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2018年10月10日

中華街たより(2018年10月)    『伝言板』

井上 邦久

地震・豪雨・酷暑そして台風が続いた夏。日本各地で彼我双方が被害者となり、励ましの言葉が交差しました。お見舞い、ありがとうございました。

富田林警察署からの逃亡者が山口県周南市で捕まりました。ちょうど酷暑の間に自転車移動していたことになります。天網恢恢、疎而不失ではなく、霞が関同様の疎(粗)い網であることを白日の下に晒しました。捕まった場所は、道の駅『ソレーネ周南』、イタリア語辞書にはない山口方言の慣用句の「ソレーネ」。同意語「そうだね」の意味で、「ソレソレ」と「ソーデスイネ」という同義語も含めて耳に馴染んだ山口弁です。夏バテをしそうな心身にカンフル注射のような幾つかの言葉が沁みました。
以下の伝言板に掲げておきます。

「ソレソレ」という項目があれば幸いで、無ければ読み飛ばして頂けますように。

誰も言わないから言っておく。官公庁がこぞって身体障碍者の雇用数をごまかすような国にパラリンピックを開催する資格はない。

             池澤夏樹『終わりと始まり』(朝日新聞夕刊)

3.11.から日本は喪に服している。還れない人がいるのに、オリンピックやカジノ騒ぎをするわけにはいかない。

坪井秀人『第323回 日文研フォーラム』

残る日に縋り鳴きたる油蝉             大道寺将司(獄中詠)

 

ここ20年の、統治権を問われない限り金儲けを認めるという党の信条に対して、幻滅が広がっている証拠となる。そしてさらに厄介なことに、キリスト教徒が増加していることは、共産党が神の役割を果たしているのだから神は必要ない、という北京の暗黙の主張への異議申し立てにほかならないのだ。

 デイヴィッド・アイマ― 近藤隆文訳 『辺境中国』

 

私たちは敗戦という苦難を乗り越えて現在の平和な暮らしを続けております。そこには常に歌がありました。その後わが国は幾多の災害に見舞われましたが、その時でも歌がひとつの支えになっておりました。

               野澤節郎『焼け跡に歌が流れた!』

 

作者のシャマン・ラポガン氏への賞の贈呈は当然ながら、その作品と私たち日本語圏の読者が出会えたのは、訳者の下村作次郎氏の果敢で地道な仕事があってのことです

http://www.sunnyboybooks.jp/the-5th-irondog-heterotopia-iteraryprize/

鉄犬ヘテロトピア文学賞事務局「受賞作 大海に生きる夢—大海浮夢」

健次の小説の中で、私は『鳳仙花』が一番好きです。

               中上 紀 (8/1 日本近代文学館講演)

医大で露呈された女子受験生への差別措置に驚いたが、それ以上に周りの人たちが「そんなことも知らなかったの?」と口にした事がショックだった。

R.O. (身近な若い女性医師)

 

現代社会の災害・災難は単に自然災害だけではなく、近代文明の高度化が進むに従ってその多様性を増し続けています。

鄭 炳浩『日本と韓国における「災難文学」の比較とその文化的背景』

 

戦争のこと以外、日本近代史の記述は基本的に中国のこと、また中国的な要素をずっと「隠蔽」し続けてきたからだ。

劉 建輝 『明治維新に中国のお膳立て』(京都新聞8/10)

 

日本が戦争に負けていないのだとすれば、大義も、勝利の可能性もなかった
戦争を始めたことの責任を、誰も取る必要はないし、反省する必要もない。負けたことを認めていないので延々と負け続ける。すなわち、永続敗戦。

  白井 聡 『国体論からみた安倍政権』(8/25 茨木市に於ける講演会)

台湾各地にある個性的な書店をルポルタージュした1冊、

『書店本事—個性的な台湾書店主・43のストーリー』を出版したい!

        クラウドファンディング (8月、目標の2百万円達成)

 

現存する中国伝統演劇の中で最も古いといわれる崑曲(崑劇)は人物の内面を繊細に描き出します。その豊かな世界が伝わりますよう江南春琴行崑曲班を中心に・・・崑曲と江南絲竹『破壁残燈零砕月』

https://www.kobe-niko.com/イベントのご案内/

 

浮遊清秋影 暢飲電気白蘭地 琥珀色相映
秋風は電気ブランの琥珀色

                朱 實(瞿麦)老師『漢俳・俳句旧作』

 

この秋も異国の丘に眠る人 (拙)

直近の句会で、或る方は教会の鐘が聞こえてくるとイメージされ、別の方はシベリア抑留を思い起こすと評してくれました。横浜外人墓地のシドモア女史とノモンハン事件(ハルハ河の戦)を考えながらの軽みに欠けた拙句です。
伝言板の余白を埋める為に掲示しました。             (了)