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2015年9月4日

中国たより(2015年9月)   『済州島』

井上 邦久

この6年上海から、或る時は東京と、或る時は関西との往還を繰り返して来ました。日本からの復路はおおむね瀬戸内上空から九州へ、国東半島を左に見て中津・行橋を真下に、博多湾、唐津湊を経て、福江島上空を通過後に上海へ向かいます。フライトマップの画像では、上海に向かって右手に済州島が示されていますが、残念ながら目視できません。

関西での学生時代、在日コリアンの友人から教わった済州島のこと、金達寿や金石範の済州島を題材にした『玄界灘』や『万徳幽霊奇譚』などの小説から知ったことは、ときどき記憶の奥から甦ることがあります。

また劇場では見逃した韓国映画『国際市場で会いましょう』を、最近になって飛行機内で二回観ることもできました。大戦後の南北離散、経済困窮時代、西ドイツへの炭鉱労働者や看護師としての出稼ぎ、ベトナム戦争軍役参加など韓国戦後史を行き抜いた男とその妻の話です。昨年、韓国で大ヒットしたというこの作品には日本の影は出てきませんが、この映画を通して同時代の日本、そして在日コリアンのことを思い出しました。

この春、平凡社ライブラリーの一冊として増補出版された『なぜ書き続けてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島4・3事件の記憶と文学』(金石範・金時鐘著 文京洙編)を読んで、改めて1948年4月3日の済州島での武装蜂起、それに対する徹底した弾圧粛清や予備検束について系統だって知ることができました。とりわけ、済州島脱出と日本への密入国を経て、きわどく生き延びた金時鐘氏の長い沈黙の重さが印象的でした。

済州島での事件についての詳細は省きますが、巻末資料に掲載されている盧武鉉大統領の済州4・3事件58周年記念慰霊祭でのスピーチ(2006年4月3日 済州4・3平和公園)を一部引用して、当時の韓国政府の姿勢をお伝えします。
「国民の皆様。誇らしい歴史であれ、恥ずかしい歴史であれ、歴史はあるがままに残し、整理しなければなりません。とりわけ、国家権力によって恣に行われた過ちは必ず整理して、乗り越えていかなければなりません。国家権力はいかなる場合においても、合法的に行使されなければならず、法から逸脱した責任は特別に重く問われなければなりません。同時に、赦しと和解を口にする前に、やりきれない苦痛を被った方々の傷を治癒し、名誉回復をなさねばなりません。これは国家がしなければならない最小限の道理です。そうしてからこそ、国家権力に対する国民の信頼も確保でき、相生と統合を言うことができると思います。」 (同上書307頁)
自らの言葉で、自らも内容を信じて、簡潔に述べられた談話だと思います。

 
対北朝鮮国境に貿易地区=大橋開通目指す?

【北京時事】新華社電によると、中国遼寧省政府は7月13日、対北朝鮮国境都市の丹東市に両国の国境地域住民が商品を取引できる貿易地区を設置する方針を明らかにした。既に承認されており、10月から運営するという。

鴨緑江を臨む丹東市の国門湾に設置され、約4万平方キロの土地に交易や物流、検査などのための施設を建設する。丹東は中朝貿易の最大の経由地。国境から20キロ以内に居住する住民だけに貿易地区での交易が許され、北朝鮮の国境住民と商品の取引が可能となる。1日8000元(約16万円)以内なら関税などが免除される。

貿易地区が設置されるのは中国が新たに鴨緑江に建設した「新鴨緑江大橋」の中国側起点。大橋はほぼ完成しており、昨年に開通する予定だったが、北朝鮮側の事情で開通していない。中国側には貿易地区の運営開始とともに、大橋の開通を目指し、中朝の国境貿易を活発化させる狙いがあるとみられる。

数年前から定期的に遼寧省丹東市を訪問して、丹東の提携工場との打ち合わせとともに、北朝鮮の動きを色々と教わってきました。特別区の設置や労働者派遣の話が観測気球のように上げられては、その都度「北朝鮮側の事情で」頓挫してきました。その間に丹東の工場の競争力が下がり、一部をカンボジアの工場へ移管することにもなりました。上記記事の動きが具体化するかどうか、中国から30年遅れた対外経済開放政策に北朝鮮がハンドルを切るか?そして丹東が「東北部の深圳」として変貌できるか?

過去の経緯からみると、楽観的にはなれません。しかし、板門店で神経戦をするよりは、丹東と新義州の間を流れる鴨緑江を脱北ルートの川ではなく、溝通(コミュニケーション)のカテーテル(パイプというには、8000元/日という免税対象の規模からして憚られます)にしてもらいたいと考えています。

7月末にカンボジアから上海に移動、二日に及ぶ会議に出席してから31日の深夜に関西空港に移動しました。8月1日午後、茨木市土曜倶楽部の拡大セミナーで会員講師を務めました。幸いにも定員一杯となった会場で、熱心な眼差しを受けながら話しに熱中しました。猛暑日の昼下がりにもかかわらず熱中症気味の方はいなかったと思います。

同じ8月1日から、同人三人による文音歌仙(かつては手紙やファックス、今はメール活用による連句)が始まりました。先達のお二人に指導を受けながらですが、何とか36句を繋いでいます。最初の句を発句といい、終わりの36句目を挙句といいます。

ことほど左様に、7月は過密日程、8月はその反動でゆっくり。

高校野球と昨秋からのオーバーホールの仕上げ、その他は静かに過ごしました。

印象に残った書物は、矢野久美子『ハンナ・アーレント』(中公新書)、三浦しおん『舟を編む』、武田泰淳『司馬遷 史記の世界』(講談社文庫)そして『火花』でした。                                             (了)