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2013年11月5日

「教育再生実行会議」への元中高校教員からの質問

 

井嶋 悠

10月31日に、安倍首相に会議委員から、知識偏重を是正し学力と人格を観る大学入試とそこに至る高校教育(中等教育)の改善に係る具体的提言が提出された。

現代文化を考えるキーワードは、或る社会学者によれば、「都市」「消費」「情報」とのことで、人社会での文化とはその構成者である人の、歴史、地域、国、民族、風土等々を絡めての生き様であるから、先の3項と私を組み合わせ思い巡らせるとなるほどと思う。

人生の大半を都市で生活し、今田舎にあって、都市と地方と私を思い、消費に躊躇すること多く、情報について行けない68歳。

そんな私の、33年間の私立中高校での専任教員として3校での、他の私立中高校3校での非常勤講師経験での自照自省から体得した疑問、不可解、苛立ちが、今回の提言で改善されるのか、それともそれらは私の単なる感傷(センチメンタル・dreamer夢見る夢子性)なのか、確認したくこの場を借りる。

なお、私の背景にある時代観は、高齢化(長寿化)での心の余裕化の必要、少子化での質の吟味と深化、そこからの学進学率が50%を越えたことでますます強くなりつつある大学の大衆化の正負である。

⚪格差社会に関する  良識と良心を併せ持つ或るジャーナリストの次の発言(要旨)。

    「高所得者の子どもの高学歴化での、スタートラインの違いへの疑問と懸念」

  そこに都市圏と地方との格差、東京一極集中が重なることで、保護者、とりわけ母親のなりふり構わない独善的言動、行動が、これまでの良識、常識が通じないほどになっているそんな日本は、沈静化し、落ち着くのでしょうか。

⚪日本で最も難関とされているT大学医学部で、もう20年以上前になるでしょうか、医師としての人格を危惧する教授会での発言が新聞に掲載されましたが、やっと本道に戻るのでしょうか。

⚪先のT大と並び称され、同時にいろいろな面でその大学への反骨心のあるK大教授の、20年くらい前の新聞投稿にあった、T大に行けなかったからK大に来たと恥ずかしそうに、否時として堂々と言う新入生が多くなった、ことへの寂しさを記した言葉。

   これは、入試とは関係のない問題でしょうか。

⚪或る大手企業の学歴観。世に言う有名国立大学以外での採用は、これまた世に言う有名私学W大、K大以下は門前払いとしている由。それも私の知っているだけでも数社。

  偏差値という世間常識?では、W大とK大と同等或いはそれ以上はJ大ともう一つのK大で、とすればそれらはすべて首都圏で、先の企業の一つは本社が関西という、この現実も現代にあってはいささかも理不尽ではないことなのだろうか。

 或いは、今度の改善で、それがより確かに深化するということなのだろうか。

  こういった私学の、或いは大学の序列化、更には大都市集中と地方との格差に対して、今回の改善はどのような影響を与えるのであろうか。

とにもかくにも上記は現実であり、そこに10歳前後から多くの若者は、家庭は渦中にあり、悲喜こもごもが繰り広げられている。

OECDの学力調査結果に、その上位国や問題内容の吟味もなく一喜一憂し、すぐさま欧米の事例を引き出し、憂慮を繰り返すことが、今回こそなくなるのだろうか。

こんな話にも最近接した。中高校大学で教員経験豊かで、人格的に優れた人物が1年間、或る伝統のある著名高校で教えた時のこと。1年間を顧みての感想文を求めたところ、大手予備校の、しかも2校の便箋を使って書いて来たとのこと。

これも現実であり、その学校生徒の、予備校通学はほぼ100%で、結果としての有名大学進学実績は群を抜いているとかで、生徒の学校差別感の鼻息は荒く、少なくとも私の価値観からは非人間社会としか思えない。しかし、その学校、生徒からすれば、この私の感想こそ非現代的で、問題であり、敗者のの歯ぎしりとしてかたづけられるのだろうか。

改めて今回の提言は、これからの日本社会像があってのことであり、広く世に問うて欲しいし、その時、学校社会での母性と父性と教育についても既成観念にとらわれることなく、吟味、再検討して欲しいと思っている。