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2019年1月31日

多余的話     『隔世の感』  (2019年1月)

井上 邦久

昨年末から冬眠をしていました。
犬が歩かないとどうなるのか?大学生の登山競走や橄欖球遊び(ラグビー)のテレビ観戦もほどほどにして部屋に籠りました。結果は「小人閑居して不善は為さず、また善も為さず」でありました。

万歩計が微動だにしない日もあるなかで、恩師の足跡を辿りながら、1925年頃の天津の進取的な初等教育や1935年頃の青島を支配した政治権力の移動を想像し、1945年前後の東京における中国人留学生(旧満州帝国系、モンゴル徳王系、汪兆銘南京政府系そして台湾からの旧内地進学系など)の動きの一端を知ることができました。
また、1967年のNHKテレビ中国語講座の立ち上げ経緯や日中国交正常化(1972年)前後の「中国語学習運動」を記録した資料を参考にして当時の事象を反芻しました。
「中国語を学ぶ事は闘うことだ」「君はなぜ中国語を学ぼうとするのか」といったことを問われる、まさに「運動」の季節から半世紀、まさに隔世の感があります。

政治と歴史の背景を調べながら恩師の足跡を綴りましたが、素人の思い込みや消化しないままの事柄を羅列しただけの拙文で終わりました。「不善」ではないけど、「拙」であり、「善」とは言えない所以です。
閉門蟄居の間にも興味深い記事や資料を届けて貰いました。お蔭で体は停滞していても、意識は遠い時空を駆け巡ることができました。
上海の信頼するパートナーから、1月3日の浙江省企業家フォーラムでの馬雲(アリババ董事局主席)の写真と発言抜粋記事が届きました。先ず精彩にかける写真が印象的で、同席していたパートナーも「こんな元気のない馬さんは見た事がない」とコメントをしています。
タイトルは「トランプを変えようと想うな、汝自らを改めよ」。
発言の要点をまとめると、
①中米貿易の発展に矛盾が生じるのは当たり前、矛盾がない方が不正常
②発展のスローダウンは悪い事ではなく、心地よいものである
③ご自分の企業を少し小さくし、少しスローダウンし、少し愉しくやるだけのことだ

上海のパートナーとは従来から「国」と「民」の関係について話し合っており(コインの裏表か?接着剤での貼り合わせか?溶融合金化されているか?)トップランナーとしての馬雲氏のことは常に話題にしていました。年初早々にこの記事を送ってくれた意図は十分に伝わりました。
昨年11月26日、日経新聞大阪で開かれた「深圳スピードとは何か?」と題するフォーラムで記録した、劉仁辰・深圳清華大学研究院副院長のハーフシリアス的な発言「日本の『慢』に学んでいる」というコメントを思い出しました。
鄧小平が初来日の折、新幹線の「スピード:『快』」に背中を押されている気がした、という正直なコメントから半世紀、『慢』と『快』が交差した両国でした。

環日本海経済研究所名誉研究員の辻久子さんから、「ロシアNIS調査月報」に連載されている玉稿を届けていただきました。
『ヤマルLNGに湧く北極海航路』と題した最新情報です。北極海に面したヤマル半島(北方遊牧民族のネネツ族の言葉で、ヤマルとは「世界の果て」の謂いのようです)。そこに多く分布する大型ガス田を開発し、LNGとして北極海航路を利用して輸出することを念頭に置いたプロジェクトである、と簡潔に説明されています。
事業会社の株主構成比率は、NOVATEK(露:50.1%)、トタル(仏:20%)、CNPC(中:20%)、シルクロード基金(中:9.9%)とあります。発電所やプラントの建設には日揮や千代田化工が加わり、砕氷船は韓国の大宇造船海洋社が建造。輸送サービスには商船三井やCOSCO(中国)が参画しているとのこと。
東航路はベーリング海を通ってアジア消費地へ、西航路は砕氷船を利用してベルギー経由で運ぶ構想。
初歩的な理解では、ロシアの資源に中国の資金・日本の建設物流ノウハウ・韓国の造船力が「荷担」(「加担」)している構図が見えてきます。

偶然ながら、清水稔先生(元佛教大学副学長)による近代中国史講座の初講義のテーマが「ロシアの南下政策」であり、当然ながら「不凍港」確保のための南下政策について詳しく教わりました。辻女史の今日的な「ロシアの北上政策」の報告と考察を拝読して、ここでも隔世の感を覚えました。

続いて、網走市からの3枚目の年賀状と『Arctic Circle』(北海道北方民族博物館友の会・機関誌)109号が届きました。
御縁のある網走には度々訪れ、お世話になっています。また高級魚の養殖用飼料の買い付けの為、真冬のハバロフスク経由でカムチャッカ半島に行ったことがあります。しかし、更に北の大地や漁場(猟場)にはなかなか行けません。
そこで北島三郎や細川たかしの唄を口ずさみながら、機関誌に掲載された北方民族の様々な写真やレポートを眺めて、北緯45度(稚内市)以北の各地(ヤマル半島は北緯72度)を思う事になります。
以前に北極海航路のことも報告されていましたが、今号の特集は「変わりゆく北極-環境・経済・社会 第3回」でした。
表紙には戸川覚さん(動物文学の戸川幸夫の孫)が知床羅臼町から撮影した国後島の作品に「羅臼町からわずか25キロの距離にあり、沖縄本島よりも面積が大きいことを知るものは今も少ない」という添え文がありました。

1月9日付の歴史作家のコラムを届けて貰いました。
能登半島沖の海上でトラブルを起こした韓国海軍駆逐艦「クァンゲト・デワン」、その艦名が高句麗の「広開土大王」に由来することから、北の強国で南への圧迫を加え倭軍とも交戦した高句麗と現在の北朝鮮を絡めた蘊蓄文章でした。
このことを韓国海軍との折衝体験が豊富な方に訊くと、この駆逐艦命名は北寄りの政策を採った金泳三大統領によるもので、軍部には非常に大きな不満があった、同様の不満が現在の政権にも向けられているとのこと。背景には様々な要因があるようです。

広開土王(クァンゲト・デワン)に触発されて、「ファーウェイ」というカタカナ表示について一言補足します。
正式社名は華為技術有限公司(Huawei technologies Co.,Ltd.)であり、中華の為にという元軍人の創業者の思いが籠っているはずです。カタカナ表記をせず華為技術(HUAWEI)と表示しているニュースレターを発信する京都大学東アジアセンターの見識に敬服しています。
韓国駆逐艦の名前も「広開土王(クァンゲト・デワン)号」と報道されていたら、もう少し意識や想像の幅が広がっていたと思います。多余的話(言わずもがなの話)でした。

七草粥で温まった頃から食材の買出しを再開、京都のボランティア作業場(「壬生の屯所」と自称)にも初出して、初場所初日の13日の住吉連句会から本格始動し、その夜は飲酒を解禁しました。
その初日から稀勢の里は三敗(惨敗)。弱い下半身を上半身の力でカバーしてきた取り口のツケが回った無残さを感じました。
稽古の基本である四股の大切さを改めて感じて、稀勢の里引退の日から四股を踏み始めました。青島駐在時代にテニス場で四股を踏み続けて顰蹙を買って以来のことです。
正しい重心の掛け方で、ゆっくりと四股を踏むのはとても難しいのですが、地鎮の祈りも込めて、保健体育の課目に加えています。(了)