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2013年12月8日

亡き娘が敬愛した三人の日本人男性―元中高校教師であり父親である私が教えられたこと― [Ⅱ] 彼女が語る響きと人と言葉と知識と現代

井嶋 悠

親馬鹿と何と言われようと、彼女が語るとき、そこに邪気、衒い(てら)がないのだ。
それは、父と娘の会話だからとは言い切れない彼女の、幼少時の他人を一切疑わない心根を10代20代とそのまま持ち続けていた透明さが、当然のこととして自然にそうさせているように思える。
因みに、彼女のその心性が、心身労苦の7年間[10年間]につながった背景のようにも思えてならない。

彼女が語るその表現には、例えば大学入試でのAO入試突破に係る「小論文」にある、皮相な似非感覚だけの知識(用語)のひけらかしに陶酔し、あたかも自身が書いたように振る舞う高校生とその指導を勲章とする教師群への、更には「知識人」への、
そして現代日本社会の、結果がすべて指向や効率主義への、痛烈な批判が込められている、と私は、彼女の生前でのやり取りから思っている。

しかし、“優秀な”高校生は、そんな彼女を、その若者に共感する私をせせら笑うのであろう。
長寿化の今にあっても、なぜか18歳が(否、12歳が!)人生の決着時かのごとき世相の敗残者として。

私は「知識人」「有識者」という言葉の響きに、衒い、衒学嗜好そして優越意識を直覚する。

人々・読者に広く受け入れられている高名な作家や研究者の随筆(エッセー)で何度も接した、他者の引用なしに自身の、社会への憤怒を、関心を語ると言いながら、その実、古今東西の歴史上人物からの数限りない引用。それを読んだ時の後悔と自己へと併せての嫌悪。
否、これは私のひねくれ、狭小さで、そういう人たちは古今東西の書に造詣深いがゆえに、自身の言葉が言えない歯がゆさ、苛立ちからやむを得ず引用している良心の顕われなのか、と思いつつも。

とすれば、私など言える場はない・・・。怖いもの知らず、無知の開き直り・・・。ごまめの歯ぎしり。

研究者(多くは大学教師)を中心に、しばしば発せられる若者の無知への懸念。教養の無さへの悲憤。
無知を、無教養を是認しているのではない。
そこにある、知識観に、言葉観に、自己絶対観に、また現代をあたかも戦前の旧制高校時代と同じ感覚でとらえ、不遜に学力低下を慨嘆し、超人的なほどに生徒・学生にあれもこれも要求する狭小で権威的姿勢を教育者の正義かのように信じ、自省など及びもしない、そんな人間性が、私の想像枠ではあまりに彼方過ぎて、理解[合理]以前のことで、皮膚と生理が拒否してしまっているのである。

そんな私は、だからビートルズの名曲Let it beでは、聖母マリアの言葉は、知識ではなく智恵[wisdom]と歌われているのではないか、更にはジョン レノンはだから「Imagine」を作詞作曲したのではないか、と独り口ごもっている。
しかし、かの知識人たちにとっては、私は理知が欠如した大人(非・合理の人間⇒非・現代人)であり、それが教師であることが信じられない、若者はそういった無知な大人の被害者である、と先の慨嘆は、憐憫と同情に変わるのだろう。

娘は、天上からこの私的悲憤慷慨をどう見ているだろうか。

きっとあの人懐っこい笑みを湛え、そばに降り立ち、「おとん」(彼女は私をいつもそう呼んでいた)と優しく語り掛けてくれていると信じているが。

再会での確認事項が更に一つ増えた。楽しみだ。
【補足】

「知識人」の違和感と関連して、流布している「教養人」「文化人」が良いとも思えない。
「教養」の音が持つ柔らかな響きに、ふと好ましさを感じたりもするが、内実の持つ“上流意識”感は、鼻持ちならないし、「文化」は語義的に好ましいようにも思うが、
あまりに到るところで使われ過ぎて、語義も多様な上、疲弊感も漂い、且つまた「ブ・ン・カ」の響きが、妙に軽やか過ぎて・・・。

一層のこと、「趣味人」なんて良いのではないかと、先日、戦後の偉大な政治思想家と言われている、丸山真男の『「である」ことと「する」こと』を再読していて、氏が言う「to be」(to doではなく)こそ、江戸時代を溺愛し、江戸時代の「若」と会えることを夢に創作を続けた、漫画家であり、時代考証家であり、エッセイストであった私が敬愛する杉浦日向子の魅力ではないかと思え、今のところそれで得心している。

因みに、杉浦日向子は、2005年、46歳で、下咽頭癌で逝去した。彼女の書の略歴に次のように書かれてある。

[最後まで前向きで明るく、人生を愉しむ姿勢は変わらなかった。]と。

偉大な「Let it be」の実践者。

私もまだ間に合う・・・。