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2016年5月27日

水、その天恵と現代日本私感 ~自然と日本人の感性と教育~

井嶋 悠

「ブログ」への投稿には、繰り返しになるが、二つの理由がある。
一つは、娘への鎮魂であり、遺志の共有であり、他者との共感への期待である。
一つは、遺志とも重なる、私の独り在ることへの糧とすること、そしてこの私を今日まで生かせてくださった、妻をはじめ多くの方々への贖(あがな)いでもある。

前回、五月にちなんで〔皐月の鯉の吹き流し〕と日本(人)について、私の中の小さな整理を試みた。
今回、「水無月」(旧暦6月)にちなんで、水と日本(人)について、新たに小さな整理を試みる。
二つの投稿理由とつながることを、小さなが私にとって大きくなることを願いつつ。

「日本人は水と安全はただだと思っている。」これは、イザヤ・ペンダサン(筆名)(山本 七平氏)が、1970年に刊行し大きな話題となった『日本人とユダヤ人』の中の一節である。
私の場合、海外旅行や出張の体験から「なるほど」と思ったが、ここでは「水」の方にだけに関してで、今では毎日当たり前のように飲んでいるミネラルウオーター(有料)との出会いもそうである。
私が初めて行った外国は35年ほど前、外国旅行を生きる力にしていた父親の、ネパール旅行の付き添いで、そこでの体験は鮮烈な爽やかさと日本を考えるに満ちていて、今の私の心の底にその体験から得た智恵は確実に息づいている。ただ、今回の趣旨とは外れるのでここでは立ち入らない。

私は、海外・帰国子女教育や外国人子女教育に、国語科教師であったがゆえになおのこと、私の日本語・日本文化への無知蒙昧さ、そしてそれを端緒とした日本理解の浅薄さを自覚させられた一人である。
その海外・帰国子女教育や外国人子女教育との出会いは、最初の勤務校私立神戸女学院で、最後は日本で最初のインターナショナルスクールとの協働校・私立千里国際学園で、その関係から海外に出張する機会があり、とりわけ後者での校務「入学センター[アドミッション・オフィス]」上、非常に多かった。
(この出張、特に後者の場合、内容と経費そして成果に、当然厳しいものが求められ、それまでの実施やその都度の批判等に応えるべく、事前事後に学内全教職員に内容を学内メールで配信するよう努めたが、ここでも教師(間)の意識のズレの問題を具体的に思い知らされた。)

日本の水道は、安全性また味覚性からも世界的に優れていると言われている。それがあって、大都市圏では「水道水の安全性」について約70%の人が安心と感じていて、「水道水」以外の水(ミネラルウオーター等)を飲んでいる人は25%前後、また「水道水」をおいしいと感じている人は約55%とのこと。
阪神間に住んでいた時は、日々の生活でのミネラルウオーター使用頻度はそんなに高くはなかったが、ここ栃木県北部に移住し、水道水が以前より舌に心地良いにもかかわらず、当初あったミネラルウオーターへの「何という贅沢」との気持ちも麻痺し、水道水を飲まなくなっている。 味覚は感覚の中で保守性が強いとは言われているが、調理は以前と変わらずほとんど水道水なのだから、子ども時代の水道水=不味いがこびり付いて離れていないのかもしれない。それとも加齢も加わっての自然への回帰が強くなっているのかもしれない……。

水道水は、主に河川の水や地下水を厳しい基準に基づいて殺菌消毒して各家庭等に配水される。日本の自然水(天然水)は、ほとんどがカルシウム・マグネシウム含有の少ない軟水で、当然国産のミネラルウオーターは軟水で、農業国の多くはそうとの由。因みに、欧米は含有量の多い硬水とのこと。
軟水の特性として、日本料理向き、石鹸の泡立ちが良いとかで、インターネットで「水道水」を検索するとそこで見た情報の一つには、両者の特性から人間特性まで言及していてなかなかおもしろい。

日本の国土は、森林山岳 : 66.4%  農用地 : 13.2%  宅地: 4.7%  道路: 3.3%  水面・河川・水路 : 3.5% その他 : 8.9%で、日本がいかに豊潤な水の国であり、その水が私たちの文化、心を育み、沁み入っているかにやはり思い及ぶ。

「水は与え、水は奪う」。水田が瑞穂の国を創る一方で、水害は多くの命を呑み込む。
5年前の東北大震災、今も続いている熊本・大分地震、また毎年必ずある自然災害からも明らかなように、日本は、その位置,地形,地質,気象などの自然的条件から,台風,豪雨,豪雪,洪水,土砂災害,地震,津波,火山噴火などによる災害多発国で、生命、生活を繁く「奪う」。だから春夏秋冬と人生、命を重ね、自然からの賜物に心研ぎ澄ますことが自然体でできるのだろう。
にもかかわらず、私たちは、国を主導する人々は、自然災害への深謀遠慮があまりに無さ過ぎるように思えるし、ここでも対症療法でのその場しのぎ的対応で政治家等は善政と大見得を切っている。
例えば自然災害からの事前整備、また事後救済支援の「国土防衛費」の最優先による、国の方向性への本質的見直しが、どれほど行われているのだろうか。 平和理念と実践の己が正義のイタチごっこが今も続く現在、軍事防衛費不要との観念論は持ち合わせていないが、この私見は非現実的観念論の域を出ないのだろうか。 ただ、昨今、政治家だけでなく、日本経済のためにとか、人々の安心生活のためにといった抽象的大義名分の下、様々な領域での自己特別・独善意識からのカネにまつわる醜態が、多過ぎやしないか。
主点の「与える」(天恵)に話を戻す。

山紫水明。その美しい響き、心休まる想像への誘い。
この美称は、まず京都への表現として生まれ、後に広く流布するに到ったのは、江戸時代の儒教思想家で幕末の尊王攘夷者たちに影響を与えた頼山陽が、自身の居宅(京都・丸太町)の書斎を「山紫水明処」と名づけたことによるとのこと。
京都・四条大橋の下を流れる鴨川(賀茂川)のほとりにたたずめば、北山・東山・西山(もっとも今日西山は望めないが)の京都三山に囲まれた京都の風情を感じ、これほどに近代化としての都市化が進んでいても山紫水明はそこにある。
現職時代の教室、清少納言が書き留めた「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて」を授業するとき、彼女の目線に沿って拙い説明をしたことを、また鴨長明の人生観「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」を、ほろ苦い懐かしさで想い起こす。
それは私の心底に川、水に、澄明な美しさと人生を直覚する日本人の感性があってのことと思う。

生徒たちにほとんど教科書『を』教える域ながら(だったからこそ?)私自身が学んだ、例えば以下の歌は、私に名歌と思わしめるに十分だった。

『萬葉集』「東歌」の一つ

(この歌には、母音子音や「さ」行音の組み合わせによる音感の美しさがより醸し出す、多摩川で布をさらしている若い女性の澄明な輝きに心奪われ、それを「愛(かなし)」と見ている男性(やはり男性だと思う)に強く共感する私がいる。)

多摩川に さらすたづくり さらさらに 何ぞこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき

『百人一首』の一つ  在原業平の歌

千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在平 業平)

ただ、この場合、つい古今亭志ん生の貌が浮かぶ私もいるが……。

これまた或る因縁なのだろうか、今住む地の近くに日本で一番長い伏流水の川と言われている、蛇尾川(さびがわ)と言う川がある。伏流の後、下流地のあちこちで湧水として貌を出すことを聞くとき、心をときめかしながら想像を広げる私がいる。
私が想う川は、せいぜいで鴨川ほどの大きさ(川幅)で、例えば上海で観た揚子江下流のような巨大な川ではない。その中国で言えば、日本人が心の糧を得て来た一つ、山水画に多く描かれている川、或いは川に到る前の渓谷の流れである。

これも古典教科書常連の、中国4世紀の田園詩人・陶淵明(陶潜)の『桃花源記』(桃源郷を詠う詩)で、その地に行くに、主人公は渓谷の川(谷川)に沿って進んで行き、水源の地に到る。
人びとは上流山岳地に滝を想い、見、滝のある所を聖地として崇め、そこは命の源(母)であり、同時に常世(永遠の生)の国「蓬莱」は東海の東に在るとの信心となり、死(仏教信仰では「渡海」は死を意味する)の絶対平安の世界に下って行く姿にまで思いを馳せる。その水は、天と地(海・河川・湖沼)を循環し、私たちはその恵みと怒りに与(あず)かる。
人間の体の約60%は水で構成され、この世に現われる前、未だ神の元のままに生命(いのち)に終止符を打たざるを得なかった幼子を私たちは水子と呼ぶ。

そんな想像の回遊の先に、現代への啓蒙者であり警鐘者である、紀元前6世紀前後の中国、孔子(『論語』)への批判者でもあった思想家老子の貌、姿を視る。
老子が「最上の善」を説くにあたって「水」を比喩として使う箇所を引用する。

【書き下し文】 上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。故(ゆえ)に道に幾(ちか)し。居(きょ)には地が善く、心には淵(えん)が善く、与(まじわり)には仁が善く、言には信が善く、正(政)には治が善く、事には能が善く、動には時が善し。それ唯(た)だ争わず、故に尤(とが)め無し。

【現代語訳】 最上の善とはたとえば水の様なものである水は万物に恵みを与えながら万物と争わず、自然と低い場所に集まる。その有り様は「道」に近いものだ。住居は地面の上が善く、心は奥深いのが善く、人付き合いは情け深いのが善く、言葉には信義があるのが善く、政治は治まるのが善く、事業は能率が高いのが善く、行動は時節に適っているのが善い。水の様に争わないでおれば、間違いなど起こらないものだ。

老子の天意、自然への謙虚な同一化を想い、現代文明社会人への啓蒙にして警鐘に同意共感する。併せて、古(いにしえ)の中国人の「外では孔孟、家に帰れば老荘」に同じ人間としての膚(はだ)の温もりにほっとする。 老子は、母であり、母性の人である、とやはり思う。

「聖水」の日本的、東洋的?心象の広がり。 にもかかわらず在るおぞましい現実。その一つを身近なことから挙げる。
私の家から車で南に40分ほどに、塩谷(しおや)町と言う地がある。環境庁(現環境省)が1985年に選出した『日本名水100選』の一つ、尚仁沢湧水(しょうじんざわゆうすい)の地で、日光国立公園の一角でもある。(因みに栃木県では名水地はもう一か所ある) そこの国有地を、福島第一原発災害の放射性廃棄物の最終処分場候補地にしたい、と国が言明し、町が拒否し1年半が経つ。国は執行官を使って強制調査に入ろうと試みたり、現地の理解を得るべく真摯に話をして行きたいと言う。いずれ強制執行の可能性もある。沖縄同様に。
私は塩谷町の一事に、この国の意識、姿勢に、政治(家)の傲慢、独善の象徴を、そして 言葉の嘲弄を見る。そこにある意識こそ官僚的そのものではないか。文明の繁栄とは、この理不尽を絵に描いたようなデタラメをも呑み込まなくてはもたらされないということなのだろうか。これも現代の信条、合理と効率なのだろうか。 西洋の言語観には、人々の精神的支柱のキリスト教『聖書』にある「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」(新約聖書『ヨハネによる福音書』の冒頭)があると言われているが、日本では「言霊信仰」である。両者は表現の違いだけであって、言葉の力の背にあること、根底に在ることは同じではないかと思う。どちらも言葉に唾(つば)するなと言うことにおいて。
言葉は、人間が自身の利己的正義に使う道具のために創り出したものではない。

韓国では「八方美人」は多才としての褒め言葉だそうだが、日本では軽薄の誹りは免れ得ない、と私は思っている。もっとも時代の高速的変容からこの私の考え方は旧時代的かもしれない。『転がる石に苔むさず』の日・英解釈と米解釈の違いと現代の変容のように。前者は人間観で後者は人生観ゆえ、同列でみるのは無理があると思うが。
日本は自他公認の経済大国であるが、瑞穂の国がゆえのそれではなく、明治時代の殖産興業・富国強兵施策による工業振興があってのそれである。そこに《農魂工才》があるかどうかは分からないが。日清、日露両戦争勝利が、一部良識ある人々の不安と危惧を排斥し、“大日本”推進施策は加速され、太平洋戦争敗戦にもかかわらず、謹厳実直、勤勉な国民性に、1960年代から70年代の朝鮮戦争、ベトナム戦争特需が追い風となって高度経済成長を遂げた。しかし、それは水俣病をはじめとする人と自然の命の人為としての収奪、公害で犠牲になった人々、今も苦しんでいる人々の上にあることを、ついつい忘れてしまう私がそこにいるのだが、しっかりと心に銘じておく責任を思う。
その現在の産業別割合は、第1次産業 5,1%、第2次産業 25,9%、第3次産業 67,9%である。

日本人の国民性?としてしばしば採り上げられる「水に流す」は、時に痛烈な批判対象となる。 日本の侵略、植民地支配の正統性を昂然と主張する然るべき立場の人々がいるが、公害問題でも同様の主張があるのだろうか。福島原発爆発による自然と人間への災害は明らかな公害だが、政府財界協働しての原発稼働推進が行われているのはなぜなのか。文明の進歩のためには犠牲はやむを得ないとの恐るべき論理が正義ということなのだろう。水を汚す権利は誰にもないはずにもかかわらず。

一方で、国民一人当たり800万円の超借金大国でもある。専門家は「借金だが借金ではない。」と専門家や教師にまま見られる上から目線で、総額約1049兆円の借金を慰める。
学校世界で「(あの生徒は)優秀だが優秀ではない」と言えば、学力観視点からその意味は承知できるのだが、この「借金」論法については、他にもまして勉強不足ゆえここで留める。
もっとも、政治学者から政治家に転身した、今話題の人物[知事]の「表現と理解」力があれだから、凡夫の私などは「触らぬ神に祟り無し」「生兵法は大怪我の基」こそ生きる知恵とすべきなのだろう。
尚、上記「表現と理解」は、文科省が提示している『学習指導要領』の国語科教育目標の要諦で、その本文は「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。」である。

現代日本は長寿化、少子化で、国際化と言われ始めて随分経ち、今ではその「化」が取れ、ごく自然に国際と言われているように、いずれ長寿・少子と言われることが自然になるだろう。そのことを危機ととらえている(のかどうか)政治家たちは、カネ・モノそのままに対症療法を重ねている。そして同朋の約半数がその政府施策を支持するのが現実だが、私は今こそ日本再建の絶好の機会ではないかと頑なに思っている。 私の公私体験的言葉として言える一つであり、冒頭に書いた投稿理由でもある、学校教育(私の場合は(私学)中高校教育)について、これまでに具体的提案も含め何度も投稿して来たので簡約して記し、今回の「水」を入口としての駄文を終える。

学校は人間で構成される。教職員、生徒、保護者。私は元教員で、劣等生がひょんなことでなった“偶々教師”からか、そこに娘のことが重なって、尊敬・敬愛する先生方(小中高大)があるにもかかわらず、自照自省、教師(学校ではない)印象はすこぶる悪い。娘の心に寄り添えば憎しみにも近い。その私を、或る人は偏屈と言い、或る人は屈折と言い、痛罵する。 但し、私と違って寛容さを持ち得ていた彼女は、天上から哀しげに見てくいると、生前の彼女の私への言葉から思っているが。
戦後、日本は民主主義になった。しかし、民主主義の難しさは、例えば教室での多数決は、確かに討議を経てのことではあるが、それは限られた時間内でのことで、はたして実質、内容においてこれが民主主義なのかどうか、生徒そして教師は思い巡らせることも多い。
では、その学校社会そのものは民主主義社会か、と聞かれ、私は胸張って「そうだ」とは言い切れない。対生徒に、対保護者に、対職員に、そして対教師に、事が先に進まないとの現実があるとは言え、民主主義の持つ「専制性」は否めないのではないか。

学校社会の、教師世界の、閉鎖的で権威的との批評は、戦前の目に見える姿ではない中で確実に聖域観が生きていているからなおのこと、一層深刻とも思えなくもない。
学歴社会が大方理屈だけのことで(このことは学歴批判するマスコミの報道姿勢を見れば明らかである)、しかも、長寿化にもかかわらず「18歳人生決定観」は脈々と生き、その学歴獲得に塾産業(「進学塾」と「補習塾」が考えられるが、ここで私がとらえているのは前者である)が必要不可欠で、そこに知育・徳育・体育三位一体教育論が声高に覆いかぶさり、文武両道とは違う八方美人的「ひなたの人生」論が主流となれば、閉鎖的権威的学校社会は当然の帰結かと思う。
教育費は途方もない比率となり、一方で「子どもの貧困」が年毎に増え続けている現代日本。民主主義の「民主」の「民」とは、どういう人々を言うのだろう。富者の、強者のそれであり、それに疑義を呈するのは、競争社会の敗者ということなのだろうか。 教育議論で学校・生徒学生を言うとき、その具体像がそれぞれ違うにもかかわらず議論が一見収斂するかのように。

日本が「山紫水明の国」であったのは過去のことで、「文明の発展と幸福」のためには「水に流」したと言うことなのだろうか。近代化の範として来た欧米諸国が疾うに自省し、日本の伝統に学ぼうとしているにもかかわらず。このことは政府等の「外国人観光客誘致」施策の視点とも関わる。
『G7首脳会議』が日本で開催され、それに先立ち先日教育相会議が開かれ、日本の文科相は「教育は未来への先行投資。あらゆる子どもが社会から排除されない機会をつくることが重要だ」と述べたとのこと。
他国の教育相がこれをどう聞いたのか、日本はどういう先行投資を考えているのか、その前提としての日本の未来像はどう描かれているのか、あらゆる子どもが排除されない機会を日本はどのように設けるのか。一つ一つ、具体的に聞きたいことばかりだが、【形容語】はその人の価値観の表出につながることを怖れてか、いつものように抽象的美辞麗句でしか返って来ないだろう。

旧知の人物も含め「企業人養成が教育の主たる目的」と断ずる人は少なくない。そう考えた時の教師像ひどくさびしい。少なくとも私には。
学校教育にあっては、各個が自由に、広汎に自身を探索し、人生設計を試み、挑戦する場であり、教師はその補助者であり、助言者であると言う意味での指導者で、だからこそ教え育む「教育者」である。
しかし、中学校教師は小学校教師を、高校教師は中学校教師を、大学教師は高校教師を、「何を教育しているのか」と批判し、時に絶望の響きさえ発し、進学塾教育を無意識下に前提として(或いは絶対必要との信念に立って)入試問題を作成し、その上に入学者の学力不足に(だから一層?)絶望の響きさえ漂わせ嘆く。
管見では、それはとりわけ高校教師、大学教師に多い。 一長一短。大学の大衆化の短所なのは明らかだが、では、大衆化の長所として政府は、何を期待し認可したのだろうと素朴な疑問がある。これも「対症療法」なのだろうか。

大学教師は小中高教師と違って学歴不問である。のはずである。しかし現実はこれも周知のことである。
くどくど言うまい。私の体験、知見から二つの事実を挙げる。これらは、決して稀有な事例ではない。

○2003年初刊の、日本古典文学啓蒙書の執筆者・首都圏の私学教授(1947年生)の序のことば。  「日本古典文学への関心低下を危機的壊滅的、と嘆きこの書の意図を述べる中、次のように断ずる。

―日本文学・国文学の基礎を教える中等教育、中学・高校の国語教師の読書離れと古典文学オンチ    が目を覆うほどであるからにちがいない―」と。

私はこの発言に大学教員の特権階層意識の象徴を見る。教育をどう考えているのだろうか。数年前まではなかったと思うが、とみに増えている「大学院教授」との呼称はそのことと関連があるのだろうか。

○或る私学中高校。この学校は今日の塾教育を鋭く批判し、新しい(学内の問題意識高い教員の言葉では、本来の)教育を旗印にしていたが、教員間で出された苦悶の発言。「本校生徒の学力では望む教育ができない。」

これに対して入試方法の変更意見もあった由だが黙殺されたとのこと。理想と現実の一例ということで処理されるのだろうか。 その学校教員の学歴は、いわゆる高学歴で校長をはじめそのことを矜持自得する人は多い。
因みに、新興私学は高学歴教員を多く採用し、それを広報しているが、中途退職者も多い旨、知人の某私学生徒だったお子さんの体験として聞いたことがある。

世の光を受け20年前後に到る10数年間、言葉(論理)より先ず心(感性)がほとばしり、それに理知を懸命につなげようとする人生の基礎時間。
「個を育てる教育」。
この標語が言われて何(十)年経つだろう。私の小さなそして無責任な経験では、“その他大勢”の生徒にとっては有名無実、と言っても極端ではないと思う。
(これまた管見にして、経験のない無責任ながら、世に言う「底辺校」に教科学習と言った狭隘さから  離れた確かな学習への、教師の、その教師・学校に誘発された生徒の確かな成果があるように思える  ことも少なからずあった。)

日々の生活に、将来の生に、心平安に自と他に広く思い及ぼしながら自問する時間こそ教育であろう。その時、一部?の中高各科教師、大学教師やマスコミ人が、それぞれに言う基礎基本の独善を洗い直し、生徒の自主自発からの「自由選択」の大幅導入や、「主要(5)科目」の「主要」表現使用への異議申し立てにつながる、多知識=優秀の一面的等式から脱する意義を、老若学外者が生の言葉でもっと厳しく指摘し、中高校大学の在籍期間も含め根本的見直しのその時を迎えているのではないか、と思う。
70年前の決定的敗戦と悔悟を再出発に、経済大国となり、今では世界に冠たる長寿化にして少子化の、水と自然が育んだ歴史と伝統を自然体で持つ日本だからこそ、なおのこと私は思う。

【追記】 今日、オバマアメリカ大統領が、広島平和公園で予想をはるかに越えて17分間の平和への願いを語った。 その中で、韓国朝鮮の人々の犠牲に触れたことに、氏の国際への自覚と豊饒な人格と、そこに到る幼少からの道程(みちのり)を思うと同時に、ノーベル平和賞を受けてからの現在への、アメリカの大統領であるがゆえの途方もない苦悶を見た。