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2017年4月5日

「汝、自身を知れ」 ―那須・茶臼岳での遭難事故からの自照自省―

井嶋 悠

後悔先に立たず。
人生、経てば経つほどに後悔幾重にも、と思うは私だけだろうか。
後、1週間もすれば娘が、23歳にして憂き世穢土から浄土に旅立って5年が経つ。「一日一刻が永遠」の浄土にあっては、悪業宿業にも似た後悔など、その言葉さえあろうはずもないのだろう。
親としての後悔。教師としての後悔。そして生きて来た途での後悔。
娘に憂き世穢土を知らしめた一つに学校教師があることを思えば、私が教師であったことの「後悔先に立たず」の天のとんでもない皮肉。難詰。

子が親より先に死に向かう、子の、親の、極まりない哀切。
恥ずかしながら、この歳になって『かいなでて 負ひてひたして 乳(ち)ふふめて 今日は枯野に おくるなりけり』(良寛)との歌を、『日本の涙の名歌100選』(歌人:林 和清氏編(1962年生)で知った。

因みに、『わが人生に悔いはなし』は、石原裕次郎、1987年のミリオンセラー曲[作詞:なかにし礼、作曲:加藤登紀子]。大ヒットしたのは、後悔ばかりの苦い人生がいかに多いかの証しではと、歌詞の「はるばる遠くへ 来たもんだ」に向かえば、中原 中也の『頑是ない歌』に向かい、「桜の花の 下で見る 夢にも似てる人生さ」に向かえば、西行の、「願わくは 花のもとにて 春死なむ その望月の 如月のころ」(娘も愛誦していた)に向かう、へそ曲がりの私は思う。
石原裕次郎は、52歳で肝臓がんで亡くなり、私は今夏73歳を迎える……。

先日(3月27日)、家からほど近い(車で30分ほど)那須連峰の一山茶臼岳で、栃木県内の7校山岳部の合同雪山訓練中、雪崩で、7人の男子高校生と引率教員の1人(すべて私たち居住地の隣市にある県立大田原高校)が亡くなり、40名が負傷した。
事前の手続き、携帯品等準備、現場での判断・対応を、責任者の記者会見等報道で知る限り、教師の、惰性(馴れ合い)・過信、要は「驕り・傲慢」以外何ものでもない、と女子サッカー草創期(1980年前後)に中学・高校の女子サッカー部監督[顧問]やスキー講習(中学校3年生以上の希望生徒が対象で、指導は引率教員)行事をしていた元教師として思う。私の場合、たまたまこれほどまでの社会的問題になる事故がなかっただけのこと。
世の災害の大半は「人災」で、「天災」はごくわずかである、と自覚し始めた昨今だからなおのこと自省自責に駆られ、様々な過去の場面が私の内を駆け廻る。「自然」その意味の再自覚の緊要。
ところで、160mにわたって生じた雪崩の起点は、「天狗の鼻」とか。これも天の采配なのだろうか。

蛇足を加える。
これは教師だけのことではない。人が、“大人”が、「絶対」との言葉を安易に、しかも自信と気概に満ち溢れ使う感覚、意識の怖さでもある。罵詈雑言を叱咤激励と言い、打ちひしがれ、死すら想う若者に、“軟弱”と追い打ちをかける。
そこまでして日本は、世界の、経済大国によるリーダーでなければならないのか、とやはり偏屈な老人私は思う。

「汝、自身を知れ」
紀元前4世紀、人の善・悪・真を美の華から求め、華開かせたギリシャの時代、アポロンの神殿の入口に記されていた言葉。それから25世紀、2500年。死は一切の例外なく訪れるが、自身を知る、「無知の知」は途方もない苦行難行を経た者だけが知り得る。
私は? 正真正銘の無用の自問。

元中高校国語科教師の或る時期、古典授業の易さをうそぶいていた無知・無恥を正直に告白し、古典の、もっと限定すれば国語教科書の重さを、あらためて自身に言い聞かせたく、吉田兼好『徒然草』134段から、その一節を、少々長くなるが、引用する。
人一人一人が謙虚であってこそ社会・国は謙虚になる。「市民」「国民」そして「子ども」「大人」と言う時のそれぞれの具体像の確認のために。と他者(ひと)に言う前に「後悔先に立たず」を繰り返す私のために。

【古文のため、読みづらさを思われる方があるかもしれないが、せっかくの名文、引用部分の大意要旨を参考に、その音調、律動を味わってほしい。】

《備考:吉田兼好・鎌倉時代末期13世紀から南北朝時代中期14世紀の人。『徒然草』は、筆者50代の、1330年~1336年にかけての著作と言われている。今から700年近く前の文章である。》

《補遺:芥川 龍之介(1892~1929)は、35歳で、妻と二人の児を置き、自ら死を引き寄せた、その2年前に刊行した箴言集『侏儒の言葉』の中で「つれづれ草」として、次のように書いている。

「わたしは度たびこう言われている。――「つれづれ草などは定めしお好きでしょう?」しかし不幸
にも「つれづれ草」などは未だかって愛読したことはない。正直な所を白状すれば「つれづれ草」
の名高いのもわたしにはほとんど不可解である。中学程度の教科書に便利であることは認めるにも
しろ。」

※〔上記補遺私感〕
稀有の才を天与され(後に、それが本人を苦しめたと私は思っているが)、今の私の半分の年齢で命を絶ち、社会様相、学校制度等環境の相違から同じ地平から比較できないが、肯んずる私もいる。しかし、当時の中学校は現高校で、「大学の大衆化」に象徴される学校教育現状と少子化、効率優先の、モノ・カネ本位社会、更には知識偏重の限界的弊害の今、彼が生きていたらどのように言ったか想像の興味が湧く。
ただ、彼のような俊才にとっては、教科書は所詮教科書で、私の自省「教科書で教える」驕りではなく「教科書を教える」ことを再考している立場とは相容れないかとも思うが。

【引用部分の大意(要旨)】

人は、他人にばかり眼を向けるが、最も分かるはずの自分自身のことに眼を向けない。自身の姿形(風貌)、心の、また技芸の在りようを自覚している人こそ優れた人である。だから他者(周囲)の誹りにも気づかず、すべては、利己の貪欲が自身に与えた恥、辱(はずか)しめである。
これを、先の『侏儒の言葉』で言えば、「阿呆はいつも彼以外の人人をことごとく阿呆と考えている。」ということになるだろう。

【引用本文】

―賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己を知らざるなり。我を知らずして、外(ほか)を知るといふ理(ことわり)あるべからず。されば、己を知るを物知れる人といふべし。

貌(かたち)醜(みにく)けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病のをかすをも知らず、死の近きことをも知らず、行ふ道の到らざるをも知らず、身の上の非を知らねば、まして外の誹(そし)りを知らず。[中略]貌を改め、齢(よわい)を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、なんぞやがて退かざる。老いぬと知らば、なんぞ閑(しづ)かにゐて身をやすくせざる。[中略]

すべて、人に愛(あい)楽(げう)(親愛の意)せらずして衆に交はるは恥なり。貌醜く、心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪(ふかん)(下手の意)の芸をもちて堪能(かんのう)の座に連なり、雪の頭を頂きて、盛りなる人にならひ、況んや及ばざる事を望み、かなはぬ事を愁へ、来たらざる事を待ち、人に恐れ人に媚(こ)ぶるは、人の与ふる恥にあらず。貪る心にひかれて、自ら身を辱しむるなり。[後略]―

娘が与えてくれた自照自省、その拙文を投稿する私。赤面羞恥するばかりで、兼好の言う具体例である。それでも、娘の鎮魂があっての自己整理を続けなければ、との私もいる。それが私の老いに生きること、と「咳をしても一人」(尾崎放哉(1885~1926)の鬼気にはほど遠い肝に銘じている。

後悔は、動物のドキュメンタリー映画を観ていると人間だけの所為(所業)とも思えないが、人間ほど繰り返す愚かさはないようにも思う。それは明日命に直接に関わるからだろう。理屈[言葉]を弄する暇(いとま)などないということなのだろう。
そう考えると、『侏儒の言葉』から繁く引用される「人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である」との表現は、書き手が古今東西の文化(芸術)に精通した、近代叡智の人だっただけに再びあれこれ思い巡らせたりするが、私の時間は限られている。
やはり「後悔、先に立たず」に帰着する……。