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2014年1月27日

北京たより 『骨格』 その2   清華大学中日友好協会 日本語スピーチコンテストに観る「骨格」

井上 邦久

 

昨年の12月21日、北京の社宅最寄りの地下鉄「大望路」から天安門広場の地下を西へ、「西単」そして「西直門」と2回乗換えて北へ小一時間(北京では、どこまで乗っても2元=30円。昨今さすがに値上げ話が出ています)。中国の都の西北も学生街です。地下鉄「五道口」から徒歩10分の清華大学を訪れました。

師走に入って、北京日本商会経由で北京日本人会からの案内と協力要請の回覧メールが届きました。途絶えていた日本語スピーチコンテスト再開への支援を募る内容でした。
清華大学中日友好交流会の李会長ら(会長といっても東北出身の純朴な2年生)が来所して語るには、何もかも手さぐりの様子。なかなか支援をしてくれる企業が見つからない、また伝手をたどる要領も分からない様子。
覚束ない日本語を必死に探しながら、訥々と語る姿に共感を覚えましたそして、面談を終える頃には四川省成都への出張前日の土曜日を大学のキャンパスで学生の話を聴いて過ごすことに決めていました。

開催日の二日前になって、事務方から会場に来てもらえるか?審査員をやってくれないか?との問い合わせがあり、当日はネクタイを締めて行くことにしました。
李会長以外は全員が初対面の方ばかり、ステージ最前列の席に座らされ、進行表や表彰次第そして肝心の審査用紙を眺めました。一等賞を渡す役に自分の名前を発見して驚くといった状態でした。徐々に雰囲気に慣れて、日本人会事務局長や司会進行役に御礼を言い、日本の大手三紙の記者の皆さんや企業代表の方々と御挨拶をした段階で一息つきました。
そこへ、日本人留学生が立派な名刺を持って次々とやって来たのには驚きました。隣の毎日新聞の方と「学生が名刺を持つのが普通になったのでしょうか、我々の頃には考えも及ばなかったですね」という会話とともに、まあこれは一種の就職活動なのですね、と教えてもらいました。
中国に来ることは就職を忘れる(採用対象から外される)時代を過ごした自分の学生時代には考えも及ばなかったなあ、と慨嘆しつつ当世学生気質と世相の変化に気付かされました。

コンテストは、1年生女子、男子の朗読から始まり、続いて2年生の女子、男子による時事弁論。ここまでが各6名。3年生は、ステージに上がってから出されるテーマに即応したスピーチ。これは男女各5名。都合34名は、全国からの予選を経て、当日午前の準決勝を勝ち抜いた学生なのでそれなりの日本語水準でした。

1年生は9月に入学したばかりとは思えない正確さでした。2年生のテーマは青島石油管爆発事故、新聞報道改善要求、大気汚染、マンホール生活者事件など、まさに時事問題でした。中には毒マスクを装着して登壇した学生もいました。3年生は硬軟織り交ぜた質問にしっかり対応していました。

総じて、女子の発言は率直明瞭、男子のそれは柔軟曖昧の印象があり。日本語そのものの優劣より発言姿勢と主旨骨格は女子が勝っていました。

男子の中には確かに素晴らしい日本語の遣い手がいましたが、アニメや村上春樹の世界に入り込んで核心を明かさない傾向が見えました。先に挙げた2年生の時事テーマはどれも女子学生によるものです。「報道に奇術やマジックは不要。事実を報せて貰いたい」「事実をしっかり確認しない書き込みでネットが一気に炎上することは危険だ」「マンホール生活者を新聞が取り上げたことで、立ち退かされた生活困窮者は、その後は何処で寝起きしているのだろう?報道は興味本位ではなく矛盾の本質を抉るべきだ」といった鋭いものでした。

男子学生では毒マスクを外した男子学生が流暢とは言い難い日本語で、「大気汚染を語るのではなく、身近なところから実践すべきだ。審査員席の皆さん、今日くらいは高級社用車ではなく歩いて帰ってください」と訴えたことにインパクトを感じました。

しかし多勢に無勢で女子学生の迫力に対して孤軍奮闘という印象でした。男女別に組分けしていることで余計その印象が強かったのかも知れないな、などとエラそうなことを考えながら、ふと20歳前後で朝日新聞主催の中国語弁論大会に出場した時のことを思い出していました。

『同班的曹同学』という題目を挙げ、在日華僑なのに(故に?)中国学科で学ぶ同級生の精神的葛藤について棒暗記で何とか話しました。しかし質疑応答では。頭が真っ白になり、まったく質問の内容が分かりませんでした。いつも授業で接している高維先先生がとりわけゆっくり話してくれているなあ、と詰まらんことを感じるのみで、聞き取ることはできず面目なかったホロ苦い思い出です。弁論のテーマに快く同意してくれた曹正幸君は昨夏あっという間にこの世を留守にしてしまいました。

最終選考で最高賞に選ばれたのは、「貴女は子供の時から成績優秀者だったでしょうが、そのことをどのように考えていますか?」という質問に、
「小学生では特に勉強しなくても良い成績でした。中学生でも一通りの復習でトップでした。高校ではどこを押さえれば良いかが見えて良い結果が出ました。しかしそんな過程で知らず知らずに傲慢になり、他人の傷みを理解しないために、いつの間にか大切な友人が離れてしまったことを後になって気付かされました。成績優秀だけでは豊かな人間関係を築けないことを今は分かりました」と応えた女子学生でした。全く異議なしの結果でした。
表彰式の最後に特別賞にも同じ女子学生が選ばれました。ただ、手違いが重なり日本企業からの表彰授与は、口頭で奨学金3000元(約5万円相当)を渡すことがドタバタの中で伝えられました。

そこで挨拶を求められた彼女は「感謝します。学生にはとても大きなお金です。これを是非とも先ほどコンテストの幕間に、自作ビデオを上映した渡辺航平さんのグループ活動資金として全額寄付したいと思います」と一刀両断の切れ味で、場の空気を引き締めた女子学生の精神の骨格の見事さに感動の声が上がりました。

清華大学キャンパスの料理屋での慰労会にも参加して、学科副主任の先生から何故元々理工系の清華大学で日本語学科を育てようとしているか?日本語を学ぶ学生の社会環境の厳しさと日本志向を続ける意志の強さなどについて、色々と教えて貰いました。

お酒も入って和んだ中で、決勝に残った中に北京第2外国語学院の学生が多かったことについて訊ねました。「北京第1外語学院は確かにアカデミックな名門です。第2外国学院は実務重視が昂じて『観光大学』などと改名する話が出たほど。しかし現在は実力的に第2外語学院の日本語水準が上と見做されていて、改名の話は立切れしました。
また外交部長(外務大臣)の王毅さんが第2の出身だから『観光大学』や『旅遊大学』などという名称にはさせないという実しやかな話もあります」と当意即妙の解説を、江戸っ子のような気風の良い日本語で応えて頂きました。駐日本大使時代にお会いすることができた王毅さんの日本語も見事であったこと、日本についても詳しくご存知で、中堅商社の事情にも明るかったことに驚いたことを思い出します。非常に難しい時期に外交窓口職に据えられたものだと思いながら、清朝貴族邸宅跡の「水清木華」のキャンパスを酔い覚ましも兼ねて地下鉄駅まで延々と歩いて帰りました。 (了)

 

追記補足;                

渡辺航平さんは早稲田大学の学生で北京大学に留学中。中国に対して違和感の漂う日本社会に危機感を募らせた。日中友好を標榜する各種の催しや会合に出かけたものの、そこでの分かる者同士の調和的な雰囲気にも違和感を覚えた。
ならばと自らの行動や言葉で日中友好を表現しようと考えた由。

上海随一の繁華街である南京東路の歩行者天国で手書きの「日中友好」の紙をかざして、やってくる老若男女にハグを求め、戸惑う人・厭わしい顔をする人、一緒にカメラに収まる人など各人各様のリアルな反応をビデオ撮影して、オリジナルのメッセージと音楽を画像に重ねていました。

司会者からビデオへのコメントを求められたので、「調和的な雰囲気に違和感、という発言に共感。それにしても不特定の人たちへのハグ活動は怖かったでしょう?」と訊ねたら、「正直なところ、とても怖かったです」とケレン味を感じさせない率直な反応でした。
日本の男子学生にこのようなシナヤカナ人がいる、まさに「後生可畏」を感じました。

詳しくは渡辺航平さんが当日深夜に届けてくれた以下の資料をご覧ください。

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「僕らの日中友好@上海」(本日流しましたハグ活動)に関しての情報になります。

こちらも是非ご参照ください。

・「僕らの日中友好@上海」《我的中日友好@上海》

优酷:http://v.youku.com/v_show/id_XNjI4NDE2ODEy.html

YouTube:http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=jWOfNwIAzJc

 

 ・Next Vision Asia

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【私感】(井嶋 悠)

私感よろしく我が中に引き込んで恐縮ですが、氏がスピーチの内容と表彰で実感した「女子の骨格」から、今年初めのブログに書きました「母性」と「父性」を、しかしいかに父性が私の中に欠けているか、に思い至りました。
最高賞の女子学生が示すものは、中日を越えて、絶対的平等性の中での「内と外」すべてを包み込むグレートマザー性ではないでしょうか。
と同時に、もう一つ我が田に引き込みますと、68歳を過ぎる頃からやっと父性が芽生えつつあるかな?との心境にあって、私の生大半を占有していたものは、母性でも父性でもないなんとも“曖昧な”或いは不可解な感傷で、33年間、よくぞまあ教師が務まったものだ、との妙な感慨です。

このことは、紹介されている北京大学に留学中の渡辺さんをはじめとする早稲田大学生たちの「シナヤカサ」への敬意と羨望にもつながっています。

私たち「日韓・アジア教育文化センター」の活動は、日韓の出会いからアジア、とりわけ東アジアを、また東アジアから世界を観たい、との思いで始めたものですが、最近、私個人の中では、日本を考えることが、韓国、中国を考えることになる、との気持ちが非常に強くなりつつあります。
これは、やはり独善としかとらえられない危険な兆しでしょうか。
そして、私たちの活動の共通言語が日本語であることの限界なのでしょうか。それとも言語の問題ではなく、私個人の限界なのでしょうか。
このことは、井上氏が学生時代に発表された「在日華僑の精神的葛藤」について、氏の発表された内容、視点は分かりませんが、私の在日韓国(朝鮮)問題での、現在ゆえの?曖昧さにもつながっているように思えます。

ところで、YouTube「僕らの日中友好@上海《我的中日友好@上海》。

彼らが言う、「調和的な雰囲気への違和感」。彼らの「骨格」。
私たちへの警鐘でもあります。正にその通りです。世代を越えて実感します。そして、これは私の体験から言えば、多くの学校〈体験知で言えば中高校)社会(敢えて言えば、私立校)に漂っているものでもあるように思えますが、どうでしょうか。
私自身、違和感を持ったがゆえに転校、退学した幾人かとの出会いがありました。その時、通信制高校という選択肢もありましたが、通信制高校への期待の社会性ももう一つで、そのうちに今では通信制高校の使命は終わった、という通信制高校経営者もいる旨、聞きました。
これは、帰国子女受け入れ校という言葉が、未だ死語になっていないようで、それともつながって来ますが……。

それそれとして、彼らの活動映像必見です。
ハグに応えた中国人老若男女の優しい眼、眼、眼!「目は心の窓」。
思わず「家の門を出れば儒教〈孔孟〉、家の門に入れば道教〈老荘〉」との言葉を思い起こしました。日中、否世界中?、異文化なし・・・・・・!
しかし、・・・・・・タテマエとホンネと生きる術・・・・・? 小国寡民であっての理想、桃源郷・・・・・・?

人の温もり。それは、言葉の合理だけでは通じないことは古来自明です。井上氏が、「日本語を必死に探しながら、訥々と語る姿に共感を覚え」、このコンテストが実現したように。

私たちが、しばしば使っているヒューマニズムという言葉、発する時、心はどこに在るのか自問し、知識だけに溺れないように気を付けたいものです。
最高賞の彼女が、自身を糾弾した「他人の痛みに気づかない傲慢さに陥ってし」わないために。