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2014年5月1日

韓国(ソウル)中高校韓国人日本語教師へのアンケート結果・第1次報告 [その1]

井嶋 悠

まえがき

今年2月、韓国の年度末、3月新年度の前の多忙な時期に、私たち『日韓・アジア教育文化センター』の共同創設者であるソウル市内の高校日本語教師に、以下の趣旨で先生方へのアンケートを依頼した。

 

【調査依頼文より抄出】

日本は大きな転換期にあるように思っています。それは、とりわけ2011年3月11日の大震災と福島原発事故以降、非常に切実な問題としてあります。ただ、時の流れは、震災も原発事故も、私たちにどこか「過去」のこととして見るような、そんな心を芽生えさせていることも一方の事実としてあり、そして現内閣は再稼働を明記しました。

《私の現代日本に対する思い、考えは、本センターホームページの『ブログ』、今月4日に、

『快い生のために「仁」をもう一度考えたい―韓国・検定日本語教科書映像版制作に携わって日本を考える―』と題して公開しています。》

私は、本センターの一員として、またセンター創設者の一人として、更には日本語を母語とする国語教師(中高校)の経験からも、[日本語教育]を通して、日本を考えることの意義を思って来ました。

その時、日本語学習者が世界一の友邦の隣国・韓国の、日本語の先生方の思いを聴くことは、日本人が日本を考える有益な参考となり、それが日韓友愛につながるのではないかと考えています。

それが、この調査の趣旨です。

これは、本センターによると言うよりは、井嶋個人の思いからと言ってよいものであるにもかかわらず、以下の3人の方々の理解と協力を得て実施することができた。

ここに深い感謝をもって記す。(敬称略)

 朴(パク) 且煥(チャファン)(高校日本語教師・元ソウル日本語教育研究会長)

 李(イ) 瑛鍰(ヨンワン)(高校日本語教師・現ソウル日本語教育研究会長) 

 朴(パク) 允(ユン)原(ウヲン)(高校日本語教師)

国際交流・国際理解(「国際」の意義そのものを含め)とは、また日本語教育・国語教育とは、といった定義、共有すべき基本事項、更には「日本語の国際化」については、例えば『国際理解教育事典』(1993年・創友社)や『日本語百科大事典』(1998年・大修館書店)、『国語教育研究大辞典』(1988年・明治図書)等で整理、確認できるので、ここで改めて繰り返さない。

ただ、今、私が自身の心に銘記したいことは、自照自省からの、しかし未だ自身為し得ていない「汝、自身を知れ」或いは「他者は自身を映し出す鏡」である。
これは、1972年から2004年59歳までの間、中高校元国語(科)教師だった私が、時に外国人留学生や帰国生徒に、そして1992年にソウルで韓国人日本語教師に、1998年には中国、台湾の日本語教師に出会ったことからの、更には68年間の私事禍福の積み重ねからの実感で、「理解」と言うよりは「直覚」に近いものである。

今回、幸いなことにも韓国人日本語教師28人を通して、一日本人として日本を再確認する機会を得た。
これは、若干の私感、自問を付したその報告である。

回答くださった28人の先生方、ありがとうございました。

表題を「第1次」としたのは、今回の結果から本センターの新たな取り組みの契機となることへの期待と同時に、私自身一日本人として、できるだけ近い未来に考えを深めたいとの気持ちからである。

 

調 査 回 答 結果

 

調査項目は、以下の三つである。

◇日本語教師を目指した理由

    ◇日本への関心事とその理由・内容

   ◇日韓・アジア教育文化センター」への要望

 

報告は、回答結果とその後の私感で構成しています。

           文章回答については、回答者の用語を大切に要約整理しています。

 

 回答者数(下記項目によって無記入者もあり数の不一致あり)

性別   □ 男(10人)  □ 女(18人)

年齢   □ 20代  □ 30代(13人)  □ 40代(6人)  □ 50代(8人)  □ 60代(1人)  □ 70代

教師歴  □ 5年以内5人)  □ 5年~10年(7人)  □ 10年~20年(6人)  □ 20年~30年(6人)  □ 30年以上(1人)

勤務校  □ 中学校(7人)  □ 高等学校(20人)  □ その他(1人)

 

 質問項目

日本語教師を目指した理由

 

・漢字への興味(30代・女)

・生徒との共感と喜び(20代・女)

・海外生活での有用(30代・女)

・日本語のおもしろさ(30代・女)

・教師への夢(30代・女)

・日本語が好き(40代・女)(30代・女)(30代・女)

・日本語への関心[文字、発音のかわいさ:文法の簡単さ]/ J-ポップ、アイドルに見る韓国にない新しい世界への興味(40代・女)

・教えることが好き(40代・女)

 

・日本文化への関心 / 日本への正しい理解(30代・男)

・日本の植民地支配に対する韓国人の感情的傾向を克服し、円満な関係を築くための日本理解とそのための子どもへの教育(50代・男)

・先進国としての日本への学習。/ 歴史的にも政治的にも関わり深い隣国への理解と教育(50代・男)

・隣国としての韓日友好の発展モデルの形成(50代・男)

・隣国の言葉を通しての文化理解と国際交流(50代・男)

・高校時代の学習(50代・男)

・1970年代開発途上国韓国にあって、先進国日本の文化、経済、科学、技術などを子どもたちに学習させるために。
/ 在日韓国人への韓国語、文化の教育(60代・男)

 

 

私 感

【女性・男性】

たまたまなのか、女性と男性の項を一瞥して、その漢字使用の量と用語から、女性と男性の感性の違いについて思いが行く。
それは、私の中に在る、現代の都市化、情報化時代ゆえになおさら思う、韓国の大家族社会を生きる女性(女性として、妻として、母として、嫁として)の存在感儒教社会を色濃く残す社会での男性の存在、更には韓国文化恨(はん)」の“結ぶ”と“解く”の抒情とも重なる。
現代日本(それも世代別に、都市と地方に分けて)女性の意見が聞きたい。

【漢字・日本語表記】

漢字については、かつて外国人高校留学生の日本語指導で出会った、漢字を見る彼女たち(当時、勤務校が女子校)の眼差しが思い出される。それは、筆順の煩雑さから離れ、描かれた、描いた作品を鑑賞するかのような眼差しである。
そして、日本語母語者は、その漢字と仮名と、時にアルファベットを、無意識下で直感的に視覚の美さえ意識し、統合して書く。
これは、「文字のかわいさ」を言っている人の心に通ずるかもしれない。

尚、表記のことに導かれて付け加える。
和語・漢語・外来語の使用について、長年視覚、聴覚両面から是非が言われ続け、今日一層強くなっているが、私自身、和語へのこだわりをもっと持つべきではないか、と思う。それが、外来語多用の疑義、批判への自身の回答にもなると思える。

・【「日本語のおもしろさ」】とオノマトペと日韓

例えば、日本語のオノマトペ(擬声語・擬態語)の豊かさから、自然と人間と言葉に思い巡らすことで、日本人、日本文化と現代を考える縁(よすが)となる、とかつての日本語研鑽からも思う。
韓国語もオノマトペが豊かと聞く。言葉と人と自然の日韓親和比較はどうだろう?そこから、先進国、文明国と人間についても考えが広がるように思えたりする。
日本では“近代主義者”は、オノマトペを軽んじると言われているが、詩人草野心平の用法などに触れると想像力が心地よく刺激される、

・【日韓近現代史】

日韓間の近現代史での諸問題は、日本では私も含め多くの日本人に困惑と苦しみ与えている。
そして1993年以来の交流・会議での主題決定に際して、日本側委員での共通した思いは、歴史について、古代史及び江戸時代の朝鮮通信使以外には踏み込まない、である。
なぜか。

例えば、従軍慰安婦問題。(「従軍」「慰安婦」との用語自体への問題指摘については今措く。)
そこには「公娼制」と「強制・暴力」の二つの問題があるが、ここでは後者を意識して記す。
1965の「日韓基本条約」、1993の「河野談話」、1995の「アジア助成基金」設立と2007年の事業終了による解散、
そして現首相第1次内閣時代の、その2007の「閣議決定」での強制性の否定、それらから繰り広げられる全国紙「産経新聞」や同じ視点の識者たちの「河野談話」の否定、それと併行しての自虐史観糾弾からの憂国
か、と思えば、先日のオバマ大統領アジア歴訪での韓国での発言を受けての第2次内閣首相の追従した、しかし2007年を意識してのことかあいまいな表現、と同時に首相周辺から発せられる首相の本音との違い。

私たちは何を拠りどころにすれば良いのか。

(因みに、現首相はオバマ大統領をファーストネームの“バラク”と呼び、トップ外交とかで、原発売り込みも含め、諸外国に一回数千万の国税を使って行くその軽佻浮薄、無恥、国内問題への非情、自己過信の薄っぺらな口達者の、彼の如き、また同系の人々の言葉は、ほとんど信用できない。そして、その首相はこのゴールデンウイーク中にはヨーロッパ歴訪中で、併せて他の多くの閣僚も大義を立てて国税外遊中である。
私の周囲で、そんな日本に先の人たちとは全く違った視点で憂国を言う人は多い。)

これらを「政治言語」と言う人さえあるが、その言葉観とはどういったものなのだろう。
歴史が必ず証明する、とも言われるが、歴史自体が人為の集積とすれば、はたしてそう言えるのだろうか。

そもそも専門家とは一体どういう存在なのか、1960年代から70年代にかけて、学生たちによって提起された「研究と教育」のことを思い起こし、思う。
マスメディアには、俗にいう「御用学者」の登場率が圧倒的である。

世界共同体構想にあって、富国強兵型政治の限界が顕在化する現代、それを厳しく指摘する専門家がマスメディアに登場することはほとんどない。政経関係の研究所の著名な代表者が、「反文明的な発言が知的であるような風潮」を切って捨てたテレビ場面に接したが、非常に違和感を覚えた。

また、これは同じく著名な韓国文化韓国語研究者から直接聞いた話だが、某テレビ局から、「竹島(独島)」問題について自由に語ってほしいとの要請で、収録時、持論を30分余り語ったところ、放映されたのは1分ほどであったとのこと。編集者は、テレビ局のディレクターであり、プロデューサーであり、その後ろにいる人たちである。

これは、原発問題でも同じであり、今なお続く「水俣病」問題でもそうである。

それらの現状にあって、私たちはどう自身の意見を持てばよいのか。

一人一人の学習、経験からの信念の形成、としか言いようがないのだろうが、先の全国紙間にあってもそこに在るのは対立と並行である。
この時、学校教育の重要性が指摘されるが、学校、厳密に言えば教師集団社会(更に言えば人の域を超えた権威性さえ持つ教師が多い集団社会)としての学校が、どのように機能しているか、どれほど検証されているだろうか、と私的経験から痛切に思う。

2005年か06年、韓国・慶州を訪ねた際、公道に、「朝鮮通信使」回顧の大きな横断幕が日本語で書かれているのを見て、韓国人の進取性に感銘したことが、懐かしく思い出される。
そして、私たち日本人は、日本の朝鮮統治で中学校長として派遣された父の関係で、韓国中部の都市・大邱(てぐ)で生まれ、戦後、韓国の母(オモニ)たちの慈愛を背に、福岡の筑豊に住み、日本を厳しく、優しく見つめている、森崎和江さん(1927年生まれ)という素晴らしい女性を持っている。

また、2006年に訪問した「慶州ナザレ園」の日本人老女たちを、その彼女たちに付き添い、養護する韓国人たちを知っている。

・【独島(竹島)問題余話】

私たちの仲間の韓国人が、家族共々日本に留学中でのこと。
お子さんが在学した公立小学校(外国人子女受け入れ校)の公開発表授業で、お子さんが、「独島(竹島)」問題を採り上げ、日韓の私たちの手で近い将来に平和的解決を目指したい旨、訴える姿に接した氏の、こみ上げるものを抑えることができなかったとの言葉が、今も私の心に強く刻み込まれている。
そのお子さんは、今、日本の大学で東アジア史を研鑽している。

・【在日韓国人】

二人の在日韓国人の大学教員(男性)がいる。二人とも在日韓国人関係の著書もあり、日本でよく知られた人である。
しかし二人の立脚点(視点)は違う。
一人は、2世3世の時代になり、かつての時代の抑圧、差別、貧困だけではない、との視点。
一人は、現状は同じ理解ながら、問題の本質は変わっていない、との視点。

最近、「ヘイトクライム」と言う言葉を見聞きすることが増えていて、インターネット情報には、その実際の動画も多い。例えば、東京(新大久保)や大阪での韓国人・朝鮮人への攻撃である。
対欧米人(主にその白人)に対してはなく、対韓国・朝鮮また中国に対して噴出することに観る、抜き難い人間の差別意識。日本に限らず古今東西常に在る、自身のアイデンティティ確保と安堵のための他者攻撃心と行動と正当化。扇動するメディア。そのメディアを操る人々。

それも教育の成果なのか。

旧知の在日韓国人から聞いた話で、その数の多少は分からないが、在日韓国人が祖国韓国に行った際、祖国でも侮蔑、差別を受けるという、日本と祖国での二重の差別
尚、この延長上に入ることとして、日本人と白人との「国際結婚」での子息子女への、日本ともう一方の、両国での差別についても、在職校の経験から幾つか接したが、ここではその指摘だけに留める。

ところで、日本での「左翼」と「右翼」の用語については、今、改めて確認すべきではないか、と思う。それぞれあまりにも一面的固定的に思えてならない。

こんな経験もした。
勤務高校で、ソウルの仲間と高校希望者対象の「韓国研修」を企画した。
希望者に[北朝鮮]籍の生徒がいた。韓国領事館の理解が得られその生徒の参加が実現した。
保護者の事前の心配、不安は大きく(その内容を聞き、現実の怖しさを思い知らされたのだが)、ソウルでは他の生徒何人かと(日本国籍日本人)と協力してその生徒と常に行動を共にした。そして何事もなく帰国した。
行きたくとも行けないソウル生まれの保護者の喜び、感謝は尽くせないほどのものであった。