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2015年8月3日

2015年:「節目」の八月 ―戦争を知らない、敗戦後第1世代から怒り一寸(いっすん)―

井嶋 悠

七月の不順気候が終わって八月になった。2015年8月。
私が、東北地域と関東地域の境目の地に、“江戸っ子”妻の勇断で移住して10年が経つが、初めて経験する見事なまでの酷暑の日々だ。
"  ”をつけて言うのは、私の知る限りの、その地の風土を醸し出す人物への敬愛表現からである。多くは女性なのだが、理由は分かるようで分からない。そして6歳年上の従姉妹の一人に典型的“京女”を思っていて、やはり敬愛している。

そんな私は、暑中と言うより熱中にあって、高齢の枯淡、閑雅などどこの世界の話?そのままに、いつにも増しての「沸点・短絡」、厭世?感募り、作家・宮尾登美子の代表作、『鬼龍院花子の生涯』の映画化(1982年・監督:五社英雄)で、花子を演じ、急性白血病から27歳で夭折した、かの妖艶にして清華な女優・夏目雅子の、“キレ”セリフを借用すれば、「なめたらいかんぜよ!」の情動の日々。

誰が、誰をなめるのか。一部の?、政治家が、官僚が、学者が、マスコミが、多くの国民を、である。

全共闘世代とは、1965年から1972年までの、全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争の時期に大学時代を送った世代とのことで、私が学部から大学院に進学した1969年はその中期で、彼ら彼女らの志しに敬意の衝動を感受したが、ただ眺めていた非政治的気質の「ノンセクト」人間であった。 ただ、なぜか新左翼先鋭派に属する先輩後輩をはじめとして、左右両翼の俊秀との出会いを持った一人である。
もっとも、一方で『枕草子』研究の第1人者からは、研究室出入り禁止を言い渡されもしたが。

今、その無政府的(アナーキーな)心は、「老人優待パス」をもらえる年齢になって揺らぎ始めている。
と言うのは、年金生活者、地方移住との環境変化から都鄙を含めた自他への客観的視野を持ち得たこと、
同業の中高校教師が起因の重要素となっての苦闘の7年後の4年前、23歳で天上に旅立った娘のこと、
それを契機に彼女の鎮魂と供養、また無念を晴らすことをも意図して始めた、中高校学校教育体験からの己が整理と学習への衝動、
『日韓・アジア教育文化センター』の[ブログ]への投稿は、ごく自然に、日本社会に、文化に私を導き、日本の現在に、時にはほとんど絶望感さえ襲いかかる。
かてて加えて、33年間の教師世界(私学)で出会った、権威・権力志向の権化にして実践者が、猛暑が一層そうさせるのか、しきりに脳裏を過ぎり、その実践者の同じ人であることを全く忘れた感性が改めて思い起こされ、そこまで人を愚弄するのか、と切歯扼腕(せっしやくわん)することしばしばである。

2015年になって、巷間では日毎に「70年の節目」との言葉が、走り回っている。
私など、先ずそこにいかにも官僚的、観念的臭いを直覚する。
現首相の、「寄らば大樹の陰」の隷属を拠り所にした独善的好戦的志向と他者軽侮、人の生・命への非情(これについては、かの集団的自衛権に限らず、国会等での表情、態度、言葉遣いから明らかで、人間性との原初への疑問、いわんや国の代表者としての不適格に同意する人はいや増している)からの思考と発言が露わになり、それは現天皇の、父・昭和天皇の意を受け止めた哀しみの顧慮との乖離まで囁かれるに到っている。

「集団的自衛権」と「憲法」の問題に関して、異議を唱え、行動している大学生らのグループ「SEALDs(シールズ)」と、さまざまな分野の研究者でつくる「安全保障関連法案に反対する学者の会」に対して、一部の政治家が、官僚が、陰で罵声発言をしているとの由。やはり、と思う。その人たちの行動に参加できないもどかしさ、後ろめたさと重ねながら。

そんな矢先での、首相側近代議士の妄言騒動。
「東大文Ⅰ」卒業の元エリート官僚って、そのレヴェルなんだの再確認と、親族、教師時代、その後で東大卒を何人か知っているからより思い、そういった人たちが日本の針路を決める漆黒の恐怖。
今、テレビにしばしば登場する東大卒予備校国語教師と対談していた或る“自由人”曰く、「要は、文Ⅰ(法学部)、理Ⅲ(医学部)の話なんでしょっ。」の痛烈さと、それに何も反応できなかった「文Ⅲ(文学部)」卒のその教師。

ひょっとして「節目」表現は、どんどん広がる風化への危機感からの意図的警世表現なのだろうか。

私は、以前から「精神文化としての天皇」と「天皇制」を別にして考えていて、しかし今もって自身の言葉を持ち得ていない一日本人であるが、「節目」表現が警世の愛などとは到底思えない。

本籍地京都の私は、1945年(昭和20年)8月23日、長崎市郊外で出生した。大正6年生まれの父が、海軍軍医として長崎に従軍していたことによる。
その父から、当時の軍医を含めた一部軍上層部の「御国のため」!の陰に隠れての放逸や被爆者治療の実態をしばしば聞かされ、世情とは違う“教科書が教えない歴史”から自己照射することで、人間を考えさせられ、また大江健三郎氏の子息・光さんが、父に導かれて広島の原爆資料館を見学し終えた直後に発した言葉「すべてだめです」に、激しく揺さぶられた一人として。

私が、55年前、高校で(某国立大学付属高校)で学んだ、中国大陸での、韓国朝鮮での、東南アジアでの日本軍の暴虐とそれを示す写真は、その時の先生方は何を目的に指導されたのだろうか。
沖縄の本土防衛「捨て石作戦」とは、一体何だったのか。辺野古問題に際して、私たちは何を思っているのだろうか。
各地への米軍大空襲は、そして広島・長崎の原爆投下は、「勝てば官軍」の戦争倫理、正義なのだろうか。
1941年12月8日、小中高校の国語や社会の教科書にしばしば採り上げられ、それぞれの世界の歴史に名を刻んでいる作家・詩人また思想家・学者の「感嘆」表現について、私たちはそれらをしっかりと受け止め、思考を深める作業をしているだろうか。
東京裁判等で絞首刑を宣告された一部戦犯の、例えば辞世の歌に見るその身勝手、独善について、私たちはどれほど厳しく、自身の事として、とらえているだろうか。
多くは、その事実の知識だけではないのか。やはり「生きた言葉」に思いが及ぶ。

人間が“人間的”!?に生きて在る限り戦争が無くなることはないと言う。
今も地球の各地で戦争が繰り広げられ、それぞれの当事者・国が、また支援者・国が、絶対正義を声高に叫ぶ。戦争という公認大量殺人が、狂気とはならない、それどころか正義とさえ賞讃される不条理が、永遠の正義なのか。
そろそろ世界が揃って「限界」の悲鳴を挙げ、人間の醜悪さから脱出できないのだろうか。
文明の進歩、文化の発達は、途方もない勢いで前に進んでいるように思えるが、一歩内に立ち入った時、気づかされる違和感、後退の自覚はないのだろうか。

現首相やそれを支える官僚、学者(曲学阿世)、マスコミ人は、中国、北朝鮮、ロシア更にはアラブ地域からの日本攻撃の可能性を(暗に?)言い、アメリカへの隷属なくして日本の存立なしを説く。
そのアメリカ軍基地が、日本国内、沖縄を筆頭に、青森、東京、神奈川、山口、長崎にある。
隷属はそれら基地への攻撃誘導、と考えるのは、世界情勢を知らない甘い感傷なのだろうか。

オリンピックのゴタゴタも然り。(そもそも何で日本《東京》招致?は、以前投稿した。)
地球規模での自然保護、自然との共生、そのための人の心掛け、決意が言われているにもかかわらず、金に物言わす下卑、ていたらく、とそれを推進し、影響力を誇示する「何であの人が」とほとんどが思う不可解な人物に見るあまりの時代錯誤。世界への恥発信。
にもかかわらず、日本は、世界のリーダー、を繰り返す厚顔。

幾つかの私学を経験しての行き着いた一つの実感。「伝統は金では買えない。その伝統を活かすも殺すもそこにいる人間。」
日本の伝統とは何で、それが人の、地域の、国の生にどう有効なのか、小中高校学校教育でどれほど大局的、継続的に考えられ、実践されているだろうか。断続的知識の教え込みで終始していないだろうか。
そして教師は、時に子どもも保護者も異口同音に言う。「そんな時間はない」
伝統とは直接結びつかないとは思うが、現在32歳の息子が小学校時代、学校内行事の一環で、野坂昭如氏原作『火垂るの墓』のアニメを3回か4回見せられ、感慨が薄らいだとぼやいていた。

以前、ブログで、私を教師に導いてくださった高校時代の恩師のことを書いた。
その中で紹介した教師赴任にあたっての師の言葉の一つ。「教室では、廊下側に視線を向けて始めよ。終わりころには外窓の方に向いていて、結果、全体を見渡せる。人間は向日性の動物だからな。」
これを、微笑みの好感を持って受け容れてくださった読者があった。
政治家は、官僚は、学者・教師は、生活も、福祉も、教育も、陽の当たる所・人から始めているように、自省を込めて、思えてならない。
そして、アメリカは、欧米はその光源のようにとらえられ、憧憬の限りなき対象となる。

何度も繰り返される、「忙しい」の[忄(心 ]+[亡]の真理と警鐘。
子どもたちは、あまりに忙しい。忙しくない子どもは、取り残される? 山岳・森林60%、居住地40%の、島国日本での、大学の大衆化の目指すところとは裏腹の都鄙による様々な格差。
少青年期だからこその鋭敏で瑞々しい感性、想像力を削ぐ忙しい日々刻々。地域、経済格差。知識の多寡が優秀を決める暗記万能がなおも生き続ける。
大学の序列化の加速への教師、大人の無責任。
「中高大、塾なくしては進学なし」の、地域、家庭の経済格差が、進学実績につながることが当然とする麻痺。

2015年、敗戦後第1期生、戦争を知らない第1世代の、1945年(昭和20年)生まれは、古稀の「節目」を迎える。
出発世代としてもっと声高に怒っても良いのではないか。
そのことに定年、引退などあろうはずがない。

薄氷の張り付いたジョッキで、ギンギンに冷えた生ビールが呑みたい。
(現住地は、豊饒な自然が当たり前にある車社会で、妻の送迎なくしてはこの願いは叶わない。何事も一長一短……。)
居酒屋のカウンターで独り、天候不順の先月七月に眼にし、耳にした二つの光景[ぼろぼろになった翅を閉じ、微動だにせず休んでいたアオスジアゲハ]と「明け方雨中の4時過ぎに10年かけて地上に現われ、ひたすら鳴き続けていたヒグラシ」を思い起こし、
40年ほど前、「打ち震えるほどの感動」に襲われた、村上鬼城の「冬蜂の 死にどころなく 歩きけり」の句を噛みしめながら。
映画のワンシーンの、セリフのない、横姿だけの一人になったつもりで………。