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2016年7月21日

中国たより (2016年7月)  『美麗島』

井上 邦久

「100日ダッシュの真っ最中ですよ」と在台北日本企業の代表は話し始めてくれました。お人柄に加えて九州豊前の同郷のよしみもあって、いつもザックバランな口調で台湾の事々を教えてくれるその方は、のっけから訪問の意図を推しはかったコメントを提示してくれました。5月20日の蔡英文氏の新総統就任から1か月余りが過ぎた日の午後でした。
新政権が高らかに発した「五大社会安心計画(住宅・食品・介護/託児・年金・治安)」、「五大イノベーション(グリーンエネルギー・スマート機械・アジアシリコンバレー計画・バイオ/医薬・国防産業)」「通商政策(TPP加盟準備/日本等とのFTA・両岸経済交流継続)」を三本柱としたスタートダッシュの施策の要点と、それを担う閣僚メンバーについての解説をして頂きました。

朝に羽田空港を出発し、台北松山空港に到着してから1時間半後には、新政権の骨格を拝聴し、現下の困難な経済運営の概況を詳細な資料と閣僚名簿に基づいて教わりました。その後、台湾屈指の法律事務所や銀行の関係者、土着派の友人や駐在員、そしてタクシー運転手らとの交流の中から、おぼろげながら以下のことが検証できました。

・中国寄りだった前政権の姿勢からの転換をイメージする諸策を次々に打ち出している

・「中国と話ができる」総裁を求めるが「中国にすり寄る」総裁は不要という民心を反映

・立法院議席の6割以上を確保したことで、初めて完全執政(総統+立法院過半数)を

実現し、政治的基盤の強い政権になった。

・新政権の顔ぶれは学者やブレーンが多く、安定感はあるが清新さに欠ける。

・副総裁、国会発展委員会主任、日本駐在責任者らにベテラン知日派を配置

・無難な顔ぶれの「暫定内閣」からスタートして、来年には改造により、民進党の「顔」とも言える陳菊女史(高雄市長)、若手のホープ頼清徳(台南市長)らの参画もあるのでは・・・

・経済は減速、GDP成長1%の予想も達成できない危い状態(輸出減退)

・TPPには農業問題などの課題も多く、参加しない(できない)との見方も。

私見では、蔡総統は内需を拡大し、「五大イノベーション」で経済の付加価値を高めようとする戦略であり、米欧日との連携強化には同様の政策を採る中国からの抵抗や干渉が予測されます。
また早くもアジアシリコンバレー計画への異議申し立てとして「『亜州硅谷』顕露新政府的老人老招」と題する巻頭論文を載せた経済誌『新新聞No.1529 6/23-6.29』もありました(原文は「硅」ではなく、シリコンの古い表現「石偏に夕」。「アジアシリコンバレー」で新政府の老人老策が露わに)。政局安定のために選んだ平均年齢の非常に高い内閣への疑義を指摘し、シリコンバレー計画への過剰投資や非現実的な内容を批判。そして本件は氷山の一角であるとする論調でした。

また、中国が5月から台湾への旅行者の絞り込みを始めているのは事実のようで、乗り合わせたタクシーの運転手達は「一日に一万人の中国人が来ていたが、5月後半から2,3割くらいしか来なくなった」「大陸と繋がりの太い旅行社が儲けを寡占していたのは誰もが知っている」「故宮博物院に秦の兵馬俑を展示している?台湾人は興味ないよ」という冷静というか、多分に冷ややかな反応でした。事実、土曜日の故宮博物院には団体客の行列やザワメキが劇的に減っていました。更には、北回帰線直下の嘉義市に故宮博物院南院が新設されたお披露目で、人気が高く行列のできる「翠玉白菜」が台北の北院を留守にしていました。以前のように静かな展示場で、落ち着いて北宋の官窯白磁を見るのは、今でしょう。
一方、中国観光団の底上げ需要により、段階的に満室状態が続いていた高級ホテルなどにも徐々に影響が出てくるだろうという冷静な予測も邦銀筋から教えて貰いました。

 

         中国、台湾との対話停止明言【北京=山田周平】

中国で台湾政策を担当する国務院台湾事務弁公室の安峰山報道官は25日、台湾の蔡英文政権が5月20日の発足以降、「(中国大陸と台湾は一つの国だとする)一つの中国の原則という共同の政治的基礎を認めていないので、両岸(中台)の対話メカニズムは既に止まっている」と語った。国営新華社が伝えた。中国は台湾独立を志向する蔡政権との当局間対話を事実上、停止していたが、当局者が明言したのは初めて。6月末の日経新聞の隅っこの記事です。総統選挙中の蔡候補の主張は「現状維持」であり、統一も独立も直ぐにはない、という民意と合致したと考えます。「台湾独立を志向する蔡政権」と山田記者のように言い切れるほど、台湾内部の潮流は単純ではないでしょう。また中国も
杓子定規の「圧力」を押し当てているとは思いません。彼らの関係も単純ではないと想像します。
その思いは、前々から独立気配があった野島剛記者が新聞社から独立直後に出した台湾関連で5冊目の『台湾とはなにか』ちくま新書(2016年5月10日)を読んで更に強まりました。
1960年代、日台合作映画『金門島にかける橋』のきな臭いポスター、1970年代、邱永漢絡みの本や丸谷才一『裏声で歌え君が代』で知った台湾独立建国連盟の動き、1980年代、台湾の書店で購入した地図には、南京が首都とされていたことなどを思い出しながら読みました。
畏友から勧められた台南の国立歴史博物館に行く余裕がなかったのが残念でしたが、帰国後に乃南アサの近著『ビジュアル年表 台湾統治50年』を見つけて、次の機会までの若干の繋ぎとします。

到着した日の夕方、吉林路の大衆食堂での土着派知人との待ち合わせに、南京東路の渋滞のせいで少し遅れました。市内主軸道路の一つである南京東路、ナショナルフラッグである中華航空の本社ビル前の片側路面を占拠した客室乗務員のストライキでした。道路に座り込んでいた人の大半が女性でした。会社側からの社内規則の一方的な変更への抗議が、デモや団交では収まらず、大掛かりなストライキとなり欠航が相次いだようです。地元の「蘋果日報(APPLE DAILY)」の一面から五面までの報道によると、キッカケよりも折衝段階での会社側の高圧的な姿勢が問題をエスカレートさせた、お山の大将タイプと思われる董事長と人柄は良いが経営には不向きなイメージがある学者出身総経理の対応の拙さが直接の要因であり、その背景には国策会社出身の古い体質が「民営化」後も残っているからだという批判的な記事でした。
一方、「中国時報」は、中国大陸市場でも展開をしている食品大手の旺旺のオーナーに買収されてから、国民党寄り・中国寄りの論調が色濃くなったと言われています。その「中国時報」の一面は英国のEU離脱決定の記事が中心で、深刻な表情のキャメロン首相の写真が中央にありました。

直射日光が弱い内にと早めに駅で待ち合わせ、台北の北に位置する港町淡水まで小一時間、電車車中で新任支店長から最近の話題を教えて貰いました。日本商工会の繊維部会で、台湾の電車内マナーの良さが話題になったとのこと。台湾の整列乗車はまさに文字通り、大阪では整列しているフリをしているがドアが開くと我先に席を獲りに行くという結論。「老人や妊婦への配慮も自然ですよ」と言われ、少し離れた人たちに視線を遣ると、赤ちゃんを抱えた女性に妊婦と思われる女性が席を譲り、隣席で眠っていて気付かなかった夫婦が慌てて席を譲ろうとする。その内に三者が親しげな会話を続けながら荷物を持ち合い、もう一人の幼児を載せた乳母車が動かないように別の男性が知らん顔で支えていました。一例だけで判断はできませんが、ゆとりを感じる光景でした。ちなみに大阪出身者のメンバーが多い繊維部会では「台湾の民度は高い。日本より高いかどうかは分からないが、少なくとも大阪より高い」という自虐的な総括であったとか。

淡水駅前で、支店長は乗り馴れた公共自転車で動くことを提案し、公共カードを持たない旅人は昔風の「出租自行車」の店でクラッシックな自転車を借りました。媽祖廟門前市場を覗いたあと、自転車専用レーンを見つけ汽水域沿いを走りました。ゲートがあったので説明板を見ると、淡水税関址の敷地でした。アロー号事件後の天津条約によって、清朝が1858年6月に開港させられた一つが淡水港でありました。帝国主義の波が台湾に押し寄せた記念の場所も、今はサイクリングを楽しむ人たちのマイルストーンの一つでした。しかし、英国の没落が危惧される衝撃的な国民投票結果が出た翌日に、極東における大英帝国の残影に接することは感慨無量でした。

絶景といわれる夕焼けの名所も真昼間では日焼けするのみなので、早々に駅前に戻りました。1時間半のレンタル料金は、公共カードで自動精算して20台湾元(約60円)。新型車導入の資金も算段も乏しそうな貸自転車屋の賃料は100台湾元、担保の1000台湾元から差し引かれました。眼と鼻の先にある公共レンタル施設と「出租自行車屋」は台湾の今を象徴しているような光景であり、昼ごはんを食べていた子供たちが大きくなる頃には商売換えを余儀なくされるでしょう。国木田独歩の『忘れえぬ人々』のような味わい深い世界を淡水駅前で見ることができました。

「クレア・トラベラー」2016年春号(文芸春秋)は、『美麗なる台湾 Formosa, Taiwan』と題して全120頁最新保存版のまさに美麗なる書物です。内容は知られざる東海岸や南部を特集して紹介するとともに、同じ環太平洋火山帯に住む日本人の好みにあった美しい風景や伝統風俗の写真が贅沢に掲載されています。
民進党結党に繋がると言われる美麗島事件を忘れてしまいそうです。                            (了)