ブログ

2019年5月1日

多余的話 (2019年4月)  『桜花春天』

井上 邦久

去年の4月28日は弘前で見ごろの櫻に間に合いました。
弘前城の堀の花筏はケーキナイフで切り取れそうな分厚さでした。地酒を鯨飲しながら夜櫻を眺めるような贅沢は、霞山会・陸羯南研究会そして東奥日報社の皆さんの御蔭でした。  
今年の桜は身の丈にあったもので、京都の建仁寺境内で手造りのお握りを頬張り、通学電車の窓から大和郡山城址の名残りの桜を追いかけるといった素朴なものでした。  

そのような坦々とした日々のなかに、昨年の夏に豪雨土砂崩れで大変な被害に遭った広島県呉市の知人から映画『ソローキンの見た桜』の推薦メールが届きました。
ソ連時代からロシアへの造詣と憧憬を持ち続けている方が、軒まで埋まった住宅は修復しても壊れた集落の生活は戻らない近況を綴ったあと、「広島県では上映されない。大阪まで見に行く余裕はない」という言葉が続いていました。  
日露戦争の俘虜となった士官や兵が日本各地で収容されたことは知られており、それを題材に五木寛之は金沢を舞台にしたロシア士官と日本女性のつづれ織りのような『朱鷺の墓』を書いて、NHKの銀河ドラマにもなっています。  

今回の映画は、松山を舞台としてロシア士官(秘かに反政府活動要員として疑似投降?)のソローキンとロシアとの戦いで弟を亡くした看護婦が結ばれ別れるストーリーで、元は南海放送によるラジオドラマとして高く評価され、原作者でもある田中和彦南海放送社長が映画化を推進しています。
松山城を中心とした桜を大画面でたっぷり観ました。これからも地元の愛媛県でロングラン上映、続いて大阪十三の第七芸術劇場、京都シネマなどで散発的に上映予定です。  主演女優の阿部純子はスケールの大きさといい、自然な英語科白といい今後 日本を代表する国際派女優になるのではないか?と自分勝手に思っています。  

呉市には映画のパンフレットに『大阪俘虜収容所の研究 大正区にあった第一次大戦下のドイツ兵収容』を添えて届けました。  
渋谷駅近くの金王八幡宮境内の桜は、一重と八重が重なり江戸三桜として名高いと教えてもらいましたが今年は間に合わず残念でした。
土曜日の午後、その境内でCさんと落ち合い、大鳥居を潜って桜横町に渡りました。信号を渡る所に銅板を壁全体に張った造りのしもた屋がありました。
東京の古い町に少しだけ残された濃緑色の防火(?)建築で、人形町・小伝馬町・北品川旧宿場町そして鳥越界隈にあり、この造りを発見すると妙に興奮する癖があります。桜横町に入ると左手すぐに加藤周一の記念碑がありました。Cさんは坦々と語りました。 「井上さん、今歩いてきた道は、加藤周一が常盤松小学校に通った道ですよ」

意識は大阪の四条畷高校の校舎にスリップします。山口から転校して河内弁にもペーパーバックの英語本にも少しずつ慣れてきた高校二年生は、複数の同級生が手にして口にする岩波新書『羊の歌』に驚かされました。
著者の加藤周一の名前は目にしたことはあっても、高校生が日常的に親しむような対象ではないと思い込んでいました。全くと言って良い程、学ぶことや努力することから逸れていた十代が終わり、これではいけないと「改悛」してから先ず『羊の歌』を手にしました。今も手元に残るのは1971年1月30日第8刷発行本です。
そこから評論は加藤周一と竹内好、小説は福永武彦そして吉行淳之介の季節が始まりました。実におくて(奥手)であることを自覚しつつも、余命半世紀は残っていると二十代より三十代・・・と自らを励ましてきましたが、その半世紀も残り少なくなってきたことに気付きます。
桜横町を案内してくれたCさんとは横浜中華街や東京の友人が経営する老舗中華料理店でご馳走になり、その折々に得難い書籍を見せて貰い、昨秋には長崎華僑の重鎮の皆さんとの面会調整をして頂きました。

今年の春節会にも誘われたところ、その会は中国にもご縁がある一方、加藤周一を敬愛する人たちの集いでもありました。その方々が活動する拠点「陽風館」は桜横町の松岡理事長のご自宅ビルにあり、2016年その建物脇に設置した加藤周一の詩文を刻んだ記念碑は親しみの湧く素材と造形でした。
Cさんからの「一度、陽風館へお越しくださいませんか?」のお誘いで伺った部屋は加藤周一の著作と中国関係書籍が溢れんばかりに並んでいました。
その 願ってもない環境で「日中愛国貿易時代」からの貿易商のYさんを交えて、尽きせぬ加藤周一にまつわる半世紀分の事柄を語りました。
弘前の櫻は贅沢なものでしたが、桜横町には桜並木は無くなっても胸の内に咲く花は見事でした。

関西での活動では常に次の世代へのリレーゾーンを広く設けた発想を心掛けていますが、桜横町では自分自身が次の世代と目されていることを自覚し、背筋を伸ばしてお暇しました。帰りに常盤松小学校まで歩き、今秋に生誕100周年を迎える加藤周一の90年後輩にあたる小学生の姿をしばらく眺めていました。

たまたま上海の恩師から届いた文章に「歳月不老,人生易逝」とありました。 「桜花春天」を日本語に訳すと「さくらの春」となり、競馬用語で解すると、 桜花賞から春の天皇賞に連なる春競馬となります。
28日、その「春天」の好レースに続いて、香港では国際G1レースの「エリザベスⅡカップ」で日本産駒のウインブライト(勝出光采)がレコード勝ち、父のステイゴールド(黄金旅程)に続いて父子の継承となりました。
天皇賞の一着賞金は1億5,000万円ですが、香港の英国女王杯の一着賞金は2億164万円とか、以上T女史からの速報です。
香港の「一国二制度」は、競馬の世界では機能しているのでしょうか?(了)