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2019年12月26日

多余的話(2019年12月)  『サンフランシスコ』

井上 邦久

 先月は1951年のサンフランシスコ講和会議を持ち出して、made in occupied Japanの世代であることを伝えました。
その年の紅白歌合戦では紅組のトリとして渡辺はま子が『桑港のチャイナタウン』を唄っています。桑(中国語ではsang)港と日系人・日本人は呼び、中国人からは旧金山と呼ばれるSan Francisco。1849年のゴールドラッシュの頃、多くの中国人移民が西海岸に赴き(或いは無理やり連れていかれ=小文字のshanghai)、鉄道建設などに従事した頃は金山と呼ばれ、その後にオーストラリアで金鉱が発見されてからは旧金山となったとか(新金山はメルボルン)。
続いて大リーグのSFジャイアンツのメイズやセペダなどの名前を語りだすと、歌謡曲・中国語・野球というお定まりの「多余的話」の転落コースに陥ります。

これを綴っているのは聖夜であり、信者は祈りをする頃ですので、少し敬虔な口調で別方向からSan Franciscoを語ってみます。  
二年前、イタリア映画『法王になる日まで(原題Chiamatemi Francesco ll Papa dellagente)』を観ました。バチカンから最も遠い位置にいたアルゼンチン国籍のベルゴリオが法王になる実話に基づく良質な作品でした。
イエズス会で修業を積んだ若い日「日本へ行きたい」と呟くシーンが印象的でした。
軍事政権下の複雑な環境を生き抜き、ドイツで覚醒し、アルゼンチンに帰国した後は異例の昇進を遂げて、ついには延々と続く「コンクラーベ(根比べ?)」投票を経て2013年に法王に選ばれるまでを描いた作品に感銘を受けました。
16年前からローマ特派員としてバチカン取材を続ける郷 富佐子さんの2005年のベルゴリオに関する取材ノートには「若手神父らに『教会の外に出ろ』と勧め、貧困地区の活動に力を入れるばりばりの現場派。ブエノスアイレス大司教ながら移動はバスや地下鉄。食事は自炊」「弱点はイエズス会。社会問題ではリベラルで、保守派官僚との衝突は必至」と記録されているとのこと。
さらに具体的で詳細な行動については「初代聖ペテロから数えて266代目となる教皇フランシスコは、約2100年の長い歴史の中で生じた教会内の腐敗を一気に改革しようとしている。」というインパクトの強い冒頭の一文から始まる 松本佐保『バチカンと国際政治 宗教と国際機構の交錯』(千倉書房2019)の 第7章「教皇フランシスコの闘い」に明解に記述されています。

地球環境問題への挑戦として、2015年の世界的な気象・環境学者とのシンポジウムから3週間後に発表された回勅ラウダート・シは「宗教と科学との融合」として衝撃を与え、「地球と貧者の叫びを聞きなさい」の一文はモラル・ボイスとして広まった由。
これに対して米国共和党の有力者から「我々はカトリック信者なので教皇を敬っているが、それは宗教的にであって、教皇といえども環境問題については素人の筈だ」と語ったことを受け、フランシスコは「この回勅は環境問題の専門家である多数の科学者のアドバイスを受けており、私自身も化学の修士号を持っている」と反論した、という段落を読んで、その当意即妙のやり込め方に感銘を受けました。  

日本滞在中も同様のアドリブやジョークが多く報道されましたが、広島での 「核兵器の保有も倫理に反します。それは2年前にすでに言った通りです」というスピーチは原稿にはないアドリブであったようで反響を呼んでいます。
前述の郷さんも、「被爆地で核兵器の使用も所有もモラルに反すると言った。『平和』という究極のモラルに向き合い、だれにも忖度せず、真っ当な主張を堂々と説いて回ったことが今の日本ではとても新鮮に映ったからかもしれない」と締めくくっています。  
それより先、山口英雄・大ローマ布教所長はヴァチカン便り・41号(Glocal Tenri Vol。20,No.12) に「31度目の司牧の旅へ」と題した文章を寄せました。
教皇が2019年9月4日から10日までモザンビーク・マダカスカル・マウリティヌスを巡ったことの報告でした。4回目のアフリカ訪問を果たし、暴力がいかなる集団にも未来をもたらさないこと、若者を鼓舞して、貧困者に近づき協調すること、とりわけ宗教者は地に足をつけ、活動することだと述べた由。
そして32度目の司牧の旅が11月のタイと日本という仏教国への訪問でした。 バチカン市国のエリート官僚出身の前教皇は、たしかアジア・アフリカへは足を踏み入れていなかった記憶があります。伝記的映画の通りであれば若い日のアジア願望が揺らぐことなく具現化していることを感じます。
ただ、数年前から バチカン市国官僚と北京からの幹部が度々接触していることなど関係樹立の動きが漏れ聞こえてきています。
欧州で唯一台湾と国交を持つバチカン市国の面積は小さくとも影響力はとても大きいので注視を続けます。

長崎市でのミサに招待された韓国人被爆者一行が、福岡空港での入国審査で別室に移され5時間足止めされたとの記事を読みました。
「忖度」以前の「品性」の問題ではないかと呆れてしまいました。事ほど左様に、教皇の至極真っ当な言葉がとてもピュアに思え、新鮮に聞こえるのは、この十年の日本社会のなかで煤けた硝子越しに物を見ることに馴らされてきたせいかも知れません。
聖夜に「自らが変われ」という教皇からのメッセージが届きました。   (了)