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2014年9月19日

北京たより(2014年9月) 「球場」

井上 邦久

北京人は立秋を待ちかね、処暑で秋支度を始め、そして中秋節を楽しみにします。

天気がよければマルコポーロも愛でたという盧溝橋での月見に出掛けるようで、北京南西方面への車の渋滞予測が新聞に載ります。昨年の40℃近い烈暑とは打って変わって長雨冷夏のまま秋になった上海とともに、この夏は北京も暑さは厳しくはありませんでした。

空気汚染は相変わらず予断を許しません。11月のAPECを前に地域工場への環境対策、自動車排ガス規制、都市暖房の煤塵整備などを躍起になって実行しているようです。
『CHINA DAILY』サイトを大阪で読み続けている方から「中国基準では『軽微汚染』とされている数値が、アメリカ大使館発表の基準では『UNHEALTHY』ですよ」と教えられました。
社宅からの朝の道、バス停3駅分の場所に屹立する北京最高層の国貿第3期ビルが「見えない」「ぼんやり霞む」「くっきり見える」を個人的汚染目安にしています。

黄砂飛ぶ俺のせいではないけれど 

 

残暑を「秋老虎」と表現します。今年は「トラもハエも容赦なく捕える」という腐敗摘発活動でトラは檻の中。秋に老虎は吼えることもできず、残暑は厳しくありません。
一方、日本の猛虎軍は何とか鯉の尻尾を咥えてペナントレースを戦っているようです。

その猛虎軍の本拠地の甲子園球場で、今年も高校野球大会に「参加」しました。8月14日は昨年に続いて元太郎さん(釜石出身、上海で出逢った球友。清岡卓行の佳作『猛打賞』を貸してくれたご縁)と4試合、15日は単独で3試合、全インニング「参加」しました。

試合の合間、名物甲子園カレーが10%値上がりして550円になっていることを発見し、消費税アップを実感。600円だったコロッケカレーがメニューから消えているのも残念でした。900円のカツカレーは高校野球場では邪道です。そこで14日夜にコロッケを冷蔵庫に買い置いて、翌朝早くバッグにタオル、日焼け止めクリーム、冷凍したお茶などと一緒にコロッケを入れたはずでした。しかし開けて吃驚、コロッケではなくキムチが入っていました。その日は甲子園カレー辛口を選んでいたのでキムチを追加するわけにいかず残念でした。

生ビール売り子も黙祷甲子園

 

この夏、加藤周一の長編小説『ある晴れた日に』(岩波現代文庫)を読み繋いでいました。
1945年の初めから東京空襲そして8月15日に到るまでの日々を、作者の分身のような青年医師の思索と行動を軸に綴ったものです。
加藤氏自身も親友を戦争で失くし、原爆投下直後の広島調査団に加わった経歴も後に知りました。ベストセラーになった『羊の歌』を高校時代に読んで以来、評論を読み、講演を聴き啓発を受けました。最晩年は若者と老人の同盟を作る試み(他の世代は仕事に忙しいから当てにならない?)や『九条の会』の呼びかけ人となるなどブレない生き方でした。
1950年に公刊されたこの長編小説の中で、空襲下の東京の病院を二人だけで切り盛りしていた同僚についての次のような一節が印象的でした。

―――外科学会雑誌の報告は慎重に吟味した後でなければ決してそのまま信用しない岡田が、何故新聞の記事は無造作にそのまま本当のこととして話すのか、理解することができない。同じ人間があるときには論理的であり、あるときには非論理的である。(中略)戦局の判断に関しては非論理的であり、軽率であることが、愛国的なことであるのか。―――

目標としていた8月15日の黙祷前に読み上げることができました。

ある晴れた日に戦やみ蝉しぐれ

 

甲子園球場での高校野球の熱気が冷めて一週間、北京から4時間かけて新彊ウイグル自治区のウルムチ(烏魯木斉)に飛びました。
今年2回目の訪問となるウルムチで9月1日に開幕された第4回中国-中央アジア・欧州博覧会に参加することと、中央アジアやロシアとの跨境貿易の中心地、そして欧州への窓口となりうるウルムチの五年先を見据えての調査継続が目的でした。
欧州・中央アジア・アフリカなどから38カ国の参加。国旗の列には月や星の図柄が目立ち、太陽のデザインはバングラディッシュ以外にはありませんでした。
その中で大極旗の韓国の存在感は大きく、ソウルとウルムチの間には週2便の直行便も飛んでいるようです。
来年には日本初(?)の出展参加をして、まさに旗揚げをしたいものです。

1980年代半ば、リチウム業務開発の為に新彊に通いました。観光用でない駱駝や蜃気楼、自生するサフランを初めて見たのもその折でした。中国語で価格交渉をしている途中、相手公司のデルシャット副総経理がノートを広げたまま席を外しました。つい覗き見すると、ウイグル語と思しき判読不能の文字がぎっしりでガッカリした事を思い出します。リュドミラ・サベリーエワ、ソフィア・ローレンはたまたジュリー・クリスティが中国普通語を喋っている姿を想像して頂ければ・・・電影宅男(映画オタク)でないと無理でしょうか?

エジプト綿に並ぶ長繊維綿のサンプル入手を契機に、繊維部門が新彊トルファン綿を大きな取引に発展させました。一緒に託されたホップ(麦酒花)は時期尚早だったのか、当時のサントリーには採り上げて貰えませんでした。
最近は豊富な石炭を背景に安価な電力を活用したアルミ加工産業が発達しており取引の中心になっています。今回もお世話になったアルミメーカーの社員食堂は清真(モスリム)料理のみのセルフ方式で、壁には「和諧」「協和」などの文字が沢山掲げられていました。ランチをご一緒した漢族の工場長は「最低18%の少数民族社員を雇用する義務があり、和諧に腐心している」と語っていました。

ウルムチで少数民族となる夏    

(了)