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2014年2月16日

北京・上海たより  2014年『春節』点描 その2 ― 旧暦「正月」― 『初1(元日)』~『初五(2月4日)』

井上 邦久

Ⅰ.北京にて

 初一(元日)は、先祖へのお参りの日。雍和宮で初詣、そこから北隣へ歩き地壇公園の「廟会」で正月気分を、それも混雑を避けて朝早めに行こうと心積もりをしていました。
しかし、爆竹によって急遽寝正月になりました。午後になってから、地下鉄で再び王府井へ。老舗の帽子屋で新しい帽子を買い、新華書店で平積みになっていた『断舎離』(山下英子著・中文翻訳)と『単飛』(李娜著)、PM2.5入門書、中日文化交流学術論文集(2013年版)そして政府発表の関連テキストなどを買いました。

『断舎離』は、日本でのブームが台湾そして中国の雑誌『知日』に波及、『1Q84』までは3階の文学コーナーに沢山並んでいた村上春樹らの日本関連本が語学コーナーの片隅に追いやられる中、1階入り口近くで堂々の平積み販売でした。
全豪オープンテニスでアジア人初の優勝をした李娜選手の自伝は4階のエスカレーター付近で大会のビデオ画面とともに平積みされていました。

1階の職員に環保関係の本は無いの?と尋ねたら、「環保?ああ環境保全のこと、うーん、1階にはないけど、5階に行けばあるはず」との返事でした。たしかに5階の専門書コーナーに環境関係の学術書、資格検定用テキストが重厚に並んでいました。唯一見つけた一般入門書を買いました。
「腐敗防止・倹約令」「重要会議の要点」などの政府関連テキストはペットボトル1本分くらいの価格であり、正確を期すために便利なので買っています。レジでクルクルッと紐で結んで一纏めにする馴染みの包装をしてくれて、合計163元でした。
奇しくも帽子が160元(1元=16.5円)。ともに頭に載せるか、頭に入れるかのものですが、新年の記念になりました。

東安市場の地下食街で最も繁盛している店で小豆粥と混沌(餛飩=ワンタン)の夕食。店の兄ちゃんが5元の計算ミスをしているのに気づき、春節だからいいかと引き下がらず、強く・きっちり・笑顔で訂正要求。
兄ちゃんが人だかりする客を置いて、会計まで行き精算修正する間の商機損失は5元以上だったでしょう。その5元でペットボトルの水を準備して、地下鉄二駅分の腹ごなし散歩。
建国門駅近くの長安大戯院で京劇の新春公演を聴いて帰りました。

初二(春節二日目。2月1日)の『新京報』などの地元紙には、辛口の大晦日のテレビ評が満載。
各紙とも同様に不評で、小品(話芸・コント)が40%しかなくて歌曲ばかり、名物コントもマンネリ(蔡明演じる毒舌婆さん=青島幸男元東京都知事の意地悪バアサンのイメージ)、清華大学の先生までが駆り出されて大物プロデューサー批判、いっそのこと日本の『紅白歌合戦』のように歌に徹すべきとの提案も・・・

1960年代NHKの怪物番組だった『紅白歌合戦』を毒舌評論家の大宅壮一が「一億総白痴化の夜」と評した事を思い出します。ただ、その大宅先生が苦言の数年前に審査員として番組に出ていたという皮肉な事実を紅白歌合戦と日本人』(太田省一・筑摩書房)で教わりました。太田さんも有名大学の先生のようです。

番組批評の次には、250人の環境衛生集団の活躍で、爆竹のゴミが41・57トン処理され、昨年の43・04トンを下回ったとの記事。
市政府は大気保全、煙火自粛の要請に市民が応えてくれたことに対して「感謝状」を発表したとの事です。とても精緻なゴミの重量計測といい、「感謝状」といい、深読みしたくなる話です。
その『新京報』は、ほぼ一年前の2013年1月14日から唐突に大気汚染報道を展開し始めました。霧(FOG)と霾(HAZE)の説明、PM2.5の解説などはすぐに庶民レベルまで拡がりました。それまでも大気状態が悪いことを感じていても、一部の人が米国大使館のデータを入手して憂慮している状態だったと思います。

唐突な報道前日の日曜日、昼から暗い街を歩いた時、白塔は煤けビルは霧の中に浮かんでいました。紙面はセンセーショナルな写真と大気汚染の解説記事で埋め尽くされ、『南方周末』の年頭社論への規制に端を発し、盟友の『新京報』に飛び火した民主報道規制への論陣は霧散しました。
その後、PM2.5計測器や空気清浄機の売れ行きが急増する一方、移民を勧める広告が溢れ、雲南などの清浄地へ赴く人も身近にいました。

当局からは政策指示が出され、各種セミナーも増え、環境関連企業の新設も続いています。ただ、残念ながら先の爆竹のような庶民の年に一度の楽しみまで規制しても、中重度汚染の頻発は収まりません。
そこに在る汚染をどう処理するかの議論は活発です。
しかし予防医療的発想で根源を抑制断絶する発想には関心が薄い印象があります。ある日中合同セミナーで中国政府水利局幹部から環境を身体の健康に喩えた発言があったので、賛意を示したところ、とても熱心に持論を開陳してくれました。
残念ながら、そのセミナーでの反応は冷淡で、またぞろヒト・モノ・カネが動く即応対処の下流方向の話題に戻っていきました。

庶民のけなげな個別的対策や風任せで霧が晴れるのを待つのではなく、政治経済の上部に科学を置く発想が必須だなと初歩的に思いました。

初五(24日)は「破五」とも称され、春節期間の禁忌を忘れて動き出して良い日ということになっています。
快晴の北京から上海へ移動する飛行機の窓から、その日も天津・唐山、そして泰山周辺の空に拡がる黄白色の大気の層が見えました。機内で開いた『南方周末』の読者投稿欄に掲載された「I want to enjoy the fresh airと題する文章に惹かれました。

――教科書にはI  enjoy the fresh airとあり、空気はタダだとされている。しかし霧霾に塞がれて、正常な空気を呼吸するのにお金を払うことになりそうだ。私が住む臨平鎮では経済繁栄の為、誰もがスッポン養殖に走った。コスト削減の為、石炭を燃やしてスッポンの暖を取る。教室からも濛々とした暗黒色の煙が空一面を覆うのが見える。大人は先に経済発展を言い、環境問題を思わない。何故問題が発生するまで対策を待たねばならないのか分からない。政策は、初めに周到十全な考慮をしてから決定できないのか?――  (沈依楊・運河中学初二)

杭州近辺の農村部の中学二年生、沈さんの「上有政策・下有対策」の伝統を超越した発想に新鮮な空気を感じました。

 

Ⅱ.上海にて

今年も上海の隣家からの新年会のお誘いがあり、お土産とスリッパ持参で5メートルの移動、ご主人の両親、弟とその娘、奥さんの両親という大人数で丸テーブルを囲みました。
山東から息子の家での年越しに来た68歳のお父さんは、見事な呑みっぷりで座を仕切っていました。こちらも「破五」らしく果敢に応酬、話題が日本の清酒になったので、部屋に戻り大吟醸を取ってきて何度も試飲してもらいました。
奥さんのお母さんも負けずに今年は春巻ですよと、手作りの春巻きを三皿も揚げてくれました。

山東では餃子、北京ではワンタンかも知れないけど、上海の春節はやはり春巻を食べなくては始まらないと、笑って押し付けていましたが、口にするととても美味くて山東人も日本人もよく食べました。
日頃から仲良しのエリックも四年生になり、従妹に大きい方のチョコレートを渡すくらいの成長ぶり。
その彼が唐突に、仲良しのオジサンは日本人、その日本が中国に悪いことをしている、僕はどう考えたらいいの?と言い出して、周りの大人たちから一斉に制止されました。何も無かったように話を戻し、お父さんは盃を重ねました。
ただ小学四年生はしばらく解せない顔で黙々と箸を使っていました。

大人たちは「破五」の日でも触れないことを善としましたが、小学生には解けない糸を引きちぎることなく、早い機会に笑顔で解(ほぐ)してみたいと思います。