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2015年6月30日

現代だからこそ情感の言葉と《間(ま)》に会いたい ―日本人の国民性と現代日本と―

井嶋 悠

 

独りあれこれ思い巡らせていると「あやしうこそ物狂ほしけれ」、気が触れたかのような己が絶対善境地に陥る。
娘の無念を心に刻み、親としての、教師としての、自省、悔悟、贖い(あがな)をせめての娘への供養とし、且つ自身を整理したく、2年前からこの【ブログ】に「そこはかとなく書きつけ」ている。  [上記「  」は、『徒然草』の冒頭から。]
ただ、吉田兼好との決定的違い、己が小人を承知しているので、それは不善の臭いともなる。
古人曰く「小人は閑居して不善を為す」と。

孤独の狂喜はひとときで、襲い来る不安、脆弱な自身からついつい逃げ出したく人間(じんかん)にさまよい出る。
娘は生前、「独りであることの安堵と絶対の孤独の恐怖」を言っていたっけ。
幼子の、微笑みや今ここしかない一途な眼差しに、至上の快を持つこと以外多くは後悔し、帰宅を急ぐ。
ましてや、同世代更には上の世代の、高齢者を“印籠”にしたかのような傍若無人に出会おうものなら、権威を笠にする人々への嫌悪と同じく、己が小人を忘れて、腹を立て、やがて寂しくなる。
そして無性に砂浜が広がる海辺に行きたくなる。

行きつ戻りつ、歩むと思えば立ち止まりまた歩み、時に走り、歳月人を待たず、再来月古稀を迎える身。
「独生(どくしょう)独死独去独来」「無常」の真意が、はたまた「大道(だいどう)廃(すた)れて仁義あり。慧(けい)智(ち)出でて、大偽あり。六親和せずして、孝子あり。国家昏乱(こんらん)して、忠臣あり。」(老子)が、人為の知ではなく、体感の言葉として承知し始めた昨今。
その私は、縁あって10年前から自然豊かな地で日々を過ごす年金生活者。
3年前の娘の死と向き合いながら。
古人曰く「衣食足って栄辱(礼節)を知る」……。栄辱(礼節)を、人倫・羞恥と置き換え。

この【ブログ】寄稿を楽しみにしてくださる人もある。「棄てる神あれば拾う神あり」。何という幸い。生きる力。

私は娘を通して、それまでに少しずつ直覚していた生きることの「かなしみ:悲・哀そして愛」を確信した。67歳だった。
教師で、しかも海外帰国子女教育や外国人子女教育に長く携わった私は、「国際」とか「グローバル」といった多くの学校社会が彩る言葉から日本を考えるのではなく、それらを濾過したところから日本そのものを考えることの大切さに到っている。それは、1993年からの日韓、1998年からの日韓中交流、2004年『日韓・アジア教育文化センター』創設を経て、日本の過去と現在を考えることが、自ずと韓国・朝鮮、中国、台湾を考えることになる、との私なりの到達点でもある。

日本は、被爆国にして太平洋戦争[第2次世界大戦]敗戦国でありながら、日本人の勤勉な資質と朝鮮戦争、ベトナム戦争特需の、言い換えればアメリカあっての、恩恵を受け、50年もせずして世界超経済大国の文明先進国となって今日在る。
しかし、思う。
ほんとうに「世界超経済大国の文明先進国」だろうか。
そのように思う根拠については、これまでに何度も触れたが、今幾つかを再び列記する。

国家予算がアメリカに次いで世界2位にして、同じくアメリカに次いで世界第2位の借金超大国(これは何ら心配無用と専門家は言うが、今もってよく分からない。)
無尽蔵の金満国かのように外国への有償無償供与。
国内に眼を向ければ、子ども6人に1人が貧困家庭で、世界に冠たる長寿国、高齢化社会が予測されていたにもかかわらず、財源不足を口実にした福祉の、また災害復興の、停滞、下降、そして安直そのままの増税、つまりツケを国民に回す無責任。
一部?公務員・大企業従事者だけの所得増の現実と津々浦々までの経済成長浸透宣言との乖離そのままでの諸物価高騰。
認知症以外の原因も含めた2014年の行方不明者の届け出は81、193人。
繰り返される政治家の外遊での多額の税金使用に見る尊大と媚び。

問題が起こればその度毎に、善き政治家を自認するかのように得々と提示される対症療法的施策。
例えば、ここ10年余り先進国中1位の自殺者問題(この3年程、韓国が日本を超えているが、韓国人の友人曰く「韓国はまだ先進国とは言えない」との説に立って)。
教育での家庭経済からの歪み。
男女同権度142か国中104位。
「思いやり予算」が象徴する沖縄への本土防波堤視線と言葉だけが虚しく浮遊する憐憫の情(先日の、沖縄戦終結70年の式典での首相の挨拶と「帰れ!」の言葉の決定的違い。命の息吹の有無。)
集団的自衛権に見る“アメリカ正義”への忠実な下僕。追従。
原発なくして文明生活はなし、かのごとき脅しとうごめく功利。
「日本創成会議・首都圏問題検討分科会」の、大都会圏政治家、有識者の無意識化した不遜。
西洋崇拝の日本にもかかわらず、欧米の根源的自問自答からの改革の歴史〔例えば、フィンランドの、国家変革指向があっての教育改革と自殺多数国からの脱却〕に触れず、結果だけを崇める日本。奇妙な自尊心。

これこそ「成金国家」ではないのか。だから多くの私たち国民は「成金」。
将棋に詳らかな私ではないが、金将と銀将、その動きから銀将の堅実さを思ったりする。
因みに、言葉に係る英語圏でのことわざは、「沈黙は金、雄弁は銀」。

ギリシャ時代の哲学者アリストテレス(紀元前4世紀)の「成金」定義を、その要点のみ孫引きする。

  • 幸運に恵まれた愚か者。
  • 傲岸不遜。
  • 贅沢を見せびらかす。虚飾。
  • 金がすべての評価の基準。
  • 他人への無理解。
  • 権力者志向。
  • 古くからの金持ちよりもっと下品。
  • 傲慢や抑制力のなさからの不正行為者。

 

どうだろう?
現在の日本に当てはまると考えられるのは、8項目中何項目だろう。
私の場合、ほぼ上記そのままの上司(管理職の教育者)との職場体験や首都圏からの移住者の多いこの地での生活体験も含めほとんど重なる。そのとき、私は私についてどう言葉にすれば良いのか……。

そんな日本に誇りが持てるだろうか。
次代を担う若者に借金と虚飾の愉悦の他に何を託すというのだろうか。
18歳以上に選挙権を与えた意図は何なのだろうか。まさか、大人の資格を与えることで金銭徴収の義務化意識を染み込ませ、徴収の安易化を図ろうとしているとは思いたくないが。
…………。
大人になればなるほど人間は利己になるとは言え、或る時を過ぎるとその自身を嫌悪する自然が生まれる大人も多い。

日ごろ人々を強い矜持で導こうとする、政治家や官僚や学識者[曲学阿世の徒]、またそれを支えるマスコミ人といった有識者!は、少子化、高齢化になることは当然予測されていたにもかかわらず、その昔、どんな深謀遠慮を働かせていたのだろう。
今日、責任者たちが、学校での「起立、礼」よろしく詫びる姿は恒例!行事化!しているが、短慮を恥じ、心伝わる言葉で詫びる政治家や官僚や学識者を、寡聞ながらほとんど知らない。

学校教育社会は、国や地域社会を確実に反映し、だから学校教育は国・地域を変革する基盤ともなる。
しかし、公私立問わず、実態はどうだろう。あくまでも時の政治の、国の価値観に合った歯車養成場で、それに疑問を抱けば排除される。「個性」を活かすとの教育フレーズの一方での「自己責任」との大義名分による切り捨て?
企業が求める人材養成が教育だ、と豪語する教育関係者は多い。
教育の画一化。全体主義化。
学校への、教師への不信は、確実に増えている。娘のこと、私の体験的知見からもそれは明白である。
その打開は、学校形成者の核、教師の、閉鎖的権威主義や固陋な保守保身についての、教師自身の自問自答なくしては進まない。
良識を模索する教師が教育現場からどれほど去ったことだろう。

言葉の人間のことに思い及ぶ。理知性と感性、霊性と言葉。そして日本人と言葉。
教師は言葉を駆使し、10代の瑞々しい感性は、時に言葉で、時に無言で、時に身体で反応する。思えば益々広がる怖ろしい時間と空間の学校、教室。
よくぞ33年間も続けられたと自賛する私の魯鈍な感性? 或いは生きることでの妥協?
59歳で退職した無茶と己の限界、それを受け容れた豪気な妻への感謝。

「日本人は現実的、即物的な国民」との国民性に係る言説を思い起こす。
例えば、社会心理学者南博(1914~2001)の『日本人論―明治から今日まで―』(2006年刊行)に導かれて知った、「日本人優秀説〈日本人万能主義〉」や「西洋崇拝説〈西洋人万能主義〉」に偏ることに注意深かった教育学者野田義夫の『日本国民性の研究』(大正時代(1914年刊)。
そこで、野田は以下の10項を挙げ、その長所・短所を説く。

1、忠誠  2、潔白  3、武勇  4、名誉心  5、現実性  6、快活淡泊  7、鋭敏

8、優美  9、同化  10、慇懃

その5、現実性について。

【長所】 「現世的実際的実行的」  例えば神仏祈願での[息災延命、子孫繁昌、家内安全、武運長久、国土安全]
【短所】 「浅薄な実用主義、卑近な現金主義、現在主義のため、理想を追って遠大な計画を立てる余裕がない」

この指摘に、多くの日本人が得心するならば、現状の日本を軽薄で、短慮との私の批判は成り立たない。
それは、「諦め・諦念」(「いき」の一要素でもある)、「水に流す」との日本的感性から外れるのだから。
そのときどきが快であれば善しとする刹那を愛し、貴び、言葉もそのときどきの得心で事足りる。
政治家の、官僚の、また評論家の、言葉の無味乾燥さと優越意識の漂いは、タテマエとホンネに鋭敏な彼ら/彼女らの有能さの証しなのかもしれない……。

西洋を範とした文明開化からほぼ150年が経つ。その西洋は言葉を論理ととらえ、学校での言葉の教育は厳しい。そして「国際」から遅れまい、否、世界のリーダーを目指す日本の、欧米教育導入の躍起。
日本の子どもたち真心(ホンネ)はどうなのだろうか。
これまでに出会った多くの、多様な帰国子女の顔が浮かぶ。

論理としての神【キリスト】の言葉を前提とすることの重みとそれが土壌にない日本。
新約聖書『ヨハネによる福音書』は、次の言葉で始まる。
初めてこの一節に接した時の感銘は、今もクリスチャンではないが、私の中にある。

―初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。―

以前、上記部分の英語聖書を幾つかを見ていて驚いたことがある。「言」、「WORD」が、「LOGIC」となっている書があった。
私の英語力は、55年余り前の公立中学校英語から少しも進歩していないが、それでも英語映画を観ていて、彼ら・彼女らの言う「promise」の重さに感心している。
さすが、言葉=論理とした倫理の国である、と。
それに引き替え、日本の「指切りげんまん」の、残酷でもあるが、しかし広がるほのぼのさ。

そこに加わる、母性の国日本、父性の国アメリカといった背景印象の違い。母性=女性、父性=男性との単純等式ではなく。
覆う、包み込むこととしての母性。断ち切る、囲み込むこととしての父性。
人為での、自然との関わりでの、母性要素と父性要素。
更には、「からごころ」と「やまとごころ」の異化と同化の文化史と日本の伝統。

ところで、国際人、グローバル人と母性・父性は、どうなのだろうか。ちょっと面白いテーマとも思うが、まだ不勉強。

大相撲を含めスポーツ選手の「疲労骨折」や文武関係なく「うつ病」発症の増加と現代、そこに近代化による言葉観と日本(人)の風土が育んだ言葉観の狭間にある日本人の接ぎ木疲弊をつなげて思うのは、周回遅れの私の老人性と視界の狭小と牽強付会の為せる戯言なのだろうか。

立ち止まることの意義とそれを許容する社会の優しさの幸せな調和に今も遠い日本。
平均寿命が、1970年の[女:70,19歳、男:65,32歳]から、現在[女:86,61歳、男:80,21歳]
にもかかわらず、こびりついて離れない『18歳或いは20歳人生決定観』。アメリカ追従にもかかわらずそれはそれ的の、何という滑稽。

情感が強く響いた言葉を一つ。
筆者は洋画家斎藤 真一(1922~1994)
[略歴:1942年~1945年、現・東京芸術大学在学中に学徒出陣。卒業後、高校美術教師。1958~1960、フランス留学。藤田嗣治と親交
を深める。帰国後、1962年ごろから瞽女(ごぜ)に、1985年ごろから吉原の遊女(花魁(おいらん))に、心を寄せ、彼女たちの
哀しみを情感込めて描く。]

その斎藤の書『瞽女=盲目の旅芸人』(1972年刊)に収められている、瞽女と彼との恋の情感溢れる絵[赤倉瞽女の恋](赤倉:新潟県)に添えられた言葉。

―赤倉瞽女「カツ」が村の男と親しくなったのは二十歳すぎである。行年四十四歳、カツは岡沢村瞽女宿四朗右エ門(しろえむさ)に
て死んだ。まだ若い姉さん瞽女であったのに……―

切々とした哀しみが、末尾の……と合わされて伝わって来る。

因みに、彼の1972年1月20日の日記には次のように書かれている。

―現代のようにものの大義が渾沌とした時代に立たされると、今まで信じていた歴史の大道もふと懐疑の念をいだかざるを得なくなってしまうものだ。むしろさりげなく力一杯生きて来たある時代の善良なる名もなき人びとの生活記録の方が、(中略)はるかに人間らしく真実がみなぎっていたかのように、ふとそのようなものに感動してしまうのである。(中略)
多くの人たちのイメージの中では、瞽女は全く疎外された暗黒に生を得ていた敗残者のように見られていたかも知れないが、私には少なくともむしろ彼女たちに一つのある光明とも思える実に純粋な芸人としての生活のあり方を見たのだ。(中略)
人の目は、いつの時代にも燦然と輝いた華麗な美しさにあこがれまどわされるものだ。要は美しさが外に向かうか、内に向かうかの違いであって、いずれに軍配があげられるのかの問題ではない。いわば両者に魂のあるかなしかの問題である。―

斎藤が直覚した情感は叙事と叙情の重なった厳しい眼差しで、私が直覚した情感は感傷かもしれない。
斎藤には描画の卓越した技術があるが、私には描画はもちろんそのような才はない。
しかし言葉と人、そして風土(国民性・地域性)と時代について私の中で少しでも鮮明になれば、私の心の中での私の描画ができるかもしれない。