われているそうだが、そのこと自体、理と知だけから人を見ようとする大人の独善、傲慢である。
1918年(大正7年)、詩人・西條八十(1892~1970)が、童謡(唱歌)『歌を忘れたカナリヤ』を作詞した。 その一番の歌詞。

歌を忘れたカナリヤは うしろの山に捨てましょうか
いえいえ、それはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋けましょうか
いえいえ、それはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょうか
いえいえ、それはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは 象牙の船に銀のかい 月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す

詩、「うた・歌」。
私自身全くと言っていいほど無縁であるが、先人は31音の和歌に、自然への、人への思いを託した。
つい70年前、太平洋戦争で、日本のために命を散らした学徒兵たちも辞世に際して和歌をしたためた。
そう思って、西條八十(当時、西條は生活苦にあったとのこと)の詞、とりわけ最後の2行を読むと、子どものための歌を越えた大人への警鐘とも取れるのは、あまりに私の取り過ぎだろうか。
その漢字「海」は、1画少なくなって(合理化?)「母」が消えた。

私の中で、やはり「母性」「父性」そして「親性」が、それも日本(人)の、気にかかる。
そんな折、根ヶ山光一編著・氏を含め10人の大学教員執筆による『母性と父性の人間科学』(2001年刊)という書に出会った。学術的予備のない私だが、教えられることの多い書なので各章の表題を抜き出しておく。

1、生物学からみた母性と父性
2、霊長類としての人の母性と父性
3、日本史における母性・父性観念の変遷 ―中世を中心に―
4、母親と父親についての文化的役割観の歴史
5、江戸の胞衣納めと乳幼児の葬法
6、ポスト近代的ジェンダーと共同育
7、発達心理学からみた母性・父性
8、教育関係のエロス性と教育者の両性具有 ―教育学における母性・父性問題
9、同性愛の親における母性・父性

付記すれば、8章は、在職時いろいろと考えさせられることも多く、この問題についてこれまでより踏み込んだ研究があまりない、との筆者の言葉と併せて、より身近な説得力があった。